8-11 現場に戻る
「あー、これは無理だな」
出口の光が見えなかったので薄々気付いていたが、中腹ぐらいまで階段を上って目視できた。階段が埋まっている。テ○リスなら完全消去できるぐらいに瓦礫で隙間ない。
俺達は第九層に閉じ込められた。
『キョウチョウ。暗くない?』
「暗いと思うのに付いてくるんだよな、アイサは」
巨大な蛇やワニといった化物が出口を塞いでいるのなら工夫できた。が、物理的に封じられると知恵の絞りようがない。超常識的な力を用いられるよりも、個人的には土木工作の方が対処し辛い。
瓦礫を吹っ飛ばせそうな悪霊を呼び出すのも手段だろう。ただし、呼び出せるだけで制御不能なのが問題である。『動け死体』スキルの研鑽が足りないのだろうか。
それに仮面を付け直したばかりで、また外すのもどうかと思う。
階段から上層への脱出を素直に諦めて、第九層のホールへと戻る。
さて、早速だが詰んだ。
「広いダンジョンなら別の階段もあるだろうが……探す前に干からびる」
『どうしたの?』
「水がないんだ。水筒が入っていたリュックサックを、吸血魔王から逃げる時に置き去りにしていたから、最低限の手持ち分しか残っていない」
ダンジョンで遭難しておいて致命的な事に、水がない。グウマより支給されていた腰の竹筒には、振った感じニ百ミリリットルも残っていないだろう。
ちなみに、竹筒の中身は真水ではなく酒である。酒でも飲んで気を紛らせろという心意気ではなく、酒が腐らないからだ。利尿作用とかで脱水しそうな気がしなくもない。
対策はないものかと、アイサと話し合う。異世界語と日本語、それぞれ別々の言語で会話しているのに、なんとなく意味は通じるものだ。
『ごめん、人間族の体系魔法はまだ勉強中だから水は作れない』
「ん、エルフは精霊魔法だろ?」
『僕は魔法使いになったんだ。親切な人達に魔法を教えてもらっていたら、魔法使い職になっていた』
水はアイサが持参していてくれた。
ただし、一日分、大事に飲んでも二日だろう。魔王と普通にエンカウントする隠しダンジョンみたいな場所に二日もいたいとは思わないが。
『まだ見習いだけど、魔法使いは天職だと思う。キョウチョウの『祟り(?)』のお陰で『魔』が増えている』
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“『祟り(?)』、おぞましい存在の反感を買った愚者を証明するスキル。
無謀にも神秘性の高い最上位種族や高位魔族に手を出して、目を付けられてしまった。本スキルはその証である。
スキル効果は祟りの元である存在により千差万別。
本スキルについては次の通り。
一つ、スキル所持者の『魔』『運』に対して、祟り元の存在の『魔』『運』が加算される。
一つ、お互いの位置関係が感知できるようになる”
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“●レベル:18”
“ステータス詳細
●力:13 守:8 速:8
●魔:54/54 = 42 + 12
●運:1520 = 20 + 1500”
“職業詳細
●魔法使い(Dランク)”
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それはそうと、なんだか急にアイサの魅力が増したような。
アイサとはいえば顔付きが幼く、女としての伸び代を残している子だったはずだ。エルフにしては綺麗というよりも可愛いという印象が強い子だったのだ。
それが今はどうだろう。アイサの碧眼は愛嬌を振り撒いているだけではない。俺が目に吸い込まれてしまいそうな。ぼうっとしていると、手が勝手にアイサへと伸びてしまう。
それに、アイサは内面も成長した。俺がせっかく置いてきたのに、ダンジョンまで追っていた。可愛いだけでいるのを、アイサは辞めたのだ。
エルフ三日会わざれば刮目して見よ。これが異世界か。
『足手まといになるつもりはないから、もう置いていかないでよ』
「凶鳥に付き纏うとは、アイサもつくづく物好きなエルフだ」
背の低いアイサの頭が撫で易いから。
撫でられるアイサは、花のような笑顔を見せてくれた。
ダンジョンの難易度の異常上昇。魔王連合が動き始めたとみて間違いない。
魔王連合の軍団の規模は?
