第九十二話 代官の部屋
承前
結局代官の部屋には、ユーキとクレベール王子、そして前回の捜査を担当した者の代表としてイザーク・アルホフ卿、そしてそれぞれの従者の計六名が向かった。
ベアトリクスも随行したいとアデリーヌと二人掛かりでユーキに懸命にせがんだが、居残って村での調査結果の報告案を作ることを命じられ、両手を握り締めて無念そうにしていた。
現地に着くとアルホフ卿が家主から部屋の鍵を借り出してきて部屋の扉の前に立ち、その鍵で開こうとした。だがユーキはそれを押し留め、衣嚢から代官ニードの遺品の鍵束を出した。
「ユークリウス殿下、それは?」
「これは代官の遺体から発見された鍵です。全部で六本あります」
クレベール王子にそう答えると、鍵穴に差し込んで回す。一本目、二本目の鍵は合わなかったが、三本目でがちゃりと錠が解ける音がした。
扉を開け、従者たちを廊下に残して三人が部屋に入る。突き当りの窓には厚手の窓帳が掛かっており、暗い。ユーキが窓に近付き帳を開いて鎧戸を押し広げると、外光が差し込んで室内の様子が一時に明らかになった。
「確かに狭い部屋だな。それに物が少ない」
入り口から右側の壁際の机と寝台。左側には広い敷物の上の大きな瓶、そして書棚。部屋の中の数えるほどしかない家具類を見回して、クレベール王子が率直な感想を述べた。
「そうですね」
ユーキは答えると机に近寄り、また鍵を差して回した。今度は二本目で音がして、錠が掛かった。もう一度回して解錠する。
その様子を見て、クレベール王子が問い掛けた。
「六本のうち、これで二本が済んだ。後の四本は?」
「部屋の鍵二本は子爵邸の先代子爵と代官の執務室の扉の鍵でしょう。残り二本のうち一本は子爵邸の代官の執務机用として、もう一本はかなり新しいように見えます。恐らく、代官が作成した子爵の執務室の机の合鍵かと思います」
ユーキが鍵束を差し出しながら答える。
「では、六本の鍵の全てが六個の錠と対になったわけだ。やはり、もう何も無いのではないか? この部屋にも何も無さそうだぞ、ユークリウス殿下」
受け取った鍵を確かめるクレベール王子の疑わしげな声が聞こえるが、ユーキは答えずに考える。
確かに何も無い。無さすぎる。
ユーキが黙っていると、今まで沈黙を守って立っていたアルホフ卿が冷ややかな声を出した。
「我々も全員で確かめました。このように何も無い部屋ですので、見落としはあり得ません。副使殿下もおっしゃられたように、契約書だけを特別に隠す理由も無いのですから。何を期待されたのか存じませんが、いくら探されても何も出ないと思います。ユークリウス殿下」
無愛想に告げられた言葉の最後に付け足された呼び掛けが、『もういいでしょう、早く諦めて下さい』と言わんばかりである。それでもユーキが応じずに部屋を眺め回していると、今度は入り口で控えていたクルティスが中を覗き込んで言った。
「本当に何も無い部屋ですね、殿下」
そして両側の壁と天井を見上げて付け加える。
「それに、狭いっていうか、壁が迫ってくる感じがするというか」
「そうだね」
クレベール王子とアルホフ卿が無言でこちらを見詰める中、ユーキは顔を上げて部屋の反対側を見た。
大きな書棚の隣に、剣立て代わりの水瓶が敷物の上に置かれており、粗末な模造剣が三本無造作に突っ込まれている。
もう一度、机と寝台を見る。他には何も無い。代官はこんな簡素な部屋でどう生活していたのだろうか。
考えろ。考えるんだ。代官は死んでもういない。尋ねても答は返ってこない。もう、自分で考え出すしかないんだ。
ユーキは『頭の中で自分を動かすの』『想像力を豊かにすることよ』というメリエンネ王女の教えを思い出した。
よし、自分自身が代官だと思い、頭の中で一日を暮らしてみよう。
この部屋で朝起きて、共同洗面所へ行って用を足して顔を洗い、着替えて子爵邸に出勤する。昼間中働いて子爵邸で夕食や入浴を済ませて帰ってきて、集めてきた請求書や領収書を纏めて裏帳簿の表に記入する。翌日にそれを子爵邸に持って行って、正規の経理表に適当に上乗せした金額を書くためだ。終わったら夜着に着替え、暫し酒を飲んで楽しみ、その後に寝台に寝転がって眠りに付く。
…………
ああ、そうか。着替えられない。何が無いのか、わかった。
顔を上げると、クレベール王子たちはまだ全く同じ姿勢でこちらを見ている。自分では随分長く考えてしまったように感じて少し焦ったが、実際にはまだ一分も経っていないのだろう。
ユーキは自分自身が可笑しくなり、つい、口の端を上げた。笑いが声に零れてしまわないように急いで気を引き締めながら書棚に歩み寄る。そしてその下段の酒瓶を机の上に動かしながら言った。
「クルティス、その瓶を動かして、敷物を捲ってみてくれないか」
クルティスは「失礼します」とクレベール王子に断って部屋に入ると手早く水瓶をどかし、敷物を大きく捲る。
