3-1 就寝
ボア・サイクロプスが住処にしていた洞窟で一夜を過ご……したかったが、それは甘い考えだ。長耳族の少女に矢を射られたその日に楽観していられない。
逃げた長耳姉妹が戻ってくるかもしれない。
そうでなくても、血臭が漂う場所に長く留まっていると、猪以上に凶暴な動物が近寄ってくるかもしれない。
太陽は稜線の向こう側に沈んだ。ハンターたる肉食獣が活動するのは、日中ではなく夜間である。夜行性動物が恐ろしいのはサバンナも魔界も変わらない。
魔界の夜は危険が一杯だ。一寸先で食われて死ぬのはざらである。それぐらいは思い出している。
そうなのだ。すべてとは言い難く、きっと半分にも満たないだろうが記憶を思い出している。ただ、情報量が多く頭はパンク寸前だ。スタミナ不足で倒れるよりも先に、記憶に押し潰されてしまいそうな容態である。
建設的な作業や考察は大事だろう。が、何をおいても寝床を探して睡眠して、頭の中を整理するべきだった。
崖を手で触れながら移動を開始して、適当な場所がないかを探していく。
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“実績達成ボーナススキル『吸血鬼化(強制)』、化物へと堕ちる受難の快楽。
本スキル発動時は夜間における活動能力が向上し、『力』『守』『速』は二割増の補正を受ける。また、赤外線を検知可能となる。反面、昼間は『力』『守』『速』が五割減の補正を受ける。
吸血により、一時的なパラメーターの強化、身体欠損部の復元が可能”
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日は落ちて森は完璧な闇に覆われてしまっていたが、妙に視界がクリアなので周囲を見回すのは容易だ。
普通の人間には赤外線など見えないので、『吸血鬼化』スキルのメリット効果なのだろう。痛みの酷かった足も随分とマシになってくれた。
もっとも、ボア・サイクロプスからは冷えた血しか吸えなかった所為で、『吸血鬼化』スキルのご機嫌が悪い。早く寝床を探して蹲っていないと、血を求めて暴走してしまう。
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“アサシン固有スキル『暗視』、闇夜でも良く見える。
可視領域は広がるが、視力向上の効果はないため、視界はスキル保持者に依存する”
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そういえば、『暗視』っていうのもあったな。
効果が重複するが、ノーリスクで使えるから『暗視』スキルで事足りるな。
『暗視』スキルによって広がった可視領域の中、森林をしばらく歩いていた。
人工物の臭いが一切しない森は、自然淘汰が激しい。弱肉強食を推奨している天然物が優しいはずがなく、天に太く伸びている木の足下では腐った倒木が森の養分と化している。
俺が寝床として選んだ木も、親木を絞め殺して生き残った強者の一本だ。根元の部分から、空洞化している幹の内部に入り込む事ができた。
いちおう、入口を地面に堆積している腐葉土で埋めておく。動物に対するカモフラージュと、夜の冷気対策だ。
森の夜は冷えて辛い。このまま寝てしまうと凍死してしまう気もしたが、瞼が重過ぎて気力で持ち上がらない。
寒さで震える両腕を抱き込み、伸びる犬歯で手をかみながら、その夜は眠りに付いた。
エルフの隠れ里でも夜が深まっていた。
本来、里の夜はもっと早いものである。火を灯す燃料の調達にも苦労する魔界なので、日が落ちると共に皆寝静まる。
「お、愚か者ッ!」
しかし、里の中央に生える大樹。その一室では怒号が木霊す。
里長の老人は椅子から腰を浮かせて、手に持つ杖を振り被る。トレアの額に衝撃が走り、生じた擦り傷から赤く血が滲み出した。
歴とした体罰である。が、非難されるべきは里長ではなく、体罰されている側のトレアである。
トレアは呪われた人間族を魔獣に始末させるという任務を成しえなかった。
そればかりか、トレアの弟たるアイサは仮面の男の呪いを受けた可能性が高い。
里長の激怒はエルフにとって共感できるものだ。顔を傷付けられたトレア自身も納得している。
トレアは片膝を床に付けた体勢で、老人の叱咤を受け止め続ける。真摯な態度である事に間違いはないが、アイサに被害が及ばないようにあえて頭を殴り易い位置に差し出していた。
「おめおめと逃げ帰りおって」
「……言い訳しようがありません」
トレアは俯いた姿勢を続ける。任務失敗を恥じる気持ちしかないのだ。
怒れる老人は、トレアの態度を理解しているとは言い難い。目前のエルフが嵐が過ぎるのをじっと待つだけの虫に思えて、細い腕で杖を振り上げてしまう。
「ま、待ってくださいっ! 僕と姉さんは、人の顔をした鳥に囲まれてしまい、仕方なく撤退を」
姉ばかりが叱られ続ける状況に耐えかねたアイサが、つい口を挟んでしまうのは仕方がない事であろう。
「これだから幼精のエルフは頭が足りんのだ!!」
……良策とは決して言えなかったが。
「人面の鳥といえばハルピュイアしかおらぬっ! ゴブリンにすら劣る、経験値ゼロのモンスターが正体だ。魔界で最も脆弱で何の役にも立たない鳥からエルフが逃げ帰るなど、恥さらしが」