第八十八話 マーシーとユーキ
承前
ハンナは、納屋で作業をしている両親の側にいた。
納屋の前の庭では、鶏が数羽、コッコッコッと辺りを自由気儘に闊歩しては地面を忙しくつついている。一行の姿に気が付くと両親は立ってこちらを向き、ハンナは驚いて慌ててその後ろに隠れた。
「監察使の皆様だ」
村長が告げると両親は急いで服の埃を払い身繕いして頭を下げた。
「こんな格好で申し訳ありません。我々に何か御用でしょうか?」
「ハンナさんが代官に連れ去られた時の事、お聞きしました。どてもお気の毒に思います。お二人とも、怪我とか大丈夫でしょうか?」
ユーキが尋ねると、両親は顔を曇らせた。
「お蔭様で、二人とも怪我はなかったのですが、ハンナがこの有様で……ハンナ、お客様に挨拶しなさい」
母親の後ろに隠れているハンナに父親が声を掛け、母親が前に押し出そうとしたが、ハンナは母親の足にしがみ付いて離れようとはしない。
「やだ。こわい。ハンナ、おはなししたくない」
「この人たちは都の偉い方たちだ、怖くなんかないよ」
「……やだ」
「ハンナちゃん、私たちは、あなたを怖い目に合わせた人たちとは違います。お話ししに来ただけですわ。お顔を見せていただけないかしら?」
ベアトリクスが話し掛け、母親の横から顔を出して覗き込んでみたが、ハンナはその視線を素早く避け、母親の肢に顔を埋めて絶対に目を合わそうとしない。
二、三度試したところでベアトリクスも諦めた。
「殿下、これは難しそうですわね」
「そうだね」
ユーキが応じると村長が尋ねた。
「では、マーシーの所へ行かれますか?」
「そうしましょう。ハンナちゃん、驚かせてごめんね。もし気が向いたら、後でお話ししてね」
ユーキがそう言い一行が立ち去ろうとした時に、クルティスが言い出した。
「殿下、俺、ちょっとここに残っていいですか? この村では護衛は必要なさそうだし」
「いいけど、どうするんだ?」
「ちょっと、考えがあって。後で合流ということでお願いします。それから、飴を貰えませんか?」
「わかった」
どうかとは思ったが、クルティスのことだ、何とかするつもりなのだろう。残っていた飴を袋ごと渡すと、ユーキは「では行きましょう」と村長を促してマーシーの家に向かった。
マーシーとマリアは裏庭に出した作業台に向き合って木製の長椅子に腰掛け、一緒に豆の選別をしているところだった。
二人の赤ん坊は粗末な、それでも軟らかそうな布に包んで籠に入れられて、マリアの隣に大切に置かれている。村長が声を掛けると、二人はこちらを見て立ち上がろうとした。ユーキは「そのままで」と声を掛けたが、それでも立とうとする。だがマーシーが取ろうとした松葉杖が倒れて地面に落ちて立ち上がれず、マリアが急いでそれを拾う。
「どうかそのままで」
ユーキがもう一度言うと、マーシーは止む無く従って長椅子に腰を戻した。
村長がマーシーとマリアに一行のことを告げる。
「こちらは監察使の皆様だ」
「存じております。王家のお方であらせられるとか」
そう言ってマーシーは自分の後ろに回って立っているマリアと一緒に頭を下げた。
「私はマーシーと申します。これは妻のマリアです。こんな埃っぽい所ですが、よろしければお掛けください」
マリアが急いで作業台の反対側の赤ん坊の籠を持ち上げ、長椅子を手拭いで拭く。ユーキとベアトリクスは頷いて腰掛け、マリアに向かって微笑みながら座るように促した。
「貴女もお掛けください。お子さんを産まれたばかりでいらっしゃいますよね?」
「はい、殿下様。ありがとうございます」
マリアがユーキに頭を下げてからマーシーの隣に座るのを待って、アデリーヌがユーキたちを紹介した。
「私たちは国王陛下の監察使の使いで参りました。こちらが王大甥ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子殿下であらせられます。またこの方は伯爵家の御令嬢、ベアトリクス・ディートリッヒ様、私はお嬢様の供の者のアデリーヌです」
ユーキは紹介が終わるのを待ちかねるようにしてマーシーに尋ねた。
「マーシーさん、お体の具合はいかがですか?」
「殿下、お心遣い、有難うございます。お蔭様で、こうやって作業台に向かって仕事ができるぐらいには回復しました。歩くのも、まあ松葉杖で何とか。もう何か月かすれば、杖無しでも歩けるようにはなると思います」
「そうですか。それは何よりです。……もしよろしければ、その事件の様子を伺っても?」
ユーキに問い質され、マーシーは恐縮して右手で頭をガリガリと掻いた。
「いや、様子も何も、あのニードの野郎が……言葉が汚くて済みません」
