17-14 王都防衛戦3
対物ライフルはアイサが最も好んだ銃器である。
エルフゆえに弓の習練を怠っていなかったが、アイサに弓術の才能はあまりなかった。
矢をつがえ、弦を引きながら、広い視界の中で獲物に狙いを定める。精神を統一し、呼吸を小さくして殺気を気取られないようにし、世界を己の垣根を取り払う。心は虚無に至り、結果を得るために矢を放つのではなく結果を悟ってから指を放つ。
小さな体のアイサにとっては余計な工程が多過ぎたのだ。
「気温……『鑑定』。湿度……『鑑定』。風向き……『鑑定』」
過去には意図せず凶鳥の頭を射抜いてしまったぐらいに弓が苦手なのだ。
ただしアイサは、意図しなくても頭を射抜けるぐらいには狙撃の才能を有しているという事にもなるだろう。
苦手意識のない弓以外の狙撃武器であれば、小さなスコープを覗き込み引き金を引く事のみに集中できる狙撃銃であれば、アイサは十全に才能を発揮する事が可能であった。
「惑星の自転は……やっぱり『鑑定』されない。地球と違ってコリオリの力を考慮する必要はなし。変なの」
アイサは塔の上でうつ伏せになっている。
凶悪な口径の対物ライフルと一体化するかのように銃身と寄り添っている。実際、アイサは狙撃体勢になった際には己は装置であると考えるようにしているらしい。
「正午に近づいて地表から上がる水蒸気が増えている? 見た目ほどに上空の大気は安定していない」
地球に飛ばされたアイサは己の価値を高めようとして、地球製の武器に興味を示した。そんな中で知った狙撃銃という分類の銃は衝撃的であったと言える。
人間族であっても一キロ以上の狙撃を可能とする狙撃銃。これをエルフが用いたならばもっと遠くを狙い撃てて当たり前だ。更に『鑑定』スキルと組み合わせれば観測手さえ必要としない。
つまり、地球を知ったアイサにしかできない。
つまり、『鑑定』スキルを有するアイサにしかできない。
それはつまり、狙撃においてはアイサだけを凶鳥が頼ってくれる。そういう腹積もりだ。
なお、この対物ライフルの名前はバレットM82という。驚く事に、某国ではスポーツ用品として販売されている。耳を隠せば西洋人に変装可能なアイサが量産品の中でも質の高いものを吟味して購入した。某ディフェンスフォースからの盗品ではないので撃つたびに心を痛める心配はない。
「本日晴天なれど上空の波高し……一発で決めるタイミングを見計らう事なんて、僕でなければ誰にもできないし譲れない」
携帯型のスプレー缶とほぼ同等の大きさの銃弾を、ボルト・ハンドルを引いて薬室へと押し込む。この銃弾も数ある中から一つ一つ『鑑定』し、最も質の良いものを選別した。
狙撃のために意識を集中したアイサには、今はもうスコープの先にある三.五キロ先の小さな盾しか見えていない。
アイサはもう誰かのためにとか、誰かに必要とされるためにだとか、そんな余分な感情は考えていない。
……真っ青に顔を染めてしまう程の嘘。
「僕って、役に立てるのかな。凶鳥?」
エルフとしては幼くても賢いアイサなのだ。狙撃に秀でたところで凶鳥の一番になれない事は知っている。対魔王戦で役立たないのは山羊魔王の時に思い知った。
所詮、脆弱なる少女の身で可能なのは、凶鳥を煩わす些事を排除するぐらいなのだった。
凶鳥が強大凶悪な魔王に立ち向かうまでの道中に現れる雑多な敵の頭を撃ち抜くのが精々なのだった。
アイサにはそれが悔しくて悔しくてたまらない。どうして自分はこんなにも弱々しく、役立たずなのだろうか、と。
