10-11 悪魔と悪霊
「ぐッ、あがっ。や、やってくれましたね。若様」
喉を押さえた後、口を押さえた手を吐血で汚す。中身は真性悪魔でも、体は人間族でしかない。耐毒スキルを持っている訳でもない寄生魔王は顔を青く染める。
接吻は決して甘くなく、嘔吐物の酸味が鼻を突く。
寄生魔王はもちろんであるが、アニッシュも女とキスした後とは思えない悲痛を顔に浮かべていた。
「よくやったぞ、アニッシュ。アイサ、毒死するまではどれぐらいもつ」
「苦しませるための毒だから、ニ十分ぐらいは生きているはず」
「それだけあれば余裕だろう。アイサと月桂花は、そこで動けなくなっているカルテと、ついでに地面から生えている灰色髪を運んで後退だ。残るのは、俺とアニッシュだけで十分!」
カルテから下山を強要されてから、たった数分で考えた作戦を実行する。寄生魔王を倒すには準備不足も甚だしいが、いつもの事だと思って覚悟を決めた。
寄生魔王に『魔王殺し』を仕掛けつつ、腹部を蹴って遠ざける。
『アニッシュに貴方まで、どうしてここに! 『花嫁絶対則』で命令したのに』
「命令はされたが、途中で失敗していたぞ」
『はい?!』
「少しでも惚れたお前が悪い」
『はいぃ??』
==========
“『吊橋効果(極)』、恋愛のドキドキと死地の緊張感の類似性を証明するスキル”
“≪追記≫
誰からも嫌悪される仮面を装備。
異性ではない生物を異性にする。
この実現不可能な制約を突破した者はかつて存在しない。本スキルの極みに達したと言えるだろう。
極めた恩恵として、強制は解除されたが、本スキルの運用には錬度が必要。
異性に対して魅了の呪いに等しい効果を発揮する。好感度が0の異性であっても、言い知れぬ感情変化からは逃れられない。
なお、魅了にはパラメーターが最大五割減、スキル失敗など強力なデバフ効果が存在”
==========
「視線合わせたぐらいで、頬を赤くして。意外に初心だったんだな」
『はいぃッ!? そんなはずないんですけど! ないんですけど!!』
カルテも毒が回りはじめたのか、重要でもなんでもない発言を二度繰り返している。元気に見えて死にかかっているので、アイサには早く運んでもらいたい。
『貴方やアニッシュ坊で勝てるはずがないでしょうっ。いえ、勝ったところで寄生されて終わ――』
「毒回っている人が興奮しないでください。大丈夫、キョウチョウなら負けない」
『――もうっ! 耳が少し長くて若いエルフだからって。夫との会話を遮らないで!』
「……解毒剤、捨てちゃおうかな」
寄生魔王は性質上、対戦人数が多くてもメリットはない。事前打ち合わせ通り、俺とアニッシュのみ戦場に残る。
問題は、俺とアニッシュのみで寄生魔王にどんな勝算があるか、だが。
「あがっ、アサシンは馬鹿ね。げふぉ、操られたいのなら、あダが、素直に言えば良いのに!」
毒が効いて苦しんでいる寄生魔王が、白い柱に手を付きつつ立ち上がった。初戦の時と同じく、右肩の焼印で俺を操作するつもりか。
「アニッシュは後ろで様子見だ! 正直に言えば、寄生魔王は相性が悪い。少し本気を出すから、巻き込まれるなよ」
「任せておけ。キョウチョウの本気がどのぐらいか、余に見せて欲しい」
アニッシュは距離を取った。俺だけが寄生魔王と対峙する。
寄生魔王に毒を飲ませて、命のタイムリミットを設定した。戦闘時間もほぼ同じぐらいになる予定である。
毒死を待たずに自殺される。カルテ達がまだ十分に逃げ切っていない状態で、連続自殺により遠くに逃れてしまう。この手を使われると厄介だったのだが、寄生魔王は戦意満々な笑顔を崩さない。毒死するよりも早く勝利できると踏んでいるのだろう。