その下から現れた床板には、物を引き摺った跡が付いていた。
全員の目が一斉に集まり、アルホフ卿が息を吞む声にならない声が部屋に響いた。床のその瑕跡は、書棚の下へと続いている。
「クルティス、手伝ってくれ」
「殿下、私一人で大丈夫です。軽いもんです。よっと」
中の物を出し終わったユーキが書棚の片端を持ちながらクルティスに命じたが、クルティスはユーキを下がらせてそれを軽々と持ち上げた。そのまま横に動かしていくと、後ろに隠れていた小さな扉が現れた。
「……殿下、書棚に置かれた物が少ないのは、こういうことだったんですね」
「衣裳部屋か。家具に衣装棚が足りない、ユークリウス殿下、そういうことだったのだな」
クルティスの言葉にクレベール王子が応えると、アルホフ卿が狼狽して叫んだ。
「申し訳ありません!」
その顔が真っ赤になっている。
「まさか、隠し部屋があるとは思わず……何と申し上げて良いか……迂闊でした……」
慚愧の念に堪えない様子で頭を下げて立ち尽し両手を握り締めている男に、ユーキはできるだけ穏やかな声を心掛けて話し掛けた。
「どうか気に病まないように」
「ですが、殿下、自分では十分に確かめたつもりだったのです。それが、あれほど失礼なことまで申し上げておきながらこの有様です。私こそが役立たずの愚か者でした。何とお詫びを申し上げれば良いのか……」
アルホフ卿はまだ頭を下げたままで、体を震わせている。自分を深く恥じているのだろう。
「アルホフ卿、それは違うと思います。貴方は前回の捜索で大きな手柄を上げました。貴方が子爵の手の者に先んじて、代官による書類捏造の証拠を見付けた、それは輝かしい功績です。もし貴方がしくじっていたら、私たちはここに来れなかったかもしれないのです。そのことを忘れないで下さい」
「ですがもっと重要なものを見落としてしまいました」
「何かを見付ければそれに注意が集まってしまい、他に目が行かなくなるのも無理は無い。誰にでも失敗はあります。一度の過ちで自分を責め過ぎないで欲しいのです。どうかこの経験を糧にして次に活かして欲しいと思います」
「……お言葉、有難うございます」
アルホフ卿がユーキに向かって頭をさらに深く下げると、クレベール王子が言葉を添えた。
「そしてその見落としを見付けるには、別の目、それも思い込みなしに見る目が必要だったということか。私も迂闊だったな。アルホフ卿、ユークリウス殿下の言う通りだ。自分を恥じる必要は無い。兄上が何か言うようであれば、私から取り成すから心配しなくて良い」
そう言いながら現れた扉に歩み寄って開こうとしたが、錠が掛かっていて開かない。
ユーキは近付いて行き、もう一本の鍵を取り出した。村の塔の上でケンに渡された鍵だ。
「それは?」
「これも代官の遺体から見付かった鍵です。部屋や机の鍵とは別に持っていたようです。別に持っていたからには、別の意味があるのだろうと思いました」
言いながら鍵穴に差してゆっくりと捻ると、コトリと音がして、回った。
それを見て、クレベールが大きく深く、「はぁあ」と溜息を吐いてから問いを放った。
「さっきも思ったが、そのようなものを発見していたのなら、なぜ、兄上の前で出さなかったのだ? そうすれば、あのようなことを言われずに済んだだろうに」
ユーキは静かに答えた。
「先に出せば、私がここに来るのを正使殿下にお認めいただけないかもしれないと思いましたので。何を言われたとしても、どうしても自分で確かめたかったのです」
「なるほどな。兄上なら『自分が行くから寄越せ、お前はここで待っていろ』と言い出しかねないか」
「今回の調査では色々と学ばせていただきました。何を言われても動じるべきではないこと、証拠は向こうから歩いてはこないこと、自分の足で現場に行き人々と直接言葉を交わさなければ真実は見出せないこと、それから……」
そこまで言うとユーキは困ったような申し訳ないというような笑みを浮かべて続けた。
「『手札の全てを先に曝すな』ということは副使殿下から学びました」
それを聞いてクレベール王子は「フッ」と笑った。
「そして『最良の札は最高の局面で使え』、か」
「その殿下や他の皆も欺くようなことになってしまいましたが」
「策とあらば、止むを得まいな。私たちは貴殿にものの見事に踊らされたわけだ。我ながら、正に道化だな」
「真に申し訳ありません」
頭を下げようとするユーキを、クレベール王子は右手を上げて人差し指を左右に小さく振って制する。
「いや、謝罪は不要だ。調査のためだ、気にせずとも良い。道化役とはいえ、舞台に上げてもらったのだ。折角の趣向、最後まで踊らせてもらうとしよう」
そしてニヤリと笑顔を造り上げると、その右手を扉の方にヒラリと振りながら芝居めかして言った。
「ならば、いざ、いざ、封印解呪を願おうか。いとも妖しき洞の闇、光に怯えて飛び出すは、さあて、只の蝙蝠か、あるいは吸血鬼閣下の御登場かな?」




