9-12 袂(たもと)を分かつ
実に無意味な戦いであった。
戦いの趨勢は個人的にも世界的にも一切無意味。俺の気がもう少し触れていたならば、倒壊した関所の向こう側に見えるナキナの王都も無意味に破壊されていたので、本当に無駄な危機を煽っただけである。
試してくる大地、それは異世界。
「無意味な戦いだったが、仮面の内側の使い方も大分慣れてきた。次はもっとうまく使える」
足元には気を失ったままの灰色髪女がいる。
特に未練なく視線を上げて水平に戻せば、十メートルほど先で、甲斐甲斐しく頭を垂れている月桂花が見える。
「凶鳥様、益々お力を増していらっしゃるご様子。お喜び申し上げます」
真似された訳ではないだろうが、月桂花の足元にも何人か倒れている。
「そこで眠っている兵士達、月桂花の仕業か。なるほど、どうりで暴れているのに誰もやってこないはずだ」
関所であるので詰めている兵士達は戦闘中に現れなかった。月桂花がうまく幻惑し、俺の邪魔をしないように眠らせておいたのだろう。
「お記憶を失われる前の予定通り、隠世の力を使いこなしつつあるようで。魔王連合を駆逐できる時は近いでしょう」
「……俺が人間離れしていくのが予定通り、計画通りか。俺が練った計画だとしても不愉快で、気が狂っている」
「落ち着きましたら、わたくしが存じている事すべてをお伝えいたします」
「そうだな。今夜にも聞かせろ」
月桂花が俺に尽くそうとしてくれているのは分かる。
ただし、記憶を失った俺を魔界に放置していた疑惑は残っている。どういった理由があれば、異世界で遭難する俺を見捨てていられたのか。そろそろ、本人の口から弁明を訊きたいと思っていたところだ。
今回のように、屍以外にも使える人材がいると戦いに集中できる。
関所の建物は地下牢があった場所も含めて倒壊していたが、囚われていたアニッシュやリセリも無事な姿が確認できた。月桂花が融通を利かせたのだろう。些事を任せられるというのは案外頼もしい。
そろそろ、月桂花が信用に足る女か否か、判断しておこう。
「……ん、アイサはどこだ?」
心配しなくともアイサは物陰から現れた。己よりも大きい男の足首を持って、引きずっている。
寝倒れている兵士を倒壊した関所の傍から安全な広場へと移動させていたらしい。アイサにも、俺が暴れた尻拭いをさせてしまっていたか。
「よいっしょっ、これで全員運び終えた」
「アイサは善良の象徴みたいだな。アイサがいる限り、俺はまだ人間でいられる気がする」
「あっ、キョウチョウっ!」
「アイサは可愛いよ、まったく」
「頭を撫でて、えへへ。耳は少しこそばゆいよ」
背の低いアイサの頭を手で触れて、金髪のサラサラした感触を確かめた。
荒ぶっていた心を和ませた後、兵士を看病しているアニッシュへと向き直す。
「さてと……おーい、アニッシュ。あそこで倒れている灰色髪の女、見覚えはあるか?」
アニッシュに訊ねた明確な理由はない。ただ、灰色髪女の武装や服装はアニッシュの従者であったグウマ、スズナの両名と同種のものだ。完全な当てずっぽうという訳でもない。
覆面のない女の顔。まだ若そうな癖に灰色の髪と、左目から頬まで浅く続く古傷は特徴的だ。知人であれば個人の特定は容易だろう。
「この者は……か」
女に近づいていったアニッシュは、分かり易く表情を硬直させる。
「知っているなら話せ。嘘を付いても良いが、俺の不評を買うに値するか考えろ」
「嘘など付くものか。この者の名はイバラ。我がナキナの忍者衆の頭目であるぞ」
ナキナの忍者が俺の命を狙ったのか。
ふむ、さっぱり分からないな。俺はこの国と敵対した覚えはない。というか、そこまで有名人になった覚えもない。
「これは、ナキナが俺を抹殺しようとしたと判断して良いのか?」
「ご、誤解である。魔王を倒したキョウチョウは、むしろ称えられるべきなのだ。きっと何かの間違いで――」
「その先の釈明は、間違いで殺されかける身にもなってから言えよ」
国に命を狙われる。一大事のように思えるが、今回の戦いで俺は自信を得た。
殺しにやってくるのであれば、くれば良い。この凶鳥面を付けているからには、嫌われる事には慣れている。
ただし、当方に報復の準備有り。異世界の弱小国など、恐れるに値しない。
黒い海に沈む悪霊を呼び寄せられる俺の限界は、恐らく、これまで死んだ生物の総数に匹敵する。十億、百億の単位を楽々超えてしまう戦力が、俺の顔の穴の中には潜んでいる。
今更ただの人間族共に、俺が殺せるはずもないだろう。
「王宮に招待してもらおうかと思っていたが、そっちが忍者を放つのなら辞退させてもらおうか。正式にパーティを組んでいた訳でもないし、解散するには丁度良い。アニッシュ、ここからはお前一人で帰れ」
「キョウチョウ、何をするつもりだ??」
「しばらくは王都に滞在するが、予定は未定だ」
「非があれば余が請け負うゆえ、衝動的な行動は起さぬよ――う、に……なっ!?」
手を伸ばして引きとめようとするアニッシュは、ビクリ、と手を引っ込める。少年の腕は、冷気に触れたかのように鳥肌立っていた。
まるで俺の背後に、蠢く悪霊共が見えてしまったかのようだ。
スキルも使用していなければ、仮面も外していない。それなのに、足元の影の中、倒壊した建物の内側、森の木陰に悪霊共を感じとってしまうという怪奇現象を体験したとなれば、かなりの異常事態だ。
「アニッシュ、お前はこの女を連れ帰って首謀者に伝えろ。俺と敵対したければ構わない。手違いとやらで殺そうとしたのであれば、謝罪ぐらい聞いてやるさ。準備が必要なら待ってもやる。もてなし次第でナキナは無事でいられるから、がんばれよ」
きっと、仮面を外すたびに俺の異常性は高まっている。日中の幽霊騒ぎぐらいで動転していられない。
「さて、誰が俺に付いてくる?」
次ぐらいまでならば、仮面を外しても人間性を保てるはずだ。
「僕はもちろんキョウチョウと一緒だよ」
「わたくしも離れるつもりはございません」
アイサがいるのであれば、次の次ぐらいまでならば、きっと大丈夫なはずだ。
「地下迷宮で授かった神託が気になります。国へ無事を知らせなければなりませんし、この私はアニッシュ様とご同行いたします」
結果、俺に付いてくるのはアイサと月桂花の二名であり、残りのアニッシュとリセリはナキナの城へと直行する事で決まる。
「妥当な人選だな。それじゃあな、アニッシュ」
同行する二人と共に歩き始める。崩壊した関所から王都へと、堂々と不法侵入した。