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2015.09.14 一部修正
二学期が始まった。
あれほど待ち焦がれた新学期だったが、私はむしろ、学校など二度と始まらないで欲しいと思っていた。学校が始まれば、木内に会うことになるからだ。女子に試合で負けた私には、彼女に会わせる顔はなかった。しかし、こういう時に限ってすぐに顔を会わせることになるのは神の悪戯かもしれない。
「おはよう、大郷」
そうやって元気な声で声をかけてきたのは、紛れもなく木内だった。
「あ、ああ」
私は怯えた。もしかするとこの木内はすでに私が試合で女に負けたことをもう知っているかもしれない。そう思うと、目の前に立つこの少女が、私を嘲笑するために立っているように見えてならなかった。どうして自分がこんな辱めに合わねばならぬのかと神を呪った。木内はけげんな顔をして私をのぞき込むようにした。そして「どうしたん? 風邪でもひいたん?」といたわるように訊いた。
彼女はまだ私が女に負けた弱い男であることを知らないようだった。しかし、彼女のこういった優しさも、私のような「女に試合で負けた」男にとって、侮蔑の念を含んだものに聞こえた。あれほどに待ちわびたこの少女との会話が、今や苦痛でしかなかった。一言一言が、爪で心臓を引っ掻かれるように響いた。
それから数日たったある日の休憩時間に、木内は私のもとにやってくるなりこう言った。
「試合で女の子に負けたんやって?」
私は顔を上げた。
「な、な」
何故知っているのか、と問い返そうにも言葉にならなかった。最も恐れていた事態だった。取り返しのつかぬことになってしまった。きっと彼女は笑い出すだろう。私を侮蔑し、だらしのない男だと言ってもう二度と話しかけてくれなくなるだろう。もうこの世は終ったも同然だった。手元に拳銃があれば、すぐさまこめかみに銃口を当て、ためらいもなく引金をひいたろう。穴があれば入りたいというが、隠れたところで、私に貼られた「女に試合で負けた男」というレッテルが消えることはない。意識がそこにある限り、常にこれに苦しまねばならないのだ。それならいっそのこと自分というものを全て吹き飛ばしてしまいたかった。まして、木内にそれを知られてしまった以上、もう私にはこの世に何の希望も見出せなかった。
私が酸欠金魚のように言葉を失っていると、木内は笑った。
「そんなん気にしてんの? しょうがないなあ。大郷は優しいから女の子、投げられへんかったんやろ」
私はこの予想していなかったこの一言に、驚き、そして複雑な気持ちがした。あまりに私のことを買いかぶっていると思った。私はそんなに優しいわけではない。女の体に触れることを過剰に意識しただけだった。実はそれは言い訳に過ぎず、本当に実力で女に負けるほどに弱い男であるようにさえ思えた。彼女のこのあまりに優しすぎる言葉は私を劣等感のどん底へと突き落した。もはや木内のそばに居てはいけない、脆弱で頼りない最低の男だと思った。しかし、こういった私の意思とは別に、試合時の柔らかな感触が突然と思い出された。そして、その感触を無意識のうちにこの木内に重ねていた。彼女に触れたら、同じように柔らかいのだろうかと思った。この少女のまだ小さいが、少し制服を持ち上げている胸のふくらみに目がいった。
突然、何か哭に突き上げられるように、この少女に触れたい、そんな強烈な欲求が膨らみ上がった。周りのものが全て見えなくなってしまうような気がした。目に入って来るのはこの少女だけだった。触れたい、抱きしめたい。頭の中に溶けた鉄でも入れられたかのように私の頭は熱くなった。
「もう、そんな腐った顔しとったら、怒るで」
私ははっと少女の顔へ目をやった。彼女は本当に怒っているかのような顔をしていた。何故彼女がこんなに親身になってくれるのかわからなかった。だが、それに応えなければいけないということだけはわかった。私は慌ててその頭に渦巻く「何か得体の知れぬもの」を振り払った。
「ごめん」
そう言って無理に笑顔を作った。すると、木内も顔をほころばせ、「そうやないとあかんで。あんたはほんまは強いんやから。私知ってるで」そう言って微笑んだのだった。
この日以来、私は、もはや木内のことを肉体的な欲求を抜きにして見られなくなっていた。これまではただ無心に会話を楽しんでいただけだったが、私が木内を見る目は変わってしまった。彼女のまだ幼さの残るその指先から、日の光に照らされると栗色に光るその髪の先にいたるまで、全てに目がいった。そしてそれらに触れたいと思うようになった。
私は自分が不潔だと思った。
ただのいやらしい獣になりさがったように思えた。しかし、一度芽生えたこの肉体的な欲求は、どんなに消し去ろうと努力しても、消えることはなかった。彼女と会話をすれば、それはこの肉体的な欲望を大きくし、それが大きくなると、その不満足を会話で満たそうとする。そうして、肉体的な欲望は指数函数的に無限大へと増大していった。その欲望には行き場がなく、一人で毎晩発散する他なかった。その虚脱感はあの晩に似て、複雑な虚しさを誘った。