2-4 醜い鳥の哀れみ
脳を破壊され即死していなければならない常識を、灰色の脳漿が垂れていそうな矢と共に排除した。
己を貫いた矢は憎らしいが、『正体不明』スキルの封印を解いてくれた大事な鍵でもある。記念品は捨てずに、後ろ手に隠し持つ。
頭を揺らして、ゾンビのようにぎこちなく立ち上がった。
血走った目を仮面で隠し、一番恨むべき者は誰だろうと周囲を探る。
ノロマな事にも、未だに頭部を壁に埋めたまま脱出できていない一つ目の猪が呪いの対象か。いや違う。
樹木の上で寄り添っている姉妹はどうか。
『馬鹿なッ。どうしてまだ生きている!?』
『あ、ああっ?! ぼ、僕を、見ているの』
姉妹ならば、どちらがより憎らしいか?
『アンデッドの類だったのか!? アイサ、目を合わせるなっ! 呪われるぞ! こうなれば、私が鳥面を仕留めて――』
『駄目ッ! 姉さんッ』
今更のように慌てる姉妹が実に滑稽だ。
穴の開いた仮面を指で小突く。せっかく閉じていた冥府へと通じるこの穴を、矢で貫通させたのはお前達ではないか。ならばなぜ、そんなに怯えているのか分からない。
異世界のエルフなりの自爆芸なのだろうか。ああ、だから俺は仮面の裏側で口元を歪めて爆笑してしまっているのか。
「どうにもエルフに顔を貫かれる事に縁があるな。良いだろう。そんなに祟られたいというのならば、祟ってやる」
祟りというものにも正規の手順が存在する。ゆっくりじっくりと、相手を甚振る必要がある。
まず、その黄金の髪をよこせ。
まず、その瑞瑞しい皮膚をよこせ。
まず、その碧い眼球をよこせ。
美貌をよこせ。健康をよこせ。血肉をよこせ。肉親をよこせ。資産をよこせ。純潔をよこせ。過去をよこせ。表情筋をよこせ。愛をよこせ。脾臓をよこせ。未来をよこせ。血をよこせ。よこせ。よこせよこせよこせよこせ。全部よこせ。
「さあ、どっちが先だ?」
枝の上で身を寄せている姉妹二人に手を伸ばす。
反抗的な顔付きの姉に、ひたすらに震えている妹。どちらを先に祟るべきなのか難しい。贅沢な悩みだ。
「どうせ同じ運命だ。所詮は順番だけの問題。さっさと――ん?」
だが、悩んでいる時間が長過ぎたからだろう。横槍が入ってしまう。
猪ではない。あいつはまだ崖に埋まっている。
俺の知っている奴ではない。
招いていない来客は、赤く染まった空から多数飛来した。
“――貧シイ。オ前ハ貧シイ”
実に醜い鳥が、どこから次々と集まっている。
“――醜イニモ程ガアル。醜悪ダ”
“――ダカラ、オ前ハ鳥ダ。我等ト同ジ、鳥ダ”
烏ほどの大きさであるが、顔の比率が悪い。
餓死した野党の顔面を石で殴りつけて歪ませたような人面鳥なのだから、頭がでかいのは仕方がないだろう。鳥でありながら飛行に支障が出てしまっているから、生物として終わっていそうだ。
“ナンテ憫然トシタ鳥ナンダ”
“醜イ! 醜イ!”
ボサボサの羽毛から羽を抜け落ちるみすぼらしい鳥が、発音悪く何かを鳴いている。
何羽もぶつぶつ口走っているから、五月蝿くて苛立つ。
手が届く位置にいたのなら、絶対に首を捻じり取っているだろう。
『姉さんッ、何なのあの鳥!?』
『分からんが、魔鳥まで呼び寄せるか! クソッ、数が多過ぎる。アイサ、ここから退くぞッ!』
数十羽、数百羽の人面鳥は崖の上や高い木の上に降り立って、一帯を囲んでいる。
どの鳥も長耳姉妹ではなく俺に注目しているように見受けられる。
だが、不気味な鳥から逃走するのは当然と言えるだろう。高い身体能力を発揮し、エルフの姉妹は木から木へと跳び移って遠退いていく。『速』が高いため、すぐに姿を見失う。
追ってしまいたいがパラメーターが不足している。
残念には思わない。逃げたいのなら逃げてしまえ。あんな奴等、祟る価値もない。
“逃ゲラレタ! ヤハリ、何モ無イ”
“仲間! 羽ノ無イ仲間!”
