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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第四章 若者たちへの試練

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第九十六話 御裁断

承前


「シェルケンは来ておらんのか?!」


 国王が重ねて大声で問うと、横合いからグラウスマン伯爵が人垣を掻き分けて進み出た。


「陛下、畏れながら、申し上げます。シェルケン侯爵閣下は御持病の腰痛が重く、来ておられません。しかしながら、侯爵閣下からは、もう寄子ではないとの手切れ状をピオニル子爵から寄越されたと伺っております。私、侯爵閣下からその書状をお預かりして参りました」

「えぇっ! な、何ですと!」

「ピオニル、控えよ。グラウスマン、その書状を見せてみよ」


 驚愕の叫びを上げる子爵を横に見ながら進み出て伯爵が書状を恭しく差し出す。宰相経由で受け取った国王は一読した後に、宰相に返した。


「印を改めよ」

「はっ」


 やり取りを聞いて印章官が進み出てくる。その姿を見て、国王が訝しげに尋ねた。


「うん? 今日の印章官の当直はデイン子爵ではなかったか?」

「デイン子爵も本日は欠席です」


「彼も腰痛でしょうかな」

「どうも腰痛が大流行の様だな。黒縮病より(たち)が悪いな」


 当直の官の返事を聞いて宰相が独り言のように言い、国王が玉座に座り直しながら応えると周囲から笑いが洩れる。


「ピオニル子爵の印に間違いございません」


 印章官が確認を終え、書状をグラウスマン伯爵に返却した。

 国王は眉根に皺を寄せながら問うた。


「グラウスマン、どういうことなのだ。事情を説明せよ」

「はい、陛下。侯爵閣下に伺ったところでは、子爵家の顧問として閣下が付けたニードという男から、以前に送られて参ったそうですの。その男も侯爵閣下の下から子爵家に完全に勤め替えをしたとかで、閣下は、『あの程度の凡才、何の惜しくもない。餞別代りにくれてやった』と笑っておいででしたわ」

「手切れ状を送り付けられたのか? それはまた随分と無礼だが、シェルケンは子爵を呼び出して直接確認もせず、そのまま受け取ったのか?」

「……それは、侯爵閣下は寛大なお方でございますし、逃げ去る鼠の顔を見ても仕方がないと言うことでしょう。寄子の一人や二人(ごと)きで煩く騒ぎ立てるような蚊虻(ぶんぼう)の輩でもございませんし」

「ほほう、彼奴(あやつ)が寛大だったとはな。これは久し振りに耳新しいことを聞いたな。牛羊(ぎゅうよう)を走らすどころか、普段は自分がそこらの廊下をうろうろと走り回っておるようだが」


 グラウスマン伯爵に返した国王の皮肉を聞いて周囲はどっと失笑を洩らしたが、ピオニル子爵は呆然としていた。


 そんな事、自分は知らない。グラウスマン伯爵も、さっきはそんな事、おくびにも出さなかったじゃないか。


 ピオニル子爵は我に返ると慌てて口を出した。


「そんなはずが……私には憶えのないことです。ニードに領印を預けていたため、勝手に手切れ状を作ったものと思われます」

「それは、その男を取り調べればわかるであろう。スタイリス、そこはどうなっておるのか?」

「はっ。代官は既に死亡しております。ユークリウス、詳細を申し上げよ」


 国王の問いは正使によってまたユーキに振り向けられる。


「はい、その代官、ニードは(くだん)の村に差し向けられた兵の指揮をとっておりましたが、村人の抵抗を受けた際に部下の裏切りに遭い、殺害されました。そのため、直接の取り調べはできませんでした」

「『死人と賢者は沈黙を守る』か」


 ユーキの報告を聞いて洩らした国王の呟きに、グラウスマン伯爵は下を向いてニヤリと笑う。そこに宰相が口を挟んだ。


「侯爵からは手切れ状に受け書は出されたのかな?」


 グラウスマン伯爵は思わず顔を嫌そうに歪めたが、一瞬のうちに微笑を取り戻して肯定した。


「はい、そのように伺っております」

「そんなものは戴いておりません!」


 ピオニル子爵が叫ぶが、グラウスマン伯爵は動じない。


「しかしながら、手切れ状は現にここにございますわ。子爵、受け書が無いと言われても困ります。それをどう(あか)されるおつもりで? 一度そちらに渡されたものがどうなったかは侯爵閣下には無関係ですわ。そう、どこかに隠されているか、あるいは既に廃棄されてしまったのかもしれませんわ、陛下」

