第九十話 村の未来、ケンの未来
承前
初日の調査はマーシーとハンナ親子への聞き取りで打ち止めとなり、アデリーヌが記録を作成するのを全員で手伝って終わった。
夕食には『簡素に普段と同じものを』と依頼していたが、村長の妻が心尽くしの品々を食卓に並べ、一行は感謝して村長の家族と一緒にいただいた。村長一家は遠慮しようとしたが、ユーキが「時間がないので食べながらでも村の事情を話して欲しい」と無理を言って席を共にしてもらった。
夕食の席での話題は村を開いた頃のこととなり、村長と妻が訥々と語る思い出に耳を傾けた。
先代子爵と共に道を拓き、開村の場所を定めて建てた家。
最初に集落を作った十家族。
黒狼の遠吠えに怯え、火を焚いて過ごした夜。
貧しいながらも、先代からの支援で何とか切り抜けた一年目、二年目。
養子に迎えたケン。その後に生まれたレオン。
何とか自給が可能になり、増え始めた入植者。
村で生まれ元気に育つ子供たち。
村人の願いで皆で建てた教会と、先代が寄付してくれた鐘楼の鐘。
開村時に護衛を引き受けてくれたマーシーの入村とマリアとの結婚。
結婚式で鳴り渡ったその鐘の音。
作物を荒らす鼠や兎、家畜を狙う狐や穴熊との闘い。
徐々に広がる畑。
静かに語る父母を尊敬と憧れの目で見ながら聞くレオンと伏し目がちのケンの様子にユーキは気が付いたが、何も言わずにいた。
話が開村から十五年、先代領主との契約期間の半分が過ぎ村の規模もそれなりになり生活も安定した頃に差し掛かると、村長の声が暗くなった。
これからの開拓の方針をどうするか、このまま食糧主体の農村として拡大していくか、換金作物や加工品に切り換えるのか。
先代に相談し、周辺の地域の調査を始めた頃に先代とその娘が発病し、開拓が停滞した。
そして領主の代替わりとニードの来村。
そこで村長の話は終わった。
暗くなりそうな雰囲気を変えようとしてか、ベアトリクスが村の将来に話題を切り替えた。
「村長としては、村をどう発展させたいと考えておられるのですか?」
「そうですね。ここは高地の分、気温が低いです。ですから、低地と同じ作物を作っていては、収量も品質も勝てない。自家消費に終わってしまうと思います。そうすると、少しずつ人が増えたとしても、大きな発展はできない。現在の税率の期間……仮に国王陛下が契約の有効性をお認めくださったとしてですが……契約期間が終了し税率が他村と同じに上がった時点で、それ以上の発展は見込めなくなると思います。そうなる前、現在の税率の間に、方向を転換したいと考えています」
「なるほど。例えば、単価の高い作物を作り、現金収入を増やす、という方向でしょうか?」
「はい。具体的な案はないのですが。もしよろしければ、御助言をお願いできますか?」
「うーん、難しいですわね。綿や菜種のような換金作物は、相場変動がそれなりに大きいので。主要産地での作柄に影響を受け易いですわ。上手く取引するには情報収集が重要ですが、北部の大都市から離れているこちらではなかなか難しいかと」
「ケンはどう思う?」
ユーキはどこか寂しげにしているケンに水を向けてみた。
「俺は、そういう事が良くわからないんです。あまり勉強していないんで。申し訳ありません。レオンはどう思う?」
ケンは自分では答えずに、義弟に問いを振り向けた。やはり、気を遣っているのだろう。
「俺は、やっぱり、麓との距離とか峠の坂のこととかを考えると、大きな物、重い物は難しいと思います。あと、鮮度が重要なものも。軽くて高い物、となると、布地とかの加工品の方が良いのかなとか、思ってます」
「だが、それには、製糸機や織機を入れ、原材料となる麻、あるいは綿や桑の木を育てなければならんぞ、レオン。かなりの額の元手が必要だ。簡単なことではないぞ」
「そうですね、父さん」
レオンは村長とそっくりな赤毛の髪を振りながら頷き、嬉しそうに村長に答えている。本当に尊敬しているのだろう。
だが、ケンの様子はやはり気に掛かる。他の者も同じように感じているようで、微妙な空気が漂いそうになる。
ユーキはまた話題を変えることにして村長に尋ねた。
「先代の領主は、どのようなことを調査されていたのですか?」
「良く知らされていないのですが、開拓に有用な資源を探すとのことでした。御病気になられる前は、度々御長女様と御一緒にここから馬で出掛けておられました」
