第八十三話 ベア姉さん
前話同日
危うく大惨事になるところだった監察団全体での情報共有の会合の後、ユーキたちは衛兵長の案内を受け、ネルント開拓村に向けて街道を騎行していた。
出発する際には前日も現れた子爵の手先の男女が『途中までお見送りを』と付き纏ってきたが、ローゼン大森林への道をユーキが問うと、『衛兵長が御存じです、私共は急な用事を思い出しました』と早足で逃げ帰って行った。どうやら魔の森の主は、領主や代官以上に恐れられているようだ。
ローゼン大森林では森の外で他の者を待たせて、前日に女主人の店で買った菓子と、宿屋に飾られていたものを譲ってもらった一輪のカーネーションをローゼンに届けた。
ローゼンは『あら、このレープクーヘン、そこの領都では隠れた名物らしいのよ。ウンディーネやみんなと分けるわね』と花を髪に挿しながら喜んでいた。可愛い顔が一層映えて見えるのでユーキはそう言おうかと思ったが、迂闊に褒めるとまた叱られるかもしれないので止めておいた。
案内を装った見張りが逃げて行ったことを告げると、『纏わり付く蠅を追い払うのに使われるとは、この紅竜ローゼンの魔の森も随分とお安くなったものよね』と笑っていたが、その後にはレープクーヘンを次から次へと摘まみながら、『……美味しいわね、これ……。まあ友達のためなら仕方ないわよね。……独特の風味があるわね……。ああ、剣も少しは役に立ったみたいで嬉しいわ。……味が深いって言うか、香りが深いと言うか……。アレなんか斬り捨てちゃうのは簡単だけど、後が面倒よね。……これも後を引くわね、止められなくなっちゃう……。じゃあね。気を付けて行ってきなさいね。……うんいける……』とこちらを見ずに言っていた。
ユーキはウンディーネたちの口にも入ることを祈っておいた。
今、街道上では衛兵長の馬が少し先行し、ユーキが乗るシュトルツ号の後ろにはクルティス、ベアトリクス・ディートリッヒ伯爵令嬢、それからベアトリクスの従者のアデリーヌが従っている。いや、後ろに従っているというのは不正確だった。ベアトリクスは人影を見付けるとユーキに特に断りもせず何度も街道を逸れ、草の葉の上にまだ消え残る朝露を散らしながら、畑の畔道に勝手に乗り入れて聞き込みに行くので。
ベアトリクスはディートリッヒ伯爵家の次女で、税務局に勤めている。ユーキの父親ユリアンの実家であるウィルヘルム伯爵家の娘、つまりユーキの従姉であるスザンネ・ウィルヘルム伯爵令嬢の友人である。直接会ったことはユーキの記憶では数えられるほどしかない。
今回の監察の壮行会では、花蟷螂もといアンデーレ嬢の魔の鎌手から逃れるのに助け舟を出してもらったが、その前はユーキが税務局で見習いとして実習を受けた時、その前はユーキが菫と再会する前日の宴席で、いずれも挨拶を交わした程度だ。今回の監察任務で久々の再会を果たすことになった。
ウィルヘルム伯爵とその近しい家の者たちは、王族の外戚が威を揮うという悪評を得ることがないように、王族との交流は控え目にしている。そのためユーキの家とも交流は多くない。
ベアトリクスに言わせれば、ユーキが幼い頃にはクルティスと二人して、スザンネを『スー姉さん』、ベアトリクスを『ベア姉さん』と呼んでやたらに懐いていたらしいのだが、ユーキの方はそう言われればそうだったかもしれないぐらいにぼんやりとしか憶えていない。
ベアトリクスはその仕事柄、書類関係、特に経理に強い。そこを買われ、またユーキに近しい数少ない貴族ということで今回の監察団に加えられたようだ。
実際に、代官の執務室で見付かった経理諸表の内容が怪しいと言い出したのは彼女だった。それを受けてユーキが他の随行員たちに、それぞれの領でのおおまかな経費と比べてどう思うかを尋ね、その結果として、過剰経費、水増しの可能性が高いと結論付けたのだった。
今頃は他の随行員たちが、代官の部屋で発見した資料との突き合わせを行っているだろう。『面倒で地味ですけど大切な調査ですのよ』とベアトリクスは言っていた。
ユーキの記憶にはなかったが、彼女はどうやら気楽な性格らしい。今も少し豊かな平民といった風体の服装で、それも動き易いように男装をしている。付き従うアデリーヌも同様だ。
