12-11 魔王を使った国防術
悪霊魔王の体はあの世そのものである。傷付ければ、裂けた傷痕から悪霊が勝手に零れ落ちる。また、こうして手を叩いて呼べば、魔王に従いし悪霊が参上する。
海底より泡が浮上するかのごとく、ゆっくりと矮躯が出現した。
現れたのは背の曲がった老ゴブリンだった。顔はシワだらけで目はほとんど開かない。甲斐甲斐しく頭を下げているが、パラメーター的にはまったく期待できない。
「お前は……オーリンだったか。覚えているぞ」
落胆するのは早過ぎる。ゴブリンは死霊共の統括役でしかないのだ。
「生前通り面白い事を考える。なるほど、そいつ等を一緒に連れてきたのか」
ゴブリンに手を引かれて浮上してきたのは……男女の吸血鬼である。
「魔王連合が魔王同士で助け合うのであれば、我等も魔王同士で助け合わねばな。吸血魔王」
エミールとエミーラ。一人二役の偽装により不滅を装っていた難敵、吸血魔王が真に二体に分かれて顕現を果たした。たった一体で二人分とはお得な魔王である。
二体は蝙蝠と化して飛翔していく。
上空を飛んでいたドラゴンゾンビの周囲にまとわり付くと、血の剣や武器で襲いかかった。
「墓石魔王はこのまま我が抑える。時間はかかるが『同化』可能だろう。人間族共の討伐指揮は、オーリン。お前がやれ」
老体をこき使う。そんな仕草で腰を抑えながら老ゴブリンはナキナ本軍へと振り返る。足元より浮上してきたミノタウロスの肩に乗って地上へと下りていく。このミノタウロスは恐らくメイズナーだろう。
悪霊魔王の体より、汗が染み出るように悪霊が次々と零れ落ちていく。
有象無象の化物が多いが、砦の兵士だったと思しき人間族も多い。死んだばかりで浅瀬にいたから、登場し易かったのだろうか。
「黄色と紫色の魔法使い二人の相手は、ギルクを再生させるか…………ん?」
俺が呼び出すより先に、東西南北、四人の悪霊が顔を出してくる。
さながら悪霊魔王に従いし四天王といったところか。四色の魔法使い職が、顔の四方から浮上して姿を見せる。
「黄色と紫色。お前達は似ていなくもないな。知人か?」
「あの恩知らずはお任せを。雷の魔法使い、小豆が確実に殺して見せましょう」
黄色の魔法使いが深く礼をしながら答える。
「ええ、あれの相手をするのに、土の魔法使いアスターをお使いください」
紫色の魔法使いが続けて答える。
魔王化したからだろう。使役する死霊が、随分と流暢に人語を喋るようになったものである。
「そうまで言うのであれば任せよう」
小豆と名乗った黄色、左右二つの団子からツインテールの少女。
アスターと名乗った紫色、背の低い少女。
任命した途端に二人は地上に向かって駆け出す。残ったのは赤と青の二人のみだ。
「お前達は行かなくて良いのか」
「私共はお傍に控えさせてください」
「魔王様も一人だと寂しいでしょ?」
「馬鹿な事を。控えは月桂花がいれば問題は……どこかに消えているな。必要はないだろうが、良いだろう。残れ」
適材適所で悪霊を割り当てた。これで目の前に専念できる。
前進する墓石魔王に組み付いて、肉弾戦を続ける。まだ墓石魔王を取り込むには時間がかかりそうだ。
――ナキナ本軍、出軍前。
想定される大敵討伐のため、忙しい合間を縫ってカルテの執務室に要人が集まる。
「キョウチョウなる人間族。あれはもう駄目ね。完全に魔王化する一歩手前」
カルテが示した凶鳥こそが、今後想定されるナキナ最大の敵であった。
「ま、待ってください。叔母上! キョウチョウがいたからこそ余もナキナも救われたのです。寄生魔王の時の事を覚えていませんか!」
「寄生魔王と戦った所為で限界振り切っちゃったって言っているの。でもそれはキョウチョウの所為ではないわ。私も含めて、ナキナが不甲斐なかった所為で、彼は人間族の枠から外れなくてはならなくなってしまった」
謝罪ならいくらでもする。が、それでもナキナは存続させる、とカルテは決意を語った。
魔法と魔物と魔王に塗れた異世界である。人間族が魔族化した前例は少なくない。魔王に階級昇華を果たした例もなくはない。
人間族にとっては消しておきたい汚点であるため断固否定している。一方で森の種族、長命のエルフには数多くの資料が保存されており、実際に魔王化した人間族と戦った経験を持つ人物もまだ生きていた。
