嫉妬
美沙と博正は、母親同士が仲が良かったのもあって、実は幼稚園に上がる前からずっと一緒だった。
幼稚園も、なので同じ幼稚園に決められた、というのもある。
気がついたら横に居て、ずっと一緒に来た。
なので、兄弟のような感覚でいた。
そうやって過ごしていたある日、いつものように二人で小学校への道を歩いていると、一人の女の子が駆けて来て、二人に元気に挨拶をした。
「おはよう!」
美沙は、びっくりして振り返った。
そこに居たのは、とても可愛らしい、見るからに明るい女の子だった。
「私、神田美穂。最近引っ越して来たの。あなたは?」
美沙は、急いで答えた。
「わ、私は海野美沙。」
隣りで、博正が答えた。
「ボクは、田代博正。」
美穂は、明るく笑った。
「私、まだ一緒に行くお友達がいないの。ねえ、一緒に行ってもいい?」
美沙は、ためらった。今まで、博正以外と一緒に居たことが無かったからだ。
でも、博正はすぐに頷いた。
「いいよ!一緒に行こう。いつもこれぐらいの時間だから。」
美沙は、驚いて博正を見た。博正は、もう美穂しか見ていなかった。
「わあ、ありがとう!うれしいな、お友達が出来た!」
そうして、その日から毎日、三人で登校することになった。
それからいつも、途中で美穂が合流した。
そしてそのたびに、美沙は二人から、一歩遅れて歩くことになった。
そうして、二人が楽しそうに並んで話しながら歩くのを、ただ黙ってついて行くことしか出来なくなった。
そんなある日、博正が言った。
「ねえ美沙、美沙も、美穂と話してみなよ。きっと仲良くなれるよ?すっごくいい子なんだ。美沙は引っ込み思案だけど、あの子はすごく明るくって楽しい子だよ。」
美沙は、ショックを受けた。
博正は、自分を引っ込み思案だと思っていたのだ。
そして、美穂は明るくて楽しい子だから、美穂の方がいいんだ。
「…私、もう博正と一緒に行かない。」美沙は、いきなり言った。「私、あの子がいい子だなんて思わない。一緒に行くの嫌だったんだ。だから、博正とはもう、一緒に行かないから。あの子と行って。」
そう言って、美沙はまだ何か叫んでいた博正をほったらかしにして、家へと逃げ帰ってしまった。
どうしたことか、それから数日、美沙は熱を出して学校を休んでしまった。
だが、美沙はちょうどいいと思っていた…何となく、道で博正に会ってしまったら気まずかったからだ。
一週間ほどして、やっと体から風邪が抜けたかな、と登校したら、美穂はもう、居なかった。
先生から聞いたところによると、登校時に事故に合い、そのまま入院しているのだという。
また、一人になった博正が、また一緒に行こうと言って来たけど、美沙は断った。
そうして、博正とは少し距離を置いて、その出来事は胸の奥に封印したまま、ここまで来てしまったのだった。
杏子は、あの、美穂にそっくりなのだ。
美沙は思いあたった。
だから、最初から嫌な気がした。また、あんな思いをしなければならないのかと、心の防御本能なのだろう。
博正のことは、好きじゃないと思っていた。
でも、きっと小学生の時の私は、好きだった。
今も、もしかしたら好きなのかもしれない。
私は、美穂に嫉妬していたのだ。
博正は、きっと杏子がいいのだ。
杏子は、明るくて、美穂みたいで、好みなのだ。
そう思うと、心の底から、どず黒い思いがわき上がって来る。
…杏子に、投票しよう。
美沙は、思った。
自分にこんな思いを思い出させた、杏子を追放しなければ、私も冷静に人狼として生き残れない。
博正と一緒に、生き残れない…。
もしかして今夜は、吊れないかもしれない。
でも、杏子に投票しよう。
「…シャッターが閉まって来た。」
誰かの声がそう言って、美沙はハッと我に返った。
窓の外に、白いシャッターが下りて来る。
時間は、8時55分だった。
9時の、投票時間に合わせているのだろうか。
「あと5分。」真司の声が言った。「みんな、心の準備をした方がいい。」
そう言った真司は、腕輪を自分の前になるように持って来て、じっと構えている。
美沙も、それに倣った。
杏子は、自分の隣り。番号は、2…。
みんな、黙って同じ姿勢で腕輪を見つめ、キーを押すための指を構えて、じっと待っている。
シンと静まり返ったその時間が、美沙には物凄く長く感じた。
