12-13 勇敢なる者
悪霊魔王の傍にいる落花生とラベンダーの位置が最前線ならば、ナキナ本軍の現在位置は後方となる。しかし、物量からいえば倒壊した砦付近こそが最前線だ。
悪霊陣営は人間族とモンスターで混成部隊を形成しており、統一感は皆無だ。されど、集団としての質は理性を失ったゾンビとは大きく異なる。足の速さのみを頼りに身勝手に進む悪霊はいない。軍列を形成しながら、ナキナ本軍と平行に並ぶ。
時間が経過する程に悪霊は数を増しているので、全体数が整うまで無理な進撃を自制しているのだ。最初の頃は二千体弱だったが、今は三千体まで増加している。
一方のナキナ本軍。進み出ている前衛部隊はおよそ六千。
王都守備隊が中核であるが、国境警備部隊の生き残りから負傷によって後方に下がっていた兵士、一週間前に志願したばかりの新兵も含まれている。練度や連携は酷く悪い。
悪霊はもうすぐ四千を超えてしまう。質で負けているとはいえ、量でも負けてしまえば完全に歯が立たなくなってしまう。今すぐ勝負に出なければ、ナキナに勝利はない。
だというのに、ナキナは未だに動かず不気味に静観を保っている。
悪霊陣営の中央で片膝を付いている巨大なミノタウロス。広く筋肉質な肩の上にて、老いたゴブリンは小首を傾げていた。
オーリンは対面する位置に陣取る少年に対して、良いのか、と疑問を表情で投げかける。
「……キョウチョウが操る死霊でなければ、あるいは、余の職業が勇者《勇敢なる者》でなければ」
ナキナの前衛を率いているのは、アニッシュだった。
アニッシュはナキナ王族として立派に勤めを果たしている。地下迷宮から生還して、寄生魔王すら退けた少年はレベル的には成長していなくても、人間的にはいつの間にか大きく成長していたのだ。
男子三日会わざれば刮目せよ。見た目に『力』強さの欠片もなく、成長を現すものは一つもない。それでも御覧あれ。
アニッシュの職業は勇者《勇敢なる者》。そう勇者なのだ。
その就職条件とは……この時代で、最も勇気を振り絞る事である。
アニッシュは白い馬に騎乗している。国の存続をかけた戦いに挑むのに相応しい、金の刺繍が施された赤いマントを羽織っている。
「アニッシュ様。ご命令を!」
「我等、騎士団の命はナキナのため。今こそすべて余さず使い潰してくださいませ!」
「いや、その必要はない。余に任せよ」
ただし、油染み一つない鎧は決して実践的ではないだろう。事実、アニッシュが装着している防具は見栄え重視の儀礼用品だ。高価であるが戦闘には不向きである。
「余が先行する。全軍……動くな」
率いていた騎士団を置き去りにして、単騎駆けを開始する。
命知らずな行動にしては酷く柔らかな表情をしていた。死地に跳び込む硬さは一切含まれていない。澄み切った瞳とまっすぐな背筋。朝日を浴びる少年の姿に、厳かな雰囲気を感じてしまう。
何か、アニッシュには策がある。
悪霊五千を打ち負かす、秘策を携えている。
少年の挑発とも思える行動に悪霊の軍勢は逸ったが、そのような軽率な行動をオーリンが許すはずがない。策を見極めずに挑むのは危険に思えたのだった。
アニッシュは悪霊陣営の十メートル手前まで進出を果たした。そこで、鞘から銀剣を抜刀し天に掲げる。刀身が朝日を反射して輝く。
少年は戦場全体に響く声にて、宣言した。
「これより受勲式を執り行うッ! ナキナのために散っていった兵共よ! よくぞここに参列した!!」
「――ハ? エルフの族長様…………今なんと?」
魔王攻略の要。想定される大量の死霊対策を話し合っている最中であった。
アニッシュは不敬にも、鏡台の中にいる森の種族の族長へとあんぐり開いた口内を見せ付けてしまう。
「まさか、勇者《勇敢なる者》の職が人類のものへと戻ろうとは。基本的には口先だけ、上辺のみの勇者が開拓した詐欺師的職業だが、言動のみで大敵を討ち果たすからこそ勇者の一種足りえる」
千年を軽く超えて生きる族長だから、人間族がとっくの昔に忘れ去っていたアニッシュの職業についても存じていた。
勇者《勇敢なる者》。それは力量皆無なのに強敵を倒した者のみが就職可能な勇者職。レベルも足りない、才能もない。戦えば絶対に死ぬというのに戦いに挑んだ弱者以上に、勇敢な者はいるだろうか。
「口先だけ?? 上辺のみ?? さ、詐欺師っ!」
「そうだ。勇敢なる者は代々、弱虫が就くと決まっている。まあ、数百年前、魔界に生える大樹に隠れ住んだ弱々しいゴブリンが就任して以来、ずっと魔族が占有し続けていたのだがな。まったく酷い有様であったぞ。最弱ゴブリンが真性悪魔を殺す不条理に、当時の魔界は腹を抱えたものだ」
「よ、よっ、弱虫?!」
族長は思い出し笑いで口を歪めているが、アニッシュにとっては笑い事ではない。
ちなみに、知恵と言動のみで魔界を生き延びた勇者ゴブリンは、後に討伐不能王の最初の僕となった。討伐不能王となる大樹が魔王化する以前から、ゴブリンは腹心として王に仕えていたのだ。
「そ、そんなぁっ。余はハズレ職を引いてしまったというのか」
うな垂れて泣きべそをかくアニッシュの姿は、鏡台の中から遠距離通信している族長には見えないはずである。が、優しい顔付きで族長はアニッシュの勘違いを正す。
「幼き子よ。悲観する必要がどこにある。そなたの口先には、万の強兵以上の力があるのだ」
他種族に排他的なエルフ、その王とは思えぬ優しい声質だった。母のようでもあった。