「気にしないで、そのまま話してください」
「有難うございます。ニードがハンナの手を引っ張って母親から引き剥がそうとしやがったもんで。思わず突っ掛かって行ってしまいまして。まあ、一対一なら負けるはずもなかったんですが、ボーゼの奴に横から不意を打たれちまって。後はぼこぼこにやられちまいました。お恥ずかしい次第です」
「その際に代官に何か言われたとか?」
「……『殴ったら村全員縛り首』って言われまして。こんな易い脅しに怯んじまうとは、やっぱり齢ですな。若い頃なら何も言わせずにタコ殴りにしてやったんですが。ほんと、お恥ずかしいです」
マーシーは苦笑いをしてみせたが、ユーキは真剣な表情で答えた。
「マーシーさん、ハンナさんを救い出してくださったこと、お礼を言います。それに、代官と手先によって傷付けられたこと、お気の毒に思います。申し訳なかったと思います」
「いやいや、殿下、何をおっしゃいますやら。ハンナを守ったのは、私が好きでしたことで。村は家族ですから。それにニードやボーゼの仕業を殿下が申し訳なく思われることはありませんぜ」
「いえ。国民はみな、国王陛下の赤子です。特に幼い子供たちの幸せを、陛下は特に気に掛けておられます。代官のしようとしたことは、人攫いの重罪も同然の非道です。それを身を挺して防いでくださったこと、国王陛下に代わって、心からお礼を言います。有難うございました。代官は、国王に任じられた領主の代理。元を辿るなら、陛下に責任が無いとも言えないかもしれません」
「殿下、お言葉は涙が出るほど有難く思います。ですが、そこまで背負い込まれては、国が立ち行きませんぜ。陛下がどんなに仁政を行われても、どうしたって妙な輩も少しは出てくるもんでさあ。それはどうしようもないことです。ある意味、俺たちは運が悪かったんですわ。どうかお気に病まんでください」
「それはそうかも知れませんが……」
言い淀むユーキをマーシーはじっと見ていたが、一つ「ふぅ」と溜息を吐くと声に力を込めて話し始めた。
「殿下、とんでもない失礼とは承知していますが、言わせてください。殿下はまだお若い。見た所、とても真面目で何もかも真っ正面から受け止めようとしてらっしゃる。それは良い事のように思えるかもしれませんが、それじゃあ殿下の身が保ちませんぜ」
「それでも、」
「いいえ」
マーシーは何か言おうとするユーキを手を挙げて制し、言葉を続ける。
「年寄りの戯言と流してくださっても構いませんのでお聞きください。私は、昔、船乗りだったことのある傭兵仲間に聞いた事があるんでさあ。そいつが言うには、きつい追風は真艫から帆に受けちゃあ帆柱が保たねえ、斜めに逃がしながら進むのがコツなんだって。それと同じことだ、全てを背負い込むのはお止めなさい。代官の所業は代官の責任、悪い代官を選んだのは領主の責任。そこまでは貴方方が負うべきものじゃあありません。もし領主が根っから悪いなら、次は良い領主を選ぶよう、あるいは良い領主を育てるように努める、それこそが王族方の責任ではないですかい?」
「それは、そうかも知れません」
「そうですとも。王族方のやるべきことは、頭を下げることじゃあない。『国王が頭を下げれば、王冠が滑り落ちる』って、言いませんか? 国民なら誰だって、自分の国の王族方がへこへこ頭を下げるところは見たくもない。どうか、国民が王族に見る夢を、幻滅させないでください」
「国民の夢を幻滅させない……そのために、威厳を保て、簡単に頭を下げるな、ということですか?」
「その通りです」
ユーキは得心が行ったというように頷いた。
「威厳を保つのも国民のためなのですね。そのような考え方をしたことはありませんでした。有難うございます。自分でもう一度考えてみます」
「そうなすってください。ところで、良くやったと褒めてくださるなら、お願いがあるんですが」
「何でしょうか?」
ユーキが尋ねると、マーシーは身を乗り出して言い出した。
「今回の件、ケンが処罰を受けると村の皆が噂をしています。もしそれが本当なら、この身の傷に免じて、許してやってはくださいませんか? この戦いでは、私もいろいろとケンの相談に乗っています。それこそそういう意味では私にも責任がある。もし罰が避けられないなら、私もケンと一緒に受けます。どうかケン一人が重い罰を受けないよう、お取り計らいをお願いできませんでしょうか」
そう言って頭を深く下げる。横にいるマリアも心配そうな顔をして、夫と一緒に頭を下げて口を添えた。
「殿下様、私からもお願いです。ケンは村のみんなを守ろうとしてくれたんです。この人がハンナを守ろうとしたのと同じです。どうかお願いいたします」
