地獄のほう
驚くべきことに、長年の謎だった死後の判定は、きわめて明快だった。
ムスリムは天国へ。
それ以外の者は地獄へ。
例外はない。
長年の宗教論争は終わりを告げた。
「なるほど、そういうことだったのか」
世界中の学者たちは肩を落とした。
そして、地獄行きが決まった人々は、覚悟を決めて死んでいった。
地獄には火の海が広がり、悪魔たちが待ち構えている。
……はずだった。
ところが。
「次の方、こちらへ」
受付にいた悪魔は、番号札を渡してきた。
「まず住民登録をお願いします」
「え?」
「混雑しておりますので、天ぷらはお一人二尾までです」
「天ぷら?」
見渡せば、巨大な都市が広がっていた。
レストラン。
図書館。
映画館。
病院。
公園。
なんと、歴史上の人類の大部分がここに集まっていたのである。
「ようこそ地獄へ」
悪魔は慣れた口調で言った。
「人口が多すぎて、拷問なんてやってる暇がないんですよ」
実際、悪魔たちは忙しかった。
上下水道の整備。
交通整理。
福祉制度の運営。
なにしろ数千億人を管理しなければならない。
「昔は火あぶりとかもやってたんですけどね」
悪魔は書類をめくりながら言った。
「予算が下りなくなりまして」
「予算?」
「人手不足なんです」
⸻
一方、天国。
人口は地獄の百分の一にも満たなかった。
果物は豊富。
川には蜜が流れ、
豪華な宮殿が立ち並ぶ。
しかし。
「……」
住民たちは暇を持て余していた。
科学者がいない。
音楽家が少ない。
小説家がいない。
映画監督もほとんどいない。
「新作映画はまだか」
「前回から二百年待っている」
「監督が一人しかいないからな」
「しかも完璧すぎて、全部似たような話だ」
天国新聞の一面には、
『チェス世界大会、五万年連続で同じ優勝者』
という記事が載っていた。
⸻
地獄。
「おーい、次の交響曲できたぞ!」
「こっちは火星移住計画だ!」
「江戸落語復活祭やろう!」
「恐竜を再現して動物園を作ったぞ!」
「ラーメンとピザの融合料理が完成した!」
人口が多い。
価値観も多様。
意見の衝突もある。
失敗もある。
喧嘩もある。
だが、だからこそ退屈しなかった。
悪魔たちは頭を抱えていた。
「なんでみんな楽しそうなんだ……」
「苦しませるのが仕事なのに」
「クレームが多いですよ」
「何の?」
「Wi-Fiが遅いとか」
⸻
ついに悪魔たちは最高責任者のもとへ向かった。
「申し上げます」
「なんだ」
「地獄が、地獄になっておりません」
最高責任者は長い沈黙の後、ため息をついた。
「そうか」
「いかがいたしましょう」
「仕方あるまい」
「火の海を増やしますか?」
「いや」
最高責任者は言った。
「名称を変更しよう」
「名称?」
「実態に合わせるのだ」
「では……」
「うむ」
最高責任者は判を押した。
翌日。
地獄の入口の看板は、
『共同創造区』
と書き換えられた。
そして元の天国の入口には、
『永遠安息区』
と掲げられた。
以来、人々はこう言うようになった。
「どちらが幸福かは、名前だけではわからない」
もっとも。
この言葉を最初に言い出した哲学者も、地獄の住人だったという。∎




