3-5 御影は笑う
「あ、あの。俺、俺だけど」
『オレオレ詐欺がどうした』
「いや、あ、ええっと。俺の名前なんだったか忘れたのだが――」
『は?』
覚えていない他人との会話に気恥ずかしさを感じている場合ではない。
通話相手の紙屋優太郎に状況を一分で説明しようと張り切り、前後不覚になって時間をロスしている。
「――不躾になるが、俺を助けてくれ。制限時間三分以内に」
『……は??』
声を聞いても優太郎との関係性は思い出せない。が、親友に話すようなフランクな口調が一番早く口が回るから、俺は優太郎を親友扱いした。
「今の俺は記憶の大部分を封印されている。魔王連合に負けてバッドスキルを掛けられた所為だ」
『待て、寝起きで頭が回らない。もう少しゆっくり話せっ』
「無理だ。通話時間は一回三分だけで、今はもう二分三十秒もない。優太郎の事も覚えていない俺は薄情者だが、頼む。もう俺には優太郎しか頼れる相手がいない。助けてくれ」
『ああああ、たく! 脈絡は無視して良い。通話時間三十秒になるまで、言いたい事を言いまくれ!』
優太郎は期待した以上に優れた男だった。俺のあやふやな言葉から、最善と思える指示を出してくれる。
「バッドスキルの数は四つ。『吸血鬼化』『淫魔王の蜜』『記憶封印』『凶鳥面』。どれも不利益になる効果ばかりで、まともに動けない」
少ない通話時間を考慮し、会話を諦めて俺からの情報伝達に集中させてくれる。
「『記憶封印』は記憶以外にも、これまで獲得した経験値とスキルが封印される。だから、今の俺はレベル2の弱小状態だ」
優太郎が機転の回る男で本当に良かった。
きっと優太郎ならば、俺を助けてくれるに違いな――。
『クソ。残り三十秒だ。銀河のパトロール星人じゃないから、三分で助けるのはやっぱり無理だぞ』
――ちぃ、使えない男だ。
根を上げる優太郎によって、俺の希望は簡単に打ち砕かれた。無理難題を言ったという自覚はあるので、優太郎を使えない男などとは思うま……思ってないよ。
『通話回数にも制限があるのか?』
「今のを入れて三回だけだ」
『メールでもいけるのか?』
「一通、三百文字までなら」
『――ぎりぎりか』
使えない男、もとい、突然の連絡にも関わらず突拍子のない話を聞いてくれた優太郎に感謝する。
それぐらいしか猶予のない、残り通話時間十秒。
最後の最後で、優太郎は希望を繋いだ。
『メールでパラメーターとスキルの詳細を送れ! 絶対に打開策を掴んみ――』
三分が経過し、回線は強制的に切断されてしまった。が、優太郎の指示はきちんと俺の耳に届いていた。
優太郎との通話後、さっそくメールを書こうとメールソフトを起動する。
物事を説明するのに三百文字はかなり少ない。本文を考えてから書かないと、尻切れな文章になってしまう。下書きに一度書き留めておくのが正解だ。
頭を大いに悩ます事になるだろう。だが、ようやく第一歩を踏み出せたような気分で、笑窪が顔に生じていた。
「……あれっ」
思わず、口から声が漏れてしまった。
水晶体に表示される下書き一覧には、既に一つ作成中のまま放置されているメールが存在したのだ。
『件名:拝啓、記憶を無くした俺へ』
このメールの存在は、俺を思わぬ方向へと悩ます。
『本文:この手紙を発見できたという事は、レベルダウン後にもそれなりの『運』が残っている証拠か。あるいは、ガラケーに縋り付く程の苦境に立たされている証拠なのだろう。
恐らくは後者だ。
この世界は辛辣だ。弱きを殺戮し、強きも滅ぼされる。弱も強も相手を食い殺す事しか考えていない。記憶を失い、さぞ苦労している事だろう。
こうなった状況を可能な限り書き残すが、今の俺も記憶を失い続けている状態だ。だから、一番大切な事をまず書き残す。
この腐った世界を呪え。
お前を貶めたすべてに復讐しろ。
お前を助けなかった奴を絶対に許すな。
この世界では、復讐する動機ほどに満ち足りた資源はない。
報復手段は書き残すまでもない。お前にとって、他者を祟るぐらい造作もないはずだ――』
長ったらしくも辛辣な心中が書かれていた。
記憶を失う前の俺は復讐を糧にして生きろと命じる劇薬的な性格だったのか。記憶の喪失と共に性格が変わってしまったのか、気後れしてしまう。
……だが、正しいのかもしれない。
呪いたい相手に困らない。魔王連合しかり、エルフ共しかり。
特に、エルフの妹の子は上等だ。姉の方が腹立たしさでは上を行くが、優しい態度を取りながらも矢を俺に放った妹の方が、落差が激しかっただけに印象的だ。
呪い殺す直前の震え上がった顔も、妹の方が見ごたえがありそうだろう。
弱者を挫くのがこの世界の慣わしだというのなら、弱そうな妹を呪うのは酷く常識的な判断となる。
あの整った肌を裂き、髪を切り刻み、象徴たる長い耳を引き千切る。そう思うだけで、ぞくぞくと体の芯が震える。
この嗜虐心こそ、俺の本質だ。
記憶がないからこそ、人間の器が知れる。毒黒く、濁った感情こそが、俺に相応しい。
『――お前は今日から鳥だ。すべてを汚す鳥となれ。
名前も忘れているだろうお前に教えてやる。
お前の名は、凶鳥だ』
カカカッ、と怪鳥の鳴き声が、近場の木の上から響いてくる。酷く高揚しており、耳障りで汚らしい。
夜、寝床へと帰っていく鳥の鳴き声ではないだろう。
獲物を捕らえる事に成功して、爆笑している鳥の鳴き声だ。
「凶鳥か。いまいち自覚はないが、名前は未だに思い出せない。名前がないのは不便だから丁度良い」
仮面の内側で、俺も醜い鳥のように笑った。
「カカカッ! 実に愉快だ。痛快だ! 見事に俺の術中に嵌りやがった! 本物のメッセージを消去してやって、嘘の文面だと知らず! カカカッ! カカカッ!!」
怪鳥は己の成果に気を良くして、調子の外れた鳴声で笑う。
足下にまで爆笑が響いて危うく発見されかけたが、それでも、高い木の枝から枝へと飛び移り、森の天井から空へと飛び立つ動作に乱れはない。
怪鳥の思惑通りに、事が進んでいる。
「あいつは凶鳥だ。となれば、御影が余る! 可哀想だから、俺が奪ってやろう。あいつの人生を、俺が奪ってやるんだ! カカカッ!」
先程、己を凶鳥と名乗ると決めた男に知る術はないが……この御影こそが『凶鳥面』の呪詛を授けた怪鳥である。
「――スキル『オウム返し』発動」
魔界の森を一望できる巨木の頂点に登り立った御影の姿。
「どうだ。これで声も姿も俺は御影だろ? カカカッ、やっとの登場だ。おっと、この笑い癖は直さないとなっ!」
その姿は、黒い服と黒いベネチアンマスクを身に付ける、立派な不審者だ。いつも通り薄気味悪い。
「じゃあな、凶鳥! 立派な魔王にでもなって、死ね!」