「お二人切りで、ですか?」
「子爵様の従者の方も御一緒でしたが、そのお三方だけですね。私も随行を申し出たことがあるのですが、人数が多くなると小回りが利かなくなるのでと断られました」
「調査内容は知らされていなかった、と」
「いえ、当初は良くお話をされていました。川から水を引ける範囲であるとか、どっちの森が炭焼き用にできる木が多いとか、豚に食べさせる木の実が多く採れそうだから、こっちの森はあまり伐り拓かずに手入れをした方が良いとか」
「それが変わられた、と?」
「はい。ああ、南の山の方、クリーゲブルグ辺境伯様の御領の方角ですね、そちらを調べに行かれるようになってからは、『今日も収穫は無かった、役に立ちそうなものは見付からなかった』とおっしゃるようになられました。その後すぐにお体をお悪くされ、もうお見えになることはありませんでした」
「そうですか。いずれにせよ、特産品になりそうなものは見付かっていない、と言う事ですか」
「はい」
「ディートリッヒ嬢、何か良い考えはない?」
ベアトリクスはここまで微笑みを浮かべながら、ユーキと村長に口を挟まず、ときどき頷きながら静かに聞いていた。ユーキが話を向けると、彼女は「そうですね」と柔らかい口調で会話を引き取った。
「商人に助言を求めてみても良いのではないかと思いますわ。村長、この村には、行商人は頻繁に出入りしていますか?」
「いえ、年に数回、大方はフーシュ村に来た方がついでに寄られるだけです」
「主取引先となる商人を作られてはいかがですか? 村からの商いの多くを任せられるのであれば知恵を出す商人はいると思います。私は税務方に勤めておりますので、何人か心当たりはございます。よろしければ、紹介いたすこともできますが」
「有難うございます。ですが、お一方だけ、取引を求めておられた行商人の方がおりまして。この騒ぎが片付いたら、その方に連絡を取ってみようと思っています」
「この地に目を付けられた商人が既にいるのであれば、そちらと交渉するのが良いでしょうね。こちらから求めていくと、どうしても足許を見られますので」
「はい。そうしてみます」
「因みに、その方のお名前は?」
「カウフマンさんと言われます。ノルベルト・カウフマンさんです。王都に小さな店を構え、行商もされているとのことでした」
「聞き覚えはございませんね。大商人ではないのでしょう。ですが、既に大きな身代を持っている大商人よりも、これから伸びていこうとする方と一緒に成長するのは悪い考えではないと思います。有能な方であること、皆様の御成功をお祈りいたします」
「有難うございます。我々も、そう願っております」
ベアトリクスと村長の話が切れた所で、村長の妻が村長に話し掛けた。
「あなた、皆様はお疲れだと思います。夜も更けて参りましたし、そろそろお休みいただいた方がよろしいのでは」
「ああ、そうだな」
村長は妻に応じると、ユーキに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。話に夢中になって気が付きませんでした」
「いえ、明日もよろしくお願いします。できれば明日中に調査を終えられれば、と思っていますので引き続き協力をお願いします」
「承知致しました。それではごゆっくりお休みください」
ユーキと村長が挨拶を交わし、夕食は散会となった。
その夜、ユーキは暗闇の中の寝床で、マーシーに頼まれたケンのことを考えていた。
村への道で二人だけで交わした言葉、事情聴取の際のやり取り、夕食での様子。代官との戦いを整然と語る態度と責任を一人で負おうとする背筋の伸びた姿勢が目に浮かぶ。ケンが指揮官としての才と資質を秘めていることは間違いないと思える。
ケン自身は自分をどう考えているのだろう。ユーキは眠りに落ちるまで、ケンの心中を推し量っていた。
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翌朝、ユーキは日の出前に目覚めた。
薄暗がりの中で起き上がると同室のクルティスの寝台は既に空になっており、上掛けが畳んで置かれている。ユーキも寝台から抜け出して寝具の片付けをし、服装を整えて室外に出た。
まだ仄かに暗い彼誰時だが村はもう起きている様で、村人たちの生活の様々な音が微かに流れてくる。それに混じって、気合を発する聞き慣れた声が聞こえてきた。外へ出てみると、庭でクルティスが剣を振って朝の鍛錬をしていた。
