12-2 ゲオルグの計略
山と山の間に築かれたナキナの砦は、完全に山間を塞いでいる。下から見上げた光景はダムに似ているだろう。
ナキナ国のほぼ中央に建設されており、魔界に対する最終防衛ラインを兼ねている。ここが陥落すればモンスターは一気に国内へと広がる。文字通り、兵士達は死守を続けていた。
「とりあえず南側は問題ない。中央へと移動しよう」
月桂花の活躍で危うい一角の対処を終えた。城壁の上に設けられた歩廊を伝い、次なる戦地へと移動を開始する。
三名のみで急いだため、俺達はナキナの救援部隊よりも早く砦へと到着できた。まあ、その所為で兵士達に何も言わず、無断で参加する破目になっているのだが。今のところ連携を気にする状況ではない。
死霊が群がる城壁直下から視線を上げて遠くを見る。
八の字に広がる視界には野原と林のみ。人工物は見えず、生き物の姿も死霊の姿も見えない。
「ゾンビ共に組織的行動はない。今夜は乗り切れそうだな」
まあ、ニ万もゾンビを投入しているのだ。ほとんどがナキナ東部に住んでいた人達の成れの果てであるが、住民全てがゾンビとなった訳でもあるまい。
ナキナの人口から換算して、これ以上の増援はないはずだ。
ガシャ、ガシャと風に吹かれて軋む――。
口を歪めたような形の月が昇る。完全なる夜の時間が到来して、夜行性の死霊共は動きを活発化させる。
ナキナの砦を眺められる位置にある丘の上で、髑髏顔のモンスターが新参のゾンビ兵に勅命を下す。
「逝け、あそこにいる生者はお前達を救えなかった者共だ。今一度、救いを求めて群がるが良い」
夢遊病者のごとき足取りで、ゾロゾロと五百名のゾンビが進軍を開始する。
ちなみに、このゾンビは近場にあった村で現地調達した新兵だ。生前のレベルは低く、死霊としての錬度も未熟。所詮は寂れた村の住民でしかない。体格の良い成人男性は極端に少なく、女子供老人しかいないため使い潰す以外の利用法はなかった。
髑髏顔のモンスター、滅せられた吸血魔王に今でも忠誠を誓うリッチのゲオルグは、前線の様子を眺めて嘆息した。
「ナキナ国。長年魔界の盾役を務めただけはあります。あまりにも粘り強い」
ゲオルグが投入したゾンビの数は一万を超える。後方へと逃げ延びようとしていた住民を襲って足しにしたので、一万五千は下らないだろう。
それを、ナキナの国境警備隊はたったの三千人で防ぎ続けているのだから、肺のないリッチだとしても溜息ぐらい付いてしまう。
「グウマ。これで村はすべて潰したのか?」
「……はっ、あの砦よりこちら側にある村はすべて襲撃しました。生存者は一人もございません」
ゲオルグは誰もいないはずの背後へと声を掛けたというのに、当然のように返事がある。
死霊で構成されたゲオルグの手勢は、生者のように呼吸や脈拍といった気配を発したりしない。だから気配が薄くて当然なのだが、ゲオルグの斜め後方で片膝を付き、頭を垂れた格好で現れた老人のゾンビは空気よりも気配が薄かった。
体に密着するボディスーツ。盛り上がった筋肉が逞しい反面、心臓付近を手刀で抉られた傷痕が痛々しい。
老人は、生前の名前をグウマという。
祖国を失った忍者衆の先代頭目だった男であるが、今はゲオルグの部下として従事していた。
「非戦闘員を優先して襲う私を軽蔑しているのではないか、グウマ? お前はこの国に恩義があるのだろう」
「すべては生前の話でございます。また、生前でもあった出来事でございます。蜂起を企てた貴族の一族を、赤子を含めて始末した経験は数え切れません。魔界の戦線を維持できないため、あえて退避勧告をせずオーク共の犠牲とした村はいくつもございます。我が職業は非道の忍者職。堕ちるべくして堕ちた老人に人並みの感情などあろうはずがございません」
