第九十七話 新領主
前話数刻後
国王による御裁断の結果として、ピオニル子爵は最も厳しい刑は免れた。
死傷者も生じたが、子爵が自ら手を下したものは一つもなく大半は代官ニードが勝手に起こしたこと、増税も子爵の指示にニードがさらに大幅に上乗せしていること、これらを監察団、主にユーキと副使クレベール王子が詳細に説明して弁護した内容を国王も認めた。
しかしながら、契約の無視、ニードへの監督不行き届き、領政を放置しての王都での遊蕩放埓は領主にあるまじきものとされ、爵位を剥奪されて母親と共にクリーゲブルグ辺境伯に預けられることになった。
継爵した当時の寄親である辺境伯がきちんと教育していればこのような事態を引き起こさなかったであろうと、国王は辺境伯にも一部の非があるとし、ピオニル子爵、いや、今は既に元子爵だが、その更生の責任を与えたのだ。
今後辺境伯の下で働いて経験を積み、何かの功を上げれば貴族に戻ることも不可能ではない。その母親については、監察団の結論通りに前子爵夫人の貴族としての身分が維持された。これらはかなりの恩情で貴族層にも十分に配慮した処分であり、不満は生じないであろう。
問題は、領主のいなくなるピオニル領をどうするかであった。
国王は宰相と相談し、スタイリス、クレベール、ユークリウスの三王子を執務室に招き寄せた。監察使任命の時と同じように自分の前に並んだ三人が頭を下げると、国王はまずは中央に立つスタイリス王子に声を掛けた。
「正使スタイリス・ヴィンティア、今回の監察は成功であった。監察団員は短時間のうちに良く詳細を調べた。見事であった」
謁見室での立腹振りと打って変わって国王は上機嫌だった。
謁見室でも子爵への処断の後に国王は監察団全員を階に上がらせ、団長で正使であるスタイリス王子に向かってその功労に褒言を与えたのだが、その時の厳しい顔や声とは異なり、今は笑顔で声も明るい。
その労いの言葉を受けて、スタイリス王子は満足げに綻ばせた顔を上げ胸を張った。
「お褒めに預かり、恐縮至極です。この私としても正使を務めた甲斐がありました。この困難な任務、私でなければどうなったかわかりませんが、私には造作もないことでした」
「うむ」
大仰に言う正使に軽く応じると、国王の視線は目の前の美顔からその両横に流れた。
「副使クレベール、それにユークリウスも見習ながら、良く働いたようだな。さぞかし学びになったであろう。今後に活かすように」
「御意」「はい」
一人一人に声を掛け終わると、国王は三人の王子に切々と話し始めた。諭すように、あるいは自分に言い聞かすように、心の内を明かしていく。
「ピオニルは可哀想な部分もある。父親からも寄親からも碌な領主教育を受けないうちに爵位を継ぎ、若さゆえに欲に溺れて悪辣な代官に付け込まれた。もしもきちんと教育されていれば、このような事にはならんかったかも知れん。しかしそもそも、領民が領主のためにあると見誤っておったのはピオニル本人の過ちだ。そこは見逃せん。これは生まれてから今までの間に、あいつの身に沁み付いたものだ。そう簡単には抜けんだろう。よってクリーゲブルグに預けて再教育させることとした。何年掛かるかはわからんが様子を見て、心を入れ替えることができれば貴族に戻すことも考える。だが、駄目なようならそのまま平民として暮らすことになる。
お前たちも、くれぐれも王族であることに奢ってくれるなよ。王族は、国民のためにその生を捧げる存在でなくてはならんのだ」
「はい、心得ております」
正使スタイリスの答えに合わせて王子たちは一斉に頭を下げた。国王はそれを見て「うむ」と頷くと話を続けた。
「さてそれで、あの領の領主がいなくなったわけだ。何とかせねばならんのだが、ちと難しい。ピオニルを戻す可能性が無いわけではない。それを考えると、迂闊に他の貴族たちに与えたり、新たな貴族を作ったりするわけにはいかんだろう?」
「はい」
国王の問い掛けにはスタイリス王子が答えた。自分の両脇の二人には目もくれず、国王と二人だけで話しているかのようだ。国王の視線は屡々クレベール王子に流れるが、正使に弟を気に掛ける様子は無い。