アニッシュは頭を上げる。弱小のレッテルに等しき職業であるが、本当は自信を持って人に誇れる職業なのではないかと考え始める。
「――あ、なら。想定される死霊約数万はアニッシュ坊の担当で決まりね。はい、決定!」
「叔母上ぇぇェェエッ!!」
アニッシュが自信を持つよりも先に、叔母が甥を千尋の谷に突き落としてしまったが。
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“『耳を傾けるべき声質』、意味も分からず耳に心地良いスキル。
口上を誰にも邪魔されずに述べる事が可能なスキル。地声がどんなダミ声であっても心配いらない”
“実績達成条件。
勇者《勇敢なる者》職のCランクに相応しくなる”
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「今日は良き日だ! 死してなお国のため、余のためにこんなにも多くの者達が集ったのだ!」
モンスターの悪霊共は顔を見合わせて状況把握に悩む。一方で人間族の悪霊は決断が早い。アニッシュのフザけた行動に激怒して突撃を開始してしまう。
人間族の悪霊共。彼等彼女等は、国を守るために散っていった砦の兵士達だった。
故郷を守るために戦った。愛する者達のために戦った。だというのに彼等は増援が間に合わなかった所為で全滅した。遅れて現れたナキナ本軍に怒りを覚えていただろうし、アニッシュの「良き日」発言に激昂したとしても仕方がない。
折れた槍を振り上げて、まだ年若い悪霊がアニッシュへと迫る。残り数歩の距離だ。
「二等市民、オッペケ村出身! カリス! ナキナ防衛の功を称えて騎士の称号を与える!!」
……槍を持った悪霊が、名前を呼ばれた驚きで停止した。不思議な光景に後続の悪霊も足を止めてしまう。
「さあ、どうした? 騎士となる者の慣わしだ。片膝を付くのだ」
何故かアニッシュの言葉を無視できずに、悪霊兵士は片膝を付く。
馬上からであるが、アニッシュは騎士の受勲式に用いる銀剣にて兵士の肩を軽く叩くように振るう。
「本当に良き日だ。そなたが立派な騎士となった記念日であり、ナキナを救った日となった。誇るが良い」
どうしてただの田舎者の名前を知っているのか。騎士となったばかりの悪霊はそう問いかけるように顔を上げるが……アニッシュはさも平然と「その程度、当然であろう」と述べてしまった。
悪霊は呆然としてしまうが、アニッシュが別の悪霊の名前を呼び始めたので場所を譲る。
「二等市民、トロス兵士長! ナキナ防衛の功を称えて騎士の称号を与える!!」
実に下らない茶番だった。ナキナ本軍が間に合わなかった償いに、せめて死んだ後に功績を称える。戦死した後の二階級特進など、空気みたいな贈呈品だ。
特別、ナキナに無関係なモンスターの死霊共は、人間族の慣習などに価値など感じない。馬鹿げた行いを続けるアニッシュを潰すために走り始める。
最も足の早い巨大獅子の悪霊は、騎乗したアニッシュを馬ごと爪で裂くために跳躍する。そして、周囲に屯していた悪霊兵士の槍に串刺しにされて朽ち果てる。
悪霊同士の間で、内乱が発生した瞬間だった。
「二等市民、アリーニ! ナキナ防衛の功を称えて騎士の称号を与える!!」
悪霊といえど意思がある。特に、悪霊魔王が呼び出した悪霊は生前通りに動けるだけの知性が備わっている。
墓に花を添えるように、己の死を尊んで欲しい。霊ならば持っていて当然の思考だろう。
「一等市民、イケロス! ナキナ防衛の功を称えて騎士の称号を与える!!」
受勲式という名の慰霊祭。
戦場で馬鹿げているが以前、地下迷宮にてアイサが悪霊の名前を呼んだ前例がある。もっとも、アニッシュが今行っている受勲式はより大規模なものであるが。
実行するためには死霊共の顔と名前が分からねばならないが、アニッシュが新たに就いた職が可能にしていた。
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“職業詳細
●勇者《勇敢なる者》(Cランク)
●王様 (初心者)”
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“『国民看破』、王たる者、国に住む者の事が分かって当然(税金的に)スキル。
国民の顔を見るだけで名前と出身地を看破できる。
なお、ナキナの王なのでナキナの国民限定”
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アニッシュの奇策を見守っていたオーリンは、全軍突撃を命じようと手を伸ばして……ゆっくりと引っ込める。
勇者職の後継者に遠慮した。そんな殊勝な考えからではない。愉快な人間族の少年であるが、先代の勇者だからこそ潰すつもりであったのだ。
だというのに、オーリンは背後に忍び寄られた女忍者の悪霊に脅されて動けない。スズナという名前の悪霊が決して許さない。彼女はアニッシュの守護霊として、忠実に職務をこなしていた。
離反者多数の状況で統率役のオーリンが消えてしまえば、勝利は不明だろう。勝利できるかもしれないが、かなりの時間を有する。悪霊魔王に何かが起きたとしても救援は不可能だろう。
人間族の死霊まで率いてしまったのが敗因か。
オーリンは久しぶりの敗戦に、つい、ニヤついてしまう。