遠隔地の映像を映し出す鏡台の中で、白く豪奢なドレスを着込んでいるエルフが第一人者である。
「人間族が外法によって魔王化するのは稀である。外法の被害者が魔王化するからこそ悲しいのだ。そなたら、その者を恨んではならん。尊びながら命を刈り取るのである」
真っ白い肌のエルフだ。小顔で腕も細い。カルテと顔の形が似ているのは、鏡の中のエルフがカルテの親族だからだろう。
エルフの族長は、金髪を揺らして見知らぬ人間族を尊んだ。
「カルテの直感を信じない訳ではないのだが、本当に人間族が魔王と化すのか。しかもナキナを襲うのか?」
鏡台の隣に座っているナキナ王、クリームが疑問を挟む。国の危機が連鎖的に発生する近頃、体は随分と痩せ細っていた。円形に広がる剥げた頭を気にする余裕さえないが、それでも国のため対策会議に出席している。
「間違いないわね。リセリ様と、エルフの巫女様の二人が『神託』で啓示を受けているから」
リセリも出席者の一人である。
リセリ程に後悔している者はいないだろう。『神託』を何度も受けていながら、凶鳥の魔王化を防ぐ事ができなかったのだ。
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“『神託(強)』、高次元の存在より助言を得るスキル。
根本的には神頼りなスキルであり、いつも都合の良い助言が得られる訳ではない。そもそも、言語的な解読が困難な助言も多い。ただし意味が分かれば役立つ事も半分ぐらいある。
神便りというよりは、アンテナの向きや天候、波長の合わせ方次第とも言える。
結局は、スキル所持者の判断が求められる”
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“――『神託』する。
世界は滅びる窮地にあり。
最大級の窮地の前に、窮地に陥った。
人類は滅びる。世界は終わる。生きとし生けるもの、皆等しく死滅する運命にあり。
救世主は既に現れた。されど救世主を救う者は現れず。
顔のない魔王は、そこにいる。
世界に救われる可能性は残っているのか。
悲観せよ。魔王は顔も名前も人間性さえも失っている。これ以上失わせる事なかれ。
火、氷、雷、土の四属性は未だ揃わず。
神と成りし竜は未だ救われず。
森の種族の姉妹は未だ再会せず。
月は姿を現した。
勇気ある者は更なる成長を望まん。
そして、黒き鳥は模倣を続ける――”
「――教国の方。怠慢でしたわね」
鏡の中、エルフの族長の背後に控えているエルフの巫女のみが、リセリを糾弾していた。
「まあ、仕方がないものは仕方ない。魔王と化すなら最後までナキナのために役立ってもらいましょう。……それが望みでしょうし」
カルテの国防戦術は次の通りである。
「魔王連合の大規模侵攻に対して、ナキナの本軍は間に合いません。よって、新たな魔王を出現させて魔族同士で争わせます。その後、対魔王装備の本軍で新魔王討伐。力を見せ付ける事により魔王連合も侵攻を止めるでしょう」
[森の種族は獣の種族と争乱中である。増援は出せんが知恵は授けられる。人間族だった頃の遺物は、当然確保しておろうな、カルテ]
「ええ、大叔母様。髪の毛に皮膚、血数滴と体液も僅かばかり」
「汝人であれ、の呪符と共に用いれば魔王の体は腐り落ちる。できれば、魔法よりも武器で突き刺す方が良いな」
カルテは最初から砦への救援を間に合わないものと諦めていた。
救援の代わりに、魔王と化した凶鳥に魔王連合を抑えさせる。その場しのぎでしかないが、後に到着する本軍こそが本命だ。魔王連合と新魔王両方からナキナを守るつもりである。
「キョウチョウ相手に無茶が過ぎる……」
「アニッシュ坊にやってもらおうとは思っていないわ。本命は、招いた御三方よ」
ナキナの王族やらエルフの族長やらが集合している中、居心地悪そうにソワソワしている魔法使い職二人とアサシン職が一人いた。
怨嗟魔王討伐の功績により、ナキナで救世主扱いされている異邦人達だ。
「さて、聞く所によるとマスクの人、討伐不能王を討伐したというのは本当かしら?」
ソファーの真ん中に座り、室内に集合している全員より注目されるアサシン職は、自信を持って口を開く。
「まあ、それなりに」