8-27 地上と地下を繋ぐ螺旋道
第九層から第八層へと続く階段は埋まったままであるが、アニッシュが落ちてきた天井の穴から別の階段が覗いていた。用意してあった隠し階段ではない。迷宮の管理者たるメイズナーが新しく造ったのだという。
「つまり、上ではメイズナーが待ち構えている訳か」
『それは大丈夫だ。メイズナーは討伐済みであるぞ』
「生きて下りてきたぐらいだから、まさか、アニッシュが倒したのか?」
俺を見捨てて第八層に去ったと思えば、アニッシュは俺を助けるために戻ってきた。
事情はまだ詳しく聞いていない。ただ、見捨てた主犯格たるスズナがいない状況から色々と想像できる。
アニッシュを許す許さないの話は、まあ、この際、記憶喪失者らしく忘れてしまおう。今更蒸し返しても落とし所に困る。
『余ではない。メイズナーを討伐したのは余ではないのだが――』
メイズナーを倒したのは誰かという問いに対し、アニッシュは何か悩んでいる。
『――恐らく冒険者の、シャドウという男がメイズナーを倒した』
アニッシュがメイズナーを倒したのでなければ、別の人物が存在するのは当然だ。
とはいえ、意外な答えだ。
「へえ、冒険者が魔王の幹部を倒したのか。俺が知っている異世界人で一番強いのはグウマだったが、世の中上には上がいるものだ」
『強かったのは確かであるが……何と言うか、強さよりも奇妙さが目立つ男であったぞ』
アニッシュは命の恩人を奇妙呼ばわりするような少年ではないはずなのに、シャドウなる人物を奇妙を評した。どんな変人なのやら。
『思い出してみると、どことなくキョウチョウに似ておった。仮面を付けていたからかもしれないが、体格や声質、雰囲気や気配がそっくりだ』
……アニッシュ少年よ。それはつまり、俺も奇妙だと言いたいのか。否定はできないのが悩ましい。
ともかく、その奇妙なそっくりさんがメイズナーを倒したという事実は喜ばしい。俺が倒すべき敵が一体勝手に減ったのである。奇妙なシャドウさんには感謝しきれない。
吸血魔王を討伐した成果、連続レベルアップにより『速』は69。
随分と身軽になった体で、まずは俺が天井の穴に跳び乗った。続けて、冒険の必須道具たるロープを下ろして、皆を引っ張り上げる。
ちなみに、月桂花が何もない空中を歩いていたので少々驚いた。
『魔』の気配がしたので魔法だろう。つまり、月桂花は魔法使いなのか。琴線に触れるものがあるので地上に出てから詳しく訊ねたい。
『……そうだ、忘れない内にキョウチョウに返しておかねば。この箱の精霊に余は助けられた』
階段を上っている最中、ふと、アニッシュが黒い物体を手渡してきた。
何かと思えば、なんて事はないガラケーである。なんて事だ!
