9-9 顔のない魔王の忠実なる四天王
「俺を殺したいんだろう? ついてこい」
『クソ、魔族を王都に侵入させる訳には!』
地下の階段をバックステップで上っていると、覆面女が急速接近してクナイを振るう。『速』が69程度では、強者に対して不足が過ぎる。
「『暗影』発動」
不足する実力を他で補うのはいつもの事だ。恥とは思わない。
天井を無視して地上へとショートカットで跳び出る。石造りの関所の内、最も高い屋上から周辺を睥睨する。
日中に仮面を付けずに外を出歩いているが、体の不調は見受けられない。むしろ、心のままに暴れてしまいたいと顔の奥が疼く。
戦略の基本は陣地構築からであるため、まずは顔の穴から黒い世界を零れ落とす。
足元は既に黒い水溜りが広がっている。一部は関所の壁を伝って落ちていっている。
『魔族覚悟ッ』
ふと、下腹に軽く衝撃が入った。
いつの間にか地下から現れた覆面女が、腕を横一文字に振ったポーズで俺を睨んでいた。どうやら、腹の中心に刺さる十字手裏剣を投擲したのは覆面女らしい。
今の俺がこの程度で死ぬとは思えないが、二度も不意討ちを当ててくるとは煩わしい。
「……準備運動だ。行け、屍ゴブリン共」
迎撃のため、海の底より低級モンスターを呼び出す。壁を伝って広がる黒い世界から、息を吹き返すように矮躯の異形が次々と顔を出した。地獄の壁という題の芸術作品があったならば、こういった形状をしているに違いない。
『ッ、アンデッドを呼び出すか!』
黒い海底からの悪霊召喚。原理的には死霊使い職の『動け死体』スキルと『グレイブ・ストライク』スキルの複合応用でしかない。死人の屍を『グレイヴ・ストライク』で召喚し、『動け死体』で使役するだけだ。
どうして俺が死霊使い職に目覚めたのかは今なら分かる。
死霊使い職で得られるスキルのすべてを、俺はいつでも入手可能だからである。
==========
“ステータスが更新されました
ステータス更新詳細
●死霊使い固有スキル『動け死体・強化Ⅰ』を取得しました”
==========
“『動け死体・強化Ⅰ』、死霊を使う魂の冒涜者の研鑽。
『動け死体』スキルを有していることが前提となるスキル。
『動け死体』スキルが強化される。屍を調伏可能な上限がスキル所持者のレベルの二倍となる。また、屍の性能も若干生前に近づく”
“実績達成条件。
死霊使いとして、人の道を二歩踏み外す”
==========
三十匹の黒く変色したゴブリンが、雪崩のように覆面女へと殺到する。牙を剥き、白目も剥く。生者の血肉を求めて手を伸ばした。
『ゴブリンごときがッ、舐めるなッ』
二刀のクナイを抜いた覆面女の姿がぶれる。強烈な足跡だけが残り、次の瞬間には前列のゴブリンの頭が一斉に落ちていく。
特殊な技術やスキルではない。目にも止らぬ程に速いのだ。高パラメーターという無慈悲な性能差で、屍ゴブリンを圧倒していく。一呼吸の間に十匹は狩られてしまったか。
「ゴブリンでは準備運動にもならないか。次はもっと接近戦に強い奴が必要だ」
それにしても、覆面女の二刀スタイルや武器には既知感がある。アニッシュに仕えていた従者、グウマのそれだ。戦闘能力も同等と見なすべきだろう。
メイズナーとタイマン可能な老人は異世界的にもスーパーマンだった。
俺では歯が立たない相手であるが、黒い世界の人材は豊富である。召喚者自身よりも強い者など無数にいる。
「誰かある。格闘戦の時間だぞ」
足元の水溜りが震えた。
最初に、人間の頭頂部が見えてくる。次は乱れた前髪と額。左右二つの団子からツインテールが伸びている。
知らない顔の女だ。俺の呼び声を聞いて浮かんできたのだから、縁ある人間である可能性が高いはずだが、覚えはない。記憶喪失なのだから不思議でもなんでもなかったが。
「…………殺ス……殺ス、殺スッ!!」
特徴的なのは振り袖か。黄色の下地に矢のような柄が施されている。
そして、上履きは軍用の編込みブーツだ。今時の女性が好むコーディネートではないだろう。
「ギルク、殺スッ」
水溜りより全身が浮かび上がると同時に、俺が命じるまでもなく黄色い女は跳び出した。生前のレベルが高いのだろう、俺の命令を受け付ける素振りもない。
止める必要などどこにもないので放任だ。せっかくこの世に戻ってきたのだから、晴らしたい恨みの一つや二つあるだろう。
「殺スッ、――稲妻、炭化、電圧撃ッ!」
