二日目
「きゃああああ!!誰か!誰か来て!」
女の子の声がする。
美沙は、目を覚ました。
隣りを見たが、博正はもう居なかった。
きっと、4時が近くなって、部屋へと戻って行ったのだろう。
昨夜のことを詳しく聞きたかったが、昼間は離れて居なければならない。
急に博正との距離が縮まって、美沙はためらっていた。今まで、そんな風に思っていなかった、傷つくのが嫌で思ってはいけないと思っていた美沙が、初めて博正を、一人の男の子として見るようになったのだ。
「ああ誰か!」
まだ、叫び声は続いている。
美沙は、起き上がると上着を羽織って戸へと向かった。
去り際に時計を見ると、まだ5時を過ぎたところだった。
廊下へ出ると、もう何人かの人達が着替えもそこそこに出て来て、かなり階段に近い方の部屋の前に集まって行っていた。
あれは、もしかして恵の部屋の方…。
美沙の脳裏に、嫌な予感が過ぎった。昨日、博正はあんなに憔悴していたのではなかったか。もしかして、襲撃って…。
見ると、亜里沙が目を真っ赤にして立っている。綾香が、その肩を抱いていた。美沙がそこへ到着して、何があったのかと聞こうとすると、中から真司と京介、大樹が出て来て、首を振った。
「駄目だ。もう、とっくに死んでる。」
「ええ?!」
美沙は、思わず叫んで中を覗き込んだ。鉄のような、動物的な不快な臭いが鼻につく。この臭いには、覚えがある…昨夜、博正の髪から微かに香った、臭い。
血の、臭いだ。
ベッドは、血の海だった。
その真ん中に大の字をかいた状態で、恵は倒れていた。不思議なことに、それだけの血が流れているのに、体の損傷は少なかった。
首の辺りが、激しく真っ赤なのを見ると、どうやらそこを傷つけたらしい。
だが、不思議なことに、防御創は全くなかった。
「う…!」
美沙は、吐き気を覚えて顔を背けた。
「昨日眠れなくて、それで」亜里沙が、しゃくり上げながら言った。「朝になって、鍵が開いて、何か飲むものをって思って、出て来たら、恵の部屋の、扉が開いてて…」
亜里沙は、そこまで言って、泣き伏した。綾香が、それを悲痛な面持ちで見ながら、肩を抱くてに力を入れた。
「さあ、あなたはここに居ちゃいけないわ。下へ。」
綾香はそのまま、亜里沙を引きずるようにして、階下へと歩いて行く。
「じゃあ…シーツを、掛けておいてやるか。」
真司が、隣りの大樹に言う。すると、呆然としていた伸吾が、狂ったように叫び出した。
「な、なんだってそんなに、落ち着いてるんだよ!死んだんだぞ?!殺されたんだ!人狼の襲撃だ!本当に殺されるんだ!生きて出られないんだ!!」
伸吾は、走り出した。
「伸吾!」真司が、京介に言った。「駄目だ、追いかけてくれ!」
京介は頷いて、駆け出した。その後には、翔も博正もついて走って行く。
大樹が、恵の部屋のクローゼットから新しいシーツを出して、真司に言った。
「これで、分かったな。命の保証はない。」
真司は、険しい顔のまま、頷いた。
「その通りだ。追放されたヤツは分からないが、少なくても人狼に襲撃されたら、死ぬ。」
女子達は、かなり離れた場所に固まって立って、震えていた。美沙は、まだ血の臭いにむせ返り、吐き気と戦っていた。
真司が、そんな様子に気付いて、光と武に言った。
「…二人で、女子達を下へ連れてってやってくれ。オレと大樹で、恵にシーツを掛けてやってから、下へ行くから。」
二人は、まだショックを受けているようだったが、頷くと6人の女子を促して階段を降りて行く。
大樹と真司は、二人で黙々と恵の腕を胸の前に揃えてやり、シーツで包んでやった。
一方、伸吾は何やら言葉にならないことを叫びながら、正面玄関のガラス扉を押し開いて外へ飛び出し、高い塀についているあの、金属の大扉へと向かって走った。
「待て!伸吾、無駄だ!それは開かない!」
京介が叫んで追いかける。
伸吾は、大扉に体当たりした。
「開けろ!オレは帰る、オレは帰るんだ!もう人狼ゲームなんてしない!もう降りる!」
大扉は、びくともしない。
だが、伸吾は何度も扉に体当たりした。額からは血が流れ、口の中を切ったのか唇の端から血が流れている。翔が叫んだ。
「伸吾!そんなことをしても駄目だ!怪我するだけだって!」
「うるさい!オレは帰るんだ!殺されるんだぞ?!こんな所は真っ平だ!」
「伸吾…。」
京介が、同情したように立ち尽くしている。博正が、進み出て言った。
「伸吾、わかったから。」博正は、伸吾を、後ろから抱きしめた。「分かったから…もう、やめろ。帰る前に、それじゃあ死んじまうぞ。」