「それはそうよな」


「現に、子爵は代官からの書簡を焼却したとの証拠もありますね」


 正使スタイリス王子が嬉しそうに口を挟み、味方を得た思いからか、伯爵の口角が再び上がる。一方で子爵は悲鳴にも似た声を洩らす。


「そんな……」

「まあ、他から薦められたか否かに関わらず、代官の行いは領主の責任だ。グラウスマン、もう良い。控えておれ」

「はい、失礼いたしました」


 国王の指示にグラウスマン伯爵は『したり』との思いを隠し、子爵には一瞥もくれずに、立ち並ぶ貴族の列へと澄まし顔で引き下がり、国王は悲痛な顔の子爵に再び向き直った。


「そもそも領印を預け切りにするなど以ての外で、教育以前の問題だ。どうせ、印の使用記録を作成させてそれを確認することもしておらぬのであろう。それでは、何をされても文句は言えんわ。寄親の教育責任などがどうあれ、自分で何もしようとせぬ者に、教えも学びもあろう筈がない」

「……」

「そんな些事(さじ)よりも、兵の指揮とか言ったな? 子爵、村に対して討伐の兵を出したのか?」

「そ、それは、討伐などというつもりはございませんでした。ニードが、代官が、訴えについて和解する際には村人に威を示すために必要と言ったので、衛兵を連れて行くことを許可しただけです」

「威を示すとは?」

「村人を従わせるために」

「武を以って、か?」

「は、はい。逆らう者もおろうかと申しまして」

「ふむ。武を以って威を示し(げき)を平らげる。それが何故討伐ではないのだ?」

「そのようなつもりは……」


 碌な答えを返せない子爵に、国王の問いは容赦ない。


「其の方のつもりは聞いておらぬ。武を以って逆を討つのが何故討伐に当たらぬか、尋ねておる」

「畏れ入ります」


 平伏する他に応じる術が無い子爵に、国王はさらに手厳しい。


「そもそも、監察使が来ることがわかっていて、なぜ無断で兵を出した。予への訴えに対して威を示すとはどういうつもりだ? そのこと自体が、予への逆ではないか」

「そのようなつもりは毛頭ございません、申し訳ございません」

「それで戦いが起きたのだな。スタイリス、その結果はどうなった?」

「子爵側が敗れております」

「何?」


 正使が重々しい声で返した答えを聞いて国王は驚き、それまでピオニル子爵に落としていた目を振り向けた。


「敗れただと? 詳しく述べよ」

「はっ。ユークリウス、詳細を」

「はい」


 正使によってまたもや振り向けられた国王の問いに、ユーキは粛々と答えた。


「陛下、子爵側は二十一名が向かい、死者が先の代官を含めて二名、重傷者が六名です。残りも多くは軽傷を負いました」

「大損害だな。それほど激しい戦いが起きたのか。それで、村人側は?」

「村人側は直接には十九名が参加し、死者も目立った負傷者も無かったとのことです」

「……何と。子爵、其の方、我が騎士たるべき貴族でありながら小勢の村人に完敗したのか」


 国王の呆れ返った声と視線に、ピオニル子爵は俯き唇を噛み締める。


「申し訳ございません」

「申し訳ない、か。契約を破り、幼子(おさなご)(さら)おうとし、暴力を揮い死傷者を出し、訴えられた挙句に勝手に討伐を試みて敗れた。確かに申し訳なかろう。他に言うことは無いのか?」


 子爵は顔を真っ青にして体を震わせている。もう何の言葉も出てこない。

 国王は怒りと落胆で顔を(しか)めながら続けた。


「無いなら、そこで控えておれ! その戦いだが、村人がただ戦って衛兵隊に完勝したとは思い難い。スタイリス、その点、どうなのだ?」

「その点、ですか?」

「わからんのか? 何の戦準備(いくさぞなえ)も無く討伐隊といきなり戦って、村人が勝てるわけがないであろうということだ! 戦の過程も十分に吟味したのであろうな? どうなのだ!」