「クルティス、おはよう」
声を掛けるとクルティスは手を止めずに返事をした。
「ユーキ様、おはようございます。そこの隅に、井戸があります。そこで顔を洗って構わないようです。それから、さっき、ケンがあっちの物見台の方に行きました」
「そうか」
「はい、気になられるようでしたら、行ってみられてはいかがでしょうか」
昨夜にケンのことを考えていたのは、クルティスには気付かれていたようだ。こいつ、勘も良いんだよな。武術の訓練の効果だろうか。
「わかった。そうするよ」
ユーキは井戸に行って水を汲み上げて顔を洗った。
とても冷たい。まだ残っていた眠気が一瞬で消える。持ってきていた手拭いで顔を拭き、さっぱりすると村長宅に隣接する物見台に近付いて行った。
見上げたが、ケンの姿は見えない。静かに考え事でもしているのだろうか、気配も感じ取れない。
ユーキは声を掛けてみることにした。
「おはよう、ケン。そこにいるのかい?」
すると上で物音がして、ケンが顔を覗かせた。
「おはようございます、殿下。何か御用ですか?」
「いや、用というわけではないんだけど。僕もそこに行ってもいいかな?」
「……構いませんが。その梯子を登ってきていただければ。どうぞお気を付けて」
「わかった。今行くよ」
ユーキが梯子を慎重に登って行くと、上からケンがこちらを心配そうに見ている。梯子から櫓に移るとほっとしたような顔で「どうぞ、こちらへ」と手摺りの方に招いた。
ユーキが手摺りに寄ると、ちょうど東の山から日が昇ろうとするところだった。
曙の光を破って太陽が山の端に現れたと思った瞬間に盆地を照らす。川の面に当たった陽光はちらちらと反射してユーキの眼を眩く射す。蒼く見えていた山や森があっという間に緑を取り戻すと盆地全体が蘇ったように風の精の吐息が押し寄せて、草や木の葉のざわめきを届け、ユーキとケンの金褐色と黒色の髪を揺らせて通り過ぎていく。
ユーキは魅了されて言葉にせずにはいられなかった。
「凄い景色だね。ケンは毎日これを見ているの?」
「子供の頃は、結構。今は村の用事とか義父さんの手伝いとかが忙しくなって、滅多に登らなくなりました」
「凄いなあ。この景色を見たら、誰でも感動するだろうなあ」
「……殿下が護られた方も?」
「それは言いっこなし、ということで」
「失礼しました」
ユーキは困ったような顔をしながら、逆にケンに尋ねた。
「そう言うケンの方はどう? 村に大事な人はいるのかな?」
尋ね返されて、少し緩んでいたケンの顔が淋しげなものに戻った。感情の籠らない声で静かに答える。
「村は、皆家族ですから。俺は、そういう風な目で村の娘を見れないです」
「そう。じゃあ、将来結婚するとしたら村の外で、かな」
「それも考えられないです。やっぱり、村が大事だから」
「ずっと一人で村にいる、と?」
「……はい」
「村長さんの跡継ぎは、弟さんに譲るつもりだって聞いたよ」
「マーシーからですか? おしゃべりだから」
「そうだね。でも、君のことを心配していたよ。良い人だね」
「はい」
ユーキは視線を一度ケンに向けた後に、また眼下の朝の村に戻した。そして、昨日マーシーがケンについて言った言葉を思い起こした。
『この村での立場とか居場所とかを自分で潰してしまう』か。なるほど、その通りなんだろう。
僕には菫さんがいる。辛いことや悲しいことも彼女には打ち明けられるし、励まし合うこともできる。ケンはそういう支えになってくれる存在さえも、無意識に作らないようにしているのだろうか。こんなにも村を愛し村に尽くしているのに、まるで村から愛されるのを怖がっているかのようだ。
かといって村から離れられるわけでもなく、一人でこの塔に登るように、村の中で自分をぽつんと隔離しようとしているのか。
そして結局、英雄は孤独になってしまう。それはあまりに淋しいじゃないか。
ユーキは村の景色を緩やかに見回しながら尋ねた。
「君はこの村で、何をしたいのかな。ああ、またお節介だね。僕の悪い癖だな。無理に答えなくていいから。勝手に喋るね」
「……」
ケンは答えず、ユーキの横に立って同じように村の家々を見下ろしている。
「君は今回、村を守った。村の皆は君に感謝している。でも、ずっと君に守られ続けたい、そう考えているだろうか?」
