11-2 逢魔が邂逅
遠くから響いてくる歓声が喧しい。お陰で睡眠を阻害されているのは嬉しいが、不快な事には変わりない。
「あー、まいった。頭の中がミキサーかけられているみたいにグチャグチャだ」
常に片手を使って凶鳥面を押さえながら、二日酔いの病人のごとく唸り続けている。
どうしてわざわざ、醜い鳥の仮面の装備に固執しなければならないのか分からない。緊箍児に愛着を持っている孫悟空はおかしい。どこかに放り投げてしまえば、それだけで俺は気分爽快になれる。
「代わりに人間性も放ってしまうってのが魅力的で困る。人間の枠組みに拘束しようとしているのだから、窮屈さで身が苦しむのは当然だ」
精神の大部分が黒い海の世界に引きずり込まれてしまっている。
趣向は黒く染まり切って反転。生きて動いている者達を汚らわしく思い、死んでいる者達を尊く思う。顔の穴を開放するのに躊躇する理由は既にない。
精神が健全ではなくなれば、身体もおかしくなるのが定説だ。食事が喉を通らなくなって久しい。アイサが無理やり食べさせてくれるのだが、一人になってからこっそりと吐き戻している。
俺の腹を切り裂いて覗き込んだ時、ただ黒いだけで、何も詰まっていないのではなかろうか。
「……それでも手を離さない俺って正体不明が過ぎるな」
アイサと月桂花がどこかに消えてしまって、一人でいるのが悪いのだろう。病人は安静にしておくべきであるが、俺の場合は一人でいるとドライアイスのごとくいつの間にか消えてしまいそうだ。
人間的に言えば、寂しくて不安な気分なのだろう。誰かに支えて欲しくて仕方がない。
「誰か俺を助けてくれないものかねぇ……んっ?」
何かが胸元で振動する。
空いている片手で探ってみて気付いた。携帯電話への着信だ。
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“『黒い携帯電話』、携帯業界の地位をスマートな奴に奪われつつある存在。
“電子機器でありながら、『異世界渡り』の実績解除がされているため、基地局やバッテリーがなくても通信可能である。ようするに、ライフラインのテレフォン。
使い方は通常の携帯電話と変わらない。とりあえず、電源ボタンを押せ。
ただし、通信は電話機能の場合、一回三分。メールの場合は送信または受信を一回と見なし、一通三百文字まで。
通信回数は一週間で一回増えていく。”
“現在の通話可能回数:一回”
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「もしもし、優太郎?」
『メール一通で国を救えとか無茶言うな!! 国内に誘い込んだ後、遅滞作戦で敵軍侵攻を遅らせている内にお前が魔王にかちこみをかけるとか考えたさ。けどな、そんな机上の空論に異世界人の命を預けられても俺には重過ぎる! そうでなくても戦場は流動的だから、その時その時に見合った指示が必要だというのに。魔王侵攻が遠隔サポートで解決するなら、パソコンの故障だって電話一本ですべて解決するぞ! パソコンが動かない、の情報だけでどうやって解決するんだってんだ。まずはコンセント抜けていないか確認しやがれ、バカヤロー』
いきなり三十秒ほどまくし立ててきた優太郎。何を言いたいのか内容の半分も頭に入らなかったが、ようするに、優太郎でも俺を助けるのは至難だと言いたいらしい。
「まあ、そうだろうな」
『お前、一度戻ってこられないのか。電話越しはもう限界だぞ』
「……なあ、優太郎」
『何だ? 声を沈ませて?』
優太郎は良い時期に電話をかけてくれたものである。俺が人間である内に伝えられて本当に良かった。
「まあ、なんだ。いままでありがとうな」
『――ハぁ?! ちょ、待てよ――』
通話停止ボタンを押して一方的に切った。
まだ二分は会話できたはずであるが、親友との最後の会話というのは気恥ずかしくて続かない。別れを伝えられただけで満足して携帯を折り畳む。
もう使う事はないだろうと、携帯電話を机の上に転がした。
「…………はぁ、室内の空気が重い。外の空気でも吸ってくるか」
特に用事はないのに、俺は部屋から出て行く。
実に順風満帆な毎日である。
魔界から脱出してからまだニ、三ヶ月。生活水準は野生動物並みから国賓並みにまで向上した。