「は、そ、それは村を調査したユークリウスに報告させます。ユークリウス、何をもたもたしている、早く申し上げろっ」


 スタイリスは顔を蒼くした。国王の勘気は最早沸き立つほどだ。迂闊なことを言ってそれが自分に向いてはたまらない。慌てて国王の問いをユーキに振った。

 国王は厳しい目をそのままユーキに向けたが、ユーキにとってはここまでと同様に、自らの足を運んで調べたことにすぎない。淡々と報告するだけである。


「はい、村人は陛下への訴えの取次ぎをクリーゲブルグ辺境伯閣下に願い出るのに先立って、その二か月ほど前から戦の準備を始めております。これは先に申し上げた、代官による増税の申し渡しと子(さら)いの試みの直後に当たります。準備の内容としては、予定戦場の選択、戦術検討、武器や仕掛け類の作成、武術の鍛錬等を行っております」


 ユーキが冷静にケンたちの戦略を並べると、聞いていた国王の顔付きが怒りから驚愕に変わった。


「……待て。ユークリウス、その村には、軍の士官経験者でもおるのか?」

「いえ。傭兵経験がある者はおりましたが」

「では、何故、そのような行き届いた準備ができたのか。素人とは思えん」

「どうやら村の外に、村人に戦略を授けた者がいたようです。指揮を執った者に問い質しましたが、その名は明かしませんでした。全ての責は自分にあり、如何様(いかよう)な御処分にも服す覚悟をしているとだけ、粛々と述べておりました」

「……そうか。そこまでか。一介の村人が全てを背負う覚悟を決めておる、か」

「はい」


 国王がユーキへの問いを止め、表情を消して無言になった。


 沈黙は時に怒声よりも怖ろしい。

 (すく)み上ったのは子爵だけではなかった。もしも国王陛下が調査結果に不満を持たれたのなら、その(いか)りは監察団に、その責任者に向きかねない。正使スタイリス王子は湧き上がる不安から逃れようとしたのか黙っておられず、ユーキに突っ掛かった。


「ユークリウス、その話は私は聞いていないぞ。なぜ正使である私に報告しなかった!」


「正使殿下」


 顔を紅潮させて正使が憤る。横に立つ副使クレベール王子が声を掛けたが聞こうとはしない。


「お前は勝手なことばかり!」

「正使殿下!」


 だが副使はその袖を強く引き、一歩進んで前に立って遮った。無理やり止められたスタイリス王子は眼を吊り上げて弟を怒鳴り付けた。


「クレベール、邪魔するな、何だ!」


 だが、クレベール王子は兄の怒声には慣れている。怯えることもなく冷静に応じる。


「正使殿下、ユークリウス殿下は正使殿下に報告しております」

「嘘を言え! 聞いていないぞ!」

「正使殿下、陛下の御前です。どうぞお静まりください。はい、口頭での報告はありません。ですが、ユークリウス殿下が正使殿下に提出した戦闘報告書には、先程の内容が全てさらに詳細に記載されております。私は読みましたし、勿論、正使殿下もお読みのことと思いますが」

「え? 俺はそんなもの……」


「読んでいない」と思わず言い掛けてスタイリス王子は我に返った。配下から提出された報告書を読んでいないなどと正使が言っていいはずが無い。気が付くと周囲の訝しげな視線が自分に集まっている。

 正使は慌てて姿勢を正し、咳払いを一つして呼吸を整えてから取り繕った。


「ああ、いや、そうだったかも知れん。忘れていた」

「はい。調査の内容が多岐に渡っているため、失念されたのかと」

「う、うむ、その通りだ。だが、重要なことであれば、口頭でも報告するべきだろう。ユークリウス、その点お前は……」


「スタイリス、止めよ。ここは見習を指導する場ではない。後にせよ」


 尚もユーキを咎めようとするスタイリス王子を、暫し考えに沈んでいた国王が止めた。正使殿下は慌てて口を噤む。


「スタイリス、その戦闘報告書は後で読ませてもらおう。それより、本件の処断だ」


 調べは済んだのだ。広い謁見室に静粛が戻る。

 国王は視線を宙に上げた。また沈黙が暫し続き、やがて再び口を開いた。


「訴えの契約については、これを認め、辺境伯のものも村のものも、全てを旧に復させるべきであろう。それはそれで良い。では、子爵はどうすべきか。宰相、何か意見はあるか?」

