16-1 そこへと集う
淫魔王がやってきて、丸々三日。
ここまで長く魔王を観察した例はなかったので、学術的には大いに参考となった。生物の頂点に位置するものの生態とはどういったものなのか、セレブの生活を紹介するワイドショー並みの意義と、ライオンの一年を追ったネイチャー番組並みの教養が養われた。
「く、食っちゃ寝るだけ……」
淫魔王は女の癖にオスライオンみたいな奴だった。
魔王を恐れる集落の者達のため二十四時間体制で淫魔王を見張っていた結果、魔王の睡眠時間は十六時間強にも及ぶと判明する。残り八時間は食事と体の手入れでほぼ終わる。実に監視の甲斐のない魔王で拍子抜けする。
「安心して眠れる生活が贅沢ではないかしら?」
「魔王としての威厳はないのか」
「我侭に思うがまま、欲望のままに生きるのが魔王ですもの」
男の性欲を駆り立てる事に長けておいて、本人は睡眠欲の虜になってしまっている。欲望に忠実な魔王だ。
同室生活が長いので、淫魔王とはたまに会話している。尾の先から鱗を磨いている淫魔王の暇潰しに付き合っているだけだが。
「本当に眷族は全員子供なのか?」
「母親は私で間違いないわ。父親は違うかもしれないけれども」
鱗の次は爪だ。鑢で今日伸びた分を削っている。
「そういえば、ダンジョンからの脱出中に見逃したな。いつもああいう事をしているのか?」
「……どうかしらね。私は自分勝手な女よ」
案外、穏やかで話しかけ易い相手ではある。世界中の魔王共は淫魔王を見習って怠惰であるべきだ。
「何を暢気な感想を呟いている、凶鳥よ。淫魔王の眷族の食害が拡大じゃ。二日以内に出て行ってもらわねば周辺が砂漠と化すぞ」
ジャルネは一日一山が剥げていく現状をどうにかしようと、敵である山羊魔王の居場所の特定を進めていた。正確には、山羊魔王に寝返った獣の種族がどこに戦力を集中させているのかを各部族から情報を仕入れている。
山羊魔王の正体が真性悪魔――大魔法で暴れた寄生魔王の類縁――と知れた今、山羊魔王が人間の兵力を本気で当てにしているとは思えない。が、多方面からの証言を総合すると、山羊魔王は確かに獣の戦士に守られながら移動しているらしいのだ。
中央戦力は、枝分かれした角を持つ部族。ジャルネが属する鹿の部族でほぼ間違いない。
ジャルネは話そうとしないが……先日、淫魔王の前に現れた敵部隊を率いていた老戦士は、ジャルネの祖父で間違いなかった。
仕事に励むジャルネに言うべき言葉は、まったく見当たらない。
「淫魔王様。お食事の時間です」
「私の好きな果物ね。嬉しいわ」
忙しいジャルネが去って行くのと入れ替わりに現れたのは、見慣れない人間族だった。
淫魔王の食事は俺達が用意しなくても、ぶらりと勝手に現れる魔獣が山の幸を運んできている。が、今回の当番は魔獣ではなく人間族。
銀髪の女性で、目がキラキラしているのが特徴の人である。服装は戦闘用修道服。どこかで出会った誰かと似ているような気がするのだが、誰だったか名前が喉の奥の方から出てくれない。
「私の子供でもないのに、よく働いてくれるのね」
「……捕虜ですから。面倒だと思われて喰われない程度には働きます」
まあ、銀髪の女性は一人だけで現れた訳でもない。三メートル級のカンガルーを連れている。
カンガルーの袋はまさかの中身入りだ。女性と良く似た銀髪と顔立ちの男性が目隠ししながら入っている。
淫魔王の誘惑対策なのかもしれないが、淫魔王が過ごしている室内は甘い匂いで充満している。スキルで抑制可能な俺でも気を抜くと危うい環境だ。よって、袋男はしっかりと誘惑状態に陥って、カンガルー袋の中で気持ち悪くクネクネ動いていた。
「はぁはぁ、淫魔王様。今日もお美しく」