その現状分析は正しい。
正しいからこそ、寄生魔王唯一の隙となる。
「あはっ! がフォ。さあ、奴隷に罰を与えましょう。ゲフォ、ワタシを足蹴にした足に、ナイフを刺して!」
血を吐きながら命令された通り、俺は己の太股をナイフで突き刺す。実は、命令に逆らって右肩を痛めるよりも、足を刺した方が痛みは少なかったりする。
命令に対して、何の対策もされていない事を確信した寄生魔王は笑顔を深める。
「がふぇ、がはっ、あはっ! 次はどんな罰が良い?」
ここまでは初戦の焼き回し。カルテがいない分不利かもしれない。
「ようやくだ。ようやく、誰にも邪魔されずに、世界を祟れる」
ただし、初戦では仮面を外せなかった。その差は激しい。
「――――鳥でもない者が、深淵の上に巣をかけてはならないのだ」
人間を止める禁句を呟いた途端、顔の穴を塞ぐ仮面はひとりでに落下した。
森は白い柱が立ち並び既に異質であったが、突如闇が深まって、更に異質さが高まる。
肌に吐息をかけられるように冷気を感じた。きっと実際に傍に誰かがいて、息を吹きかけたのだ。
目に見える光景は何一つ変わっていないというのに、目に見えないすべてが激変してしまった世界。寄生魔王が真性悪魔ならば、きっと共感してくれるはずだろう。
「あは――はっ…………ぇ? 奴隷、お前……顔は?」
顔も眼球もない俺の代わりに、目を見張ってくれるだろう。毒が効いている事さえ忘れて、呆けた言葉を口走るはずだ。
「顔が、ない??」
仮面を外しただけでパラメーターもレベルを含めて、何かが変貌してしまった訳でもない。ただ魔王を祟っているだけだというのに、全能感に酔ってしまい大きな声が出てしまった。
「誰かある。今日は無礼講だ。あの悪魔を存分に屠れ」
手を叩いて、黒い海に呼びかける。
たったそれだけで、足元の影、柱の影、山の陰。影を経由して異形の屍共が顔を出す。
矮躯の屍ゴブリンが一番に駆けていき、手に持つスコップを寄生魔王へと突き出す。一匹目が到達した時点で、数秒差で百匹の屍ゴブリンが後続として続いている。
「ゾンビ? いえ、何かが違う?? ――火炎竜巻」
アンデッドの弱点属性、火属性の竜巻を魔法で作り上げて、寄生魔王はゴブリンを一掃する。
だが、炎の壁を突破して一つ目の大猪が体当たりをしかけた。ほとんど燃え尽きていたが、質量で寄生魔王を跳ね飛ばす。
うまく放物線を描いたものの、寄生魔王には物理攻撃は効果的ではない。受身を取らず後頭部より落下しても、見かけよりもダメージは少ないだろう。
ただしこれで終わりではない。間髪を容れず、別方向から現れた屍ケラと屍インプが左右から噛み付く。
「何かが違う。何かがおかしい。奴隷は人間族ではなかった。このモンスター共は普通ではない。けれども、何であるのか言い当てられない」
やはり魔法以外では効果は薄く、寄生魔王の体は特に傷付かない。
一方で、魔王が悪霊に襲われている現状を信じられず、精神的には大きく混乱させていた。
「いいえ。何であるか熟知しているから、言い当てたくないの。真性悪魔たるワタシが??」
噛み付いていた屍が三節魔法で燃やし尽くされる。高熱に照らされる寄生魔王の肌は粟立っていた。
「真性悪魔たるワタシが悪寒を感じているなんて、許される、ものかッ」
次々と出現する屍を、疾風の範囲魔法で吹き飛ばす寄生魔王。毒でよろける体を支えながら、俺を凝視してくる。
プライドが許さないと叫びながらも、予断を許さないと察知したのだろう。寄生魔王は今更命じてきた。
「この薄気味悪い奴等を早く止めろ!」
「あー、それは無理だ。命じたところで、次から次へと新手が湧く」
「ならば、元凶たるお前は即刻自害しろ!」