「陛下、陛下の監察に逆らって兵を出した件、戦闘参加者のみならず無辜の民にも死傷者を出した件、幼児を(さら)わんとした件。契約違反や酷税を別にしても、これらは取り分け重いと言わざるを得ません。いずれも、極刑にも相当する罪と存じます」

「そうだのう」


 厳しく重々しい声での国王と宰相のやり取りを聞いて、子爵は跪いていられなくなった。両足の上に腰を落とし両手を床に突き、さらに大きく震え始めた。

 周囲に並んだ貴族たちは冷ややかな、あるいは痛ましげな視線を子爵に注いでいるが、所詮彼らにとっては他人事、竜の吐く火に焼かれる者を横から眺めているだけである。寄親にすら捨てられ国王に責められる子爵を気の毒に思って迂闊に口を出しても得られるものは何も無く、わざわざ共に焔に炙られに行く者など誰もいない。


 しかし一人だけ他人事と思わぬ者がいた。訴えの一方の当事者であるクリーゲブルグ辺境伯である。彼は審理の間中は、沈黙して成り行きを見守っていた。

 得るべきものは得られた。契約は自領のものもネルント開拓村のものも元通りになる。暴虐を揮っていたニードは死んでもういない。訴えが通りさえすれば相手方がどのようになろうと知ったことではない。


 だが、ただ一つ、その相手は亡き親友のただ一人の子息なのである。一時は娘の嫁ぎ先にとも考えた若者の見る影も無い姿は、黙って見ておられるものではない。

 辺境伯は(たま)らず前に出ようとした。


 だがその時、それに先んじてユーキが国王に向かって力強い声を上げた。


「陛下、畏れながら具申したく」

「何だ、ユークリウス。意見があるなら申せ。だがお前は今回は見習の身、正副使を差し置いての具申が詰まらぬものであらば許さんぞ」


 国王の声はユーキに対しても厳しい。今までのユーキの発言は正使の指示を受けてのものである。何か落ち度があっても、最終的な責任は正使が取ることになる。だが今度は違う。自分で望んで言うことには自分自身が全ての責を負わなければならないのだ。

 それでもユーキは怖じけない。むしろ握った手に力を込め、さらに声を張った。


「陛下、今の所、ピオニル子爵の落ち度にのみ目が向けられておりますが、村人の側も合わせて考えるべきではないでしょうか」

「どのようにか。申してみよ」

「今回、村人側が領主と戦う準備をした事、これは事実です」

「ふむ。それも玄人跣(くろうとはだし)の周到な準備だったようだな」

「はい、その周到さは、その気になればより大きな損害を衛兵隊に与え、潰滅させることもできたであろうほどです。陛下、陛下に訴え出ておきながら静粛に御裁断を待たず、戦の準備を念入りに行ったことは不届きです。このようなことが他に広まれば、政の秩序を崩し、国の乱れに繋がりかねません。それを思えば何らかの処分を下されてもおかしくはありません」


 見落とされていた論点を挙げられて、国王が「うっ」と詰まった。ユーキをじろりと睨みながら応じる。


「それはそうだ。それも考えんとならんな」

「はい。但し、その準備は代官による暴力を受けたために始めたものです。前子爵の罹病と病死による開発の停滞のその中で、過酷な増税を申し渡されたその上に暴力と未遂とはいえ子攫いの暴虐、村人が自力での防衛を思い立つのも無理はありません。実際の戦でも、村人は過剰な攻撃を控え守りに徹しました。それは、あくまで自衛のため、子供を守るための戦いであらねばと自覚していたからと考えられます。その点、汲むべきものもあるかと思います」


 ユーキは国王に向かって胸を張って敢然と説き続ける。

 周囲の貴族たちからは最初は囁き声が聞こえていたが次第次第に静まり、やがては皆がユーキに注目し、耳を傾けて聞き入り始めた。国王も最早口を挟まず、ユーキの力強い声だけが響く。


