3-2 老人と幼精
里長の怒りの矛先がアイサに向かう。
ついでに杖の先も向かって、アイサの下腹部に鈍痛が走った。
「所詮は男女比率を合わせるためだけの半端者めっ。潜在能力で劣るにせよ、エルフでありながら矢の扱いをとちるか! このっ!」
アイサとて森の種族の一員、エルフである。
可愛らしく見えても狩りの手伝いや戦闘訓練を受けているし、失敗して体罰を受ける事もある。老化によってステータスの衰えた老人の杖など脅威にはならない。
「申し訳ございません、里長。で、ですがっ。僕のスキルには呪われた事を示すものは現れておりま――」
「このッ、無知めが! これだから、ワシは幼精などエルフと認めておらんのじゃ」
しかし……今の里長のように、当人の努力ではどうしようもない箇所を罵倒されるのは人生初の体験だ。
意識改善やレベルアップで改められるのであればアイサは改められるエルフである。が、経年劣化で頭が固くなっている里長は納得しないだろう。
「スキルには非表示属性が付与されるものがある。『個人ステータス表示』では確認できぬ呪いがお前に増えていないと言えるものか! それとも、失明覚悟で『鑑定』を受けてみるか! 失明して、里の荷物になるつもりか!」
森の種族、エルフといっても種類がある。耳が長く、男女ともに美麗であるという特徴は共通しているが、役割が違う者達がいる。
最も一般的なのは、知識型のエルフだ。
長寿命というよりも、寿命がない。古代よりの知識を継承し続けるタイプのエルフ。ここでは里長が分類される。
次に数が多いのは、精霊戦士型のエルフである。
狩猟能力、戦闘能力に長けるタイプのエルフ。魔王乱立時代である近年数を増やして、そして戦闘により急減少している。ここではトレアが分類される。
最後に、エルフの絶対数が一定数を割り込んだ際に登場する、種の存続を目的としたタイプ。
繁殖型のエルフ。
繁殖型の成長期を俗に幼精と呼ぶ。妖精に近い存在であるため、男女の区分けがないのが特徴だ。正確に言えば、大人になった際の性別を任意で選べる両性具有者であるが。
ただ、妖精から進化したという自負のあるエルフにとって、幼精は退化しているようにしか思えない。
また、エルフは生殖行動そのものも雅だとは思わない。種の保存のために仕方なく性交を行っている者が大半だ。
「知能の低い、性欲に特化した森の種族など、汚らわしいというのだっ!」
しかし、繁殖型のエルフは寿命を制限する事で――人間族と比べれば長寿命であるが――生命としての生存本能を刺激し、女ならば多産、男ならば好色家となると言われている。
種存続の危機に対して実に良く出来たカウンターメジャーであるが、この性質を嫌う古参のエルフは多い。肉欲を持つエルフを同族と認めたくないのである。
繁殖型であるアイサを里長が嫌う理由は、ただの生理的なもの。
里長の怒りは所詮その程度のものであり、根拠が欠如している。
「女かも男かも分からぬ半端者めが。ステータスの程度も知れる。精霊戦士になるというお前の夢など、ありえぬのだ!」
けれども、自己を否定され、夢を否定されたアイサは肩を震わせて辛さに耐えなければならなかった。涙を止める事には失敗してしまったが、里長という里の最高権威者の前で恥さらしな行動は取れない。
泣けば世界が好転してくれると信じる程に、アイサが幼くないという証明だ。
健気であるが、里長は評価してくれない。
だから、アイサは嗚咽を耐え続けるしかなった。
「――里長」
そんなアイサを唯一守ってくれるのは、姉のトレアだけだ。
「なんじゃっ」
「論点はズレております。我々が里を危機に陥らせたのが明白なれば、里長には早急の対策を命じていただきたい」
トレアは高レベル者特有の据わった目で、里長を見ている。
レイピアの柄は握っていないが、トレアの手は剣を握るように指が締め付けられている。
大切な家族の敵を睨む目で里長を見上げるなど、精霊戦士として失格である。
しかし、即座に愛する家族に対する無意味な侮辱を止めなければ命のやり取りになる、という冷たい視線は、ヒートアップしていた里長の思考を冷まさせるのに適切であったのだろう。
里長は椅子に座り直す。一度深く息を吐いてから、各自に命じていく。
「トレアよ。そなたには謹慎を命じる。これは、呪いの有無を検査するための処置でもあるゆえ、当面自由行動は禁じるぞ」
里長の命令はつまり、トレアに呪いの元凶たる鳥面の男を捕らえていた納屋で過ごせというものである。
トレアは不服を申し立てず、静かに奥歯を噛み締める。人間扱いしていなかった鳥面がいた臭い場所に収監される屈辱に、奥歯は耐えてくれた。
「クレイユ、エーウッド。お前達には監視役を命じる。トレアが逃げ出すのであれば無力化せよ」
続けて里長は、左右に控えている男二人に命じた。
線の細さはエルフらしいのだが、両人ともレベル80近くの屈強な精霊戦士である。同じ精霊戦士たるトレアの監視役とは打って付けだ。
「……アイサを、どうされるおつもりです」
「アイサには、あの呪われた人間族の抹殺を願おうか。誰の協力もない、単独での任務となるが……問題はなかろう。アイサ」
無茶を命じられたアイサは、ハッと涙の溜まる両目を開く。
トレアは直さま里長に噛み付いた。
「待ってください。抹殺命令ならば私も――」
「己の失態は己で払拭するしかないのが世の理だ。その機会が与えられるだけでも、我等は恵まれているというものだ。アイサもそう思うだろう?」
「里長、私も志願いたしますッ」
「何、弓が刺さるという事は、倒せぬ相手ではない。アイサは精霊戦士を目指しておるのだろう。人間族程度は仕留められなければな?」
「里長ッ!」
今更、好々爺の顔を作って里長はアイサに同意を求める。孫に菓子を与える時のような猫撫で声を出さなくても、里長として命じれば済む話なのに命じようとしない。
里長は、この世界では珍しく個人の自由意志を尊重しているようであった。
「姉さん。良いから。僕一人で鳥面の人を……狩るよ」
こうして、目を腫らしたアイサは、里のために呪われた鳥面男の討伐に志願した。