ベアトリクスは身長は高くもなく細身だが乗馬は普通以上にできるようで、自分の馬を軽く乗り熟して、肩まで伸びた緩い巻きが掛かった艶めく栗色の髪を揺らしながら、細い畦道にも苦も無く乗り入れている。
積極的に聞き込みをしてくれるのは有難いのだが、いつのまにか後ろにいないことが度重なるので、ユーキは止む無く注意することにした。
「ディートリッヒ嬢、街道を離れる時には、ひと声掛けていただけませんか。気が付くと後ろにいなくなっておられるのは困ります」
ユーキは厳し目に言ったつもりだったが、帰ってきた声は明るく軽かった。
「あら、ユーキ殿下。よそよそしい話し方はお止しになって。昔のように、『ベア姉さん』って呼んでいただいて構いませんわ。クルティスもよ」
「今日は、昨日までとは態度が随分と違いますね」
「そりゃあ、よその貴族の目があるとないとでは、全然違いますわ。今朝まではもう、肩が凝って肩が凝って」
皮肉交じりのつもりが釣られて軽い調子になり、注意はどこへやら、軽口に引き込まれてしまった。
「無理に畏まっておられたんですね」
「普通にお話しください、殿下。ええ、思い切り畏まっていましたわ。そりゃあもう、風の精の御前のフェアリーも斯くやとばかりにね」
「フェアリーねえ」
「殿下、お嬢様はフェアリーのように可憐で愛らしく、身が軽うございます」
アデリーヌが真剣味の籠った声で口を挟む。どうやら彼女は主のベアトリクスに忠愛を捧げている様だ。
ベアトリクスは特に気にした様子もなく、ユーキとの話を続けた。
「ユーキ殿下も、スタイリス殿下、クレベール殿下の前では、構えていらっしゃったでしょう?」
「そりゃ、まあね。僕は今回は見習の身分だし。……今朝は、止めてくれて有難う」
「どういたしまして。あんな、『姿絵屋の看板野郎』や『陰鬱母乳中毒』の言う事、お気になさる必要ございませんわ」
「えっ」
とんでもない通り名がいきなり出て来てユーキは引いてしまった。何と返事をして良いかわからない。
「えーと、それはさすがに酷い不敬では」
「あら、高位の令嬢方は、内輪のお茶会では皆様こう呼んでいらっしゃいますけど。殿下は正使殿下、副使殿下にお言い付けになる気ですか?」
「やっぱり、令嬢方って怖い……いや、僕はそんな事はしないけど」
「でしょう? クルティスもそんな子じゃありませんし」
「衛兵長さんにも聞こえているんじゃないかな」
「王族や貴族の揉め事に巻き込まれかねないようなことはなさらないと思いますわ」
前を見ると、衛兵長は騎間距離を大きく取っている。監察団員同士の相談事が聞こえないように、という配慮だろう。大声でなければ問題無さそうだ。
「折角、気を遣って間を開けてくださっているんですから、勝手に寄り道しないでください。衛兵長さんだけ先に行っちゃうでしょう」
「わかりました。……因みに、ユーキ殿下は何と呼ばれているか、御興味ございますか?」
「聞きたいような、聞きたくないような」
「『鰹節少年』」
「鰹節って、遥か東の国から偶に入ってくるあの?」
「ええ。噛めば味が出そうだけど」
「けど?」
「堅物すぎて噛める気がしない」
「そんな事だと思った。削ってすらもらえないんだ。もう大人なのに少年とか言われてるし」
「あら、生真面目さからのことですから、お気になさらないでいただきたいですわ。私自身は『毬栗殿下』だと思っておりますけれど」
「それはなぜ?」
「頑張ってトゲトゲしているけれど、中身はしっかり詰まって甘ーい。ただ……」
「ただ?」
「残念、既に虫が食っている」
「……それはどういう」
「さあ? あ、また農夫がいる。行って参りまーす」
街道が領都から離れて郊外の農村地帯に入ると、穂の出揃った小麦畑のそちこちで農夫を見かける度に、ベアトリクスは素早く馬を走らせて聞き込みに行く。彼女によると、『待っていても証拠は歩いてこない、だからこちらから歩いて行って探すもの』らしい。
今は街道から少し離れた畑に一人で麦を見回っている農夫の姿を見付けて馬を向かわせている。アデリーヌも慌てずに、ゆったりとベアトリクスに従って街道を離れていく。ユーキは衛兵長に声を掛けて呼び戻すと、クルティスと三人でベアトリクスたちの後を追った。
ユーキたちが追い付くと、ベアトリクスたちは既に下馬して中年の農夫と親しげに話を始めていた。
「では、この一帯の畑も、去年の秋から新しく小麦を作り始めたのですね」
