第八十五話 邂逅
前話翌日
監察使の一部が訴えを起こしたどこかの村に向かおうとしている。ピオニル領の領都に瞬く間に広まったその噂は、偵察のために領都に残っていたライナーによって村に伝えられた。その吉報は村長を始め村人全員を喜ばせた。
監察使の行先は間違いなくここネルント開拓村だろう。だが、喜んでばかりはいられない。次に来るのが本当に監察使なのかは確かではない。
ニードが率いた衛兵隊と戦になり、相手の攻撃が失敗した事はまだ領都には広まっていないらしい。恐らく途中離脱した傭兵たちは、戦いの素人の村人から逃げ出したことを知られないよう、口を噤んでいるのだろう。そうすると、代官たちが戻らないことを心配した領主が斥候か増援を監察使より先に送り込んで来る可能性は捨てきれない。それに備えて、ケンたち戦闘班は再びフォンドー峠で待ち構えることにした。
前回同様にケンは山道に偵察に出た。
九十九折りの道を今回登ってきたのは、騎馬が五騎だ。馬鎧は着けていなさそうだ。
遠くからでは装備は良く分からない。先頭の一人は衛兵服のように見えるが、他の者は上辺は平服のように見える。それぞれの体格もまちまちだ。その後続に馬車の音はしない。歩兵が続いている様子もない。
どうやら、本当に監察使である可能性が高そうだ。
だが、荷馬車とは違い、鍛え上げられた騎馬兵なら峠前の坂を一気に駆け上がってくる可能性もある。騎兵の攻撃力は桁違いだとノーラさんが言っていた。もしも敵であれば、登られたら俺たちなどあっという間に蹴散らされてしまうだろう。軽装の小勢でこちらを欺いて奇襲してくるかもしれない。たった五騎とは言え、油断はならない。
ケンは峠に戻ると、皆に言った。
「相手は騎馬で五人だ。思ったより少ないが監察使と考えてもおかしくはない人数だ」
気を張り詰めさせて聞いていた全員にほっとした表情が広がる。
「だけど、油断はできない。監察使を装った奇襲かも知れないんだ。絶対に気を抜くな」
ケンは一息おいて言葉を続けた。
「前回、ニードに雇われていた傭兵が逃げ帰っている。前に使った手はもう知られていると考えるべきだ。そうすると今回は厳しい戦いになる可能性が高い」
仲間たちを見回す。全員黙ってはいるが、その顔は再び引き締まった。決意は揺らいでいないようだ。
「前回と同じように、相手が交渉しようとしたら俺が相手をする。もし監察使と偽った襲撃だと判断したら、今回は全力で一気に攻撃する。相手は騎馬兵だ。力を抜いて一気に走り込まれたらそれまでだ。全力だ。勝負は短時間で、いや、一瞬で決まると思ってくれ。岩もそこまで運んでおくんだ」
皆の頷きを受けてさらに続ける。
「今回も俺たちは勝つ。ここを守り、村のみんなを必ず守り抜く。いいな?」
「応っ」
静かな、だが強い意志に満ちた声と共に、全員が持ち場に戻って行った。
ユーキの一行は山道を登り続けている。
「そこを曲がると、道中でもお話しした厳しい上り坂になります。それを登り切ったところがフォンドー峠で、後は下りです」
先頭を進む案内の衛兵長がそう言った時、クルティスがいきなり警告の声を上げた。
「お待ちください。それは、血の跡ではありませんか?」
指し示した先の道端を見ると、確かに地面が大きく黒く染まっている場所がある。一行の視線がそこに集まる。水で洗い流した形跡もあるが、完全には消えずに残っている。
良く見るとその一か所だけではなく、他にも点々とあちこちに血痕と思しきものがある。恐らく血飛沫が上がったのだろう。狩られた獣の血である可能性もあるが、もしもこれが人のものであったならば、その者は重傷を負うか、あるいは命を失っていよう。ここで何かがあったことは間違いない。
全員が緊張して顔を見合わせた。
「ここでお待ちください」
クルティスはそう言うと、荷物からユーキが与えた手甲を取り出して装着し、二度、三度と手を握って具合を確かめてから、曲がり角の先にゆっくりと馬を進めた。そして急坂の上を見上げたと思うと、いきなり馬を止め、大きく息を吸い込み大音声で坂の上に向かって叫んだ。
「上の者! 我々は国王陛下の監察使の使いだ! ネルント開拓村の者か? 名を名乗れ!」
坂のすぐ上にいたケンは肝を冷やして頭を伏せた。
騎馬がこちらに曲がってくるのを見て、声を掛けやすいように姿勢を変えただけだ。他に誰も動かなかったのに、こちらの存在を覚られた。前回のニードとは違う。
「もう一度尋ねる! ネルント開拓村の者か? 名を名乗れ!」
