9-4 地下牢講習その一、地理
異世界についてアニッシュから教わる。
最初のトピックは異世界の国家群についてである。魔界から現れる魔族に対して、異世界の人類がどのように対処しているかは気になるところだ。
「魔界と国境を接している人類国家は北方のノーテル、アクビシ、そして中央のナキナ。南方は亜人族の部族が支配している……人類国家は亜人族を人類と規定していないがな。また例外的に、魔界の中にもエルフが国を作っている」
「意外と、少ないのか?」
「二つの山脈が北と南から走っているからである。地形的に人類圏は魔族から守られている訳だが、唯一の例外がナキナである。上下から伸びる山脈の切れ目が丁度ナキナの中央部にある」
ナキナの王都が雪被った山々の隙間、アルプス山脈みたいな場所にある理由も、アニッシュの地理説明により判明した。
「二つの山脈がすり鉢のようになっている。モンスターの大侵攻が起きた際には、今の王都近辺で大渋滞を起こして侵攻が止るのだ」
ようするに安全な僻地を選んで王都を築いたのである。
異世界にまだ伊能忠敬は登場していないようだが――いたとしてもモンスターが危なくて測量できない――、大まかに己が住んでいる大陸を把握している。
異世界の大陸は横に長い楕円形をしており、縦に伸びる二つの山脈に分断されている。人類の生存域は主に大陸の西側だ。東側は魔族の坩堝で探索はまったく進んでいない。
数十の人類国家群の中で、ナキナという国は大陸の中央にある中小国の位だ。
目立った産業はない。山岳地帯に囲まれているため平地は少なく、酪農ぐらいしか誇れるものはない。長野県……いや、岐阜県みたいな国だろうか。
実質は二流国家なのだが、人類が魔族に押し勝っていた貴重な時代は大繁盛したらしい。ナキナを通じて大軍が魔界へと旅立つとなれば、通行料だけでも儲かった事だろう。
だが、ここ数百年間の人類は後退を続けている。山脈の東側に存在したすべてが魔族に落とされてしまった。次に狙われている国は順当にナキナなのだ。
人類が魔界に攻め入ったのとは真逆に、魔族がナキナを通じて人類圏に攻め込もうとしている。
「軍隊は魔族に対抗できているのか?」
「ナキナの兵士は皆精兵ばかり、と見栄を張りたいが難しい」
具体的にナキナが動員できる兵力は後先考えずに一万強。
「国家総動員令を発動して一万か……想像以上に少ない」
「もちろん国民はもっと多いが、レベルアップを経験していない平民を戦場に立たせても酷なだけなのだ。何よりもそれ以上の武具の在庫がない」
忘れていた訳ではないが、異世界にはレベルの概念が存在する。戦える者と戦えない者の差が地球よりも酷いのだ。
「兵士はどの程度のレベルなんだ?」
「軍団にもよるが兵士の平均レベルは10強。これでも高い水準なのだぞ」
レベルの水準が高いという事は、それだけ多くモンスターと戦っている証明だ。レベルの高い者は比較的生き残り易く、新兵は簡単に死んでいく。リアルのレベリングとは命賭けであり、決して簡単なものではない。
「過去起きた数度の魔族侵攻によりレベルの高い兵士は消えていき、ナキナの国土も四割が魔界に取り込まれてしまった。魔界側の国境では今も兵士達がモンスターと戦っているはずだ」
もっと詳しく訊けば、兵士不足が深刻化しているナキナは、魔界側の国境維持に全軍の八割を割いてしまっている状態だった。
この采配は微妙だ。国境を越えてモンスターが雪崩れ込んだ場合、押し返せるだけの予備兵力が残っていない。一つの戦線の崩壊で国が滅んでしまう。
「どうしてまだ滅びない、この国」
「余の祖父、先々代の王がやり手だったとしか言いようがない。祖父の遺産もそろそろ尽きかけている訳であるが、叔母もやり手で……まあ、祖父の娘だから血が濃いのであろう」
苦いのか酸っぱいのか分からない表情をアニッシュは見せた。