よく考えると、あれほど海が近いのに、潮騒すら聴こえて来ない。
ここの防音設備の良さに、美沙は不安を感じていた。
『投票、10秒前。』
いきなり、何の呼び出し音も無く、腕輪から声がした。皆が、飛び上がるほど驚いた顔をした。
『9、8、7、』
感情のない声が、カウントダウンを始める。美沙は、自分が冷や汗を流していることに気が付いた。これほど緊張するのは、初めてだ。
『2、1、0。投票してください。』
美沙は、2のキーを押してから、0を押した。三回押さなければならないのに、焦って連打してしまい、腕輪が不快な電子音を鳴らす。
『もう一度お願い致します。』
あちこちで、同じような声が聴こえる。美沙は、必死にやり直した。落ち着かなければ…2、の次は、0を三回。三回だけ。
『受け付けました。』
美沙の腕輪が言う。途端に、ホッと力が抜けた。
しかし、まだ投票は終わっていなかった。顔を上げると、ほとんどの人が同じように顔を上げているにも関わらず、伸吾がまだ腕輪と格闘していた。
『もう一度お願い致します。』
機械的な声が言っている。
隣りの光と綾香が、身を乗り出している。
「落ち着け、伸吾!0はゆっくり押すんだ、でないとエラーが出る!」
テレビの画面が付いた。
『投票終了まで、あと10秒。』
画面に、カウントダウンの数字が現れている。
「時間が無いわ!」
綾香が、伸吾の腕輪を引っ張った。
「相手の番号押しなさい!」
伸吾は、番号を押した。一回だったので、一桁の誰かだ。
「0を三回!」綾香は、伸吾の指を掴んだ。「1、2、3!」
『受け付けました。』
『投票終了です。』
ほぼ同時に、テレビのカウントが0になり、画面が暗転した。光も綾香も伸吾も、はーっと椅子にもたれかかる。
ぎりぎりだった…。
美沙は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
最初は、誰でもてんぱるかもしれないが、伸吾のようにパニックに近い状態になっては、このゲームでは命取りだ。
『結果です。』
テレビが言う。急いで画面を見上げると、数字と数字の間に矢印が並ぶ横に、大きく最多得票の数字が現れた。
…2。
美沙は、目を疑った。
急いで数字と矢印の方を見ると、
1→2
つまり、美沙が杏子に投票したのが分かる。
続いて、
2(杏子)→4(真司)
3(大樹)→16(ほずみ)
4(真司)→2(杏子)
5(武)→9(京介)
6(博正)→2(杏子)
7(亜里沙)→12(伸吾)
8(恵)→16(ほずみ)
9(京介)→4(真司)
10(奈々美)→8(恵)
11(綾香)→9(京介)
12(伸吾)→4(真司)
13(光)→9(京介)
14(翔)→3(大樹)
15(梓)→3(大樹)
16(ほずみ)→4(真司)
17(麻美)→2(杏子)
18(美鈴)→2(杏子)
杏子、京介、伸吾、ほずみの4人が真司に、武、綾香、光の三人が京介に、翔、梓が大樹に、大樹、恵がほずみに、亜里沙が伸吾に、奈々美が恵にそれぞれ投票しているのが分かる。美沙、真司、麻美、美鈴、そして博正の5人が、杏子に投票していた。
「え…え…どうして…?」
杏子は、いつもの明るさなど微塵も感じさせない動揺した風でみんなを見回し、そして博正を見た。博正は、じっと黙って無表情に見返している。美沙は、その顔にぞっとした。
『それでは、№2を追放致します。』
ぱっ、と照明が消えた。
シャッターが閉まっているので、月明かりも入らず何も見えない。
美沙はパニックになって叫び出しそうになったが、声が出かけた時に隣りからガチャン、という重い機械音がして驚いて声を飲み込んだ。続いて断末魔のような叫び声が聴こえ、どこか下の方へと遠ざかって行くように聴こえた。
「なに?!何が起こってるのよ!」
綾香の悲鳴のような声がする。
するとまた、パッ、と照明が着いた。
隣りに、杏子は居なかった。
正確には、椅子ごと元から無かったかのように、きれいに消えていた。
「きょ、杏子…」
奈々美が、消え入るような声で言う。テレビからの声が言った。
『№2は、追放されました。ゲーム終了時に勝利陣営の側ならば、戻って来ることが出来ます。それでは、これから夜に備えてください。』
音声は、聞こえなくなった。
テレビの画面は、そのままになっている。
投票結果が、表示されたままだった。