16-11 前衛職の圧倒的不足
「ク、クソッ」
「『力』だけで逃れられるものか。六節魔法の鎖であるぞ」
羽を生やしたエルフへ向かって突進する山羊魔王。もう少しで角が胸の中心を貫く瞬間、俺は山羊魔王の頭上へと『暗影』した。
「山羊魔王ぉおおオオッ!!」
地上から上空まで、ざっと百メートルの距離を跳躍した。『暗影』スキルの限界を超えた移動距離であろうと気にするに値しない。悪霊魔王に可能な事を、仮面を剥いだ俺ができないはずがない。
力を使い過ぎればまた魔王に堕ちるかもしれないが、知った事ではない。今は山羊面の魔王の首を折るのに忙しい。
「『魔王殺し』発動ッ! 砕けろォオオッ」
魔王の首に跨る。
山羊魔王の象徴たる巻き角を掴んで、工場でバルブを回すように無理やり九十度曲げ倒す。ゴキり、と骨が豪快に折れる音を両手に感じた。
泳ぐバランスを失って十メートル級の巨体がふら付く。エルフを貫くはずだった軌道から外れた。浮遊能力を失って墜落していく。
だが、地上に落とすぐらいでは気が済まない。下半身に力を入れて首を捻り取る作業に着手する。
「――リ、リバース・ボディ。害虫並みの生命力だな、アサシ…………お前は………………何だ??」
折れ曲がった首に脈が復活する。お前にだけは言われたくない言葉を呟きつつ、山羊の瞳に光が戻る。が、戻った早々、山羊魔王はうろたえる。
顔に穴が開いた人間を見た者の反応としては、特別に珍しくない。
「お前はッ! 何なのだ!?」
「俺がお前の死だッ!!」
「はっ、離れろッ!! ――ストリーム・バッシュ」
暴風を纏う魔法を発生させて山羊魔王は俺を遠ざける。
空へと投げ出されてしまった俺を、トンボみたいな羽で飛んできたエルフが全身で受け止める。
「遂に役に立って見せましたよ! 御影様」
「お前、誰だ??」
「が、がーんっ。そんなぁー」
エルフがどうして飛べるのか知らないが、飛べるのならば都合が良い。『暗影』は一瞬で移動できるものの、滞空するためのスキルではないのだ。連続して高度を維持するにはコストが高過ぎる。
「山羊魔王を倒すために手を貸せ! このまま腰に手を回してホールドして飛べ」
「お安い御用です!」
妙に易くエルフが引き受けたので便利に使う。エルフの羽で空を飛び、山羊魔王へと迫った。
「この体の震えは、『魔王殺し』が働いているという証で、アレは仮面の男で間違いない。が、顔の黒い穴は何だ? あんな穴が開いている男が救世主であると?? 理解できん。理解できんぞ」
「御影様。私のナイフを使ってください!」
「山羊魔王、覚悟ッ!」
エルフの腰へと手を伸ばして、くの字に曲がる凶悪な形をしたナイフを横に伸ばす。
飛行機の速度で通り過ぎる際、魔王の巨体を山羊と魚の二つに分断してやるために斬り裂いた。深く抉れた腹部より黒い血が噴水のように飛び出す。
「理解できんが、どうせ殺す相手だ! 深く考える必要などない。 ――地獄変“煉獄”」
「『既知スキル習得(A級以下)』発動。習得スキルは忍者職の『殺気察知』! 指示通りに炎の中を突っ切れ!」
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“『殺気察知』、第六感にも等しい殺意に反応するセンシティブなスキル。
スキル所持者の近辺に突き刺さる殺意に反応できるようになる。相手が隠匿系スキルを発動していようと、殺意だけは隠し通す事はできない。
精度は錬度によるが、未熟な者でも十メートル以内から向けられる殺意に反応可能。達人ともなれば、遠距離からでも正確な方向、距離を一センチ未満の精度で判断できる。
ただし、殺意への反応は精神に対する負荷が高いので、なるべく連続使用を避けて休みながら使用するべきである”