「おお、おおおっ! アニッシュ、良くやった!」
預けたままになっていた実績達成携帯だ。地球にいる紙屋優太郎との唯一の通信手段が、無事に手の中に戻ってきてくれた。
木と森と化物共の臭いが立ち込める異世界において、唯一プラスチックな現代社会の香りを俺にもたらしてくれる黒い携帯。この黒い携帯は、この世では命と優太郎の次に大事な物なので、二度と手放してはならない。大事に『暗器』スキルで格納する。
『キョウチョウよ、また機会があれば貸してくれぬか? かの箱精霊の助言がなければ、余はメイズナーに殺されていたに違いない。礼がしたい』
「んん? 箱精霊?」
『可能であれば譲って欲しい。友となるのは厚かましいが、せめて国を挙げて箱精霊カミュータにはナキナの守護精霊の位を――』
「絶対に断る!」
ダンジョンの奥でボスモンスターを倒したからといって、ゲームのように入口までワープできる程に異世界は現実離れしていない。地味に辛い徒歩移動の日々である。
とはいえ、第八層から第四層までの旅路は順調であった。
ダンジョンのそこかしこに冒険者のものと思しき血が付着しており、真新しい戦闘の跡も残されている。だというのに、俺達はモンスターと一切エンカントしなかったのである。第八層を出発して数日、インプもゴブリンも姿を見せない。
酷く不気味であるが、モンスターと出遭わない幸運を怖がっても仕方がないので進んでいる。
『中層は特に戦闘の跡が酷い。何人も死んでいるはず。……師匠達、無事かな』
『アイサ殿も知り合いがいるのか。余もシャドウがどうなったか心配だ。エルフのまじないに幸運をもたらすものがあったら教えてくれないか?』
『おまじないは知らないけど。……歳同じぐらいだし、僕、呼び捨てで良いよ』
吸血魔王との所為で時間を食ったため、俺達は上層中層で起きていた異変に巻き込まれずに済んだのだろう。危険を回避できたのが魔王のお陰というのは皮肉だ。
ダンジョン内の異変の理由は察しが付く。
魔王連合は既に蜂起した。世界征服の野望実現、人類圏の侵攻を開始したのだ。さしあたって、迷宮魔王の居城をうろつく冒険者を一掃したに違いない。
偶発的にエンカウントするだけであったモンスターが組織的に冒険者を襲ったとなれば、生還率は絶望的な数値となるだろう。俺達の今後によっては、生還率は更に下がる。
地上は一体、どうなっているのか想像できない。
『ナキナ国と森の種族は秘密協定で結ばれている。こちらが呼び捨てならば、アイサも余を呼び捨てで呼ぶが良い』
会話がない訳ではないはずなのに、誰も触れようとしなかった。
「見覚えのある場所まで戻ってきたか」
こうして、俺達は第四層に到着する。深層と比べて単純な構造の石レンガ迷宮。ようやく第九層に落下する前の階層まで戻ってきたのである。
とはいえ、達成感や安堵感は一切ない。地上まではまだまだ長い。
モンスターの気配が消えた、無人の迷宮区を抜けていく。
「……いくらなんでもおかしい。第九層から三日は過ぎているのに、モンスターはどこに消えた?」
モンスター共はどこに消えてしまったのか。地上へと進軍したのは分かっているが、ゴブリン一匹姿を見せないのは異常事態だ。
ダンジョンの複雑な構造は冒険者の苦痛の種である。が、それはモンスター共も同じはず。
特別、大群での移動となれば大問題だ。無駄に多い曲がり角により渋滞が発生する。一層一日かかりの道のりを、種族もレベルも知能も違うモンスターが揃って踏破できたとは考え辛い。
『迷宮内にはモンスターの隠れ家があります。魔王を恐れて逃げ込んでいるとか』
「リセリの案が最もらしいが、それだけだろうか」
モンスター不在の理由に俺達が気付いたのは、第四層の終盤である。
第四層の終盤とはつまり、第三層へと続く階段間近である。階段下の広場には宿営地が設けられていた。冒険者が集まって酒を飲み、商売人からダンジョン価格の高い料理を食い、焚き火を中心に寝入っていた。
……たぶん、この辺りが宿営地だったのだろう。
「宿営地どころか、階段も何もない。この巨大な縦穴は、何だ!!」
ダンジョンが、区画ごと抉られていた。
横幅が百メートルにはなろうかという縦穴が突如眼前に現れたのである。巨大過ぎる円柱の空洞。核心を持って言えるが、スカイツリーが数本、すっぽりと収まってしまうだろう。
縁から顔を出して上を見上げれば、小さな光が見える。地上の光だ。
