X-1 走馬灯1
記憶喪失者が唯一過去を思い出す方法。それは走馬灯だ。
モノクロームに染まった光景が眼前に広がる。虫食いが酷いが、それでも俺の貴重な記憶に違いない。
どこかの食堂で、平凡な男と対面している。
話している内容は当たり障りない代わりに内容が無い。が、こうして駄弁っているのが一番心安らかでいられていたと思う。
若い女の顔が見えてくる。
少女と言えるかもしれない年齢かもしれないが、顔の上半分に真っ黒い穴が開いているので判断できない。
長い髪を持つ彼女の名前は思い出せない。
そして、また穴の開いた顔のない少女が見えてくる。
背格好から少女だと断定できるのに、冷たい雰囲気が大人の猫のようだ。
で、また、顔のない女性。
しかも今度は二人同時って……。
黄色い片方は健康的な体付きで、もう一人の豊満な方に抱き付く程に仲が良い。
――知り合いの男女比率が四対一とは、俺はどれだけ恵まれた生活をしていたのだろうかと羨む。同じ自分なのだから、羨んでも仕方がないのだが。
それに、交友関係に恵まれていた俺の人生が、暗転する事件が起きたはずなのだ。俺はその事件を思い出さなければならない。
後戻りできなくなりそうな予感しかしないが、まあ、仕方がないのだろう。
意識を集中し、記憶の履歴を探っていく。
そして、光景が夜の森へと暗転していく――。
走っていた。
息が切れても走り続けていた。命を狙われているのだから、全力疾走するしかない。
迫りくる気配は三つ。
いや、森の上空を飛翔している奴を合わせて四つ。黒一色の背景に描かれた烏のごとくなので、見え辛い。夜空からの急降下攻撃に対処するのは難しいだろう。
まあ、俺はスキルのお陰で敵の姿を確認できるのだが。
==========
“アサシン固有スキル『暗視』、闇夜でも良く見える。
可視領域は広がるが、視力向上の効果はないため、視界はスキル保持者に依存する”
“実績達成条件。
アサシン職をDランクにする”
==========
「あはははっ! 粋がっていたのに逃げてばかりだね! 『永遠の比翼』の片翼に追われているのだから当然だけど、さッ!」
背後斜め上を見上げると、羽毛のない黒皮の羽を持つ優男が、木々の合間から降下していた。
スカイダイビングのように四肢を広げた格好をしているで、憎らしい程のイケ面が視認できる。両眼の赤い光もはっきりと見える。色白の美男子であるが、顔が死者のように白くて不気味だ。
羽を持つ美男子は滑空の勢いを右の手の先に集約し、鋭い爪を俺の背中へと突き出してくる。
俺は最も自信あるパラメーターである『速』を活かして対処する。
体を反転させて爪を受け流し、カウンターでナイフを突き出す。
「蝙蝠の癖に、大層な通り名だ!」
「蝙蝠じゃない。俺は、吸血魔王さ!」
ナイフが蝙蝠美男子の中心点を捉えた……はずであったが、男の体は小さな蝙蝠に分解されていく。
別の場所に蝙蝠は集合して人型を作ると、再び男が現れた。
美男子のもう一つの特徴を俺は見落としていた。男の口からは、閉じてもはみ出る程に長い犬歯が二本生えている。吸血鬼の特徴ではないか。
己を魔王と称した蝙蝠美男子は、瞬きしている間に距離を詰めてくる。あちらも『速』に自信があるらしい。
今度は、鋭い犬歯で俺の首筋を狙う。
「『暗澹』発動ッ!」
==========
“『暗澹』、光も希望もない闇を発生させるスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの暗い空間を展開できる。
空間の光の透過度は限りなく低く、遮音性も高い。
空間内に入り込んだスキル所持者以外の生物は、『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける。
スキルの連続展開時間は最長で一分。使用後の待ち時間はスキル所持者の実力による。
何もない海底の薄気味悪さを現世で再現した暗さ。アサシン以外には好まれない住居空間を提供する”
“実績達成条件。
アサシン職をBランクまで慣らす”
==========
突如発生した暗澹空間に視界を奪われ、蝙蝠美男子は俺を見失う。
空間の発生元にいる俺からは敵が見えており、隙も見えていた。首を斬り落とすべくナイフを一閃する。
「あッ、い、痛い!?」
蝙蝠美男子がバックステップで暗澹空間から抜け出そうとしたため、ナイフが首に届かなかった。頑張って刃を前に伸ばすが、頬に一筋の傷を負わせるのが精一杯だ。
「お……俺の綺麗な顔に、き、傷がァ!? この腐れ人間族ッ! 死ねェェッ!!」
敵は魔王なのだ。スキルに頼っただけの力押しで討伐できる相手ではない。
中途半端な攻撃で怒りを買ってしまい、軽い口調だった蝙蝠美男子が獰猛になってしまう。鋭い爪と犬歯が次々と繰り出され、必死に避けなければならなくなった。
だが、蝙蝠美男子は心を乱している。アサシンの前での乱心は致命傷だろう。
逆手に構え直したナイフで、今度こそ魔王の命を断ち切ろうと――。
「吸血魔王様! こやつと単機で戦うべきではありませぬ!」
致命的な隙を見せていたのは俺の方であった。
突如、分銅付きの鎖が脇腹を打ち付ける。目前の魔王ばかりに集中し過ぎて、別方向からの攻撃に対応できなかった。ダメージが胃から口に伝搬し、血を吐く。
分銅は肋骨を粉砕して体内へと貫通するものであったが、地面から体を浮かせていた。力に抵抗しない事でダメージを最小に抑え込む。
その代わり、腐葉土へと飛ばされて地面を滑っていく。体勢は完全に崩された。
「信じ難い事ですが、こやつは対魔王のスキルを所持しております。吸血魔王様の下方補正されたパラメーターでは危険です。ここは、我等三騎士にお任せを!」
「俺を見くびるかッ! 腐れ人間族ごとき、血をすべて吸い出してミイラにしてやる!」
「こやつを甘く見た魔王が既に二柱も討伐されておりますゆえ、どうか冷静に」
どうも、俺は派手に暴れ過ぎたらしい。
異世界に流れ着いて三ヶ月強。
一ヶ月に一匹という計算で魔王を狩っていたのだが、そろそろ対策を講じられる時期だろう。
以前、誰かが言っていたが、異世界においては特異なスキルよりも強靭なパラメーターが生存率に直結するというのは真実だ。
スキルはその内、研究される。弱点を把握されたスキル程に脆いものはない。
===============
“『魔王殺し』、魔界の厄介者を倒した偉業を証明するスキル。
相手が魔王の場合、攻撃で与えられる苦痛と恐怖が百倍に補正される。
また、攻撃しなくとも、魔王はスキル保持者を知覚しただけで言い知れぬ感覚に怯えて竦すくみ、パラメーター全体が九十九パーセント減の補正を受ける”
===============
魔王だけが相手なら余裕があった。『魔王殺し』スキルの恩恵により、危なげない戦闘が行えていたのだ。
だが、魔王ではない一般的な中ボス級モンスターが相手だと、人間族として秀でたパラメーターを持っていない俺では分が悪い。
「迷宮魔王『ダンジョン』に仕えしが三騎士、エクスペリオ」
「同じく三騎士、メイズナー」
「ぐふぇふぇ。おで、三騎士のオルドボ」
中ボスが三匹も一斉に襲ってくるとなれば、なおの事だ。逃げるが勝ちだろうが、残念ながら脇腹を負傷した状態では難しい。
「人間族、捕らえたぞ!!」