ふと、スコープの端に一番上の姉の顔が映り込む。アイサと異なり大人っぽく綺麗だ。二番目の姉と同じで耳がツンと長くて羨ましい。ついつい、その奇跡のような造形をNATO弾で撃ち抜いてグチャグチャに壊してしまいたくなってしまう。
二番目の姉、リリームは言った。自分であれば前人未到の三.五キロの狙撃が可能であると。精霊戦士として才能溢れた彼女であれば本当に可能なのだろう。行方不明になっている間に随分と性格が温和になっていたが、そのお陰で肩の力が抜けて更に才能を伸ばしているように思えた。
結局、アイサは狙撃でも一番になれなかった訳である。剣で接近戦もこなせるリリームはまさにアイサの上位互換で超えられない壁であった。絶対的な壁、絶壁であった。そうだ、まな板だ。いや、腹筋があるのでギザギザのついた洗濯板なのだ。
それでも、アイサはこうしてここで狙撃を行う。
「違うよね。僕は役に立たないと、いけないんだ」
狙撃手として立候補した際にリリームは驚いた表情を見せていた。しかし、妹こそが最も適任である、と言いながらアイサを推してくれたのだ。
妹よりも優れた姉が、妹よりも優れた弓術を持つ姉が、妹よりも強い姉が、何故か辞退した。
妹には分からない理由でリリームは役目を譲ったとしか思えなかったが――。
『昔は可愛いだけだった妹が、姉に喧嘩を挑んだりすねたりしている。そうした過程を経て、限界を知って打ちのめされても、それでも成長しようとする妹は強い』
――実際には、妹にしか分からない理由で役目を譲ったらしかった。姉でもあり妹でもある次姉は、様々な心情を理解できて卑怯である。
リリームの主張は根拠の薄いものであったが、何故かアジサイ(妹)とラベンダー(実は妹)とアニッシュ(妹ではないが弟)が同意したためすんなりと通ったのであった。
姉にはやはり敵わない。凶鳥の真似で天邪鬼に使えない姉、と呟きながら、こうアイサは口元を緩める。
「世界を正視する。世界は静止する」
深呼吸する際に一瞬呼吸が止まるかのごとく、大気の流動が停止する。
「僕の視界はすべてを映し出す。何人であろうと逃れる術なし」
アイサの宝石色の青い眼が、瞳孔を絞り込む。
「準備は整った。今こそ、必中の矢をっ」
そして、細く白い指でトリガーを引く。
「『鑑定』狙撃、発射!!」
弾丸が発射されてから結果が目視されるまで十秒もかかる。ただ、アイサには十秒前から結果が見えていた。
「命中まで、十秒……五、四、三、二、一…………盾の中心を貫通、破砕。脳内予測との誤差を比較……皆無」
小さな盾は突然に、刹那的に、バラバラに弾け飛ぶ。
盾を固定するために地面に刺してあった棒も威力に耐えかねて舞い上がる。銃弾は音速を超えていたため、炸裂音は後から響いた。
丘の上には唖然とした表情の敵エルフ共。長姉であるトレアなどは脳が理解を受け付けていないのか、瞬きを忘れて盾があった地点と遠方のアイサを交互に見ているだけだ。
舞い上がっていた棒が縦回転しながら落ちてきて、トレアの鼻先五センチをかすめる。
「姉さんでも、僕の凶鳥を困らせたら駄目だからね。それは警告」
当然、アイサが狙ってやった威嚇行為であった。
状況への理解が追いつけば、蜘蛛の子を散らすように丘からエルフが去っていく。森の中でも大混乱が発生し、逃走していく兵士の数の多さを表すように木々がザワつく。弓に長けたエルフだからこそ、アイサの偉業に強い恐怖を覚えた。
「開門ッ! 開門ッ! 騎兵部隊は出撃するのだ!」
ナキナの城門が開かれる。敵軍の弱腰をみすみす見過ごすはずがない。追撃をしかけてナキナ王都から完全に追い払う。
