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2015.09.14 一部修正
その日の稽古の終る頃には、体中が建てつけの悪い扉がきしむような音をたてていた。
やっとの思いで下足室へたどりついた私は心から思った。やっぱり柔道なんて向いていない。明日から別のクラブを見て回ろう。そんなことを考えながら、靴に履き変えていると、隣で同じようにして靴に履き替えていた同じクラスの少女が声をかけてきた。
「大郷君やんね。うち、木内です。同じクラスの」
「ああ」
私のこの返答はあまりにぶっきらぼうだったかもしれない。しかし、これが私にできる精一杯なのだ。
女生徒と話をもっとたくさんしたいのは山々なのだったが、ついぼろが出てしまいそうで怖いのだ。一語一語発するごとに、おかしなことを言っていないだろうか、内心で笑われていはしまいか、などと心配になってしまう。少しでも恰好良く見られたくて、精一杯気取ろうとするが、慣れぬ気取りに舌はもつれるばかりなのである。そして、結局、口数が減ってしまうのだ。
「大郷君、柔道部入んの? 体育館におったやろ」
木内というその少女は屈託ない笑顔でそう問うたが、私はまるで恥部を見られたかのように、激しく動揺した。柔道部は、野球部、サッカー部のように爽やかではなく、臭い柔道着を着て、汗まみれになって、男同士くんずほぐれつするだけだ。だから、男友達にでさえ馬鹿にされるのではないかと内心恐れていたほどの私にとって、異性に柔道部へ入るのか、と問われて動揺しないわけがなかった。
「い、いや。仮入部やし、とりあえず」
無意味に無関心を装うのは、この少年独特の精一杯のニヒルさのアピールだった。少女は「ふうん」と言って、私の顔をのぞき込むようにして、意味ありげな笑顔を浮かべた。目の合ってしまうことが恐ろしかった。目が合ってしまうと、その瞬間に自分の本性を見抜かれてしまいそうに思えた。
必死に目をそらしていたが、そもそも、顔を覗き込まれているということ自体が、すでに恥ずかしかった。顔に何かついていないだろうか。産毛の兄貴分のような、薄い鬚が不細工に見えやしないだろうか、それとも、汗臭いだろうか、などと自分に関して相手に醜く映るであろう因子を考えては、早く目を離して欲しいと願った。接近した顔と顔が、実際には五〇センチ以上は離れていただろうが、すぐにでも触れてしまいそうに感じられた。ちらちらと少女の顔を盗み見ながら、しかし、それでいて、胸をときめかせていた。私がそうやって相反する欲望と劣等感との狭間に彷徨いながら、彼女の顔をちらりと盗み見た瞬間、少女と目があった。私は脳天から重たい槍で突き抜かれたような衝撃を覚えた。彼女は微笑んだ。
「柔道やりいや。恰好ええやん。大郷君強そうやし」
少女はそう言って、またにこりと笑って「また明日ね」と言うと走って校門の方へ行ってしまった。
私は予想もしない少女の言葉を頭の中で繰り返した。そして、少女が顔を近づけていた長い時間を思い出した。心臓はなおも速く大きく脈打ち続けていた。