3-5
2015.09.14 一部修正
ところで、私はあの試合から、一度も稽古へ顔を出さなくなっていた。これ以上柔道を続けたところで、自分には何も得られるものはないと思っていた。それ以上に、部員達にまた顔を合わさなければならないことが辛かった。また嘲笑されるのではないかと思うと怖かった。
しかし、このまま黙って幽霊部員となってしまうことは、弱者として自分を認めることのように思えて、それは部員達に嘲笑されることよりも耐えられぬことに思えてきた。そして試合から一ヶ月以上経過した日、私は稽古のある体育館へと足を運んだ。私を部員達は驚いたような表情で見た。それがやはり私には嘲笑の眼差しのように思えてならなかった。
「大郷、ちょっとこっちへ来い」
顧問はそう言って私を体育館の外へ連れ出した。私は叱責を覚悟していた。無断で稽古をさぼり、破門されたとて致し方のないことと思った。だが、何もけじめをつけぬよりはよかった。
「すみませんでした、勝手に稽古さぼって」
私はそう言って、頭を下げた。これで顔を上げたときに殴られても仕方ないと思った。そして恐る恐る顔をあげ、顧問の顔を見た。その表情には大変に恐ろしいものがあった。じっと彼は私を見つめた。
「あの試合な」
顧問は、突然表情を緩め、続けた。
「お前が負けたあの試合のことを気にしてたのはわかる。負けたのは褒められたことじゃないが、中学生の男女を、いくら女子の方が少ないからといって、一緒にしてしまったのがいかんな。お前の試合の際中にな、私も見ていたが、他の学校の顧問も、お前がさっぱり仕掛けないのを見て、苦笑していたよ。お前が手加減しているのは誰の目にも明らかだったからな。あのあとで、来年の市民戦からは、男女別になることに決まったよ」
独特の標準語に近いアクセントで語られる顧問の話を私は黙ったまま聞いた。
「しかし」
顧問は緩めていた表情をまた元の厳しい表情に戻して言った。
「勝手にさぼったのは、お前が悪い。まだやる気はあるのか」
「申し訳ありませんでした。今後も厳しく指導ください」
「よし、わかった。すぐに着替えろ」
私は一礼し、柔道着に着替えた。その際中、部員達が代わる代わるやってきては、「どうしてたんや」などと、声をかけてきた。彼らの態度のぎこちないことは私にもわかったし、彼らにも私のそれが明らかだったろう。私は彼らの気遣いが、あまりにも粗っぽいものではあったが、ひどく嬉しくなった。
いつもと変わらぬ稽古が始まった。ただし一つだけが違っていた。
「大郷はひと月もさぼっていたから、大郷だけは今日の稽古の間は休憩なしだ」
顧問は世にも優しい笑顔でそう宣言したのだった。