再度の誰何が聞こえる。声の力も強く、こちらの腹にまで大きく響く。どうする? 間違いなく相手は相当の手練れだ。だが、弱気になっては付け込まれる。強気なところを相手に見せるべきだ。
ケンは立ち上がって姿を見せ、坂の下にいる騎馬の背の高い男に向かって叫び返した。
「いかにもネルント村の者だが、お前たちは本当に監察使か? 証を見せろ!」
「名乗らぬ者に見せる証はない!」
「名乗って欲しくば、そちらが先に名を名乗れ!」
「監察使は畏れ多くも国王陛下の使いである! 訴え出ておいて、先に名乗れとは無礼であろう!」
強く叫び返されて、ケンはぐっと言葉に詰まった。
確かに理は相手の言う通りだ。それに相手が真の監察使であれば、無礼を働いて心証を悪くするのは上手くない。
だが、坂を登らせる前に、確信を得たい。監察使だと仮にも認めてしまうと、取れる手段が一気に減ってしまう。偽っている場合に備えて、交渉の主導権を渡したくはない。
考えている間に、また同じ声がした。
「名乗れぬとあらば止むを得ん、先ずは不審者として取り扱う! 何者であるかを私一人が調べに行くのでそこで尋常に待て!」
くそっ、このままではあいつが上がってきてしまう。どうすればいい? 前回と同じように警告の矢を射るか?
だが、本当の監察使であれば、それだけで国王陛下への反逆と見做されかねない。
それでも、相手の言いなりになって強襲されるよりはましだろう。
ケンが弓矢の準備を命じようとしたその時、下から、さっきとは異なる凛とした声が聞こえてきた。
「上にいる君! 君は『ケン・ファジア』だろう? 君たちが領主や代官を怖がる気持ちはわかる! それでも君は国王陛下への訴えに、怖れず自分の名を書いた! それを敬し名乗りと認めて、私も名乗ることにする! 私は陛下の大甥にして、王姪マレーネ・ヴィンティア王女殿下の一子、ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子という! 監察正使たる王孫スタイリス・ヴィンティア王子殿下の使いとしてここに来た! そこに行くことを認めてもらえないだろうか!」
坂の下を見ると金褐色の髪の男が、背の高い男の騎馬の横に馬を並べてこちらを見上げている。
王子だと? しかも訴状に書いた俺の名前を知っていた。王家には金色の髪が多いと聞く。ということは、大丈夫か? 何にせよ、礼を尽くしている相手にこれ以上を求めることは無理だろう。
ケンは叫び返した。
「いいだろう! 上がってこい! だが、もし王族を騙ったのであれば、容赦はしないからな!」
すると下からの声が嬉しそうになった。
「その言葉、陛下への敬意の表れと受け取った! 是非、その通りにして欲しい!」
それらしい答えが聞こえてくるが、騙されてはならない。
ケンは周りの仲間たちに言った。
「油断はするな。弓矢と槍も準備だ。もし怪しい素振りを見せたら、一斉攻撃だ。岩を落として、躱した奴を真矢で狙う。残った奴には少し引き付けてから投げ槍だ。いいか、最初の狙いは馬だ。馬から落とせば、こっちのものだ。いいな」
全員の頷きを確認して、また警戒に戻る。できれば相手に下馬させたかったが、王族と認めた以上それはできない。
だが、坂の下を見直して驚いた。現れた五騎の先頭に出た金褐色の髪の若者が明るい毛色の馬から降り、やはり下馬した後ろの背の高い男に手綱を渡している。さらにその後ろの三人も、先頭の若者に命じられたのだろう、次々と馬から降り立った。
若者は、ゆっくりと坂を歩いて上がってくる。
その姿は何の飾り気も無い平服で、革鎧すら着けていない。腰に帯びた剣にも何の装飾も付いていないようだ。それでも堂々と胸を張って歩いてくるその姿は、服相応の庶民には見えない。
半分近くを登って若者が顔を上げた時に、こちらと目が合った。すると若者は笑顔で手を振った。
その顔が明るいのは六月の青空のせいかもしれない。
それでもケンには、その若者自身と帯剣が光り輝いているように見えた。
「殿下! その先は足許が滑ります! お気を付けて! 山側に寄って登ってください!」
ケンは思わず叫んでいた。
若者はその声に驚いて下を見た。そして、『ああ、なるほど』というように頷くとこちらを見てまた笑顔で手を振った。
「わかった、ありがとう」と言いながら。
若者はゆっくり登り切った。
坂の上に立つと辺りを見回したが、皆がまだ武器を手に持っていても気にする様子はない。もう誰も構えてはいないが。ただ、大岩を見るとさすがに少し驚いたようだった。
誰が指揮官か見定めたのか、若者はケンに向き直って微笑みながら頷いた。それに誘われるように、ケンは名乗った。