「……」
「村長の跡を継がなかったとして、君はここで何をしたい? 君の手が無ければ切り抜けられないような危機が、この先もずっと続くのかな?」
「……」
「もし、君が只の村人として生きていきたいというのなら何も問題はないと思う。でも、そうでないのなら、戦いで見せた君の能力を活かしたいと思うのなら、もしかすると君のいるべき場所はここではないかも知れない」
するとそれまで表情を変えずにユーキの話を聞いていたケンが、視線をさらに下に、櫓の床板に落として小さな声で答えた。
「そうかも知れません。俺も、殿下がおっしゃったようなことを考えたことは何度もあります。でも、今回みたいなことがまたあるかもしれないと思うと、心配で村を離れられません」
そう言うとケンは櫓の手摺りを両手で握り締めた。ユーキはそれを見て、マーシーの願い、『ケンを村の外へ』という願いを心の中で反芻した。だが、今はまだそれに触れるべき時ではないだろう。
「そうだね。それに、まずは今回の事が片付いてからだね。そう言えば、戦闘報告の方はどう?」
「はい、何とか。纏まらない所を頭の中で整理しようと思って、ここに来たという部分もあります」
「それじゃあ邪魔しちゃったんだね。申し訳ない。僕はもう降りることにするよ。よろしくね」
ユーキが梯子に手を掛けて降りようとした時、ケンが声を掛けてきた。
「あ、殿下、お待ちください」
「何?」
ユーキが顔を上げると、ケンはもぞもぞと衣嚢の中を探り、何かを取り出した。
「これ、昨日まで忘れていたんですけど、戦闘を振り返っているうちに思い出して……ニード、いえ、代官の遺体から、烏がつつき出していたものなんです。拾った切り、忘れてしまっていて。申し訳ありません。お受け取りください」
そう言ってケンがユーキに向かって差し出した物、昇ったばかりの朝日を反射して金色に輝くそれは、もう一つの鍵だった。
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ユーキたちは午前中に衛兵の重傷者たちを見舞った。その後にケンと衛兵長がそれぞれ提出した戦闘報告は、互いにほぼ矛盾がないものであった。
細部に違いはあったものの、重要な点、すなわち村人側が警告を発したこと、代官ニードが上訴の取り下げを要求し、拒否されて先に戦闘命令を出したこと、代官の二度の攻撃が村人側に跳ね返されたこと、代官が衛兵伍長ボーゼに殺されたこと、ボーゼが衛兵隊側を代表して降伏したこと、離脱した傭兵と死亡したニードを除き全員が一度は捕虜になったこと、ボーゼが武器を隠し持って偽降伏を行い、脱走を試みてケンに殺されたこと。
ユーキは戦闘報告の確認の最後にケンに尋ねた。
「ケン、君たちは入念な準備をして圧倒的優位を築いたんだね。これだけの準備を自分たちだけで考えて?」
「……」
「それとも、誰か他に指示をした人がいるのかな?」
ユーキが問うと、ケンは表情を消した。真っ直ぐに見詰めてくるユーキの視線を感じ、俯いて平板な声で答える。
「殿下、知恵を貸してくれた人、助言してくれた人はいます。ですが、全て自分たちが納得してやったことで、責任は俺にあります。それ以上はお答えできません」
ユーキは察した。『自分たち』つまり村の家族以外、外部の誰かがいたということだ。だが、問い詰めてもケンは決して答えないだろう。ケンの横に居る村長の顔をちらりと見る。やはり心を読み取られまいと硬い顔をしている。彼に尋ねても同じことだろう。
「わかった。それはこれ以上尋ねない。尋ねたいことはもう一つある。これだけの準備をしたのだから、やろうと思えば、もっと相手に損害を与えることもできたと思う。けれど君たちは、いや、指揮者である君はそうはしなかった。それは何故かな?」
「それは、相手を倒すのが目的ではありませんでしたから。村を、村の皆を守れればそれで良かったので。監察使様が領都まで来てくださるらしいことは知っておりました。守りに徹して相手の攻撃を凌げれば、後は監察使様が何とかしてくださると。ただ、ボーゼだけはどうしても逃がすわけには行かないと思いました」
「そう。わかりました」
それでユーキ一行のネルント村での調査は終わった。一行はフォンドー峠まで村長やケンたちの見送りを受け、フーシュ村で再び一泊して領都へと帰還した。