それを聞いて、伸吾は博正を見た。そうして、見る見る涙を溢れさせた。
「オレ…オレは、ただ父さんや母さんに、何かプレゼントしてやりたいって思っただけなんだ。だから、ここへ来ただけ。たくさん稼げたら、絶対、喜ぶって思ったから…。」
博正は、頷いた。
「分かってる。みんなそうだ。何かしら背負って来てるんだ。生きて帰ろう。大丈夫だ、狩人がまだ残ってるかもしれないじゃないか。早く人狼を吊ってしまおう。それで、これを終わらせて、帰るんだ。」
「博正…。」
伸吾は、わあっと泣き崩れた。博正は、そんな伸吾を支えながら、目で翔に頷き掛けた。翔が、進み出て手を貸し、二人で引きずるようにして、伸吾を運んで行った。
京介は、ただそれを、呆然と見送って、自分もとぼとぼと建物の中へと歩いて行ったのだった。
昼近くなり、亜里沙と伸吾を除く皆が、リビングへと集まっていた。
亜里沙は、綾香になだめられて、やっと自分の部屋で眠ったのだという。
恋人の死が、かなり堪えたのだろう。
だが、恵の死はそこに居る全員に堪えていた。
京介でさえ、言葉少なになっている。修羅場を見てもとりあえず何とか正気を保っていられるのは、伸吾の取り乱す姿を見たからだった。
あれを見て、取り乱したところで、状況は変わらない、と、逆に冷静になれたのだ。
真司が、言った。
「…ショックなのは誰も同じだが、この状況で何とか生き残る術を見つけるためには、何か考えなきゃいけない。それで、これまでのところのことをまとめたい。」
みんなは、ソファに座ったまま、濁った視線を真司に向けた。まだ、ショックから立ち直っていないようだ。当然といえば当然だった…同じことが、自分にも起こるかもしれないのだ。
だが、大樹が気丈に顔を上げて言った。
「その通りだ。ここでショックだからとぼけっとしてたら、死ぬしかない。生き残るためには、しっかり状況を把握しなきゃな。」
それを聞いて、みんな幾分目に力が戻った。
それを見てから、真司が言った。
「オレと大樹が見たところ、恵は寝ているところを襲撃されたらしい。手には防御創も無く、目も閉じたまま、暴れた様子も全くない。シーツも全く乱れが無かった。本人は、死んだことも気付いていないかもしれない。」
綾香が、少しホッとしたように息をついた。
「なら、恐怖を感じることも、苦しむことも無かったのね。」
大樹が、頷いた。
「無かっただろうな。だが人狼の襲撃だとしたら、妙なことがある…恵の首の傷は、明らかに何かの獣に食い千切られた痕のようだった。」
美沙が、驚いたように大樹を見た。
「え…獣?」
大樹は、頷いた。
「そうだ。人狼って言っても、人だ。恐らくは、この中に居るんだろうが、こうやってここへ集められただけの人が、いきなり人狼のカードを引き当てたからって、あんなことが出来るか?大きな犬にでも噛ませたのか。とにかく、刃物ですっぱり行ったんじゃない。噛み痕があった。それも、一撃だろうな。」
美沙は、少しホッとした。だったら、博正がやったんじゃない。博正はきっと、入力しただけで、それで、それを見た管理者達が、獣か何かを部屋へ放って…。
京介が、幾分青かった顔色を戻して来て、口を開いた。
「じゃあ、ここに人殺しが居るんじゃなくて、襲撃先として入力したのを、管理者が何かの獣にでも襲わせたってことか?」
真司が、顔をしかめて首をかしげた。
「分からない。だが、その可能性は高い。あんな殺し方は、人間には出来ない。」
みんな、口をつぐむ。だからって、どうしようもない。今日もまた夜が来て、そうして人狼陣営は自分が追放されないようにと番号を入力する。そうして、また犠牲者が出るのかもしれない…。
光が、言った。
「じゃあ、人狼を吊って早くゲームを終わらせないと!昨日の、占いの結果を言うよ。」
麻美が、パッと明るい顔をした。
「ああそうよ!占い師が居た!それで、昨日は誰を占ったの?」
光は、真司を指差した。
「約束通り、真司さんだよ。」
京介が、顔を険しくした。
「それで、どうだった?」
美沙は、ゴクリと唾を飲み込んだ。博正も、少し目を細めてじっと光を見る。光は、答えた。
「白。真司さんは、村人だよ。」
偽だ。
美沙は、その瞬間思った。
光は、狐か狂人なのだ。
ということは、まだ真占い師が居る。
それが恵でない限り、まだ真占い師は生きている。
だが、潜伏しているのだ。恐らくは、人狼を引き当てるまで、黙っているつもりなのだろう。
狩人が生きているのか分からない今、それは妥当に思えた。
だが、このままでは人狼である真司を白と判定している今、村人にとって、このまま潜伏しているのはリスクが伴う。
