10-9 真性悪魔はその昔、海を割り、山を砕いた
ナキナ王都の城門。
住居区画を守る最終防壁であるそれは、保守整備だけでもナキナ国の予算を圧迫していた。とはいえケチる訳にもいかず、アダマンタイトといったレアメタルを採用し、対魔法防御性能も完備した強固な扉として王都を守っていた。
“GGaGaAAGAGGAGAッ!! ――絶叫、振動、復讐、波動叫ッ!”
その城門が今、破られようとしている。城壁は格子状にひびが走って痛々しい。鉄製の扉も大きくひん曲がってしまっている。
深く広い堀の向こう側にいるのが、城門を破壊しようとしている元凶だ。
皮膚のない気色悪い化物。酸化したような赤褐色の血が全身を滴っている。皮を剥いだ解体途中の畜産物のような姿であるというのに、溢れ出る『魔』の気配は決して貧弱ではない。
長い腕、馬のような四足、赤く濁った単眼。
種族は魔族からも異形と呼ばれる、ナックラヴィー。
『泣き叫び狂う』を体現する怨嗟魔王がナキナの首都へと侵攻していた。
“辛Iッ、苦GIIIッ――絶叫、振動、復讐、波動叫!”
怨嗟魔王は川のように広くて深い、水の溜まった堀をまだ越えてはいない。堀の外から、固定砲台となって城門への魔法攻撃を続けている。
魔王の四節魔法の連続に耐える城門の強度は、投じられた国家予算に恥じぬものであった。が、限界は近い。ひび割れの向こう側に街並みが見え始めている。
「矢を射ろッ。魔法を放て!」
「さっ、さっきからやっています!? ですがッ、ダメージを与えれば与える程にむしろ威力が上がっているみたいで!」
「このままでは城門が破られる。市民を山城まで退避させろ!」
ナキナの軍隊は傍観している訳ではない。先程から、城壁の上に並んだ弓隊や魔法隊が魔王に対して打撃を加えている。相手は固定砲台と化しているため、集中砲火が可能だ。血が流れているのでダメージはかなり通っているのだろう。
ナキナ軍の抵抗の激しさを証明するように、怨嗟魔王は叫ぶ。
“痛I、痛I、痛痛痛痛I痛痛I、辛IIッ――絶叫、振動、復讐、波動叫!”
叫びながら、魔法を放っている。
痛覚むき出しの体で精神統一が必要な魔法を詠唱している事自体が異常なのだ。痛覚が刺激されればされる程に魔法の威力が向上しても仕方がない。
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“『復讐』、攻撃性能を持った感情の発芽を意味するスキル。
直近のダメージが大きければ大きい程に、次の攻撃が上方補正される”
“≪追記≫
本スキル所持者は常に瀕死であるため、常に上方補正がなされた状態”
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“酷I、苦GII、惨I、誰、誰誰誰GA、全て狂EEEッ――絶叫、振動、復讐、波動咆哮ッ、全テWO呪う怨嗟ハ世界ヲ縦断スルだロオッ!!”
城門だった物の破片が数キロ範囲に飛び散った。
怨嗟魔王が最後に放った五節魔法は強力過ぎた。城門どころか、門の先の区画にあった建物も魔王の叫び声に共鳴し、固有振動数で激しく震えた。地震が発生したかのよう、と表現するにはあまりにも生易しい。
形あるものはすべて、等しく弾けていた。
秒数千回の振動により、爆発よりも正確に、満遍なく弾けていた。
叫び声に耐え切れなかった壁も納屋も家も崩れた。建物の中にいた住民も例外視はされていない。誰であるかは判別できないが、所々赤い堆積物が崩壊現場に埋まっている。
上空から俯瞰すれば城門付近を基点に、扇状に被害を観測できるだろう。
高度があれば、山の中腹からも観測は可能だ。崖際に追い詰められた寄生魔王ならば、友人の活躍ぶりを羨ましそうに眺める事ができる。
「あはっ。怨嗟魔王ったら、あんなに殺しちゃったら可哀想じゃない。人間族は素体として利用しないといけないのに。体を待っているペット達が可哀想じゃない」
寄生魔王は眼下に広がる街の被害規模を見て、張り合いたくなってしまった。怨嗟魔王と同程度の広域攻撃魔法を使ってみたくなってしまった。
これまで騎士団の奮戦に押されて後退し、結界に封じ込まれていた寄生魔王。
人間族をついうっかり全滅させないように手加減をしていたとはいえ、魔王を追い詰めていたのである。ナキナの騎士団はなかなか侮れない。
「それだけ実力があるのなら、皆生き残れるはずよね? ――地獄変“針山”」
たった一節だけ呟かれた呪文。
本来、この呪文は六節から構成される。短縮型呪文でありながらも、人間の発音器官では詠唱困難な呪文を数分から数時間かけて詠唱する必要がある。よって、六節以上の魔法は基本的に真性悪魔専門の魔法だ。
