11-1 戦勝祝いの影で
ナキナ王都が表面上安定化したのは六日後の事だ。
被災者の救出と炊き出し。破壊された行政機能の復旧。軍の再編。まだまだ行き届いてない箇所は多いものの王都を落とされる事に慣れているナキナ人は逞しい。人々は日常を取り戻しつつある。すべての不運を背負い込んだような国であるが、幸運に見放されていなかった事も要因としては大きい。
魔王ニ柱とドラゴンに強襲されながら死傷者が千人足らずというのは出来過ぎだった。
山頂にあった城は半壊していたが、内部にいた国王の生存が三日目に確認されたのも不幸中の幸いであった。
崩壊した部屋に閉じ込められていたクリーム王は随分とやせ細っていたが生きていた。疲労で倒れていられないとがんばって、執務に忙殺されかかっている。
被害者達を弔う国葬はスピーディーに四日目に執り行われた。
五日目は慎ましく過ごし、六日目の朝には王都襲撃前と同じように市場が開かれた。
そして、七日目には大規模な戦勝祝いが予定されている。
嫌な事を忘れるためという訳でもないが、事実として魔王に勝利しているので皆で祝おうという国からの計らいだ。なお、戦勝祝いの式典では、国王自らが勲章を授ける人物が四人いる。
その内の一人は、何を隠そうナキナ国の良心、クリーム王の弟たるアニッシュ・カールド・ナキナである。
冴えなくはないが優れてもいない王族の少年が、いきなり寄生魔王を打ち倒す偉業を成し遂げた。こうアニッシュは国内で持ち上げられてしまっている。
魔王の侵略を察知した少年は、地下迷宮での武者修行を行い強くなった。『勇者《勇敢なる者》』なる真の勇者職に就いた少年の力は絶大である。野蛮な印象しかない勇者職などナキナには不要。ナキナの未来は勇敢なる者が救ってくれる。
実際に、王都の危機に駆けた少年は寄生魔王を滅ぼした。
さらなる魔王の侵攻を少年は予言しているが、安心せよ、余にすべて任せろ、と豪語した。
「叔母上ぇえぇっ!! 誰がいつ余に任せろと言いましたか! 誰が寄生魔王を倒しましたか! 戦意高揚のためとはいえ余を出しにして欲しくないとあれだけ懇願したというのに」
ナキナとナキナに住む者達の未来は明るい――。
「具体的にご利益ある偶像がいないともうこの国持たないのよっ! 王都落されかけた所為で限界ギリギリなの!」
「寄生魔王から経験値一も得ていない余を持ち上げてどうするのです。だいたい、余の職業は良く分からないからと、エルフの族長様に問い合わせている最中だというのに! 困ります!!」
「いいえ、アニッシュ坊にはナキナの希望の星となってもらいます。いえ、志をもっと高く持ちS《世界を》・S《救う》・R《王族》となりなさい。そのためにまず、クリーム坊から勲章貰ってきなさい」
式典場の裏側で新人アイドルとプロデューサーが言い争っているが、集まった民衆の歓喜に紛れているため誰の耳にも届いていない。
「叔母上の理不尽っ!」
アニッシュは最後まで渋っていたが、既にアニッシュを称える声は響いてしまっていた。涙目になりつつ魔王討伐の功績を受領するために表舞台へと進んでいく。
「……まったく、アニッシュ坊も頼もしくなったものね。実力不足も、別の三人が補ってくれるでしょうし」
アニッシュを送り出したカルテは式典会場から遠ざかる。甥達ばかり働かせて自分だけ休憩しようとしている……訳ではない。
カルテの表情は硬い。目付きも鋭く、服毒して寄生魔王に挑んだ時と変わらない覚悟が見受けられる。とても民衆の前に出て行ける顔ではない。
「英雄職なんて夢物語。まだ信じるに値しないけれど、ナキナが生き残るためなら躊躇しないわ」
国内はアニッシュの噂で持ちきりであるが、アニッシュ以外の噂も複数存在している。
噂の中でも最も謎めいているのは、ドラゴンを撃退した黒い巨人についてだろう。
モンスター同士が争う事はそう珍しい事件ではないとはいえ、黒い巨人は山の中腹に突然現れたのだ。そして、ドラゴンが空へと逃げていった途端に霞のように姿を消した。まるでナキナの危機を救うために現れた守護獣のようにである。
モンスターが人間族の国を救う。不気味過ぎる事件に人々は憶測を広めていた。
最も有力な説は、黒い巨人はナキナの秘密生物兵器というものだ。魔族侵攻を見越して、魔王にも対抗可能な使役モンスターを用意していたのだという。ちなみに、人間族と他種族のハーフという謎めいた女性がリークした情報が噂の出所になっている。
「ここで潰させはしないわよ。貴方」
カルテが目指している建物は、山の麓に建っていたため戦禍を免れた迎賓館だ。
「ゲッケイッ! キョウチョウが苦しむって分かっていたの!?」
「…………分かっていたかと問うのは今更でしょう。猿帝魔王がわたくしにかけた呪いにより、凶鳥様が危機に陥るのは必然となってしまったのですから」
迎賓館の屋上で若いエルフと長身の美人が言い争っている。
正確にいえば、若いエルフが突っかかっているだけのように見える。
