2.蝉しぐれと突然の告白
―――少しだけ話が進みます。
主要人物3人目登場。
それは突然、俺の身に起った。
新しい生活にも慣れ、一年全体の雰囲気も落ち着きだした頃の事だった。
巷には『夏』が溢れ、俺達は学期末テストを乗り切り、夏休みまで後数日を残すのみとなっていた。
この事が、全ての発端とも言える出来事になろうとは、思いもよらなかった。
俺はこの時、まだ『普通』である事を愛していたのだから…。
しかして―――運命は、少女の姿をして、俺の前に降り立った。
◇◆◇
「好きです――私とお交際いしていただけませんか?」
ミン
ミン
ミン
ミ―――ン
なんとも言えず、タイミングの良い蝉の大合唱が響き渡る。
まだ『おはようございます』を辛うじて言える時間だが、既に太陽は随分と高い所でギラギラと存在を主張して憚らない。
それでも、日の出から日の入りまでのサイクルで活動している虫達は、必死に声を張り上げ、太陽に負けず劣らず、その存在を主張する事に余念がない。
意外に自然溢れる我が学舎は、夏まっさかりに入る前から、蝉しぐれを堪能する事が出来た。
日を追うごとに、長い間の土中生活から脱出した蝉達が、我も我もと木にしがみつき、生を謳歌するように、恋の歌ならぬ得手勝手蝉しぐれならぬ、大合唱(微妙な輪唱バージョン)を繰り広げるに至っていた。
日増しに夏が色濃くなるにつれて、うだる暑さと、ギラギラ照りつける太陽にプラスされる蝉の大合唱は、精神的に熱さ倍増する効果があると感じる。
うん、蝉の鳴き声きくだけで、なんか『夏!』って気がするし、ついでに暑さが倍増って気がしないッ!?
(いやいやいやいや、なに現実逃避してるかな、俺!?)
夏休み前、最後の休日だった。
のんべんだらりと惰眠を貪ろうとするには、腹の虫が五月蠅くて眠れず、寮の朝食時間ギリギリに滑り込みで、朝飯にありついた所で、呼び出しが掛った。
言われたのは、心当たりもない名前。
そして、心当たりがない呼び出し。
首を傾げながら、出向いた門の向こう側、涼しげな装いで佇んでいたのは、心当たりのない少女だった。
俺からすれば、突然現れた彼女は、その柔らかそうで、うっすら色づいた唇から、前述の言葉を発したのである。
――それらが、あまりにも唐突過ぎる内容で、正直、俄かには信じられなかった。
ついでに、頭は真っ白。
目は点である。
間抜けな顔を晒して、あっけにとられ、二の句が継げない有様だ。
そうする間も、彼女は羞恥に耳と言わず全身を真っ赤にしながら、けれど、決して目を逸らす事なく、俺を見上げている。
――決して引かない姿も、逸らさない視線も、決意に満ちた表情も…一心に向けられる彼女の全てが、強烈な印象として、俺の心を捕えた。
だが、とにかく驚いたのなんのって……恥ずかしながら、今迄、こういう経験が無いわけじゃないが、流石にこれ程度肝を抜く行動に出た娘は、初めてだ。
なにしろ、俺は男子校に通う、寮生。
基本的に敷地外に出るのは稀で、そのタイミングを計ったかのような、彼女の登場は、もう何と言えばいいのか……解らないが、物凄く幸運な娘なのか、そうでなければ物凄く頑張ったのだろうと想像は出来る。
あまりにも今迄とはシチュエーションから、毛色も違う状況に、俺はどう反応していいのか、解らなかった。
いや、言い方を変えれば『ここまでするか…ッ!?』と言えなくもない。
このパワーは尊敬に値するかもしれない。
夏の暑い盛りに、炎天下で、『出待ち』とか―――正気の沙汰ではない。
誰かからの情報リークがあったかもしれないが、それにしても…だ。普通はやらんだろう、絶対。
アイドルとか芸能人の出待ちとかなら、解るが……男子校の学生を『出待ち』とか…ありなのか?!
(いやいやいやいやいや、またしても現実逃避はいってるから、俺。しっかりしろ、俺!)
この女の子……篠原皐月嬢は、なんと、お隣の女子高に通っていて、俺と同じ一年なのだそうだ。
一体、いつ、俺を見掛けたものか…。
寮と学校の行き帰りは歩いて五分の距離だし、まぁ土・日曜は、大抵出歩いていたが、彼女は自宅通学者だから、通学時間が合わない筈――。
どう考えても、俺に『惚れる』要因が見当たらない。
だが、こうして日曜日に寮までやって来て、名指しで呼びだした上での『告白タイム』迄する以上、彼女だけが知る「何か」があったのだろう。
………全く記憶にないが、多分、恐らく、きっと。
一度も逢った事も、話した事もない…筈だ。
その筈なのに……もう一つ、俺は気に掛る事を発見した。
彼女は確かに初対面だ。(これは絶対だった。)
なのに、俺は目の前の顔に『既視感』を覚えた。
初対面なのに、親しみを感じるなんて、あり得るのか?
万々が一あり得るなら、それは何故か?
(…………逢っている…見てる……いつも……?どういう訳だ???)
好みの顔や声や、体つきをしている……その所為かとも思うが、だからといって、こんな気持ちになるものか?
