9-10 希望のない暗闇に暗澹せよ
「……ぁざご? ジャなイ。妹、どこ?」
新たに呼び寄せた二人の内、青色の女が屋上から身を乗り出して、地上で戦闘を続けている覆面女を見下ろしている。
「……うらめしやぁ」
残った新参の赤色の女は、俺へと振り向いた。油の切れた機械みたいに、ぎこちなく首をかしげる。
赤色の女。赤いという程に純然な赤色ではない。
紅い袴姿に、たすき掛けした薄桃の羽織。暖色系で統一されているが、それだけに生気のない真っ青な肌が際立つ。前髪に隠れた海底のような黒目が悪目立ちしてしまっている。
それでも、赤というのは興奮色だからだろうか。赤い色から目が離せない。
「あ、あれ?」
……ふと、赤い誰かの後姿をフラッシュバックした。
腰まで届く髪をなびかせ。
夜の街を紅い袴姿で跳び、颯爽と現れる君。
細くて長いまつ毛。短気な癖に、何故か思慮深い気質を具現化した目。赤い唇。
君さえいなければ、俺は、誰も祟ろうとは思わなかった。君は俺を助け損なった事になっているのだから、君は俺に祟られる資格がある。
たったそれだけの君。
正体はただのお転婆で血の気が多い少女であり、誰よりも特別視するだけの特別性は皆無だ。ただ最初に出遭ったというだけの話。他四人に対して絶対的な優位性がある訳でもない。
それなのに、酷く、恋しくて病んでしまう。
また遭って、話をしたくなってしまう。
でも、君は傍にいない。
額から下、鼻から上がない顔の癖して俺は、気付けば涙を拭おうとしていた。
俺は一体、誰を思い出しかけたのか。赤色の女が誰に酷く似ていたのか。さっぱり分からない。
「うらめしぃ?」
赤色の女が近づき、心配でもするかのように腰を屈めて下から俺の顔を覗き見ていた。
「そんな理性なんてないだろうに」
「うらめしぃ、やぁ?」
「分かった。泣いていない。泣いていないから、下の敵を片付けてこい」
心配されているというよりも、ゾンビに食い付かれる寸前の恐怖シーンなのかもしれない。
地上を指差して覆面女を攻撃するよう促したが、目線を向けた時、地上には黄色い女しか残っていなかった。
『魔法使いばかりの偏った敵ならばッ、接近できれば!!』
覆面女は準備動作なく二階建ての関所の屋上まで跳び乗る。着地と同時に深く上体を沈め、床を這っているかのごとく疾走する。
「うらめしぃッ、――炎上、炭化、火炎撃!」
「ぁざこ、いないッ、――串刺、速射、氷柱群!」
対応は早い。俺の左右から手が伸びて、多数の氷柱の弾丸と、弧を描く火炎が放たれる。
射線上を直進していた覆面女は、後ろや横や上ではなく、加速して前進する事で魔法攻撃を回避してしまう。
「――粘土、粘着、泥土縛」
粘土の手腕が伸びて足首の拘束を図ったならば、覆面女は跳び込み宙返りで避けてしまう。『速』パラメーターのみで、三人の魔法使いの猛攻を突破した訳である。
だが……それだけでは無力だ。
「――稲妻、足蹴、直撃雷ッ」
覆面女を追って高く跳び上がった黄色い女が、紫電を纏って脚を伸ばし、急加速した。
衝撃波と電撃が石造りの屋上を粉々に崩壊させていくが、所詮は余波。本命の脚底が人体に触れたならば、電圧で燃え尽きた灰すら弾け飛ぶ。
「『マジック・ブースト』ッ!」
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“『マジック・ブースト』、『魔』の体外噴射加速スキル。
『魔』を直接物理加速に変換する。魔法という程に高度ではなく、一瞬で噴射が終わる癖に燃費はすこぶる悪い。
例で言えば、『魔』を10消費すれば時速百キロオーバーで一秒弱動ける”
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覆面女は電撃余波の中から不自然に横滑りして直撃は避けてしまったが。
始末できなかったのは残念であるが、覆面女も同じ気分なのだろう。せっかく俺に近づいていたのに、四人の屍魔法使いの魔法攻撃を避け続けた所為で屋上の端まで下がってしまっている。
離れた覆面女に何ら脅威は感じない。
武器はクナイや手裏剣。爆発する札。他にもまだ見せていない武器があるかもしれないが、魔法攻撃に勝る飛び道具は所持していないだろう。所持していたなら、既に使っているはずだ。
『くっ、四人と分かっていれば、捌いてみせる。もう一度』
一方で俺は――。
「――炎上、炭化、火炎撃! 悪いな、俺も魔法を使えるんだ」
――屋上端まで追い込んだ覆面女へと、遠くから追い討ち可能だった。残弾の問題はあるものの、他四人と交互に撃ち込めば即枯渇するものでもない。
「――発火、発射、火球撃」
「――貫通、発射、氷柱擲」
「――稲妻、炭化、電圧撃」
「――攻城、砲撃、岩石弾」
