15-9 女の怨念
まさか、こういう事態になろうとは。
焚き火越しに向かい合う相手は眠たそうに体を横に伸ばす。無防備が過ぎる気もするが、俺は一歩も動けそうにない。
「貴方は、大切な人を失った経験はあるのかしら?」
「覚えている限りでは、ない。失いかけた経験は多いが、今のところはないはずだ」
「それが幸せであるなんて簡単に言えないけれども、私は私を救ってくれるはずだった大切な男達を殺されてしまったわ」
数時間前までいた魔獣の大群は森の各所に散らばって、集落の近くに寄り付かないように命じられている。だから周辺は実に静かで寝心地は良いだろう。遠赤外線に照らされて眠気だって高まるはずだ。
だが、護衛が一匹も残っていないはずがない。
『魔』の気配を看破できてはいないが……あ、いや。
たった今、透明化している何かが壁に張り付いているのを目撃した。特徴的な左右非対称に動く目を持つトカゲの類縁。度し難い大きさのカメレオンが俺に警告するため、あえて透明化スキルを一時解除したらしい。母親想いな奴である。
「幸運なんて訪れはしない。これは魔族の宿命よ。強い者が生き残るシンプルな世界ですもの。弱い私が生き残るためには体を差し出して、昂るオス達の癒しとなるしかなかった。……ふふ、そんな顔を見せないで。強い人と交じり合うのはきっと幸せな事だわ」
体の線にそって指を撫でるように動かしている。淫魔の宿命を語る目前の人物は、確かに幸せだった頃を思い出しているのか、現状とのギャップに対して鼻で笑っている。
「『怪物大帝』テューポーン、私の大切な人の名前よ。『双頭太子』オルトロス、これも私の大切な人の名前よ。人間族の英雄が大切な人だった頃もあったわ」
下半身が蛇の対面者は転がるように体を半回転させた後、仰向けになって寝る準備に入る。
「……全員私を救ってくれる強い男達だったわ。皆、山羊に殺されてしまったけれども、本当に良い男達だった」
淫魔王は本当に寝息を立て始めてしまった。小さな吐息は甘そうで、口元へと視線が吸い込まれてしまうが……いやいや、何とも度し難い魔王である。
心の強度を強めて、上がりかけた腰を地面に密着させる。
「信じられない。こんなに安らかな顔で眠っちゃうなんて」
女の皐月から見ると、そう見えるのか。
「魔獣に守られているからってだけじゃないわよね。私と凶鳥の二人を脅威に感じていないの??」
「……違う、だろうな。俺達の力を評価していなければ、共同戦線を持ちかけてくるはずがない」
数時間前。俺が淫魔王の眷族となるのを拒否した直後。
「可愛い子達。止まりなさい」
交渉決裂により襲いかかってきた魔獣を止めたのは、淫魔王だった。伸ばされた手を俺は握らなかったというのに、まったく気分を害していない。
「今更、虫のいい話だもの――ね。では、もっと単純に。山羊魔王を滅ぼすまで私と貴方達は敵対しない。協力は強制しないけれども、挑戦する時を合わせる。これならどうかしら?」
「なッ!?」
握られなかった手を頬に当てながら、淫魔王は別の提案をしてきた。
その提案はまるで、淫魔王が山羊魔王に戦いを挑む、と言っているみたいだ。
「どういうつもりだ。淫魔王!」
「信じられないかしら? でも、私はそのためだけに魔王連合に加わったようなものよ。大々的に子供達を集めても誰にも邪魔されず、山羊魔王に先制攻撃される危険もない。復讐にはうってつけの条件だったわ」
「魔王が魔王に挑む。魔王連合が現れるまでは珍しくない事件で終わる話だが、簡単に信じるのは――」
「では、そこの救世主パーティの一人に証明してもらおうかしら。原型一班の精霊戦士は確か、目線を合わせる事で相手の心を読める魔眼を持っているはずよ」
淫魔王の一言で、全員の目がエルフの族長へと集中した。
エルフの族長は――。
「その通り、我は『読心魔眼』のスキル持ち。そして、淫魔王の提案に嘘偽りはない」
――淫魔王のすべてを肯定した。
それでも相手は大量のキメラを引き連れる魔王である。簡単に信じて良い相手ではない。
たとえば、淫魔王とエルフの族長が裏で繋がっているという仮定が成り立てば、俺達を簡単に騙せてしまう。淫魔王の提案を鵜呑みにして山羊魔王と戦っている最中、淫魔王が裏切って前後から襲いかかってくるのが最悪のシナリオだ。