「……五月蝿いぞ。鳥風情が喧しい」
人面鳥は親近感ある視線を俺の面へと向けている。
実に気に入らない。とはいえ、筋張った体の鳥なので、衝動のままに狩っても食料にならない。
「あっちは血も肉も多そうだな」
だから代わりに、肉量の多い猪を狩るとする。
愚かな一つ目猪は、やっとの思いで崩れた崖から頭を引き抜いた。
異様な空気を感じているにも関わらず、そのまま猪は俺へと突進して来る。異変の大元から逃げる理性よりも、潰す本能を選んだのだろう。
重量生物の突進。体を硬直させ、目を閉じてしまいたくなる光景だ。
……まあ、猪の方は丸見えの弱点を開いたままなので、そんなに怖がる光景ではない。
「どうだ。お前も穴を開けてみるか」
隠し持っていた矢を、巨大な一つ目に突き入れる。
筋力不足で角膜を破れず、迎撃失敗。
俺自身はまたも鼻先に跳ね飛ばされてしまったが、流石はエルフお手製の矢である。折れる事なく、矢は巨大な目の中心で地面と水平のまま突き刺さっていた。
一つ目猪が低脳である事がはっきりする。
焼き回し映像のように、猪は切り立った崖へと正面衝突。
一回目との違いは眼球表面に軽く刺さっていた矢の存在であり、猪は己の突進力で矢を目玉内部に押し込んだ。
獣特有の唸り声を上げてから、猪の巨体が横倒しになっていく。
ピクピク脚を痙攣させていたが、やがて停止していく。
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“レベルアップ詳細
●ボア・サイクロプスを一体討伐しました。経験値を十六入手し、レベルが1あがりました
レベルが1あがりました
レベルが1あがりました”
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“スキルの封印が解除されました
スキル更新詳細
●アサシン固有スキル『暗器』”
“アサシン固有スキル『暗器』、アサシンの基本スキル。
暗殺するための武器を一つだけ出し入れ可能な四次元空間に格納できる”
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網膜の端に何か、色々とポップアップが浮かび上がる。不思議な現象だが、走馬灯を見てから少しだけ思い出している。
レベルアップ全般については超越的というかゲームチックというか、理解するだけ無駄である。有益かつ愉快であるとさえ知っておけば良い。
生物を殺せば経験値を奪える。
こんな愉快な世界の真実さえ忘れていたとは、俺は重症だ。
“食イ物! 肉!”
五月蝿い人面鳥が、俺の成果を奪い取ろうと倒れた猪に群がる。
気持ち悪い鳥にくれてやる肉片は一グラムもない。どうせ、人面鳥もモンスターの一種なので容赦はしない。足元に落ちていた石を投げ付けて一羽に命中させる。
歩いて……は近づけないか。何だかんだと猪に飛ばされ続けてダメージが積み重なっている。脚を引きずりながら急いで近づく。
近づきながら、妹の子から返却されていた牙のナイフを構える。
石がぶつかった場所を赤く染めて苦しむ人面鳥。その羽を踏みつけて固定する。特に感慨なく胴にナイフを刺してトドメを刺した。
人面鳥にとって俺は仲間かもしれないが、俺にとっては違う。
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“●ハルピュイアを一体討伐しました。経験値はありません”
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経験値が入手できない?
モンスターとしての価値すらない生物が魔界に存在したとは驚きだ。そんな鳥に仲間呼ばわりされていたとは、苛立ちばかりが強くなる。
畑に吊るされる同族の屍骸を目撃した烏のように、人面鳥は散り散りになって飛び去る。経験値にもならない鳥など追うだけ無駄なので見逃してやったが、直後に後悔する。
短い時間で猪の体はかなり荒らされていた。肋骨が剥き出しになっている。
汚らしい事に、糞尿らしき白い汚れも付着しているようだ。憎たらしい。もう数羽、殺しておくべきだったかもしれない。
「食える場所もあるだろう。たぶん」
汚されてしまったが、新鮮な猪肉である事に変わりはない。
そう己に暗示を掛けて俺は猪に近づき、噛み付く。火をおこしている間に飢え死にしてしまいそうだったので、生肉を味わった。
犬歯から血が滴って落ちてく。
「あーあ。死んでいるから生血じゃなくなっている。味が悪いな」
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“●レベル:0 → 3(New)”
“ステータス更新情報
●力:1 → 2(New)
●守:1 → 2(New)
●速:1 → 2(New)
●魔:0/0
●運:5”
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