「はっ、多彩だ。あははっ、いいぞ、お前達!」
火球が着弾し、数百の氷柱が面制圧を行い、煙が晴れぬ向こう側を稲妻が一掃、最後に屋上そのものを大岩が粉砕した。あまりにも派手にやり過ぎたため、俺達も壊れた建物から地上へと逃れなければならなかったぐらいだ。
四色の屍は全員レベル60相当の高位魔法使いだ。それぞれがメイズナーやオルドボと同等、いや、事が魔法砲撃戦であれば上をいく化物である。四人のゾンビを従えているという構図で理解し辛ければ、四台の主力戦車を見せびらかしていると変換すれば良い。
砂埃で周囲は白く染まって、魔法が一旦止まる。
やったか、などと定番の台詞は言うまい。
モンスターではないから経験値取得ポップアップがなくて分からない、などと情けない事も言わない。
こちらはまだ全力ではないのだから、敵がまだ死んでいなければ攻撃を再開すれば良いだけの事である。
『高位の魔法使い職を並べての多属性砲撃。この場で倒さねば、王都とて重大な被害を受けてしまう』
しぶとく生還していたのか。多様な破壊の中から、ボロボロな女がよろよろと歩いて姿を見せた。
顔を隠していた覆面は切れ落ちたのだろう。今の奴は、片目から頬にかけて走る古傷を持つ、灰色髪の女と言い表すのが正しい。
『が、それだけだ。顔のない魔王、お前は所詮、その程度の敵だ。魔法使い職が厄介であるのは当然。とはいえ、魔法砲撃戦で言えば合唱魔王と比べるまでもない。脅威度は低い』
やれ、と命じる前から電撃が撃ち込まれていた。この世に恨みある屍は好戦的で楽ができる。
三節魔法の雨に対し、灰色髪の女は真正面から挑戦する。しかも無謀にも、両目を瞑って歩いているのだ。
当然、諦めた訳ではないだろう。見てから反応していては近づけないため、視覚に頼るのを止めたのだ。俺が『魔』を感じ取れるように、灰色髪女は攻撃前兆を察知できているとしか思えない。
『お前は知らないだろう。この世で最も邪悪な魔王を打ち滅ぼしたのは、魔法使い職でもなければ勇者職でもない。現世で忌み嫌われる凶悪職、アサシン職だ』
歩いていたかと思えば、体の軸がブレて加速する。加速したと思えば、また進路上に戻って歩いている。この緩急だけならば屍魔法使い達は翻弄されなかっただろうが、灰色髪女の気配が希薄で捕えられない。
目前を歩いているはずなのに、まるで『暗躍』しているかのようで捉え辛い。植物に擬態した虫を見ている気分なのか。
灰色髪女が、軽く握っていたクナイを逆手に構える。
『アサシン職は忍者職などという中途半端な職とは違う。ただ、殺す事に特化したスキルの数々。その業をもって、大魔王を暗殺した。真に称えられるべきはアサシン職だと私は気付いた。……前頭目は否定したが、今ようやく、私が正しかったと証明される』
かなりの前進を許してしまった。とはいえ、近づけば近づく程に被弾確率は高まる。四人の魔法が視界全体を覆い尽くした瞬間が、灰色髪女の最後だ。
『顔のない魔王、お前にその一端を見せてやる。……『暗澹』術、発!』
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“『暗澹』、光も希望もない闇を発生させるスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの暗い空間を展開できる。
空間の光の透過度は限りなく低く、遮音性も高い。
空間内に入り込んだスキル所持者以外の生物は、『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける。
スキルの連続展開時間は最長で一分。使用後の待ち時間はスキル所持者の実力による。
何もない海底の薄気味悪さを現世で再現した暗さ。アサシン以外には好まれない住居空間を提供する”
“実績達成条件。
アサシン職をBランクまで慣らす”
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五メートル圏内。
灰色髪女がデッドラインへと踏み越えると同時に、光の透過性ゼロの真っ黒い空間が広がらなければ、屍魔法使い達は確実に仕留めていただろう。
海の底にも等しい滑った闇色が、視覚のみならず聴覚さえも奪い去る。
『その首貰ったッ、顔のない魔王!』
だから、灰色髪女の勝利宣言も聞こえない、はずだったのだろう。
首筋へと伸びるクナイを、ナイフで防ぐ事もできなかったはずだ。
「愚かな、『暗澹』の闇など俺にとっては湯船と同程度に心地良い。とはいえ、これは温い。真に希望のない黒い海底とはもっと心が凍えるものだ。……『暗澹』発動!」
灰色髪女を中心に展開された暗澹空間を、俺を中心に発生する暗澹空間で上書いていく。