10-10 寄生魔王は攻略できず、されず
勇ましい事に、カルテが鞘から抜いた剣の先端を、寄生魔王がいた方角へと向けている。
「カルテ?! 無謀が過ぎる。何人生き残っているかも分からない騎士団よりも、俺の方がよほど勝機がある」
『勝てる見込みがあるなら、最初に勝っておきなさいな! あっちでアニッシュが嘆いているでしょうが』
「兄上ぇぇええッ! 兄上ェエぇええッ!!」
山頂付近に見えていた城は既に壊滅している。俺達が襲われたように、内側から生え貫く肋骨みたいな柱に破壊されたため、城の内部はもっと被害が大きいだろう。
城の中には、王族の関係者が多数いたはずだ。アニッシュが叫ぶぐらい当然か。
であれば、何故だろうか。目前のカルテは動じていない。カルテも王族であるというのに、冷淡が過ぎる。
『非情? 無感情? 感情なんてものに惑わされている余裕があるのなら国を救うの。ナキナはね、昔も今も誰も助けてくれない。だから、悲しんだりしている暇があるのなら、その前にまず戦うしかない訳。おわかり?』
城の被害ばかりが気になってしまうが、麓の方からも魔獣の咆哮が轟いている。ナキナの王都は今、落ちようとしている。
カルテは、ガリッ、と他人に聞こえるように奥歯を砕いてから、アニッシュを叱咤する。
『アニッシュ坊! 下山して王都から退避しなさい。叔母の務めであのムカ付く寄生魔王だけは仕留めてあげるから、どうにか生き延びる事!』
「兄上を助けなければ、まだ死んだとは限りません!」
『いいえ、死んだと思いなさい。アニッシュ坊が次のナキナ王です』
「叔母上の方が適任でしょう?!」
『緊急時だからって、言ってはならない事を言うわね。この耳が短ければ、アニッシュ坊に言われるまでもなく二十年前に簒奪していたわよ。さあ、言い争う前に、去りなさい』
「叔母上なき後、余のみで国が長続きするとお思いですか。この状況を悲観的に見ているのならば、余をもっと悲観してくれるのが叔母上のはずです!」
埒が明かないと思ったのだろう。アニッシュは話を打ち切って、カルテを寄生魔王がいる方向から引き離すように押す。
「余が寄生魔王を撃ち滅ぼすから、叔母上こそ逃げてください。キョウチョウ、まだ戦えるか」
「アニッシュで倒せるのなら、俺が倒せないはずがないだろ。競争するか」
「その勝負、余から売らせてもらおう」
魔王討伐で他人に後れを取るなど恥だ。
少しだけ大規模な魔法を使われた事によりたじろいでいた心など一瞬で忘れた。そもそも、目前に気に入らない奴がいるのに、殴りにいかない理由はない。
アニッシュと頷き合った後、二人で寄生魔王の元へと向かっていく。
『男二人で勝手に決めちゃって。貴方ッ! アニッシュ坊を連れて下山しなさい!』
「お前が言うか!」
「叔母上が言う事ですか!」
男が二人並んで歩き始めたというのに、無粋な女が横槍をブスリと入れてきた。
残念女、カルテの仕業だ。
『アニッシュ、良い機会だから覚えなさい。統治者はね、最高策を選んでは駄目なの。常に最善策を選ばないと』
「それではただジリ貧にっ、うッ?! キョウチョウッ、余を抱え込むでない。せめて王子様抱っこは止すのだ!」
「体が、言う事を、聞かないっ。カルテ、お前の仕業、か!」
フォークリフトがごとく、アニッシュの体を両腕で持ち上げた。
もちろん俺の意思ではない。どうしてかは分からないが、カルテの言葉を実行してしまう。アニッシュはパラメーター差によりなすがままだ。
当然文句を言うが、言いながらも体は下山を開始する。
『最高策をついうっかり信じてしまった結果が、貴方よ。英雄なんて御伽噺はフィクションでしかない。期待外れも良いところだったけれども、まあ、寄生魔王のスキル内容だけは成果ね。……モノホンのエルフの子のお陰なような気がしないでもないけれど』
アニッシュを逃がしたいだけなら、俺まで巻き込む事はなかったというのに。カルテは本当に自分勝手な女だ。人に相談なく、自己完結で寄生魔王と相打ちになろうとしている。
首を折るような角度で背後を振り向きつつ、せめて睨み付ける。
「カルテッ!」
『妻に先立たれる夫はなんと言ったかしら、鰥夫? 短い関係だったし、別に悲嘆も後悔もないでしょう。……それでも、妻に言いたい最後の一言は何?』
諦観した目をしているカルテと、憤怒の目をした俺。二人の視線は交じり合う。
「誰が後悔しないものか。祟るぞ、てめぇ!」
すると、カルテは一瞬だけ頬を赤らめた。
森が消えた代わりに、白い肋骨の森が生え広がった世界。まるで異星に降り立ったかのような光景である。
騎士団の気配はなく、不自然な程に周囲は静かだ。
「そういえば、ここには若様だっているのに六節魔法はやり過ぎだったわ。若様、生きていなかったら殺しちゃうから」
地形が変わってしまった山を特に気にせず、寄生魔王は最愛の素体を探して歩んでいた。
「待て、寄生魔王」
しぶとく生き残っていた騎士団の生き残りだろうか。鎧を着込んだ女が、巨大針に寄りかかっている。