戦況は完全にナキナ優勢へと傾いた。もうエルヴン・ライヒに挽回する術はない。
アイサは逃走する敵兵を照準していた。
狙撃を恐れて逃げ出した癖にジグザクに動いてもいない間抜けな敵だ。撃ち殺すのは容易である。しかし、無防備な背中を見せている相手を撃たずそのまま逃がす。
「うん。凶鳥なら許してくれるよね」
甘い行いであるものの心優しくないアイサはアイサではない。スコープを覗き込むのを止めて、両目で王都周辺を一望する。
……すぐに違和感に気付き、スコープを覗き戻した。
「何か、森の中がおかしい。襲撃を受けたみたいに混乱している??」
森の深い場所で大樹が震えていた。
『鑑定』スキルでも障害物の透視は流石にできない。逃げていく敵兵の逃走ルート上に、敵兵を混乱させる何かが現れた。分かるのはそれぐらいだ。
いや、森の中から見慣れないモンスターが鱗粉だらけの羽で飛び出す。
「僕の『鑑定』スキルで……パラメーターが見えない?? 嘘っ!」
飛行する謎のモンスターは赤い瞳を光らせた。エルヴン・ライヒには興味がないらしく、森を一気に飛び超えて王都手前の平原へと降り立つ。
カビだらけの穴だらけの羽を持ち、羽に比べ小さなヒューマノイドの身体。
アイサの知らない新種のモンスターであったが、ナキナにはその飛行モンスターの正体を知る人物が二人所属している。
「あいつは、間違いないッ。モスマン!?」
「怨嗟魔王かッ!」
逃走するエルヴン・ライヒ追撃に動いていたナキナ騎兵団は緊急停止し、渋滞を起した。
状況だけ見ると、怨嗟魔王がエルヴン・ライヒの逃走を助けた形だ。
魔王が出現したのならば、当然のように凶鳥面の男が動く。アイサの傍で影が煙のように立ち昇り、中から凶鳥が現れる。『暗影』スキルで塔の上に登ってきたのだろう。
「アイサはここからダイレクトサポート。モスマン型は動きが速いから気をつけろ」
「うん。任せてよ!」
「頼りにしているぞ。異世界一のスナイパーっ!」
凶鳥に頼られただけで幸せなアイサは一番の笑顔を見せた。
対して、凶鳥は仮面の下で目の鋭角を強める。
「怨嗟魔王め、最近しつこく現れる。こんな戦力の揃った場所に現れたところで、何のつもりだ」
突然現れたモスマンが怨嗟魔王であるという通達が行き届いたのだろう。城壁の上にエルフの弓隊が登って矢をつがえる。開いた城門は瞬時に閉じられないので、防御を固めるため重厚な獣の戦士達が出陣する。
今更、怨嗟魔王一体が現れたところで崩れるナキナではない。
“GAAAッ!! GaGaAAGAGGAGGAAAAAAAAAAッ!!”
純正の化物である怨嗟魔王だって、絶望的な戦力差ぐらい本能的に理解できるはずだ。
だから、怨嗟魔王も数を揃える必要がある。エルヴン・ライヒが去った森の中から、化物達の声が聞こえてくる。
“GAGAAAGAAAAッ!!”
“GaGaGaッ、GGAAAッ”
“GAAAAッ!! GAA!!”
森から姿を現したのは馴染みの異形、ナックラヴィー型の怨嗟魔王だ。何度も討伐して食傷気味な化物であるが、同時に複数体が現れたとなれば今までにない事態となる。
狭苦しい樹木を薙いで、ナックラヴィー共が姿を見せる。
その数は十をこえ、二十をこえ、おそらくは五十をこえた。横陣を組んで四足で一斉突撃をしかけてくるとなれば、ナキナが滅ぶには十分だ。
“IIIIァ痛IIッ、痛IAAAaッ!!”
“AAAIIッ、IA痛AAaaaaッ!!”
“aaaaッ!! 痛痛痛痛AAAAA!?”
追加でモスマン型の怨嗟魔王が五十体ほど飛び出してくるのは、過剰投入であった。