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降ってくる炎の塊は時間経過と共に膨張する。俺達は炎と炎の僅かな隙間、山羊魔王の殺気の合間を縫うように飛行して旋回。再び山羊魔王へと攻撃をしかける。
「『既知スキル習得(A級以下)』発動。習得スキルは死霊使い職の『グレイブ・ストライク』! 召喚物、主を失いし剣の十字架!」
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“『グレイブ・ストライク』、墓地のあらゆる物を投擲する罰当たりなスキル。
墓地に存在する物に限定した召還魔法し、投げ付ける。消費する『魔』は重量に依存し、だいたい百キロで1消費する”
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今度は異世界の戦場に取り残されていた剣の群を召喚しての連続刺突。持ち主を失って久しい刀剣は錆びて欠けているので、良く刺さる。『守』の下がっている悪魔の体に吸い込まれるように突き刺さった。
「もう一つッ。――爆破、発射、火爆撃!」
更に、燃え盛る魔法で多数の傷痕を炙る。
「まだ終わらせるかッ。今度は首を切り落と――」
「いちいち攻撃が軽いぞッ!! 救世主ッ!!」
連続攻撃の最中であったというのに、山羊魔王が怒号に割り込まれてしまう。
「その顔に見合った特異性はないのかッ!! ――地獄変“黒縄”」
天と地から熱せられた赤い鎖が伸びてくる。その数およそ……三百本。
すべてが一直線に俺達を目指している訳ではない。斜めに空を分断して進路を塞ぎ、大雑把にであるが檻を生成する。狭くなっていく空に逃げ道はない。
「スキルだけが多くても、所詮は一芸の集合物。世界を改竄可能な魔法に敵う道理があるものか――地獄変“一銅釜”」
山羊魔王の足元の地面が崩落し、湯気が沸き立つ地獄の釜が出現する。
釜から立ち昇る湯気を吸い込んだだけでも肺が火傷を負って、まさに地獄の苦しみを負うはずだ。が、山羊魔王は湯気の中に留まる。濃密な飽和空間の奥へと退き、姿が白く薄まっていく。
「スキルとは実に単純なものだ。我がパラメーターを減衰させているものが魔眼系のスキルならば、湯気で視界を遮るだけでも効果を失う!」
「クソ、湯気は『魔王殺し』対策かッ」
山羊魔王の狙いは『魔法殺し』の効果の停止にある。俺の視界内から逃れれば、パラメーターの下方補正はなくなる。無尽蔵に近い『魔』を惜しみなく使い果たせる。
「御影様ッ。どうか、私をおいて先行を!」
「『暗影』なら届くか。だが、どうやって止めればいい」
『魔王殺し』で抑圧していた状態でさえ、山羊魔王はありえない威力で魔法を放っていた。自由に使わせる訳にはいかなかったが、肉体的ダメージでは怯まない山羊魔王は、斬っただけでは止められない。
「もう遅い。――大地獄“無間落し”」
迷った一瞬の間に、山羊魔王は王手をかけてきた。角の先に発生させた黒い球状の奈落を鎖の檻へと投射してしまっている。
進路上にあった大気を吸い込んで、黒い球体は瞬きする暇を与えず巨大化していく。気が付けば、足元が黒一色となって何も見えない。
オーバーキルにも程がある。山羊魔王はたった二人の人間を倒すためだけに八節魔法の大魔法を用いてきたのだ。脅威と認められている証拠なのだろうが、一切喜べない。
「ひぃっ?! これは御影様のお顔の穴の向こう側と同じ色!」
「黒い海か。俺が体験する事になるとは思っていなかった」
怖くて動けなかった。
何もかも吸い込まれていく。
ブラックホールに捕まった宇宙飛行士の気分だ。
何もない黒い海底へと一方通行に落下していく。
闘志や気力さえも根こそぎ奪い取っていく無の穴を前にして、俺は背後のエルフを庇う事さえできなくて――。