「かといって、クリーゲブルグに預けるのも拙い」
「子爵領をそのまま我が物にするため、辺境伯がピオニルをまともに教育しないという恐れがありますね」
「うむ、勿論あの者はそのような輩ではないが、そうせずとも、他の貴族がそのような讒言をするのが目に見えている」
「詰まらない噂でも、他の派閥を弱らせるためであらば、ですか」
「ああ、その通りだ、スタイリス。派閥争いなど下らぬが、貴族とはそういうものだ。クレベールもユークリウスも、心しておけ」
「はい、陛下」「お教え、胸に刻みます」
二人が返事をすると、国王は「それでだ」と声を軽くして話を転じた。だがその調子は、探り探り、相手の心中を計っているようも聞こえる。
「そういうことで、あの領は王家で預からざるを得ない。しかし普通に代官を置いては、ただ単に王領を増やしたいがためにピオニルを追い出したと言われるかも知れん。今回は貴族どもは監察を送るのに尻込みをしておったから表立っては何も言えんだろうが、その分、陰口は煩かろう。それも王家の仕事のうちだが、それを少しでも抑えるために、当面はあそこを若い王族の修行の場とすることにしたい」
「『修行の場』ですか?」
「うむ、小さな領を治めることで、国全体の治政の練習をして学ぶということだ。勿論、大過ないように補佐は置く。ということで、どうだ、スタイリス、臨時の領主を引き受けてくれんか? 数年の間のことだ」
なるほど、これが執務室に呼ばれた本題か。スタイリス王子は眉を顰め、小首を傾げた。
領主とはな。勿論側近どもを連れて行って働かせれば小領を治めるぐらい容易いだろう。だが、この俺に相応しいものではない。王都を離れてあの辺鄙な田舎で領主として働く自分の姿など、想像したくもない。陛下も御本意ではない筈だ。
ああ、そういうことか。最初から大役を言い出しては贔屓が過ぎると周囲が思いかねないから、今はわざと小役を打診して、こちらに断らせようとしているのか。
それならば無下な断りかたをしてはわざとらしくなる。折角のお気持ちだ、それらしく振る舞わねばならぬ。
視線を外したまま、間を計る。二十も数えれば、十分に思い悩んだように見えるだろう。もうよかろう。
目の前で辛抱強く待つ国王に向かってスタイリス王子は首を左右にゆっくりと振り、如何にも申し訳なさそうに答えた。
「恐縮です、陛下。まず私を御指名いただいたこと、光栄です。しかしながら、御存じのように父の体調が思わしくありません。長男である私としては、今、王都を離れたくはありません。残念ではありますが、止むを得ず、辞退させていただきたく思います」
「フェブラーはそれほど体調が悪いのか? 予は聞いておらんが」
「陛下に報告するほどではありませんが、一向に回復される御様子が見えぬらしく、気に掛かります」
「病状が変わらぬのであれば、すぐにどうこうと言うこともあるまい。何とかならんか?」
「申し訳ございません。それに学びの場とはいえ、王族が治めるにはやや小さいのではないかとも思います」
「子爵領の大きさでは不満か?」
「不満というわけではありませんが、普通は伯爵領以上の大きさかと」
「そうか。まあ、体調の悪い父の側におりたいというのでは止むを得まい。では、クレベール、お前はどうか? 頼まれてはくれんか?」
国王はクレベール王子の方に身を乗り出して持ち掛けた。
だが彼は躊躇せずに頭を下げて即答した。
「陛下、誠に申し訳ありませんが、正使スタイリス殿下が止むを得ず受けることのできなかった座を副使の私が頂いては、僭越となります。何卒、御容赦ください」
「そう言わず、どうにかならんか?」
「申し訳ございません。私については、スタイリス殿下が然るべき地位に就かれるまで御放念いただければと思います」
「自らよりも、まず兄か」
「はい。それに、スタイリス殿下の父上は私にとっても父上です」
「そうか。……ふむ」
国王は嘆息した。
こうなるのではないかと薄々予測はしていたが、やはりか。