叔母、の単語を喋った瞬間だったので何かしらの苦手意識があるのだろうか。俺の凶仮面にも嫌悪感を表さない――怖いとは喚いているが――アニッシュが顔付きを変えるとは、その叔母、かなりの曲者と見た。
まあ、アニッシュの家庭事情は無視しておく。どうせ会う事のない他人である。
アニッシュは真剣に表情を暗めていく。
「他国からの援軍はない。守るよりも、見殺しにして時間を稼ぐ方が利口なのだから仕方がない。ナキナ数万の命で得られる時間はさぞ貴重であろう」
ナキナは僻地だ。大軍にてモンスターを迎撃するには不向きであるが、ナキナの隣でモンスターを待ち構えるには酷く都合が良い。
隣国オリビアではナキナ崩壊を見越して、国力を注いで長城を建築していた。数キロにおよぶ高い壁が扇形に連なっているという。
実のところ長城は完成しているのだが、オリビアは否定している。人類国家すべてを守るための長城を建築中のため、ナキナに援軍を送る余裕はないと人類国家に言い訳し続けている。
難民を丁寧に全員追い返しているのだから城の建築が伸びるのだ、という愚痴はナキナ人の定番だ。
「……お前達は見捨てられたのか」
「人類国家はナキナで生まれし者はナキナで死ねと言いたいのであろうな。知った事ではないし、他国の都合で死ぬのは御免である。が、祖国を守るために命をかけるのは本望であるぞ」
孤立していながら今日まで魔族侵攻を抑えているのだから、ナキナの努力は本物だろう。
そして、王族たるアニッシュも勇者候補としてダンジョンに潜り命を張った。勇者職となって魔族や魔王から国を救おうと願ったのだ。無力な少年には過ぎた無謀だったはずであるが、必要に駆られての行動でもあった。
だが、世の中そんなに甘いのであれば、魔族侵攻など最初から発生していない。
アニッシュは勇者に就けないまま、信頼ある従者を失っておめおめと国に帰ってきた。無力な少年は無力であったと証明されただけ。顔ぐらい暗くなるというものだ。心の内では、王都に戻るのを情けなく思っていたに違いない。
「グウマとスズナを犠牲にしておいて、余がなった職業は何だったのか。『勇敢なる者』? そんな職を余は知らぬ」
==========
●アニッシュ
==========
“●レベル:14”
“ステータス詳細
●力:20 ●守:7 ●速:12”
●魔:32/32”
●運:30”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●勇者固有スキル『諦めない心』
●実績達成スキル『剣術』”
“職業詳細
●勇者《勇敢なる者》”
==========
“『諦めない心』、何度でも立ち上がれる者のスキル。
心折れる状況でも放心できない精神異常ステータスを付与する。
精神、肉体がいくら傷付き衰えたとしても、それこそ死ぬ寸前だったとしても、論理的思考を継続可能”
“実績達成条件。
勇者《勇敢なる者》職に就いてしまう”
==========
「パラメーター成長率を高めるスキルはない。レベルアップ時のパラメーター上昇率も無職よりマシ程度。酷い職業だ。……余は失敗してしまったのだ」
アニッシュが個人情報を明かしながら嘆いてしまった。
アイサのような特別製の目を持っていない限り他人のパラメーターを知る機会など訪れないので、つい、己のパラメーターと比較してしまう。
「確かに勇者というには貧弱な上昇率だ。俺と近いレベルなのに『運』を除いて二倍、三倍の差があるぞ」
「そうだろう。勇者職にさえ就けていれば、『力』『守』は一回のレベルアップで4は上昇するはずだったというのに。今の余の倍近くのパラメーターにはなっていたは……ず?」
==========
●凶鳥
==========
“●レベル:17”
“ステータス詳細
●力:57 ●守:43 ●速:69
●魔:48/48
●運:5”
==========
網膜内に意識を集中していた俺は、アニッシュの怪訝な顔付きを見落とす。
「キョウチョウ。今なんと口走った?」