「目隠ししたままのお世辞でも男の賛美は嬉しいものね。ありがと」
「…………愚かな弟でも、助けていただいたご恩はありますので」
こんな珍妙な人達なのだ。他の誰かに似ているはずがないだろう。
淫魔王の見張りを皐月と交代し、再び交代したので更に一日が経過した。
皐月の成長に日々の流れを感じる中、怠惰な淫魔王を見張るだけの生活に飽き始めていた頃、ようやく事態が動いた。
外に出ていたジャルネ達が、山羊魔王の居場所を発見したのだ。
「あ奴等めッ。最後通告に対しても槍を投げて返事をしおった。もはや、言葉は不要じゃ!! 山羊魔王もろとも徹底的に潰してくれる」
獣の種族が縄張りにしている一角、火山地帯に一万の敵戦士が集合しているらしい。
獣の部族の大多数が山羊魔王に従っていた当初を思えば随分と減ったものであるが、それでもまだ万の戦士が残っているのか。
解放軍の総数は一度千まで増えた後、淫魔王を怖がり五百まで減少している。万と五百では勝負にならないが――、
「そう。山羊魔王はそこにいたの」
――万の魔獣を従える淫魔王にとって同数の人間族など障害として目に映らない。
次の戦いは実質、山羊魔王と淫魔王の質と数の競い合いになるはずだ。
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“●カウントダウン:残り八年と六月 → 残り十年七ヶ月”
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救世主職スキルの『カウントダウン』。
淫魔王と共闘する事で二年以上延長された。増える事が望ましいとは限らないものの、間違った選択ではなかったと考えたい。
「行くわよ、子供達。憎き山羊魔王を滅ぼしたいという母の願いを叶えなさい」
ナキナの首都から離れた南部。
淫魔王の眷族たる大型魔獣はもう少し南にいるはずであるが、この荒野にも魔獣がいるのか土煙が上がっている。かなりの速度で走っているようで、煙は消えるよりも早く生じて長く連なっていた。
砂煙と同じ色の胴体は平べったい。
四肢は黒くて太く独特だ。
そも、顔と言い表せる部位がない。
「紙屋せんぱ……ペーパー・バイヤー先輩。これ、ハンヴィー?」
「L‐ATVって奴だ。某コメ国で売っていたからあいつの口座から金を下ろして買った。もちろん一般には銃座なんてオプション付いていないけどな。グレネードは流石に用意できなかった」
動物型というよりも虫型に近い魔獣であるものの、内部に人間族を搭載している様は異色が過ぎる。四輪駆動などまったく異世界らしくない。
「それよりも、本当に方向こっちで良いのか? 俺にアテはないぞ」
「精霊が騒いでいます。少なくとも大きな戦いが行われる前兆なのは間違いありません」
「兄さんいるところ戦いあり」
「それには同意する。しかし、リリームがいるのに皐月がいないのか。偽者には三人も取られてしまって、正直戦力足りないぞ」
「妙な事を言う紙……バイヤー先輩。兄さんには私がいれば十分のはず」
「血縁関係のない男を兄と言う魔法使い一人と、森林恐怖症のエルフ一人。俺はレベルゼロで、後部席のメルグスに至っては――」
「――役立たず共。特にお前、ああ、なんてザマ。お前もお前も俺もッ、役立たずめ――」
「――この通りコミュニケーションが取れそうにない。戦闘終われば安定していたはずなのに、何故かリリームを見てから症状が悪化している。知り合いか? こいつの中身エルフだぞ」
精神疾患率の異様に高い、マスク着用率も半分となってしまっている車内。
愉快な仲間達を運ぶ大型車両が行き着く先は、遠くにそびえる火山だ。