こやつらの父のフェブラーの病状に変わりは無い事は、侍医から聞いて知っている。
スタイリスは華やかで国民に目立つ王都を離れたくないだけだ。例え一時でも、南部の片田舎の小領に籠ることなど考えられないのだろう。前子爵が領政を代官に任せっぱなしにして不祥事を起こしたその後継だ。波立った人心を現地で柔らかく平らげねばならず、王都に居続けるなど許される筈もない。それは真っ平御免被ると言わんばかりだ。
だがそれはこちらの思い通りだった。
できればクレベールに承けてもらいたかった。こいつならばこの難役も熟してみせただろうに。
こいつは兄を恐れて一歩たりとも前に出ようとはしない。いや、横に並ぶことすらも避けている。スタイリスが無役のうちは、どのような小役にも就かなさそうだ。今回は副使として活躍したようだが、もしスタイリスが正使でなければ、引き受けすらしなかっただろう。
こいつを活かすには、まずスタイリスに何かそれなりの役を与えることが必要になる。しかし、スタイリスを大役になどぞっとする。何かの手を考えんとならん。
だが、監察に出向く前と比べると、兄に対する態度が異なるようにも見える。今もスタイリスを『兄』とは呼ばなんだ。何かがあったのかも知れん。それも考えておかねばならんが、それにしても残念だ。
国王は内心の落胆を隠してユーキに向いた。
こいつはまだ幼い。今回大活躍したように成長は著しくとも、領主とは我ながら無茶な話だ。頼んだところで引き受けるわけも無かろうが、もうこいつしか残っておらん。こうなってしまっては、頼まずに済ませるわけにもまたいかないのだ。
「では、ユークリウス、お前はどうか。お前はまだ若い。臨時とはいえ不祥事を起こした領主の後任という難役を頼むのは、予としても心苦しい。だが聞いての通り、スタイリスもクレベールも事情がある。フェブラーもメリエンネも体が悪い。他の王族は全て既に役に就いている。お前の他にはおらんのだ。難しかろうが、引き受けてはくれんか?」
「陛下、暫し考えさせていただいてよろしいでしょうか?」
「うむ。だが、この場でな。存分に考えてくれ」
ユーキは顔を少し下げて考えた。
国王陛下の言うように、自分はまだ若い。王族としてはともかく、領主としての教育は受けていない。何の準備もできておらず、務まるとは思えない。
それにスタイリス王子が言ったように、王族が治めるにしては領は小さく、大領を治める上位貴族たちから侮りを受けるだろう。小さな領欲しさに監察を曲げて子爵を罪に落としたと、あらぬ噂をされるかもしれない。その上、上手く治めることができなければ国王の叱責や貴族の誹りを受け、失望されることになる。
仮に良く治め豊かな地にすることができても、いずれ何年かの先には返上する定めで、自分の領地になるわけでもない。
どこをどう考えても引き受けて得になることは何も無く、ここにいる二人が断ったのも当然だ。それを受けては、また『愚か者』と今よりさらに見下されることになるだろう。これはどうあっても断るべきだ。
だが、ユーキが謝絶のために顔を上げようとした時、子爵領で出会った人たちのことが思い出された。
悪政の苦しみを訴えていた菓子屋の女主人、料理屋の主や給仕、代官の横暴から領民を守ろうと苦心していた衛兵長、土地への愛着を伝え、あるいは黒縮病に苦悩していた農夫たち。彼らを思い出すと、その暮らしを良くしたいという気持ちがふつふつと沸き上がって抑えられない。
さらに、ネルント開拓村の人々、マーシーやハンナ、開拓の日々を語った村長夫妻、そして戦いで誰よりも思い悩んだであろうケンの顔が目に浮かぶ。彼らがこれ以上怯え苦しむことがあってはならない。
良い領主、良い王とはどういうものなのか。以前からずっと考えてきたこの問いの答はまだわからない。
けれど、ひとつ、確かなことがある。彼らに幸せになって欲しい、幸せでいて欲しい。
僕はその手助けができる王族でいたい。
ユーキは決然と顔を上げ、こう答えずにはいられなかった。
「謹んでお引き受け致します」




