16-7 合流
沸き立つ溶岩の合間を疾走し、高熱の水蒸気が噴出したなら華麗なコーナリングでかわす。
「さて、あれは何であろうな? ――フレイム・ヴァイパー」
魔王が気まぐれに炎の蛇を放ってきたなら、車体を滑らせて灼熱圏内から遠ざかる。
「イナーシャルッ」
「ペーパー・バイヤー先輩、がんばー」
「アジサイ。ええいっ。少しは迎撃してくれ」
無骨な箱型の四輪駆動車が、時速八十キロ近くで爆走していた。魔法に傾倒している異世界の技術では製造できないはずの車が、何故か異世界を走っている。
しかも現れたのは、魔王と魔王が戦い合うこの世で最も地獄に近い戦場だ。
どこの物好きが地球から持ち込んだのか。ぜひ顔を拝みたいものだが……どうして仮面を被っているんだ。
「きてやったぞっ! そこの仮面馬鹿ッ!」
横転しかける車体を真横に滑らせ、コマのように一回転した車が俺の傍で停止する。
「よう、久しぶりだな。前に会ったのは学生食堂かどこかの空き教室か。俺もあんまり覚えていないが、お前も覚えていないだろうな」
「……どちらさまで?」
「とりあえず、落し物だ。ほらよ」
扉のような大きなドアを開いて、ドライバーのペストマスクが下りてきた。
随分と馴れ馴れしく、男に馴れ馴れしい態度を取られても嬉しくもなんともないはずなのに……嫌な感じはしない。厄介事を丸投げしておけば全部こなしてくれそうな安心感を覚えてしまう。
だから、ペストマスクが投げ渡してきた黒い携帯電話を無条件に受け取ってしまう。
「で、電話を途中で切りやがった礼だ。一発殴られろ!」
だから、『速』的に回避可能なノロマなパンチを頬に受け取ってしまう。
「い痛ぅ。レベル下がっていたんじゃないのかよ。鉄殴ったみたいだ」
「そう予想しながら殴っただろ、お前」
「知るか。あー痛い。すっきりしない」
手に馴染む黒い携帯電話は俺の持ち物で間違いなかった。
==========
“『黒い携帯電話』、携帯業界の地位をスマートな奴に奪われつつある存在。
“電子機器である。役目を果たし、今は権能を失っている”
“現在の通話可能回数:バッテリー切れです”
==========
だが、携帯電話はナキナの迎賓館に捨て置いてきたはず。それを手渡してきた事により謎多きペストマスクの謎は深まったものの、同時に正体が知れた気もした。
「お前、まさか優太ろ――」
「今はペーパー・バイヤーで通している。とりあえず、俺の正体なんて捨てておけ。上に敵を待たせているんだろ?」
ペストマスクあらためペーパー・バイヤーに上を指差されて思い出した訳ではないが、山羊魔王が空でぷかぷか浮かんでいるのだった。指摘通り、暢気に仮面同士で交友を深めている場合ではない。
俺達が喋っている間、手出ししてこなかったのは気まぐれか。地表ごと俺達を吹き飛ばせる八節魔法を唱える魔王が、時計の針みたいに傾いて観察を続けるのみだ。
注目されているペーパー・バイヤーは意表を突いて登場したものの、頬を殴ってきた際に『力』は知れた。パラメーターは酷く低く、戦力としては換算できない。
山羊魔王に本気を出されて八節魔法を連発されでもしたら、あっと言う間に全滅だ。
「――その心配はいらない。あの魔王に大魔法を連発できるだけの『魔』はない」
==========
●山羊魔王
==========
“ステータス詳細
●力:666 → 6(魔王殺し)
●守:666 → 6(魔王殺し)
●速:666 → 6(魔王殺し)
●魔:65535 → 83/655(魔王殺し)
●運:0”
==========
「自然回復は異常な程に早いが……数分間は余裕がある。俺が『鑑定』した」
車の上からそう断言する声が聞こえてくる。
漆黒のペストマスクを被った何者かが狙撃銃で山羊魔王を照準したまま言い放っていた。
「ペーパー・バイヤーが二人??」
「この仮面はか弱いだけの女を封印するための戒めだ。凶鳥よ。そこで見ていろ。魔王を倒した時、顔を明かしてやる」
女の声だと思われるが、低音域で喋っているため男と勘違いしそうになる。
ただ、凶鳥、と俺を呼んだ際のアクセントが、ある少女のそれと良く似ているような。漆黒のペストマスクの中身について俺は知っているように思われたが、確信を得る寸前、狙撃銃の発射音に思考を邪魔されてしまう。
「近場で聞くと大きい音だ。まったく、銃まで異世界に持ち込んだのか。ただ、五節魔法を耐え切る真性悪魔に銃は効果が薄いぞ」
「それなら安心しろ。援軍はまだ二人連れてきているぞ」
ペーパー・バイヤーの言う通り、右の助手席から更に人物が現れる。出てくるのが遅かったのは長弓が引っかかっていたからなのだろう。
現れたのは……金髪のエルフだ。戦闘の邪魔になる髪を一つに括ったポニーテール。緑を主体においた独特な民族衣装。横に突き出た長耳を保護する革製のカバー。エルフなのだから容姿は当然のようにハイレベル。
「御影様、お任せあれ! 故郷では有数の精霊戦士であった私。討伐不能王との戦いを経た今、真性悪魔が相手であろうと誰であろうと勝ってみせま――」
「ん? 何故リリームがここにいるのだ?? 禁忌の土地で戦死したのではないのか?」
「――あ、あれ、うわっ?! 族長様ァ?!」
エルフの族長しかり。エルフの国境が近いため、エルフの登場率が高くなっても仕方がないとは思う。ただ今更、普通エルフが援軍で現れてもそこまで期待は……ん、今腕を突かれてたような。
目線を腕の方へと向けて、相手の背に合わせて少し下げる。
青い着物の少女みたいな子が、人差し指で俺をぐりぐり押していた。
「…………盆と正月が一緒にやってきた」
「えーっと、いきなりどういう事で?」
「それはこっちの話。どうして、兄さんを発見したら姉さんまで一緒にいるの?」
足元の影が波打つ。
俺に取り付いていた青い魔法使いの女ゴーストが勝手に姿を現したと思うと、青い着物の子に襲いかかる。今まで顔を隠していたベネチアンマスクをぽいっと捨てて――コンマ五秒の早業にて――発情期の犬みたいに盛って顔を平べったい胸に押し付けていた。
「浅子ぉーーーっ、ああっ、浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子あああ浅子妹のにおい浅子浅子浅子浅子浅子浅子浅子逢いたかった浅子浅子浅子浅子可愛い浅子浅子浅子。んーー、お姉ちゃん、もう離さない!」
『魔』を供給していたパスも一方的に解約されてしまった。何だろう。氷属性らしく冷静な女だと評価していたのに、俺の勘違いだったらしい。
家の庭に住み着いていた猫が家主の俺以上に、知らない子に懐いていた。そんな寂しさを覚えられないぐらいには、青の行動には引かされる。顔の押し付けが激しい所為で、胸元が開帳されてしまっている。青い子がインナーを着ていなければ問題になっていた。
人口密度が増した所為で色々とカオスになりつつある。
安心感と安堵感の流入により場の空気は弛緩してしまっていたが……それは大きな間違いだ。
「こういった和やかな騒がしさは私の好むものではない。狂気と発狂が作り上げる取り返し不可能な状況こそが真の混沌ではなかろうか。『正気度減少』せよ」




