10-15 寄生魔王最後の計略
アニッシュは一人で静かに待っていた。
謎多き凶鳥ならば、寄生魔王を圧倒してしまう可能性は高かった。実際に凶鳥は地下迷宮において魔王を一柱倒している。実績がある事は強みだ。
カルテは、凶鳥が救世主の可能性が僅か以上にあると踏んでいた。アニッシュも信じたいところであるが、どうにも凶鳥の戦闘はおどろおどろしいため否定的である。
幽霊や化物を使役して戦う姿は邪教神官のそれでしかない。凶鳥の出身地たる禁忌の土地にはきっと、滅びた真性悪魔や邪神が現役で活躍している魔界以上の極所なのだろう。そういう土地で生きている人間族が異常性を身に付けているのは道理だ。それで思考が狂気性に染まっていないのだから、凶鳥はやっぱり異常なのであるが。
遠くから耳で聞いていても分かる超越的な戦い。魔王を倒してくれるという期待感が煽られる。
しかし……アニッシュは待っているのだ。
魔王狩りは王族の仕事ではない。広義で言えば、国を守るために魔王軍と戦うのが王族の職務であるだろうが、アニッシュ自身の手で魔王を滅ぼす必要はない。
つまり、アニッシュは望んで戦場の片隅で待機している訳である。
国をズタズタに引き裂いた憎き敵を自身の手で握り潰したい。
親しき従者の体を奪った憎き敵を自身の手で引き千切りたい。
純粋な青年たるアニッシュらしくない黒い願望であるが、復讐心を抱かない人間のどこが純粋と言えるだろうか。誰が惹かれる。鋼鉄の自制心を持った人間など、感情なき人形と変わらない。
だから、アニッシュは待っていたのだ。
……そしてついに、黒く恋焦がれていた敵が登場する。枯れ草が踏み潰される気配がした。憎き敵が、針の森を掻き分けて姿を出現する。
「――あはっ、若様」
倒れこんでしまいそうなぐらいの前傾姿勢で、次の瞬間には止まってしまいそうな小さな呼吸で。今際の際で爪先立ちになりながらも、それでも醜い微笑を絶やさない寄生魔王は、魔族の王に相応しい不気味さに包まれている。
人間族が剣を持っただけでは絶対に敵わない魔王が、獲物を見つけて笑っている。
待ち望んでいたとはいえ、アニッシュの小さな心臓は酷くビク付いてしまう。
小動物のような仕草で後ろへと振り返り、息を大きく吐く。憎悪と嫌悪が入り混じって喉の動きは鈍くなっているが、息を吐いたからには飲み込む必要があるだろう。
最後に……目を強く瞑ってから息を飲み込んだ。
準備を整えたアニッシュは寄生魔王が現れた方向へと振り返りつつ、台詞を吐く。
「き、きたかッ」
声は裏返っていた。
「あはっ、可笑しな事を仰る若様。……まるで、ワタシを待っていたみたい」
初っ端からアニッシュはミスを犯した。
アニッシュが寄生魔王を待っていたのは確かであるが、それを寄生魔王に悟られてはならない。寄生魔王を罠にかけて滅ぼすつもりならば、もっと自然な台詞を吐くべきであったのだ。
一度口から出てしまった言葉は、もう取り消せない。下手に否定の言葉を重ねれば不審は深まる。
今更であるが、アニッシュは奥歯を噛んで黙り込むしかなかった。
「黙り込んじゃって、かわいい若様」
毒死するまでにもう少しだけ余裕のある寄生魔王は、小首をかしげながら推察する。アニッシュが一人で待っていた理由に気付いてからではないと、おちおち死んでいられない。
寄生魔王はまず観察する。
森のやや開けた場所の中央にアニッシュは立っている。額からは発汗している。心拍数も増しており、緊張気味だ。寄生魔王と対峙しているのだから当然と言えるが、恐怖に震えるべき状況にありながら少年の目は震えていない。
いや、決死の覚悟に固まった目付きをしている。
寄生魔王ほどの魔王が見間違えるはずがない。生きてきた数千年間、何人の人間族が剣で敵わないからと知恵を武器にして、己に挑んできたと思っている。
愛した妻の体を奪われた男がいた。
偉大なる王の体を奪われた国がいた。
何柱もの魔王を滅ぼした勇者の体を奪われた種族がいた。
体を奪う憎い真性悪魔。そう呼ばれ続けて久しい。何人の人間族に寄生してきたのかはもう分からない。
ただし、絶対に滅ぼしてやるとなけなしの勇気を振り絞り、挑んできた人間族共の表情は覚えている。その中でも、アニッシュの表情は相打ち狙いで僅かな勝機を得ようとしてきた者達の顔と瓜二つだ。