「事情を聴取した際には、戦の指揮者と村長は、どちらも全ての責を自分一人で負おうとしておりました。それに留まらず他の村人たちも、老いも若きも、幼気(いたいけ)な者さえも互いを気遣い庇い合っておりました。代官に攫われ掛けた件の幼子は、手を組んで真剣な眼差しで、己のみならず村の全てが安心して暮らせるようにとの願いを陛下に伝えて欲しいと、まだ(つたな)い言葉で願いました。その祈りのような願い、平和な暮らしの再来は、村人一同が(あまね)く望むものでした。

 一方、子爵の側も、裁かれるべき罪は多く重いとは言え、その多くは政を任された代官が行ったもの。増税一つを取ってみても、子爵が一エーカー当たり一ヴィンド五十リーグを指示したものを、代官はさらに上乗せした二ヴィンドを領民に命じており、その領主を軽んじた専横放逸は明らかです。契約の不履行、また監督が行き届かず代官の放埓を許した責は子爵自身にあるとしても、それ以外も全てを領主一人に担わせて、領主諸侯の納得が得られるでしょうか」


 ユーキはそこで一度言葉を切ると、国王から視線を移し、周囲に立ち並ぶ貴族一同を見回した。そして目を辺境伯に停めると、再び力を込めて論じ始めた。


「さらに申さば、もう一方(ひとかた)の訴人であるクリーゲブルグ辺境伯閣下にも問わねばならないことがありましょう」


 それを聞いて、辺境伯の肩がぴくっと震えた。思いも掛けず自分の名を挙げられて動揺したのかも知れないが、それは押し隠して表情には出さない。しかしその美髯の端は小さく動いている。

 辺境伯はユーキに真っ直ぐに向き直るとその低い声で問い直した。


「ユークリウス殿下、私が何か?」


 辺境伯の鋭い眼光と冷ややかとも言えるその声にもユーキは怯まない。


「閣下、ピオニル子爵が関税を上げ、秋播きの小麦の作付けを増やしてから既に何か月もが過ぎております。閣下は隣領の主として早くにそれを察知し、御自身との契約が破られたことを知ったはず。にも関わらず、先日まで訴えを起こされなかったのは何故でしょうか」

「それは……」


 辺境伯は思わず言葉に詰まる。

 ユーキは再び国王に向いた。


「陛下、もし辺境伯閣下が直ちに違約を訴えていれば、ピオニル子爵は事がこれほど重大になる前に、自らを正す機会を得られていたでしょう。契約の意味を悟りそれを守ることの重要性を覚え、引いては、違約を薦めた代官の非を知りこれを退けることもできたかもしれません」


 そしてまた辺境伯に向く。


「辺境伯閣下、閣下は亡き先代ピオニル子爵と深い友誼を結んでおられた御様子。(おもえ)らく、その子息である当代子爵と事を構えるを(はばか)り、違約を責めるを躊躇われたのではないかと。そうであれば、そのお気持ちはお察しするに余りあります。しかしながらその躊躇いは、当代から学びの機会を奪うことになり、かえって仇となったのではありませんか?」

「それは……、否定できません」

「この度の訴えは、遅蒔きながらも、子爵に身を正させたいとの思いもあったのでは?」

「……それもまた殿下の御指摘通り、畏れ入ります」


 辺境伯はユーキに深く頭を下げた。

 ユーキは三度(みたび)国王に向き直った。国王は先程までの怒りを込めた声を鎮めて、静かな声でユーキに問うた。


「では、それらを踏まえてどう処断すべきとお前は考えるのか?」

「はい、これらの事情を鑑みれば、まず村人側には陛下からの御叱言を与えた上で今回に限るという条件を付けて不問とし、その代わりにピオニル子爵への罰も一等減じ、更生の機会を与えては如何でしょうか。契約不履行と代官への監督不行き届きのみで刑を極まらせるのは酷に過ぎるのではないかと考えます。どうか御賢察をお願い申し上げます」


 ユーキは自説を述べ終えると、監察団員の列の中に引き下がった。

 国王は聞き終えると少し考えた後に独り言のように洩らした。


「ふむ。放埓を行った代官も、最後はともかく、元々は他から薦められた者ではあったな」


 そして目をスタイリス王子に向ける。


「正使スタイリス、どう思うか」


 スタイリス王子はユーキが滔々と論じ立てるのを忌々しそうに見ていたが、国王にいきなり意見を求められて狼狽した。監察団の責任者たる正使であれば当然のこととして調査結果の総括と処断の案を求められる。それを忘れて油断していたのだ。