「――偽造、誘導、霧散、朧月夜、夢虫の夢は妨げないだろう」
――ふと、鎖の檻の一部が消失した。
思い出したかのようにエルフは飛行を開始して生じた脱出口へと向かうが、黒い穴の体積増加速度を超えられない。追いつかれる。
「――全焼、業火、一掃、火炎竜巻、天に聳える塔のごとき炎の柱にひれ伏すであろう」
「――昇華、隔絶、絶対防御、氷要塞、築かれた氷の世界はすべてを拒絶し許さぬであろう」
天を貫く炎の竜巻が自ら穴へと投身し、穴の拡大速度を低下させる。
山に等しき氷の構造物が穴へと落ち、穴の膨張能力を奪う。
「――浄化、雷鳴、来迎、天神雷神、神の顕現たる稲妻にまつろわぬ存在は焼き尽くされる事だろう」
「――創造、新生、生命、人類創生、人を生み出し世界を作り上げた泥こそは世界の始まりにして世界そのものとなろう」
空からも極太な雷が黒い穴を打ち付けて、大地からも女神の姿をした巨大ゴーレムが穴を両手で受け止める。
大魔法の同時着弾。その総エネルギー量は瞬間的には原子を用いる発電所のそれを上回った事だろう。それでも、黒い穴の進行を止めるには不足である。
ただし、確かに数秒の間だけは穴の拡大は停止した。全力で羽ばたくエルフと俺を逃がすだけの時間を確かに稼いだ。
檻を抜け出して、地上へと衝突しながら背後に爆風のごとき風の吸い込みを感じた。
限界まで広がった黒い穴がこの世の一部を飲み込み過ぎて崩壊、消滅。黒い穴の消滅と共に真空状態となった空間に周囲の風が雪崩れ込む。
頭を抱えて風をやり過ごしていたいが、山羊魔王を自由にしておいても良い事は何一つない。
致命傷を与えられなくても良いから、せめて、『魔王殺し』を効かせないと――。
「さて、四人揃った事だし。どうするこの魔王?」
「正確には、上で浮かんでいる月桂花もいるです。五人集合です」
「私一人と、その他四人。私以外が無能なのは兄さんを発見できなかった事で証明済み」
「御影が二人いるってのは驚きだけど。その議論は後にしようか」
――いや、俺は少々出遅れた。
どういう状況か分からないが、山羊魔王を中心にした四角形の頂点に、赤、黄、青、紫の四人組が立って腕を水平に伸ばしている。上空の頂点にいる月桂花を加えればピラミッドの形をした包囲陣形となるだろう。
「すべては、この魔王の始末をつけてから。フルボッコ」
五節魔法を唱えられるSランク魔法使い職五人が一斉に、魔王へと魔法を放つ。
「役立たず。エルフなど気高いばかりの役立たず。やっぱりあんな姉は役立たず……」
アイサは地面に転がっている漆黒のペストマスクに向かって話しかけている。
「……そうか? 自分の戦い方を忘れて前衛職みたいに突っ込んで、むしろ邪魔している馬鹿よりも活躍しているぞ」
ペストマスクを被っているペーパー・バイヤーに話しかけていた訳ではない。
山羊魔王のスキルで正気を失っていた……ふりをしていたペーパー・バイヤーはちゃっかりと魔法の絨毯爆撃を生き延びていた。とてもレベル0とは思えない強『運』である。
「異世界は、仮面取ったぐらいで勝てる相手ばかりじゃないな。……苦労しているぞ」
「役立たず。役立たず。役立たず……」
しかも余裕があるらしく、ジャルネやエルフの族長といった戦闘不能者をここまで運んできている。
ぶつぶつ呟いているだけの役立たずなどより、よほど役に立っている。
「あーでも、人員は多いから……きっとお前が何もしなくても勝ってしまうかもな。そうなれば、本当の役立たずは誰になる?」
「役立――今、俺を侮辱したのか?」
アイサはマスクから目線を外して、ペーパー・バイヤーの顔を見た。正気を失っているため、同時にライフルのトリガーに指をかける事も忘れない。
「……メルグス。俺は地球に流れ着いてからのお前しか知らないが、必死に銃の使い方を覚えて、スキルを磨いたのは何のためだ?」