「貴方は仮面を必要とするぐらいに慎重な子なのね。だったら、もう一つ教えてあげる。一緒に戦う事になる敵だもの。山羊魔王の正体を話してあげる」
気だるげで男を誘惑する事しかしらない、だらしない女。そんな印象ばかりだった女の拳が、ふと、一瞬だけ強く握られる。
「山羊魔王の正体は…………山羊座の座に付きし真性悪魔よ」
ライフル弾が風を切り、空を飛翔していく。
「温度、気圧、風向き、風力……鑑定。自転は確認できないため修正」
スコープを覗き込む宝石色の瞳が、己の敵を撃ち抜くために必要なすべてを暴き出す。
「ステータス……鑑定不可能。スキルによる阻害と思われる。外見から判断可能な情報のみを鑑定開始……筋肉運動、癖、判断能力……鑑定完了。右後方への重心傾向。そちらへ回避する可能性高し」
瞳に宿りし『鑑定』スキルが、ペストマスクの射撃手、メルグスの怨敵を射殺するのに必要なすべてを知らしめる。
義眼と比較すればメルグス本人はそのための部品だ。
義眼からの指示に従って指を引く。
義眼からの指示に従って弾を込める。
「僕は……部品。僕は……機械。凶鳥に捨てられた弱々しい僕などは消え去って、ただ敵を殺すだけの歯車に置き換わる。そうだ、アイサなどという可愛らしいだけの子供は異世界に消えた」
黒いベネチアンマスクの敵、御影が屋根の下に隠れようとした。
代わりに動きのとろ臭い月の魔法使いを『鑑定』してから照準を合わせて、トリガーを引く。
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●楠桂
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“●レベル:100”
“ステータス詳細
●力:30 守:50 速:49
●魔:151/351
●運:2”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●魔法使い固有スキル『魔・良成長』
●魔法使い固有スキル『三節呪文』
●魔法使い固有スキル『魔・回復速度上昇』
●魔法使い固有スキル『四節呪文』
●魔法使い固有スキル『五節呪文』
●実績達成ボーナススキル『幻惑魔法皆伝』
●実績達成ボーナススキル『不老(強制)』
●実績達成ボーナススキル『死者の手の乗る天秤』
●実績達成ボーナススキル『不運なる宿命』(非表示)(無効化)
●実績達成ボーナススキル『モンキーカーズフィンガー(左小指)(強制)』(達成)
●実績達成ボーナススキル『モンキーカーズフィンガー(左の薬指)(強制)』(達成)
●実績達成ボーナススキル『モンキーカーズフィンガー(左の中指)(強制)』(達成)
●実績達成ボーナススキル『モンキーカーズフィンガー(右の人差し指)(強制)』”
“職業詳細
●魔法使い(Sランク)”
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“『モンキーカーズフィンガー(右の人差し指)』、悪辣なる猿帝の右の人差し指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その人差し指版。
楠桂なる女の願い事。それは、愛する者に束縛されたい。
……ゆえに、御影の命令に絶対服従できるだろう。御影だろうと御影だろうと、中身が異なっていようと、外見も在り様も等しい者共なのだから、御影の命令に従えるのは喜びだ”
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『鑑定』結果、月の魔法使いは呪いを受けているらしかったが、それがどうしたとメルグスは心臓を狙う。凶鳥の役に立たない女など、皆死んでしまえば良いのである。
「アイサなどという役立たずは死んだ。僕は……、俺の名前はッ、メルグス!」
月の魔法使いを庇って屋根から出てきた御影の左肩を撃ち抜く事に成功する。心臓を狙って『鑑定』していたのだから、失敗だ。
「役立たずな俺ッ! 役立たずな女ッ! 役立たずは、死ねェッ!!」
異世界側より地球側へと放逐されて戻ってきた精霊の子は、どこでも飛んでいそうな鴨の怪人に成長し、異世界へと舞い戻る。