縁から首を出して下を見下ろせば、真っ暗闇で何も見えない。きっと、俺達が数日かけて上った深層まで続いている。
巨大ゆえ背景と化してしまい即座に分からなかったが、縦穴の内壁は螺旋型のスロープになっているようだ。
「足跡が複数……消えたモンスター共が掘って作った、訳じゃないよな」
「ダンジョンは迷宮魔王そのもの、手足そのものです。構造を変えて、地上への直通路を造るぐらい容易でしょう」
縦穴を造ったのは迷宮魔王であると、月桂花が教えてくれる。物知りな女性である。
迷宮魔王はダンジョン内のモンスターを総動員するために、道を造った。道のりの長さに眩暈がしてしまうが、それでも、迷宮を歩くよりは断然早く地上へと到着できる。迷宮魔王の本気具合が覗える。
「迷宮の造り替えは自由自在。となれば、将来的に迷宮魔王を倒すためにダンジョンに入るのは危険だな」
「心配し過ぎる必要はありませんわ。人間が髪の中に入った小さなノミ虫に気付かないように、迷宮魔王も数名の侵入には気付けません」
せっかく地上までのショートカットコースがあるのだから、俺達も使わない手はない。というか、第三層への階段が消えてしまっているので、この巨大縦穴を上るしかない。
だが、それは多少以上に無用心だろうか。
足底に震えが伝わっているのだから、その瞬間に逃げ出すべきだったのだろうか。
スロープの下方から、振動が近づいてきている。
『キョウチョウッ、下から大群が迫っている!』
森育ちで狩猟民族でもあるアイサが、視力を生かして振動の正体に気付く。
縦穴の反対側に土煙が広がっており、煙の合間に見えるのは大型モンスターの集団だ。遠くからでも体の形が分かるので、大きさは最低でもサイ、標準でもゾウぐらいだろう。集団の総数は、気分が暗くなるので数えたくない。
早く地上に戻りたいが、モンスターの群れが接近しているとなれば退避優先である。
声を出すのも既にマズい距離だ。迷宮区に引き返そうとアイサ、月桂花、リセリと頷き合う。が、アニッシュだけは頷かずに硬直してしまっている。
『そ、そ、そこにっ、いる』
スロープの縁から目を離さず、アニッシュは声を絞り出す。
『透明な奴が、いるのだっ!』
アニッシュの視線を追って見えるが何も見えない。『魔』の気配も勿論探しているが発見できない。
けれども、ソイツが巨大な目を瞬きしたから気付いた。直後、騙し絵に気付くようにソイツの全貌が見えてくる。
透明な体の化物が、縁から顔を出して俺達を観察していた。顔の大きさだけで軽自動車並みで、左右の目が別々に動いている。
正体がバレたと察知したのか、ソイツは透明化を解除する。
着色が始まり、濃い緑色で染まっていく。鱗で覆われた皮膚。全体的にはトカゲと変わらない。異世界なのでドラゴンかもしれないが、どちらにせよ爬虫類だ。いや、地球に類縁種が生息しているので、透明でなくなれば見間違いようがないか。
クリクリと動く目が珍妙な、ソイツの正体は――。
「カメレオン!!」
腹が減ったため、スロープを伝わず壁を登って先行してきたのだろう。巨大カメレオンが俺達を食べ物か否かを吟味して、口の中で長い舌を動かしている。
「全員下手に動いて刺激するなッ!」
今、優太郎に電話できたなら、肉食カメレオンは動く生餌しか食わないから正しい行動だ、と賛同してくれるかもしれない。
だが、下からモンスターの大群が迫っている中の停止が果たして正しいのか。
逡巡している間に、いつの間にか、群れの先頭集団が目と鼻の先に迫っていた。
どいつもこいつも馬鹿でかい化物共だ。人間なんて簡単に飲み込める。
体が大きいで統一されている一方で、単一種族で構成された群れではないらしい。爬虫類型モンスターが六割、哺乳類型モンスターが三割。歩幅も足の本数も違う混成部隊のため、先頭から最後尾まで集団が広く長く伸びていた。
「可愛い子供達。足を止めてどうしたの」
ちなみに、集団の一割に満たないが例外も存在する。
たとえば、オオトカゲ型モンスターの上に敷いた紫色の絨毯。……そこに寝そべる悩ましい体付きの女が例外だ。
「あら、冒険者の逃げ遅れがまだ生き残っていたのね」
女の下半身は、鱗で覆われているので人間族と見間違える事はなかったが。
見間違えていないというのに、俺は女から目を離せずに甘い味の唾を飲み込んでしまう。
「可哀想な冒険者達。どうしましょう?」
「お前は――、『淫らな夜の怪女』淫魔王ッ!?」