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2015.09.14 一部修正
夏休みも終りにさしかかった頃、私達の柔道部は市民戦と呼ばれる市内の中学校の柔道部が参加する試合に全員出場することになった。
個人戦と団体戦とがあったが、団体戦には、おもに三年生が出場し、私を含めた一年生全員は観戦しただけだった。この団体戦では市内最強と言われている中学校と決勝戦であたり、惜しくも、星一つの差で破れた。
団体戦に引続いて個人戦が行われた。この個人戦には全員が出場した。トーナメント形式で、その試合の割り振りが発表された。
私の第一試合の相手はなんと女子であった。私が呆然とその対戦表を見つめていると、部員からは、余裕だな、と言われた。確かに力量という点では私には勝てる自信があった。
「女に触れるんか。ええなあ。おっぱい揉んどけや」
部員たちが冷やかす。
それが問題だった。女の体に触れたいというのは、この年頃の少年達にとって、大いなる欲望の一つである。私もそれにもれず、触れたいという強い欲望を持つ少年の一人だった。しかし、それはあくまで内なる欲望であって、実際に行動に移すなどとてもできなかった。いくら、これが柔道の試合であり、触れることがどのように正当化されるとしても、だ。
女子と対戦するということについて、何の心構えもできぬうちに、私の試合の時間となった。一礼をして試合場内に入った私の頭の中は真っ白だった。女と試合をしなければいけない。このことがぐるぐる回るだけだった。
「始めっ」
主審判のかけ声で試合が始まった。相手の女子は向かって来るなり、何の躊躇もなく私の左襟を狙って来た。私はとっさに、相手の右腕を払いのけるようにして、その袖を内側から取った。そして、自然と私の右手は相手の左襟をつかみあげていた。
相手が技をしかけようとしたときに、巻き込まれた私の右腕が彼女の胸に強く押しつけられた。とても柔らかだった。ぶ厚い柔道着越しだったが、それでも、明らかにいつもとは違う感触だった。男のどの部分を触ってもこんなに柔らかいところを見付けることはできないだろう。
私は咄嗟に右腕を引き抜き、技から逃れた。否、胸の感触から逃げたという方が正しいかもしれない。初めて知った女性の体の柔らかさに恐れのようなものを感じた。触れてはならないものに触れてしまったという気がして、次にどう手を出せばいいかわからなかった。
一万ボルトの電圧が印加された物体に触れるかのように恐る恐る、今度は絶対に胸に巻き込まれないように、相手の左襟の奥をつかんだ。場外からは、攻めろ、という部員達の声が耳に入ったが、私の戦意は完全に喪失されていた。私にはこの女子の襟を掴むだけが精一杯だった。何か技をかけるとなると、体が密着することになる。それはできない注文だった。できることなら、相手にもこれ以上技をかけないで欲しいと思った。そうすれば、触れずに済むからだ。本当は初めて触った女体の感覚に喜びのようなものを感じているにもかかわらず、やはり触れてはいけないという思いが一方で大きく私を支配した。
試合の途中、私があまりに攻めていないということから、「指導」を取られた。これは、相手に「一本」「技あり」「有効」「効果」と四つあるうちの「有効」と同等のポイントを与えたことになる。私は慌てた。このままでは負けてしまう。その恐怖感から、私は技をしかけようとしたが、できる限り触れまいとしているせいか、全てが浅く、ままならなかった。
そして、試合は終った。私がとられた「指導」のポイントで、私は負けた。部員達は私を嘲笑した。女に負けた、と言っては笑うのだ。女に柔道で負けた、ということは、私にとっても、あまりに強烈な痛みだった。人生最大の汚点のように感じられた。
その晩、私はベッドの中で声を押し殺して泣いた。試合に負けたことが悔しかった。ましてその相手が女子であったことは屈辱的であった。その悔しさの中、私は不意にあの柔らかな感触を思い出した。初めて女の体に触れ、それは嬉しさに代表されてよいはずであったが、私の心の中はからっぽだった。何の感動ももはや湧いて来なかった。妙な罪悪感と敗北感のごときものが混ざり合い、それらが満ちてはひいてを繰り返した。そして、制御できない衝動が私を哭き上げるのだった。
その衝動は、全てのあとには、虚しさだけを私に残して行った。