「傍目でも分かっていたのでは? 死者の魂を道具のごとく使い潰す凶鳥様の能力は技ではなく業。使えば使うだけ己の身も黒ずんでいく禁忌であると」
「どうして止めないのっ!」
「エルフに恥という精神はないのですわね。わたくしよりも長く凶鳥様の傍にいる貴方が言うべき台詞ではありません」
「そっ、それは僕が弱いから……でもッ。レベル100もあるゲッケイならッ、キョウチョウを助けられるのに。少なくとも寄生魔王はゲッケイなら倒せたはずなのに! キョウチョウに危ない力を使わせなくても済んだはずなのに!」
若いエルフ、アイサは悔し涙を流しながら月桂花の怠慢を追及する。月桂花が着ているドレスの胸元を抉り込むように握り締め、近距離から睨みを利かせる。
月桂花は感情が宿っていないような無色の瞳で、アイサを見ているだけだ。
「それとも、ゲッケイは凶鳥を助けるつもりがないの!?」
ただ、アイサの熱意に押されたのだろうか。
いや、感情に触れる禁句をアイサがうっかり口にしたからだろう。
あからさまに眉を顰めた月桂花は「小娘が」と小さく呟くとアイサを突き放した。
「わたくしが凶鳥様を愛している事は自明ですが、それが分からないというエルフには教えてあげましょう。わたくしならば、寄生魔王も始末できましたわ」
凶鳥が追い込み、アニッシュが体を張って倒せた寄生魔王は難敵であった。が、月桂花ならばもう少しスマートに討伐できただろう。
月桂花とて、六節魔法を操る真性悪魔の大規模攻撃をすべて無力化するのは不可能である。その一方で、局所的であれば無力化には成功していた。つまり、規模では負けていても精度では勝っていた事になる。
月桂花の幻影魔法が寄生魔王に対しても有効だったのであれば、たった一度、昏睡させる魔法をかける事さえできれば勝利できただろう。
少なくとも、アニッシュがダニ虫を飲み込むような策を実行する必要性はなかった。寄生魔王の寄生先を惑わすか、寄生したと幻惑させれば百秒後には決着が付いていた。
「ですが、魔法連合討伐は凶鳥様の強い意思で始められた事。それを女のわたくしが邪魔するのは我侭でしかありませんわ」
あの時、月桂花は凶鳥に頼まれていたイバラの救助を最後まで行っていない。おろおろしていた通行人に役目を譲ると、どこかに消えていた。消えた先は森を一望できる巨大針の先端部分であったのだが、一望するだけで特に何もしていない。
凶鳥が立てた作戦は間違いなく成功したので、手を出さなかったというのが月桂花の主張である。
「凶鳥様の望まれた事を実践し続ける。それがわたくしの喜びであり、望みですわ」
言い争う二人に慕われる人物、凶鳥の姿はない。彼は現在、寝室で唸る事に忙しい。
眠りそうになったらナイフで手の甲を抉るので忙しい。
まったく癒着しなくなった仮面を手で押さえ続けるので忙しい。
「それでキョウチョウが今苦しんでいるのに、何を言っている?!」
「何も問題ありませんわ。凶鳥様が苦悩しているのであれば、暖めてさしあげればよろしいのです」
「キョウチョウがおかしくなりかけているのに、良いというのッ!」
アイサの主張は確からしいものであったが、それだけのものだ。歪んでいても一途な月桂花の意思を否定できないだろう。
「何も問題ありませんわ。凶鳥様がどんなに変質してしまっても、わたくしさえ愛していればよろしいのですから」
もう話す事はないと、月桂花は屋上から離れていく。
「まだ話はっ、どこに行くの」
アイサは逃さないようにと手を伸ばしたが、間に合わない。
「可哀想な凶鳥様を、体を使って慰めてさしあげるだけですわ。貴方も散々凶鳥様が苦しんでいると言っていたではないですか」
「んなっ?! いきなり! さ、させないよ」
「貴方の許可など不要です」
月桂花は追いかけてくるアイサを煩わしく思ったのだろう。屋上から投身したかと思えば、空を歩いている。何らかの装備アイテムによる効果だと思われるがアイサにはできない芸当だ。
「そもそも、物理的にも身持ちの堅いエルフには関係ない事です。子供は早く眠っていなさい」
突如開始された凶鳥を労わるためのレース。
「ゲッケイがするぐらいなら、僕がする! キョウチョウは、僕のものだァ!!」
さっそく出遅れたアイサは、階段へと走った。
『ナキナは不滅の国だ。滅びの気配が迫るたび、力ある者達が現れる。我が弟しかり、最新鋭の三名の英雄しかり!』
クリーム王の演説は魔法によって拡声され、王都に集まる人々は熱狂していた。数万人はいるはずなのに、鉄のように簡単に熱くなっている。
「……人前は苦手なのに。こんな格好だし。そろそろお暇したら駄目かな」
「そうですね。お腹減ったです」
「そこの王様の弟さん、だったか? 宿は迎賓館だったっけ?」
例外的に、怨嗟魔王を討伐した実績により表彰される異邦人三名は、そんなに温まっていない様子だ。
『兄上までぇぇ』
……温まっていない人物がプラス一名。