ユーキは「どうぞお顔を上げてください」と促してから静かに答えた。
「私は使いにすぎないので、約束はできません。ですが、皆さんは本当に家族同然なのですね。皆が皆を守ろうとしている。村長さんもケンも、自分が罪を被って皆さんを救おうとしている。貴方方もそうだ。皆で代官と戦ったのもそういうことなのでしょう。そのことは、心に留めておきます」
「お願い致します」
マーシーは真剣な表情で頷き、さらにユーキへの願い事を続けた。
「あつかましいんですが、もう一つ、よろしいでしょうか」
「何ですか?」
「ケンをこの村から連れ出してやってくれませんか」
「ケンを、ですか?」
「ええ」
「ケンは、この村をとても大事に……愛しているように見えるのですが」
ユーキが言うとマーシーは「その通りです」と頷いた。そして首を振り振り、愛弟子のことを語り出した。
「ですが、あいつは、愛し方を間違っている。この村のために自分を犠牲にすることばかりを考えすぎるんです。あいつは、養子ではあるが、村長の長男です。それなのに、跡継ぎの座を実子である義弟に譲ろうとしている。今度の危機では、命の危険を顧みず皆の先頭で闘い、ニードとボーゼを倒し、一人で全部の責任を取ろうとしている。この村での自分の立場とか居場所とかを自分で潰してしまうようなことを、無意識のうちにしてしまってるんです」
ユーキはじっと聞いていたが、ずっと確かめたかったことを尋ねてみることにした。
「ケンは、訴状に『ケン・ファジア』と署名して、私にもそう名乗りました。村長の姓は『ジートラー』ですよね。どういうことでしょうか」
それを聞くと、マーシーは「ああ……」と呟くとマリアと顔を見合わせた。そして少し哀しそうな顔で答えた。
「あいつ、そんなことをしましたか。『ファジア』はあいつの実家の姓です。村長一家に責任が及ばないようにと、あいつなりに考えたんでしょう」
「そこまで考えて……このままでは、村にケンの居場所が無くなってしまうということですか?」
「ええ、そうです。この村にいたら、もし農家として独立しても、村長になれなかった義理の兄という、自分も周りも居心地の悪い存在になっちまう。だから一度村の外に出て、自分を、村を見詰め直す機会をやりたい。村の外で居場所を見付けてもいい、違う自分を見付けて戻ってきてもいい、そう思うんです」
「なるほど」
ユーキが頷くとマーシーはそれに力を得て、言葉に熱を込めて続けた。
「あいつは、剣の腕もそれなりにある。今回の戦いでおわかりのように、皆の指揮を執ることもできる。ただ、今のままではせいぜいが田舎剣士に過ぎない。何とかして、ちゃんとした剣術や戦術を学ばせてやりたい、他で生きる術を身に付けさせてやりたいんです。ケンに、殿下のお力を貸してやっていただけませんでしょうか。どうか、お願い致します。この通りです」
マーシーは作業机に両手を突くと擦り付けんばかりに頭を下げた。横ではマリアも一緒に「お願いいたします」と頭を下げている。
「お二人ともお顔をお上げください」
ユーキが困って言っても、なかなか戻そうとはしない。何度か繰り返すとようやく顔を上げた。
「なぜ、そこまで」
「俺は、一応あいつの剣術の師匠ですから」
「貴方が。戦いの後でケンを立ち直らせたという?」
「ああ、あいつそんなこと言ってましたか。まあ、あいつなら、放っておいても時間が暫く経てば立ち直っていたと思いますがね」
マーシーは笑いながら答えると、それまでユーキを真っ直ぐ見ていた視線を下げた。
ユーキはケンのことを考えてみた。
峠の上で見た、緊張と決意に満ちた顔。村への道の途中での、考えに沈んだ後に自分に処分をと望んだ姿。村長の家で、義父を庇おうとして出した大きな声。
そして何よりも、戦いを勝利に導いた戦術と指揮能力。
この山の中で静かに朽ちていくのはあまりに惜しく哀れだと、目の前にいるケンの師匠はそう考えているのだろう。その通りかもしれない。確かに、このままここにいてはそうなるだろう。
だが、村の外へ出れば、何らかの道が開けるかもしれない。
王都に連れていけば、近衛への入隊は庶民なので難しいかもしれないが、自分が頼み込めば訓練を受けさせることぐらいは可能だろう。
ユーキは言った。
「わかりました。ですが、今はまだ今回の騒ぎの御裁断が先です。この件が無事に片付き、ケンが重い処分を受けずに済めば考えてみる、ということにさせてください」
その言葉を聞いて、マーシーとマリアは「どうか、よろしくお願い致します」とまた深々と頭を下げた。