詠唱難度が高い理由は、それだけ、大規模な破壊が可能だからである。
まず、最大直径がメートルに達する図太い槍が、三本だけ地面から伸び上がる。槍という単語を使うのは贅沢で、本当は肋骨のように曲がった形の巨大針である。
すぐに追加で九本の巨大針が地中から空へと伸びていく。
次は二十七本。次は八十一本――。寄生魔王を中心とした同心円状に針が伸びる範囲が拡大していく。
「あはっ、範囲指定が広すぎちゃった」
巨大針群は、寄生魔王を包囲していた騎士団を足元から襲った。森ごと飲み込んでしまったという方が正しい。針葉樹林の森がただの針の群生地に置き換わっていく。
ナキナの山城がある山はアルプス山脈のように美しい姿をしていたというのに、中腹から山頂までが地獄にあると言われる針山と化してしまう。
「ナキナには偵察にきただけなのに、ごめんなさいね」
当然、頂上の山城も激しい被害を受けた。城内にいた人間は生死の確認さえ困難であり、ナキナ王も行方不明者に該当する。
「ただの威力偵察で、決して殲滅戦をするつもりはなかったから。人間族を滅ぼすつもりのないワタシや怨嗟魔王が赴いているのだから当然じゃない。生きている人間族がいたら信じてくれるかしら、あはっ!」
地響きを立てて、地面からどんどん生えてくる図太い柱を目撃してしまった。
『魔』が感じられるので魔的な何かだと分かるのだが、それ以上は把握できない。膨大な『魔』で練り上げられた突起物。それだけだ。
騎士団の前衛は生えてくる柱に巻き込まれて壊滅した。真下から直撃された騎士は正視を憚る戦死をしてしまったが、次は我が身なので目を背けていられない。
そろそろ、俺達の足元からも柱が生えてくる。
「月桂花、頼む!」
「――偽造、誘導、霧散、朧月夜、夢虫の夢は妨げないだろう……ッ!? くゥっ、だっ、駄目です。すべてを打ち消せません」
「なにッ?! 月桂花の魔法でも、かッ!!」
マジックキャンセラー・月桂花を全面的に頼ってみたものの、俺達の傍だけを無力化するだけで精一杯だった。
俺達だけならばそれでも良かったが、周囲に展開している騎士団はどうなるだろう。
「で、できるだけ傍に集まれッ!! それが駄目なら山の下まで走って逃げろッ!!」
良い反応を見せた者や、偶然近くにいた者は難を逃れてくれた。
だが、俺の拙い異世界言語を理解できなかった者や、そもそも声を聞き取れなかった者が大半だ。生えてきた白い柱の向こう側に消えてしまう。
柱の間隔はそんなに密ではない。きっと全員は死んでいない。過半数は死んだかもしれない。
突如、仮面を押さえて片膝を付いた。
ぼとん。
ぼとん。ぼとん。
ぼとん。ぼとん。ぼとぼとぼとぼとぼとぼと――。このように海に沈んでいく音が仮面の内側から連続的に響いた。豪雨のように落水音が続く。
吐きそうだ。
「キョウチョウ、大丈夫なの」
「ああ、心配するなアイサ」
ご馳走を飲み込み過ぎた時のように、吐きそうだ。
「寄生魔王の奴、どこにこんな大それた力を隠し持っていた。レベル100の月桂花の五節を上回れたら、笑う気力も起きないぞ」
「真性悪魔の力なんだと思う。寄生魔王の正体は魔族の真性悪魔。全魔族の祖たる真性魔族は、魔法で山を砕き、海を割るのが当たり前だった。ただ、強過ぎる力を持つからこそ、同族同士の戦いで多くが滅びてしまったのに」
「寄生魔王が数少ない生き残りだった。周りを見ているとそうとしか言いようがない」
寄生魔王という名前に先入観を持ち過ぎていたのかもしれない。寄生能力だけを危険視していれば、純粋に魔法力で人間族を圧倒してしまう。
被害規模は山一つ分。魔法と一言で済ますにはあまりにも馬鹿げている。
寄生魔王は、吸血魔王など足元にも及ばない武道派な魔王だ。正面衝突して勝てる見込みはない。それでも勝つためには、仮面を外す以外にないだろう。
「真性魔族に弱点はないのか?」
「そういった伝承はないよ。ただ、本来の意味での魔王は真性悪魔のみを示すって、里長から聞いた事がある」
仮面を外す。
実に単純な解決策であるが一つだけ問題がある。それは俺が再び仮面を付ける気になれるか否かである。回数を重ねるごとに、俺は人間である必要性を失っている。仮面を外して能力を肥大化させた俺が、狭苦しい感性しか持てない人間に戻りたがるとは思えない。
感覚的には後一度だけならば、おそらく可能か。逆に言えば二度目の保障はどこにもない。
ラストチャンスかもしれない奥の手を、はたして今使うべきなのか。
「凶鳥様。一時撤退も考えられますが、いかがされますか?」
月桂花の提案は受け入れたくはあった。
……だが、俺が返事を答えるよりも早く、大声が上がる。
『騎士団は戦闘続行よ! 大魔法を使って魔王は『魔』を大量消費した。押し切るなら今しかない!』