「ふっ、死霊となった己をそこまで悲観してくれるな。死霊が生者を羨み殺すのは義務だ。生者が生者を殺害する程の禁忌ではない」
ガシャ、ガシャと風に吹かれて軋む――。
グウマは生前、第二の祖国となってくれたナキナのため必死に働いた。
ただ、グウマにとっての労働とは、忍者職としての労働であったのだ。悪逆非道に人生を染め上げるのは必然であった。
忍者衆の諜報活動の対象は魔界、国外が主体であるが、国内の治安維持活動も重視されていた。ナキナが中途半端に元気な頃などは、国の歯車になりたくない、勝手気ままに生きたい、と貴族から奴隷まで様々な階級が事件を起したものである。
事件の臭いを嗅ぎ付けた忍者衆は、ナキナの存続を第一に処置を行った。処置には必ず血が流れたが、それがグウマの仕事であった。
「……私には、ゲオルグ様こそがナキナに手心を加えているように思えます。何故、一気に攻め落とさないのです」
「お前の知っているナキナは、寄生魔王様を亡きものにできたか?」
「それは……不可能でございます」
「つまり、あの国には常識外の傑物がいる。勇者職はいないはずであるが、それに代わる何者かがいるのだろう。吸血魔王様に続き寄生魔王様までもが滅ぼされた。慎重になるのは当然というもの」
ガシャ、ガシャ、ガシャガシャと風に吹かれ――。
グウマは生前の職業を悲観してはいない。総体としてナキナが生き残るためには必要な仕事であったと思っている。
もちろん、現役を引退し、アニッシュの付き人となった際には肩の荷が下りた。
もちろん、現役を引退するまでに、必要な流血をすべて済ませてから娘に引継ぎできたのは幸いだった。
それでもグウマが後悔する所があるとすれば、やはり己の職業だ。本当は伝説にある通り、アサシン職を目指したかったと悔やんでいる。
他人に心の内を漏らした事はないはずであるが、娘は感じ取っていたのだろう。イバラが忍者職とアサシン職を兼業してしまった原因を作ってしまった己を、グウマは心底悔やんでいた。
「魔王連合はこれ以上魔王様を失う訳にはいかない。となれば、どう戦うべきか。その答えが……我等の背後に広がっている」
ガシャ、ガシャ、ガシャガシャガシャガシャガシャ――。
ゲオルグとグウマが話し込んでいる丘の上。
丘が遮蔽物となってナキナの砦からは見えない平野部には、何の変哲もない骸骨兵が並んでいた。
頭骨と背骨と大腿骨で立っているような、標本みたいなモンスター。
ゲオルグは自信を持っているようだが、骸骨兵ごときに珍しさはない。ゾンビを既に二万体弱も投入しておいて肩透かしにも程がある。
奥の手として誇りたいのであれば、せめて同数は欲しいところである。
「二十万の骸骨兵にて、ナキナを蹂躙してくれる」
数日前まで人類圏であったナキナ東部は、既に死者の国と化していた。
肉が腐り落ち、骨だけになった死霊共が細い体に防具を装備し、剣を装備し、眼球のない視線は無感情に丘の向こう側を望む。
「そうだ。無数の雑兵にて蹂躙してしまえば良い。そのために村々を訪れて墓を暴いた。先祖代々を弔っている墓地の人口こそが重要で、生きている人間族など余禄に過ぎない」
吸血魔王の代から付き従う骸骨兵の骨は焦げ茶色だ。総勢十五万。
新しく墓から迎え入れた者達は色白で、弱々しい。総勢五万。
「準備に手間取ったが、その分万全となった。この規模では我がスキルでも統制は不可能であるが、元より戦略的な行動など期待していない。ただ数で押し潰す」
ゲオルグは骨の指先で砦を示す。
たったそれだけの号令で、骸骨兵は一斉に起動した。無骨に一歩ずつ前進していく。
「逝け、死の軍勢よ。死の総大将ゲオルグはこの一戦の後、死の魔王と化して不死が蔓延る世界を作り上げようぞ!」