何だか、おかしな事になった。
ミンミン蝉の大合唱が、微妙な輪唱を10回以上は繰り返しただろうか。
そこで漸う、働かない頭が、夏のうだるような暑さに焼き切れる前に、言葉を捻りだした。
―――俺は、「返事を待ってほしい」と言った。
今のままでは、あまりに混乱していて、彼女の誠意に報いるだけの『言葉』が出て来なかった…というのは、言い訳臭いが、本音でもある。
初対面でいきなり、『好き』と言われて、有頂天になる程、初心ではない。
告白されたら、とりあえず『お試し』で付き合って、決めるというような優柔不断な性質でもない。
常ならば直ぐに断っている。
しかし――彼女には、それが躊躇われたのだ。
その気があるような、無いような…自分でも理解不可能な感情が、彼女に対して確かに存在していた。
だが一番の理由は―――。
不可解な既視感に悩みながら口を開く直前、ふと何気に上げた視線の先に、遠巻きに見守る(出刃亀する)連中の中に埋もれた、市ヶ谷の顔を見つけたのだ。
―――市ヶ谷の意見が聞きたい。
市ヶ谷なら、なんていうだろう?
何故そう思ったのかは、解らない。
ただ、どうしても聞きたい…聞かねばならない――そう、俺を駆り立てる強い衝動に駆られ、咄嗟に返事の保留を口にしていた。
今思えば、何故そんな風に思い込んだものか、不思議だが…その時の俺は、そんな己の中の矛盾やら不可解な部分には気づく余裕なんぞありゃせず…。
しかし、その他にもう一つ。
俺の目とあった瞬間……普通なら気づきもしないだろう、ほんの一瞬……何とも言えず哀しげで、儚げな、それでいて物言いたげな…そんな表情を、市ヶ谷は浮かべていたのだ。
だが直ぐに、普段の表情に戻ってしまって、もしかして見間違いか?と思ったりもしたが。
確かめようにも、次に目を上げた時には、市ヶ谷の姿はそこに無かったし、でも、とてもその事が引っ掛かっていて、どうしてもその意味を知りたくて、気になって。
―――こうして突き詰めてゆくと、返事を伸ばした真の理由は、これなのかもしれない。
◇◆◇
「なぁ、市ヶ谷。俺、どうしたら良いと思う?」
夜。
俺は何気なさを装い、市ヶ谷に意見を聞いた。
時刻は消灯三十分前。――二十二時半を回ろうかという、気忙しい時刻だった。
「見たところ、あの娘、なかなか可愛いかったじゃないか」
問いに応える市ヶ谷の対応はケロリとしていて、昼間の表情は一体なんじゃ?俺、目ぇ腐ってた?…ってな感じで、俺は些か拍子抜けしてしまった。
「――ああ、そう…だな」
「あの娘の事、別に〝嫌い〟って訳じゃないんだろう?」
「そりゃ――まぁ…な」
問いに答えつつ、せっせとアイスティなんぞを作る市ヶ谷の背中を見ながら、何だか怪しくなってきた雲行きに、俺は胸のあたりがモヤモヤとして来た。
「――結局は、渋谷の問題だからなぁ」
「それでも!」
俺は食い下がった。
「例えば、お前ならどうする!?」
意地になって、市ヶ谷の意見を聞きたがる心理が、俺自身、理解出来ず、内心では首を捻る。
(――期待?)
(――市ヶ谷のどんな反応を、俺は望んでいるんだ?)
もう頭の中は、狂乱状態っていて『?』で一杯だった。
その時、市ヶ谷が振り返った。
大きな眸が、常にない真剣な色を浮かべて、俺を見返して来るのに、ドキリとする。
「振られるのってさ――物凄く、辛いんだよね。すっごく悲しくて…痛い………」
「………お前、何か真に迫っとらんか?振られた経験、あり?」
「―――そりゃ…まぁ」
つい突っ込むと、市ヶ谷は何を思い出してか、遠い目をした。
だが直ぐに、はっと我に返り。
「じゃなくて!今は俺の話じゃないでしょ!もう!!――でね。あの娘にそんな気持ち、味あわせたくないなぁ…なんて、思うわけ。だから」
「だから?」
何か、この先が見えた気がした。
………ますます困った雲行きだぞ!?
「―――付き合っちゃえば?(ハートv)」
やっぱり、そうくるか―――ッ!!
市ヶ谷のバリ全開能天気スマイルの直撃を受けた俺の体は、ガク――ッと脱力して、ついでにグラりと傾いだ。
……あまりにも…あまりにも…その笑顔は『にこぱっv』と凶悪な程に可愛らしくて。
(―――ああ、脱力…。)
思わず、見惚れちまったが、何なんだ!
語尾の『ハートマーク』はッ!!
あまりの事に、当初の目的を忘れ果て、気がつけばその場の雰囲気に流されてしまっていた。
「………まいっか」
後は野となれ山となれ…!
所詮人生、行き当たりばったり。
そんな俺に、市ヶ谷はアイスティーを手渡し、『あっけらかん』としている…様にしか見えない。
まぁ、取り敢えず、交際ってみる。
それから、じっくり自己分析をするのも、一つの手だ。
――決断してしまえば、後は早い。
次の日には、俺は『彼女持ち』になっていた。
結局の所、あの日以降、気掛かりだった市ヶ谷の、謎の表情の正体は、訳を本人に聞けず仕舞いになってしまった。
――そして、月日はウヤムヤの内に過ぎてゆき……いつしか夏はその事を忘れ果てていた。
主人公……てんぱり過ぎですヨ(…)
女の子の描写が少ないのはわざとです。