「あー、それも無理だ」
俺は、右腕を左腕で掲げて見せ付けてやる。
肩口が融解してもげてしまった右腕は、まるで鳥手羽みたいだ。『同化』スキルの応用で、溶かした己の腕を、残りの腕で弄ぶ。
「この通り、焼印が押された右肩が外れてしまってな。もうお前の奴隷でもなんでもない」
所詮は人間族程度が商業用に用いる呪印だった。三流にも、物理的に腕を切断してしまうだけで強制力を失ってしまう。
戦闘の邪魔になるので、ぽいっと腕を放って寄生魔王の醜態を笑う。
「こういう面白い状況だと、こう笑うんだろ? あは。醜く笑うのは技術がいるな」
「猿真似で笑ったところで、ワタシに勝てるつもりか! ――氷槍投」
寄生魔王は氷の槍を生成し、投げ飛ばして直接攻撃に乗り出す。が、槍は俺に到達する以前に炎が巻きついて溶けていく。
理由は単純だ。俺の足元で澱む影を経由して、これまでよりも上位の悪霊が登場していたからである。
「……うらめしやぁ」
前髪で表情を隠した女魔法使いが四人。その内、赤い子が火炎魔法を放ったため腕を真正面に伸ばしていた。
「……うらめしやぁ。うら、めしぃ」
「きたか。お前達」
火と氷、雷と土の四人組の登場だ。安易に呼び出せる割に、攻撃性能に富んでいる魔法使い達だ。呼び出せた時点でほとんどの勝負は決まったも同然である。
「今日は遠慮する必要がない。最大の力をもって、魔王を討て」
俺の言葉に対して忠実に四人は動いた。背後よりも前に出て、スケートリンクで滑っているかのような疾走方法で、四方向から挑む。
「――焼死、熱波、宝剣、火焔斬」
赤い魔法使いは天まで延びる炎の剣を作り上げて、寄生魔王を両断にかかる。
「――零下、凍結、封印、凍投獄」
青い魔法使いは永久凍土さえも凍えさせる氷の棺を生み出して、寄生魔王を凍結刑に処する。
「――爆裂、抹消、神罰、天神雷」
黄色い魔法使いは雷雲を呼び、見た者の目さえも焦がす光度の雷を、寄生魔王に叩き込む。
「――創造、構築、圧倒、要塞土精」
紫色の魔法使いは山の形状を削って作り上げた巨大土精霊の手の平にて、寄生魔王を拝み潰す。
四節魔法の重奏は、属性背反による威力減衰を気にしない。爆撃のような轟音を奏でる魔法は、効果範囲内にいるすべてを灰燼に帰す。
「――地獄変“血の池”。所詮は低級魔族と人間族のアンデッドもどきが、どうやって真性悪魔に勝てるつもりだったのか!」
だが、こと魔法において、寄生魔王は人間族の遥か高みに座しているのだ。
寄生魔王の足元より噴出した赤い濁流が、触れる程に迫っていた四種の魔法を飲み込む。火氷雷土関係なく飲み込んで沈殿させてしまうと、濁流は爆発的に勢いを増す。
ヘモグロビン色をした大量の水は、氾濫した川のごとく山肌に広がっていく。
広がった先で、山を蝕んだ柱の群さえも飲み込んで沈ませていく。意味もなく赤い色をしている訳ではないらしい。
血のように赤い濁流の正体は、触れた物質を血へと還元させる魔法で間違いない。物を溶かせば溶かす程に水量が増えて、赤い版図は広がる。溶かす物がなくなるまで広がり続ける。そういう悪魔的な大魔法だ。
魔王へと攻め込んでいた四色の魔法使いが、俺よりも先に飲み込まれた。既に命を失った悪霊であるため死ぬ事はないだろうが、依り代たる肉が溶けたので、補充完了まで現世に出現できない。
「魔王相手では分が悪いか」
血色の濁流は加速しながら、俺の傍まで届く。
さて、人間とも悪霊とも言い難い俺が溶けた場合はどうなるか。少なくとも、人間としては二度と復活できないと断言できる。
……むしろ溶けてしまって問題はない事に気付きながらも、俺は呼ぶ。
「――誰かある。真性悪魔を殴り殺せる真性の化物。格闘戦の時間だ」