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ちいさなせかい

作者: ぽん太

雨。

雲。

風。

…私。


背中には木、尻の下には地面。

投げ出された右腕、左腕。右足、左足。まるで骨のような。

目の前には山の中で踏みつぶされて自然とできた、細い道。


雨がやむ。

一人の女が、山道を登ってきた。

彼女の背中には、売りに行くのだろうか、大量の薪が背負われている。

彼女が私に気づく。一瞬ちらりとこちらを見た後、何も見なかったかのように去ってゆく。


立ち止まらない彼女。

動かない私。


雨、雲、風、木、地面。そして私。これが、今の私の手の届くもの。


夜の帳。暗くて寒い夜。

私の手から雨が滑り落ちて、代わりに、雪に手を伸ばせるようになる。


雪、雲、風、木、地面、そして私。これが、今の私の手に届くもの。


彼女が、同じ道を帰ってくる。

背中に、売れたのだろうか、薪はない。代わりに、ワラで編んだ笠がある。いつの間にか雪はやんでいて、月星が空を飾っていた。

彼女は歩く。山道を。通り過ぎる。私の前を。視線が、私を貫く。

彼女は去らなかった。

代わりに、言葉を発した。少しかすれていて、低めの声。

「生きる気は、ないのか。」

私は返す。空虚な言葉を。

「生は、私の手の届くものじゃない。」

彼女は、何も言わなかった。

去ることもなかった。

彼女は、私の腕をつかんで、引っ張ったのだ。


連れて行く彼女。

連れられていく私。


この日、この時、この瞬間、この私の手が、家族に届いたのだ。



 彼女の家に着いた時、私の意識はもうほとんどなかった。かろうじて分かったのは、彼女の手が温かいということ。雪と違って、溶けてなくなったりしないということ。その単純な事実に私は安心して、そうして意識を途切れさせた。


 目を覚ました時、私の身体は薄くて大きなものにくるまれていた。土の地面より柔らかくて、木肌のようにチクチクする。これはなんだろう。分からないけど、ずっとくるまれていたかった。私の熱が、どこにもいかずに私のそばに留まっていてくれる。それは不思議で、手放したくない感覚だった。


「あんた、そんな穴だらけの布切れが気に入ったのかい?」


 私を連れてきた彼女が、呆れたようにそう言った。私はびっくりして、目から上だけその柔らかい『ぬのきれ』から出してきょろきょろとあたりを見回してしまった。頬を木の床にこすり付けながら見えたのは、簡素な机の脚が四本と、細い三本の椅子の脚。その向こうに見えたのが、彼女の靴だった。恐る恐る視点をあげていくと、昨日はまとめられていた髪が揺れているのが分かる。腰にはエプロンをして、片手には大きな木杓を持っている。さらに上を見ると、彼女と目があった。


 彼女の眼はとても綺麗だった。黒い瞳。私はこの美しさを、どこかで見た気がする。どこだっただろう。既視感が気になって、布から肩を出して、瞳に向かってそろそろと手を伸ばす。遠くて届かない。どうしよう。少しずつ、少しずつ身体を布から出していく。届かない。身体を覆うぬくもりが、だんだんとなくなっていく。



 いつまでも黙り込んで、自分に向かって手を伸ばす少女を見て、彼女は少女に近づいて行った。狭い家だ。三歩も歩けば、少女のもとにたどり着ける。少女のそばにしゃがみ込むと、彼女の顔をめがけて手がのばされる。好きなようにさせていると、少女の掌が彼女の目もとにそっと触れ、壊れ物を触るようにそろそろと撫でた。少女の身体は、もう布切れに覆われてはいなかった。



 私の手は、やっと彼女の瞳に届いた。『ぬのきれ』のぬくもりがなくなるのがあんなに怖かったはずなのに、彼女のあたたかさに届いた途端、そんな不安はどこかに行ってしまっていた。そうして思い出す。彼女の瞳の色は、月に照らされた夜空の色だと。手を引かれて見上げた空と、全く同じ色だということを。


 大きく開け放たれた窓から吹き込んだ風が、私と彼女の髪を揺らす。掌を、そっと彼女の掌に合わせる。葉を落とした木々から漏れてくる光が、私と彼女をつなげる影をつくる。それがなんだか嬉しくて、手をつないだまま窓の方へ目を向けると、彼女の瞳とは違う色彩の空が広がって、白い雲がふわふわと浮かんでいる。


白い雲。

青い空。

茶色い木々、そこから漏れてくるキラキラとした太陽光。

私と彼女の髪を躍らせる風。

手のぬくもり。

夜空の瞳。

ひんやりとした木の床と、机といすが置かれた小さな家。

チクチクするけどやわらかい『ぬのきれ』。

私。

…そして彼女。


今の私が手を伸ばせるもの。これが私の、小さな小さな世界の全て。

明日の私は何を手にしているだろう?右手にぬくもりを持って、左手で新しい『何か』を探していこう。

そうして私は、「生」を手にするのだ。


読んでくださった方、ありがとうございました。

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