関所の屋上より跳びながら、黄色い女は指先より地上へと電撃を放つ。
狙ったのは、最後のゴブリンの首を飛ばしたばかりの覆面女だ。数ある属性の内、最速を誇る雷魔法。見てから回避できるものではない。
眩しい光の槍先が体を貫通し、焦げ臭さが周囲に充満する。
首を落とされ、空中に投じられて盾代わりにされてしまった憐れな屍ゴブリン。その影で、覆面女が二刀のクナイを逆手に持ち変えて斜め上方を見上げていた。
『人間……いや、生気が欠片もない。アンデッドの類か』
「殺スッ!!」
『ゴブリンの次は魔法を使うゾンビ。かなり高位のアンデッドにしか成しえない外法で間違いない。あの顔のない魔族は危険だ』
電撃魔法で仕留められず、しかも、不用意に空中に跳んでいた黄色い女の落ち度だ。
魔法を使えるのならば、屋上に残って攻撃を続ければよかったものを。このままではせっかく受肉させたというのに即座に首を落とされてしまう。屍らしく、頭が足りていないのだろうか。
「殺スッ!!」
『女のゾンビ、せめてもの慈悲だ。一撃で終わらす』
逃げ場のない空中をおりてくる黄色い女の首に合わせて、クナイが一閃される。
「殺スッ、殺シテヤルんデスッ! 殺セナカッタ無念をッ、守レナカッタアノ子をッ! 雷の魔法使いッ、小豆が駆ケルッ!」
首は……落ちない。一閃されるクナイを、編込みブーツの底が蹴り上げていたからである。
『体術?! 魔法使いのはずだッ』
「雷の魔法使イハッ、格闘魔法の使イ手ェェッ!」
空中で体を捻り、更に横へと回転しながら踵を打ち込む。
見事な足技の連続に、さしもの覆面女も一時後退していく。
「逃サナイ、殺スッ! ――稲妻、炭化、電圧撃ッ!」
『くっ、いちいち予想外な事ばかり起こる。しかも後何体呼び出されるのか不明。ちまちま戦っていては、不覚を取りかねない』
だが、距離を取れば魔法が襲う。
接近すれば、巧みな足技が襲う。
黄色い女は魔法と格闘を組み合わせて戦う色物枠だったようだ。どうして相反する戦術を組み合わせてしまったのか。俺は普通に格闘戦が強い者を呼び出したかったのだが、思うようにはいかないものである。
前例のない複合攻撃により、覆面女も思うように戦えていないようであるが。
『ならば、先に召喚者を狙うが定石!』
苦労しながらも、覆面女は再び手裏剣を投じてくる。恨みを晴らすのに夢中な黄色い女は、主人の危機に対して当然のようにスルーだ。
今更、手裏剣の一枚、二枚で俺が死ぬとは思えないが……今度の手裏剣は十字ではななく、棒状だ。また、風でなびく短冊のような赤い札が付随している。
棒手裏剣は俺に命中せず、屋上付近の壁に刺さる。
赤い札には筆で書いたような文字とは別に、細かい幾何学模様が見受けられた。
『火遁。爆発ッ』
札の幾何学模様に『魔』が充填される気配がした。瞬間、札を起点に空気が燃え広が――。
「…………守ル……守ル、守ルッ!! ――岩盤、積層、土層球」
札の起爆を最後まで見届ける事は叶わなかった。
俺を守るように粘土が球状に展開し、壁となって視界を遮ったためである。黄色い女の次に呼び寄せた紫色の女が防御魔法を行使したのだろう。
「守レナカッタッ、誰モ守レナカッタ無念をッ、後悔をッ! 土の魔法使いッ、アスターが征スッ!」
紫色の女はやや背丈が低いが、自らが作り出した鹿のゴーレムに騎乗しているため現在は見上げる位置にいる。
守るために前に出てきてくれたのはありがたいものの、俺から離れずボディーガードを続けるだけで戦いに参加しようとしない。命令に従わないので、この子もレベルが高いのか。
「まあ、良いだろう。次を呼び出せば済む事だからな」
『既に、召喚していたのか』
「誰かある。無念ある亡霊よ、誰かある」
手を叩いて黒い水溜りの底にいる者達を促す。
呼び声に応じて、更に二人の悪霊、青いのと赤いのが馳せ参じる。
青い方が以前にもダンジョンで呼び声に応じた長髪で、凍結魔法を使っていた女だ。よほど俺と縁が深いのか、恨みや無念が強い女なのだろう。魔法攻撃の威力については申し分ないので当りだろう。
合計で四人の悪霊を従えて、俺は苦々しい表情を隠せていない覆面女を見下ろす。
「何を手間取っている。早く俺を殺さないと際限なく出現が続くぞ?」
次々と戦力を整えていく俺と対峙する覆面女は、気丈に振る舞いながらも額から汗を流す。
『その底知れぬ力。お前は……魔王なのか。顔のない、魔王』