参加している魔王の数は?
最初に狙われている国は?
せっかく迷宮魔王の要所に潜り込んでいるのだから、可能な限り情報を集めておきたい。
だが、今回は止めておこう。生きて地上へと脱出するのが最優先目標だ。たった一人見捨てられた俺に余力はない。アイサと合流できて精神面は安定したが、危機を脱した訳ではない。
「危険だが道を戻る。少し先に、全滅したパーティの遺品が残されている。第九層の地図を入手するのが目的だ。最悪でも、食料や水も確保できる」
一日歩いても制覇できない程に巨大なダンジョンだ。必ず他にも道があるだろう。
『遺品に手を出すのは抵抗があるけれど、緊急時だから仕方がないんだよね』
「アイサを見ていると、ダンジョンの常識に俺が毒されていると分かるな」
第九層を単独攻略していたリセリパーティ。彼女等が地図を所持していたのは、傍で見ていた。
来た道を戻る徒労感はある。
何より、吸血魔王とまた遭遇してしまうリスクもある。
吸血魔王の爪で裂かれた死体を漁らなければならない。この抵抗感を覚える必要がないのが救いだろう。死人を悪く言いたくはないが、リセリは俺を捨てた奴等の知り合いだった。心を痛めなくても良い人間だ。
アイサを連れてホールから出て行く。走りながら過ぎ去った道なので記憶は曖昧だ。目的地直前の道は崩落しているので、迂回路があれば良いのだが。
そんな不安を顔に出さず、きびきびと薄気味悪い地下道を戻っていく。『運』が1500もあって到着できないのならば、素直に諦めるしかない。
こうして、歩くだけの単調な三時間は過ぎただろうか。生臭さに鼻が反応する前に、犬歯が疼いた。『吸血鬼化』スキルが発動したのだ。鮫はプールに一滴血を垂らしても反応するというが、吸血鬼も似た様なもので空気中に漂う血の成分に興奮している。
血に対する欲求を『破産』スキルで抑制しながら、アイサに注意を促す。
「そろそろ目的地だ。蝙蝠を見かけたら、魔王だと思え」
目を凝らして天井を確認する。吸血魔王の分体たる蝙蝠はいない。留まってはいないとは予想していたが、実際に見るまでは安心できなかった。吸血魔王の攻略方法は思い付いていなかったので嘆息する。
けれども安心はできない。
死体しか転がっていない現場から……物音が聞こえた。
水の音だ。ずるずると何かを啜る水音。ぽたぽたと地面に零れる音。
底のない杓子で水を掬い続けているような徒労を擬音化したならば、きっと、こんな空しい水音が響くのだろう。
『モンスター?!』
「一体だけだ。探ってくる」
『暗躍』で気配を消して水音の正体を探りに出向く。
何かが地面近くに存在しているのは見えているが、もっと近くに寄らないと確証を持てない。見間違いの可能性を捨て切れない。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
地面に転がる死体から流れ切った、泥水みたいな血を行儀悪く啜っている。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
不味い血を飲んでは吐き戻し、飲んでは吐き戻し。どちらにせよ、生血でなければ喉の渇きは癒えないのに、無意味な代償行為だ。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
死体に手を伸ばして直接喉に歯を立てても、やっぱり無駄だ。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
ずるずる、ぼたぼた、ずるずる、ぼたぼた。
ぽた。
死んだ仲間の喉に噛み付きながら、彼女は垂れ涙を流していた。
『――血、血、血。喉が痛い。痛い。心も痛い。血がぁ』
俺は『暗躍』を解除して、彼女の前に立つ。
服をドス黒い色に染めた彼女の名は……リセリだ。