その情報のままに、投票するだろうからだ。
京介が、言った。
「それはまあ、村人だって分かって安心したが、人狼を見つけるのが先だろう。白を見つけて喜んでる場合じゃない。」
光は、ぷうっと頬を膨らませた。
「じゃあ、誰だと思う?言ってくれたら、今夜占うよ。」
京介は、皆を見回した。
「うーん…誰か、占って欲しいって言うやつは居るか?」
美沙は、手を上げた。
「私、占ってもらっていいです。白判定してもらったら、吊られる心配ないし。」
京介は、顔をしかめた。
「気持ちは分かるが、村人特定しても仕方がないんだよ。今の話を聞いてたか?少なくても、君は後回し決定だな。」
「えー?!」
美沙は、言いながら心の中でほくそえんだ。光になら、占われても大丈夫だって思ったけど、ハッタリかましてみて、良かったかも。
博正が、微かに口元を緩めたのが見えた。美沙は、見えないふりをして、心の中で親指を上げたポーズをとっていた。
京介は、じっと黙っている武を見た。
「じゃあ、武かな。ずっとだんまりだし、あんまり話しに入って来ない。今夜吊ってもいいかも…。」
みんな、一斉に武の方を見る。武は、急にみんなの視線を受けて、居心地悪そうにしたが、ふーっと長い息を吐いた。そして、言った。
「…本当に、京介さんに死んでもらいたいよ。だが、仕方ない。いつか出なきゃならなかったし。本当は、人狼を見つけてからにしようと思っていたんだけど。」
それを聞いて、美沙は息を飲んだ。もしかして…。
みんなが、固唾を飲む。武は、頷いた。
「オレは、占い師だ。昨夜占ったのは、光。占い師を騙ったからだ。だが、光は白だった。」
…狂人か。
博正と真司が、サッと視線を交わしたのが見えた。
美沙も、確信した…占われても、呪殺されなかった。なのに白。だから、光は狂人だ。
光は、武を睨んだ。
「吊られそうになってから出るなんて、嘘でしかないよね。信じろっていう方が難しい。出るなら始めから出たらよかったのに。君が人狼なんじゃないの?」
すると、隣りの綾香が驚いたように身を退いた。
「そういえば…あんた、全然動じてなかったわよね。あの、恵さんを見つけてみんなで騒いでた時。」
武は、綾香を睨んだ。
「だからなんだ?伸吾があれだけ暴れて、亜里沙さんがあれだけ泣いてりゃあ、嫌でも冷静になる。」
「まあ、待て。」京介が、言った。「それで、他に占い師は居ないか?ここまで出て来たんだ、これ以後出て来たら、みんな偽と扱うぞ。自分が占い師だってヤツは、今出るんだ。」
みんなは、顔を見合わせる。
美沙も、狂人が出てくれている以上、無駄に出て吊られるリスクは避けようと黙っていた。同じように、真司も博正も黙ってみんなを見回していた。
京介は、頷いた。
「じゃあ、この二人が占い師候補だ。どっちが真か分からないんだから、そうなる。」と、二人を見た。「今夜は、この二人は吊らないで置こう。明日までに、黒判定を出してもらうしかないからな。それで、どっちが黒を出しても、とにかく吊るしかない。そうして、霊能者に判定してもらうんだ。」
「それまでに、霊能者が生き残ってたらだけどね。」
翔が、力なく言う。綾香が、脅えたように言った。
「確かに…霊能者ってまだ生きてるの?狩人だって…占い師が二人も出てきちゃって、どっちかが本物なのに、殺されちゃう可能性だってあるでしょう。もしも、狩人がもう居なかったら、人狼は襲撃し放題よ?」
武が、顔をしかめた。
「だから、オレだって出たくなかったんだ。それなのに、こんな風に吊られそうになって。これで村人陣営が負けたら、京介さんのせいだと思うぞ。あっちこっちカミングアウトさせて、何が共有者だ。何の力もないくせに、さっさと何でも決めようとしやがって。そろそろ相方も出さなきゃやばいんじゃないか?人狼の餌食になるぞ。ま、どっちにしても、なるだろうけどな。」
京介は、赤い顔をして、ぶるぶると震えた。青くなったり赤くなったり、忙しい人だなあと美沙は思った。
「なんだ…お前まで!オレだって、考えてる!考えてるが、追いつかないんだ!だったら、好きにすればいい!オレの相方は、ほずみちゃんだ。もう、話し合いは終わりだ!」
京介は、そう言い放つと、さっさと立ち上がって、その場を出て行った。
名前を言われたほずみは、皆の視線を受けて、恥ずかしげに頷いた。
「はい…あの、私が、もう一人の共有者です。」
皆は頷いたが、気持ちは沈んだ。
こんなところで分裂している場合じゃないのに、と、美沙は村人陣営ではないのに、心配になった。




