2-3 死因、エルフ
俺の上を通過していった一つ目猪は、巨体だけあって小回りが利かない。加速度を殺しきれずに森林地帯へと突入している。樹木が邪魔で旋回にも時間を有するだろう。
生きる理由もないが、死ぬ理由さえない。
猪の縄張りから退散しようと立ち上がる。と、よろよろと猪の対角線方向を目指して足を進ませる。
もう少しで、崖沿いの空白地帯から緑の深い森へと逃げ込める。
『逃がすかっ! お前はここで魔獣に食われて死ぬんだ!』
そんな瞬間を狙って矢が飛ぶ。風切り音が耳元を掠めていったのに驚いて、尻餅を付いてしまう。
一歩先の地面に突き刺さった羽付きの棒を見て、狙撃されたのだと気付かされた。
「お前達なのかッ!? 最初からそのつもりだったのか!」
矢が飛んできた方向、木の上を見上げると、長耳姉が次の矢をもう構えている。
次弾は即座に発射された。
地面に密着させている、広げた右手へと突き刺さる。正確には指と指の間を意図的に狙われた。
右手を胸元に抱き締めてから立ち上がる。右手の無事よりも心拍の激しさに驚きながら、急ぎ足で猪が現れた洞窟の方角へと逃げ帰ってしまう。
「あっ、しま――」
動転していたとはいえ、前方不注意だった。
森林地帯を突っ切って来た猪の巨体に跳ね飛ばされてしまう。木の葉のように体が空中へと舞い上がる。
鼻先で掬い上げられただけだ。幸いにも、牙で体を突かれてはいない。四メートルの高さから受身も取れずに落下した苦痛さえ幸運足りえるなんて、この世界は酷く素晴らしいな。
打った背中が痛みを発した。
内蔵もダメージを負っているようで、呼吸が怪しくなる。
「――痛ゥッ、はぁ、に、逃げられ、ない!?」
次の猪の突撃を逃げ切るのは無理だろう。
ただ、猪の知能はかなり低いらしい。俺を狙うのを一番の目的としたため、進行方向にある壁に頭から突っ込んでしまっている。目玉付きの頭部が埋まり、脱出に苦労して胴体を無茶苦茶に動かしている。
今の内に逃げるべきだが、俺が思う以上に体の打ち所が悪かったのだろう。立ち上がろうとしたのに、片脚の痛みに耐えかねて転倒した。
「いやだ。嫌、だ! まだ、死にたく……ないっ」
立ち上がるのを諦めて、地面を這って猪から逃げようと試みる。
だが、どこに逃げれば良いのか分からない。突発的に心に湧いた死の実感に恐怖して、最適解を考えられない。
逃げたくても森までは距離があり過ぎるから、袋小路であるはずの洞窟を目指してしまう。猪の巣穴へと自ら入っていく愚行。が、もうそこしか逃げ道が存在しない。
「た、……けてっ!」
熱く感じる片脚は、骨折していた。
動かない右腕は、脱臼していた。
だから仕方がなく、左腕だけで体を引きずり洞窟を目指す。
「助け……てっ!」
生物として正しい事に俺は死にたくないらしい。
どんなに無価値でも、生きていたいから這い続ける。命の瀬戸際で口からこぼれる言葉以上に、真実めいた言葉はないだろう。
『アイサッ! 洞窟の中に逃げ込まれると死体を確認できなくなる! 矢を放てッ』
『わ、分かっ――姉さん! あの人、何か叫んでいる!』
誰でも良い。
俺を救ってくれるのなら、誰だって構わない。その後の人生をすべて明け渡しても良い。
だから助けてくれ。
『構わん。撃てッ』
『で、でもッ』
ヒーローの登場を願って、救命を懇願した訳ではなかった。
ただ、横に傾いた視界の先にいたから。そこに綺麗な顔立ちの少女がいたから、助けてと大きく叫んだだけだ。
少女が敵であるか否かなど、最早関係しない。
「助けて……っ! お願いだッ。助けてくれぇぇえェッ!!」
『――“助けて”? 何か! 何を叫んでいるか分からない……? 鳥の仮面が、こっちッ、見ているっ!? ひぃ!?』
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“実績達成ボーナススキル『凶鳥面(強制)』、見る者に不快感を与える蔑むべき鳥の面。
顔の皮膚に癒着して取り外せない鳥の仮面を強制装備させられる。
初対面の相手からの第一印象が最低値となる。よって、人間的な扱いを期待できなくなる。相手が善人であれば、殴られるだけで済まされるだろう”
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肺の潰れた俺の叫びは管楽器のように高音域で、女の叫びみたいで、一種の鳥の声のようであった。
高い木の太枝に乗っていた耳長の少女は、俺の懇願に悪寒を感じたのだろう。
少女は肩をびくりと震わせて、連鎖的に指の力加減を間違ってしまう。
『あっ!? しまッ』
つがえていた矢は少女の意思に反して発射され直進する。
俺の仮面に少女は注目していた。であるのなら、矢は当然、俺の眉間へと辿り着く。
加速した矢を薄い仮面で受け止めきれるはずがなく、簡単に貫通してしまう。
『アイサッ!!』
『そ、そんなつもりは!? 僕、どうしたらっ、姉さん!』
まず、頭蓋を割る。前頭葉を破壊した後、知能中枢をグジュグジュと穿つ。延髄さえも突破した。
どう取り繕っても致命傷であり、俺は呆気なく死――。
遠くで、カカカッ、と怪鳥の泣き声が聞こえた気がした。
この主人公とエルフの組み合わせなら、
あって当然の出来事ですね!