偶然出くわしたという偽りすらできていないアニッシュだ。何か、身を犠牲にするような罠を隠しているに違いない。目立つ場所に立ったまま動かずにいるのが実に怪しい。
アニッシュの叔母であるカルテは人払いをした後、服毒した己の体に寄生させる自殺手段を用いてきた。百秒圏内を無人にした後に死亡すれば、寄生魔王は自然消滅する。誰でも思い付く唯一の手段だろう。
叔母と同じ手段ではマンネリだ。となれば、アニッシュの自殺手段は毒以外だ。
寄生魔王は目線をアニッシュの足元へと向ける。服の下を通して巧妙に隠しているが、地面へと紐が一本伸びている。
「あはっ、見つけましたよ、若様。――手腕土精」
寄生魔王が唱えたのは手腕のみのゴーレムを作成する呪文だ。呪文詠唱は数度行われて、そのたびに手腕ゴーレムが生成された。腕のみであるため移動はできないが、理由があって動けないアニッシュに対しては問題ない。
アニッシュの手足はもちろん、腰もホールドしてしまう。手腕であるため細かな作業も可能であり、紐を切らないようにアニッシュの後ろ腰にあった爆発物を取り除く作業もこなす。
隠されていたのは、紐と着火装置。そして袋詰めの炸裂玉。
「火遊びなんて……悪い若様」
結局、アニッシュの秘策はマンネリ気味な手段だった。炸裂玉を使っているところは最初に目撃している。使い切ったように見えていたが、炸裂玉はイバラから回収していたのだろう。
策を見破られたアニッシュは暴れるが、手腕ゴーレムに体中を掴まれて動けない。口元も手で覆われてしまった所為で呼吸さえ難しい。
「なんて、愚かしい若様。こんな体に寄生しなければならないなんて」
自爆装置に知らずに体に寄生していたならば、寄生魔王は一歩動いた途端に爆発四散していただろう。
もし寄生魔王が罠に気付かなかったならば、アニッシュは酷い犬死にをしていたところである。寄生魔王はアニッシュの体を失っても困らないのだ。
「あはっ、あははっ!」
寄生魔王はいったい、いつ、どこで、人間族にしか寄生できないと言っただろうか。
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“『憐れむ歌(強制)』、体を失った真性悪魔を憐れむスキル。
寄生した体が死亡した場合、別の生物に寄生できる。
ただし、百秒以内に寄生できなかった場合、本スキル所持者は完全に死亡する”
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寄生先は人間族限定ではない。ネズミにだってカラスにだって、イモリにだってイモ虫にだって、蜘蛛にだって蟻にだって、粘菌にだってウィルスにだって寄生可能だ。
寄生魔王が人間族ばかりに寄生している理由は、代替品として人間族が優れているからに過ぎない。趣味である事も否定できないが。
人間族は魔族と比べてひ弱であるものの、魔族が持つ特異なスキルは危険だ。万が一にも寄生スキルを無力化された場合の事を考えれば、寄生先は安全性と最低限の性能を備える人間族が適している。
それに人間族ばかりに寄生していれば、寄生魔王は人間族にしか寄生できないと錯覚する愚か者も現れてくれる。
寄生魔王は残り数度の鼓動で心臓が止まると直感し、アニッシュへと近づきながら醜く微笑む。
メイズナーを倒したアニッシュは惹かれるところもあったが、素体としては低質だった。寄生して戦場を離れた後は、すぐに別の人間族に寄生し直す事になるだろう。
最後に、寄生魔王はアニッシュの耳元で囁く。
「あはっ、お別れです。若様。『憐れむ歌』発動――――」
心臓が停止する。憑き物が落ちていくように、スズナの体がバランスを失い倒れていく。
寄生魔王のスキルが発動して、手腕ゴーレムに羽交い絞めにされたままアニッシュは体をビクビクと震わせる。数秒間、無茶苦茶に関節を動かそうとした後、突如、ダラりと体中の力を抜いた。
用済みとなった手腕ゴーレムは土塊に戻っていく。解放されたアニッシュは、前髪で表情を隠したまま自立する。
ふと、口元を歪めたアニッシュは、寄生魔王の定例句を口にしようと――。
「――あ、あばっ、げふぉ、うっ、あばばばばばばばばばばばばばばばばばば」
――嘔吐した。