半端に長い耳を持つ女である。素体の記憶からカルテという名前が参照された。外見は最上級であるのに、戦闘スペックが低くて寄生魔王は残念がる。
「まさか、カルテ様? ただ偉そうなだけの女なのに、こんな最前線にいらしていたとは。ワタシが差し向けたペットで爆死しなかったの??」
「あいにく、戯れで影武者と入れ替わっていたお陰で生きていたわ。戯れで生き残っただけだから、儲けた命を使って魔王を葬らないといけないでしょう」
「あはっ! 思った以上に面白い事言う人だったのね」
カルテは巨大針の隙間から街を望む。山も寄生魔王の所為で被害甚大であるが、街は街で怨嗟魔王の所為で被害地域が広がりつつある。
冷却された目線で、カルテは魔王を射抜く。
「……父の国を壊すお前は、絶対に許さない」
ただ、カルテは言うだけ言って特に何もしてこない。
反応のなさに飽きた寄生魔王は前進を再開するが、その足を地中から現れた手に掴まれた。
「イバラッ!! 生きているんでしょう!」
「御意! 忍術、土遁」
人間族の女の細腕だ。
「その魔王を殺して! 次に寄生された者も殺して! 寄生先がいなくなれば寄生魔王は百秒で自滅する! だから、たとえ私が寄生されたとしても殺してッ!」
「御意ッ!」
人間族が地中から奇襲してくる。寄生魔王をしても初めての体験であり、反応は……特に遅れなかった。
寄生先が忍者職でなければ、少しは結果が違っただろう。
「玉砕戦術なんて、見苦しいだけですよ。カルテ様にイバラ様っと」
掴まれていない方の足で、地中から現れようとしていたイバラの顎を蹴る。軽く蹴っただけのように見えたが、蹴った先は人体急所の顎先。そうでなくても、寄生魔王が寄生している体のパラメーターは強化されているので、かなり危険な角度であった。
白目になって、イバラは脱力していく。
「まだ生き残っている騎士団だっているのに、その人達まで巻き込んで無理心中するつもりですか」
「国が滅ぼされれば結果は同じ。皆には悪いけれど、諦めてもらう」
「私を殺しても、まだ下では怨嗟魔王が暴れているというのに、なんて無責任」
「そうでしょうね。でも、お前を殺す事は決定済みよ」
寄生魔王はイバラを放置して、カルテに接近していく。
「そもそも可笑しいわ。どうして、百秒なんて言葉が出てきたの? どうして、ワタシの『憐れむ歌』の内容を知っているのか酷く気になるわ。これは寄生して調べないと」
寄生魔王はカルテへと、文字通り悪魔の手を伸ばしていく。今の素体は気に入っているが、必要があれば心臓を潰して体を乗り換えるだろう。己の弱点を知られているとなれば、理由付けは十分だ。
女同士で顔を近づけ、舌を出してカルテの頬を一舐めする。
……魔王は笑顔を止めて眉を顰めた。
「――この臭いと味。服毒しましたか、カルテ様」
一方で、カルテは策に気付かれたというのに表情を変えなかった。本当は毒を飲んでいる事を気付かせないまま寄生されるつもりだったというのに、気が強い。
「飲んだ毒は遅効性。すぐには死なないけれど、体は麻痺する。忍者秘伝の毒ね」
「その体の、中忍の知識か。厄介な」
「寄生された後、死ぬまでの猶予時間に山を無人にしておき、百秒圏内から人間族をなくしておく。スキルを知っている風にほのめかしたのも、布石という訳。流石はカルテ様です」
しかし、カルテは失策した。
声をかけてから一切動かず、柱に体を預けていたのがあからさま過ぎたのか。とはいえ、今更悩んでも遅い。
「あはっ、次はどうするおつもりです。カルテ様?」
次はどうする、と寄生魔王は挑発している。カルテにもう策がないと察しているから煽る。
カルテは今更次の手を模索しているが、毒が回って動かない体では手も足もだせなかった。
だから――。
『俺が次の手だ!』
――カルテに代わり、突如出現した仮面の男が強襲し、寄生魔王の脇腹にナイフが食い込む。
『ッ! 見た目よりも硬い。パラメーター……いや、スキルか』
ナイフは食い込んだが、『耐物理』スキルを持つ真性悪魔は物理的攻撃に強い。せっかくの奇襲は不発に終わる。
「貴方がどうしてここに?!」
「まあ、アサシンがくるわよね。全然大した事ないけれど」
カルテ目線では完全なる奇襲であったが、寄生魔王目線では凶鳥の出現は予期してしかるべきものだ。驚くに値しない。
だからこそ――。
『スズナ、余が奥の手であるぞ』
寄生魔王は耳元で少年の声に囁かれて真に驚く。
不可視の幻惑魔法で姿を消していたアニッシュは、寄生魔王と数センチの距離で対面していた。
うっすらと見えてきたアニッシュは、寄生魔王の唇を奪う。唇で唇を覆う。
『以前の返事だ、スズナ。余はお前の好意を受け入れられない……すまぬ』
地下迷宮で痺れ薬を飲まされた時の再現だ。ただしアニッシュが舌を使い、寄生魔王の喉奥へと押し込んだ丸薬は痺れ薬ではない。エルフお手製の死を強要する猛毒である。
三名による奇襲は成功した。それでも、いや、だからこそ寄生魔王は、また笑う。
「…………はい、若様。嬉しいです」
スズナ本来の笑みであったはずであるが、その顔を目撃できたのはアニッシュのみであった。