まったく、泥水を啜って生きていた頃が懐かしい。毒の有無を選別するためだけの味覚機能が、調理された食材の旨味のランクを判別するために用いられるなんて思ってもみなかった。
御影としての人生は実に愉快だった。魔王連合討伐という目標のために生きるというのも新鮮で、やりがいを感じて仕方がない。
もちろん、本来の俺であれば人間族共に感謝感激されるなど鳥肌ものだ。が、現在の俺はド過ぎたお人好しである御影なので、優越感に口元が緩んでしまう。
そして何より、左右には美しき女性達。両手で咲いているのは黄色と紫色の花だ。
二人とも御影を慕って異世界くんだりまで旅してきた強い女性である。モンスターを次々と滅ぼしていく二人に笑顔を向けられる。有象無象の民衆共から感謝されるより何倍も嬉しい。
俺は今、ここで生きている。素晴らしい実感だ。
「だが、たった一つだけ不満がある」
式典会場から抜け出した俺達は、ナキナ国が用意した泊まり先、迎賓館へと到着した。自腹で借りた宿屋があると言ったのだが、微妙に耳が長い女により半ば無理やりにチェックアウトさせられたのである。
時刻は夕方。世界は赤く染まり始めている。
地球感覚ではまだ寝るには早い時刻であるものの、インフラの整っていない異世界ではもう夕食と体を軽く拭くぐらいしかイベントはない。
……いや、親しき男女が同室にいれば必然的に発生するイベントがもう一つ――。
「シャぁぁぁ~、ドォぉぉぉ~、ウォぉぉぉぉぉ~」
――そう、寝室からの脱出だ。
「今日こそは契るです。赤やら青やら邪魔な女がいない間に、既成事実を作るです」
「く、くるなッ! やめろ!」
「落花生。そんなゾンビみたいな動きで迫るのは駄目だって」
「ラベンダー! もっと言ってやれ。落花生は破廉恥だって!」
「そうだよね。天蓋付きのベッドがあるから雰囲気は最高なんだし、もっとね、色っぽく迫れば御影だって逃げようとは……ぽっ」
「お前もかッ、ラベンダー!!」
腕に絡み付こうとしてくる二人を押し退けて、そのまま寝室の扉へと背中をぶつける。
手探りのみでドアノブを発見。ノブをひねって脱出を試みたのだが……動かない。クソ、施錠済みだというのか。
「どうして逃げるですか、御影? 地球にいた頃は何だかんだとやる気があったというのにです」
「言っているだろうが。魔王連合を打倒するまでは、子供ができるような事は禁止だと!」
「戦いばかりで生存本能が刺激され続けて、限界です」
「安心して、御影。そんな事もあろうかと、恥ずかしながら電車で三駅先のドラッグストアで購入しておいたスキ――」
「ええぃッ! 欲情で体が火照るなら、外行ってゴブリンを狩ってこい!」
高そうなドアノブであるが、危機的状況なので仕方がない。強引に破壊しようと『力』を入れる。
「――積層、土層球。照れていないでさ、そろそろ諦めて」
「ナイス! ラベンダー」
靴で運ばれ、床に散らばっていた土や砂がドアノブの表面に集まり固まった。力押しではビクともしない。魔法まで用いるとは二人は本気で俺を襲うつもりなのか。
「こなくそ!? 『暗影』発動!」
アサシン職のSランクスキルをこんな情けない事に使わなければならないのかと涙ぐみながら、俺は影を纏って寝室を脱出した。
「ラベンダー! 追うです。逃すな!」
「落花生!? 半裸で外は不味いから」
駄目だ。部屋から脱出した程度では安心できない。どこに逃げるべきか分からないが、行くなら迎賓館の外しかないだろう。
「クソッ、クソぉぉ!」
御影の人生を奪って唯一後悔している事、それは女に迫られる事だ。しかも複数の女性からなど、なんて優柔不断。日本の一般常識からも掛け離れた軟派者め。
「御影の馬鹿野郎が。絶対に恨んでやる」
迎賓館から跳び出すと、赤く染まった街並みが広がった。振り返って後方確認し、まだ追っ手が迫っていないと安心する。
「――おっと、すいません」
「――人っ?! こっちこそ前を見ておらず――ぇッ!?」
走りながら角を曲がったため、危うく通行人と衝突しかけてしまう。
衝突しかけた通行人は文句を言ってくるどころか謙虚であった。片手で顔を押さえていたため俺に気付かなかったと謝ってきたが……酷く異様な風貌……と言葉を濁すにはあまりにも醜い仮面に絶句してしまう。
ベネチアンマスクを付けた俺が言えた義理ではないが。
「……ん、仮面を付けた不審者??」
「お前が言うなッ!」