「俺が訴え出たケン・ファジアです、殿下」
「私も改めて名乗るよ。ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア。よろしく。これは知らないかもしれないけど、王族の証です」
そう言って若者は手を突き出して嵌めていた指輪の紋を見せた。
ケンはそもそも王家の印というものが何かを知らない。だが、もう、それが何であっても意味は無い。この『ユークリウス王子』と名乗った若者を信じるしかない。
「わかりません。ですが、拝見しました。殿下、先程は疑って、失礼致しました」
「君たちの気持ちはわかります。だから気にしないで」
「有難うございます。なぜ馬から降りられたのですか?」
「ここへ来る途中で、この領では有名な急坂だと聞いたからね。折角だから、楽しみながら登ることにしたんだ。それに、騎馬って、怖くない?」
「……有難うございます」
どうやら王子はこちらの気持ちを察してくれていたらしい。ケンの頭が自然と下がった。
「私が好きでしたことだから、礼には及ばないよ。えーっと、彼女はベアトリクス・ディートリッヒ。ディートリッヒ伯爵の令嬢で私の友人でもある。彼はクルティス、私の従者。彼女はアデリーヌ、ディートリッヒ嬢の従者。それから、衛兵長さんは知っているよね? 案内のためについてきてもらった」
「殿下、殿下が我々を紹介するなどと、気安いことをなされては困ります」
「ああ、そうだった。クルティス、済まない」
王子は後から上がってきた一行を紹介して、従者だという背の高い男に窘められている。
最後に上がってきた衛兵長を見て、村の者がざわめいた。武器を構える者もいる。ケンが手を上げてそれを制すると、王子が尋ねた。
「まず尋ねたいんだけど、代官が三日前にここへ向かったきり帰ってこない。どうなったか知らないかな?」
「二日前に衛兵の一隊を連れてここに来ました。我々を襲ってきて戦いになり、代官は死にました。衛兵の一人で伍長のボーゼという女もです」
「そう」
ケンが答えると、王子の顔が驚きの後に暗くなった。
「君たちの方は、死者は?」
「いません」
「代官と衛兵伍長はどこで?」
「この坂の下です」
「あの下の方と曲がり角の先の血痕の場所で?」
「はい」
「そう、わかりました」
王子は坂の下の方に向き直ると頭を垂れ、暫し黙祷した。付き従う一行もそれに倣う。
祈り終えると、王子はケンに向き直った。
「代官と配下の所業については、ここに来るまでにもいろいろ聞きました。君たちからしたら憎い敵かも知れませんが、国王陛下や私たち王族には、亡くなってしまえば等しく国民です。冥福を祈るのを理解してください」
「はい、殿下」
「それで、他の衛兵たちはどうなりました?」
「降伏したので捕虜として捕らえました。今は村で保護しています。怪我をしている者もかなりいます」
「君たちの方の怪我人は?」
「戦いでは、おりません。転んだとか、自分でどこかにぶつけたとか、その程度です」
「それは本当か? うちの者たちが負けて全員捕らえられ、お前たちは全くの無傷だと言うのか?」
後ろで話を聞いていた衛兵長がいきなり前に出てきてケンに詰め寄ろうとしたが、王子の従者が大きな体で音も無く割って入って押し戻すと、さらに王子が窘めた。
「衛兵長、自重したまえ。代官や衛兵が襲ってきたのであれば、貴方は彼らにとっては敵に見えるはずだ。それを理解するべきだ」
「はい、殿下。申し訳ありません。あまりのことに驚いてしまいました。ケン、といったか。済まない」
「いえ」
衛兵長が率直に詫びて退きケンが頷くと、王子は話を続けた。
「で、ケン、そうなのかな? 全員を捕虜にして無傷での勝利?」
「はい、そうです。ただ、相手には四人ほど傭兵がいたらしいですが、戦いの途中で離れて帰ったようです」
それを聞いて衛兵長が深く溜息を吐くのが聞こえる。
王子も何と言うべきか分からないと首を振ってから話を続けた。
「それは……凄いね。もっと話を聞かせてもらいたいけれど、ここで長話をするわけにもいかないので、村に案内してくれるかな? 契約書を確認したいし、戦の他にも事情を色々聞かせて欲しい。君だけじゃなく、他の皆さんにもね」
「わかりました。案内させていただきます」
ケンは仲間たちを振り返り、指示を出した。
「皆、ここの後始末を頼む。俺は殿下を案内して先に行く」
全員が緊張を解いて片付けに取り掛かるのを確認して、ケンは王子に言った。
「では参りましょう。私が手綱を引かせていただきます」
「よろしく頼みます」