「わ、私ですか?」

「そうだ。ユークリウスの説を踏まえた上で、お前自身の意見はどうか」

「え、いえ、処断は陛下がお決めになられるもの、私共はそれに従うべきで、意見具申するとは僭越であります」

「正使として意見は無い、国王の一存で決めよということだな。わかった」

「いえ、そういう意味では……」

「いや、無ければ無いで構わん。『国王の一存』もまた案の一つだ」


 正使は身も蓋もない国王の言葉に焦りを見せ、何かを言おうとしたが、国王の視線は既に副使に移っていた。


「クレベール、副使の意見は?」

「はい、私はユークリウス殿下に賛成を致します。挙げられるべきは殿下の言で尽くされたと。敢えて付け加えるならば、代官個人の放逸で領主に厳罰を下されては、領主諸侯が我が身を怖れ帰領して領政に専念せざるを得なくなり、中央での政に参加できず国政が滞る恐れがあることを申し上げます。御高察願わしう」


 クレベール王子が短く述べると、詰め掛けた貴族に頷きの波が起こった。副使の言葉で、ユーキの意見には同じく領主である彼らへの配慮も含まれていることを理解したのだ。


「そうか。わかった」


 国王も短く応じて傍らに立つ宰相を向いた。


「宰相、お前の考えはどうか」

「はい、私もユークリウス殿下の説には理があると考えます。それに子爵はまだ若い身。彼も、人とはどうあるべきかを学んだのではないでしょうか。そうであれば、今回に限り、罰を軽減してもよろしいかと」


 最も重きを置く腹心の意見を聞き終わった国王は、暫し黙然と瞑目した後に(かっ)と目を見開き厳しい声に戻って子爵に問うた。


「ペルシュウィン・ピオニル、どうだ?」


 我が身の明日を覆い尽くさんとする暗闇の中、思いも寄らず、見習であるはずのユークリウス殿下によって(もたら)された一筋の光明に、子爵はその眼を光らせていた。(かす)れる声を震わせて国王に懸命に訴える。


「何卒、陛下の御慈悲を賜りたく、お願い申し上げます」

「もし罰を減ぜられたら、お前自身はどうなりたいか?」


 これが最後の機会である。

 周囲の一同が息を呑んで見守る中、子爵は落としていた腰を上げ、懸命に姿勢を正し胸に手を当て(こうべ)を垂れた。


「はい。……領主たる威厳をもって領民に当たり、」


「オホン」


 咳の音がした。


「粛々と権能を揮って彼らを導き、」

「オホン、オホン」


 宰相がわざとらしく大きな動作で咳払いを繰り返し『そうではない』と子爵の視線を引こうとしたが、頭を垂れていた子爵は気付けなかった。国王も手を上げて遮り、宰相の咳音(がいおん)は消えた。


「貴族の体面を保ち、以って陛下の御威光を領内に遍く……」


 それ以上は言えなかった。


「もう良い! 止めよ!!」


 今日最も大きい国王の怒声が子爵の耳に突き刺さったのだ。


「継爵の際と、同じ事を言っておるではないか! あの時にそう言っておいて、お前はいったい何をしたのか? お前の罪は、予の民を預け続けることができるようなものではない。予は、領主としてではない、お前自身のことを問うたのだ。何も学んでおらぬではないか! 村人ですら、責を自覚し罰への覚悟を決めておるのだぞ!」

「それは……」

「折角ユークリウスが垂らした最後の救いの綱に、自ら輪を結ぼうというのか」

「そんな……」

「黙れ! もう沢山だ、下がれ! 沙汰は後ほど伝える!」


 国王の激しい叱責に子爵は口を開けたまま涙を流し始めて座り込んでしまい、腰が抜けたのか立ち上がれない。宰相が手を振ると、二名の近衛兵が出てきて両側から子爵の脇を抱え上げ、半ば引き摺るようにして謁見室から連れ出した。立ち並ぶ面々はそれぞれ様々な思いでそれをただ見守る。


 あれだけ貴族としての体面に拘ったペルシュウィン・ピオニル子爵の姿には、威厳の欠片(かけら)も残っていなかった。

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