桜色の糸
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
僕たちは皆、原子によってできている。
もはや周知のことではあるけれど、やはり僕は考えれば考えるほど、不思議で仕方ない。僕という存在が、そのような細かいものの集合体であるなんてね。
血とか皮膚とか骨とか臓器とか、形のあるものだったなら百歩譲ってそのようなものかと思わなくもないが、こうしていろいろと話をしたり、考えたりなんていうのも原子の働きとは想像しづらい。いや、想像したくないのかな。
自分の意思が本当に自分のものであると信じていたいのかも。科学的なものを超越したスピリチュアルなものとしてね。
幸い、といっていいかは分からないが、人体に関してはまだまだ分からないところも多い。すべてがつまびらかにならないほうが精神衛生的に助かる、という人も多いんじゃないかな。
それでも、自分を結び付ける仕組みについて知っておきたい、とも思ってしまうのが生きることの複雑なところ。
ちょっと前に祖母が教えてくれた話なのだけど、聞いてみない?
ものには、桜色の糸がからむ。
祖母が若い時の友達に教えてもらったフレーズらしい。友達の話によると、この世の大半のしろものにこの糸は絡んでおり、ふとした拍子に起こる「分離」の危機を未然に防いでくれているのだという。
分離、というのは解釈がいろいろあるものの、いわゆる不幸に分類されるものが主流だという。命にかかわるものから、ちょっとした怪我に至るまで。
ぱっと見たところ、転んだとか何かにぶつかったとかの原因は分かっても、どうしてそのような行動に至ったのかを説明できないとき、この桜色の糸が出てくるのだそうだ。
「糸はものとものとをしっかりつないでくれる。逆に少しでもほころんじゃえばすき間が生まれて、そこからこぼれたり、余計なものが入ってきたりしてしまう。だから命が乱れちゃうんだ」
他のものを結わえる糸が経年で衰えていくように、桜色の糸も定期的に強めなくては緩んでいってしまうものらしい。
――ん? 桜色の糸に関して、俺は特に聞いたことないぞ? 大事なことのはずなのに?
まあ、無理ないと思うよ。仮に話を知っている人がいたとしても、たいていの人は糸を簡単に締め直すことができちゃうからさ。
桜色の糸は文字通り、桜の花びらをじかに目にする機会さえあれば十分だからだ。
さいわい、この日本において桜の木は広く愛されているものだ。まったく接することなく一年を過ごすケースというのは、なかなかないと思う。
そうでなくとも桜色の糸の頑強さは個人差があり、生涯で補強を入れずとももつケースもある。世に言う、豪運な人々、あるいはつつがなく天寿をまっとうできる人々だ。
でも、大半な人はそうではない。だが桜と接する機会を設けることにより、糸は強く結び直されるのだとか。
祖母も話を聞いていたときは、まゆつばもののように思っていたらしい。確かに桜には毎年触れているものの、そのような糸のほころびを意識したことはなかったからだ。
しかし、ある年にやっかいな病気を患い、半年ほど入院暮らしをしたときがあり、このときは桜にまったく触れないで過ごしたらしいのさ。
その桜が散りきってしまったころ、例の友達がお見舞いにやってきたんだ。
友達の見舞いの品。それはもともとインスタントコーヒーが入っていたと思しきビンに桜の花がびっしり詰まっていたものだった。
「それを枕もとに置いておいて、もし『糸がゆるんだ』と思ったらそれを見て触って。きっとなんとかなる」
たいした迷信話だよ、と祖母はこのときまだ笑っていたらしい。
病室には6つのベッドがあったけれど、先客たちは祖母が入院している間にどんどん出て行ってしまい、いまは祖母ひとりだけ。
ビン詰めは言いつけ通りに枕もとへ置きながら、更に時は流れて、いよいよ退院が翌日に迫った晩のこと。
早めに眠りについた祖母だったが、ふと寝ている自分の両足へ違和感を覚えた。
痛み、しびれとは違う。むずがゆさだったらしい。
蟻走感、というものか。何かが足全体を這いまわっているかのごときだった。
身体の自由はきく。祖母はとっさに布団を剥いで様子を確かめようと思ったそうだ。
できなかった。
布団はめくろうとしても中途半端なところで止まるばかりか、足と一緒に持ち上がってしまう。
そこで祖母が見たのは、自らの足に「入りこんでいる」布団の一部だったという。
先に話したように、痛みもない。出血もない。なのに布団はあきらかに自分の肌に食い込んで、穴を開けていた。
頭が真っ白になりそうだったが、ふと友達のいう通りにビン詰めの桜を手に取って、中の桜の花びらを手に取りながら、軽く布団へまいたらしいんだ。
すると、蟻走感がぱっとなくなり、見てみると布団も自分の足も元通りになっていて、やはり傷一つなかったのだとか。
退院後、友達に話をしたところ、それこそが糸のほころびだといわれたという。