「ああ、そうだよ、姉ちゃん。村長からの指示でな。村長の言うには、領主様のやり方が変わったと代官の馬鹿野郎が言ってきたらしい」
「馬鹿野郎?」
「……詰まんない事言っちまった」
「構いませんから、教えてくださいませんこと? 代官に言ったりはしませんわ」
「本当か?」
「本当です。お願いいたします」
ベアトリクスが胸の前で手を組んで上目遣いに甘い声で頼むと、男は目元口元を緩ませた。
「んー、仕方ねえなあ。じゃあ言うけど、村長は断ったんだよ。小麦が合う畑ばっかりじゃねえから、穫れ高がどうなるかわからんし、そもそも種麦が足りねえって。そしたら、代官がいきなり村長を鞭で打ちやがって。増税した額を払うには、小麦を増やすしかないだろうって、無理やり、『うん』って言わせやがったんだってよ」
「それは非道いことを……」
ベアトリクスが顔を曇らせて同情の言葉を洩らすと、農夫は我が意を得た、と勢い付いた。
「ああ、そうなんだよ。本当に非道い野郎だ。そのせいで、去年の秋にこれまでの五倍の畑に小麦を作付けすることになっちまった。粉にするはずの分を蒔いてもまだ足りやしない。みんな余所から種麦を買う羽目になっちまって、足許を見られて値段は上がる一方さ。これで不作にでもなった日にゃ、大損だ」
「ご心配ですわね」
「今の所、まあまあだけどな。麦はずっと植えてなかった畑が多いからな。麦の値段が下がらなけりゃあ、まあ今年は何とかなるかな。だけんど、これから先はどうなるかわかったもんじゃねえ。病害が出ないかずっと見張ってねえといけなくて手間が掛かるし。大体、中途半端にちまちま小麦を作ったところで、小麦粉が高く売れるのは遠い王都だ。そこまで運ぶのに手間と金が掛かるから、その分は、どうしても安くしか商人は引き取ってくれねえんだよ。王都の近くでとか、辺境伯様の所のように大量にとかで、仕入れたいってぇのが当たり前だ。俺が商人でもそうするもんな」
「そうですわね」
「王都での小売値がいくら高くったって、ここでも同じ値段で売れるわけがねえんだ。結局、領内での自給自足で終わるんなら、小麦は今までみたいに辺境伯様からの御支援を受けて、他の野菜や根菜やら豆やらを作って、近くの辺境伯様の所に売りに行った方が良いに決まってる。この領は、辺境伯様の領があってこそ成り立つんだ。代官の野郎は馬鹿なんだよ」
「そうなのですか」
「ああ。姉ちゃんも、あの代官には気を付けなよ。馬鹿の上に見境がねえ野郎だから、行き会ったら難癖を付けられかねねえからな。姉ちゃんもそっちの娘も、見境どころか、えれえ別嬪だし」
「あら、まあ、有難うございます」
「そっちの兄ちゃんたち、しっかり守ってやんなよ……って、衛兵長様がいるんなら大丈夫か。え、ひょっとしてお偉いさんか?」
「ああ、お気になさらないでください。褒めてくださって嬉しうございます。お話も有難うございます」
「お、おう。他にも何でも聞いてくれ、じゃねえ、何でもお聞き下せえ」
ベアトリクスを相手に胸を張って威勢よく喋っていた男だったが、衛兵長がいるのに気が付くと急にぎょっと顔を引き攣らせて腰が低くなった。頭をぺこぺこと下げているのでベアトリクスが「どうかお気になさらず」と重ねて言うと、「いいのか?」と頭を上げて嬉しそうに笑った。どうも気の良いお調子者らしい。
ベアトリクスは聞くべきことは聞いたので「他に何か?」とユーキに水を向けてきた。
この男になら、尋ね易そうだ。ユーキは以前から農民に尋ねてみたかったことを言ってみることにした。
「これは仮の話なんですが」
「おう、何だ?」
「もし貴方が、今のこの土地から別の領の別の土地に移るように命じられたらどうしますか?」
「いや、兄ちゃん、それは勘弁してくれよ!」
ユーキが問うや否や、強い声で返事が返ってきた。
以前に閣議で経済振興について陛下から御下問があった際に、ユーキが人手が余っている領から足りない領に農民を移動させるべきと答えて陛下から厳しくお叱りを受けた。それを実際の農民に尋ねてみたかったのだが、やはり激しく拒絶されてしまった。
「そうなんですね」
「そりゃそうだろう」
男は額に皺を寄せ唾を飛ばして捲し立てだした。
「いいか、この土地は俺の爺さんの代から耕し続けているんだ。元は荒れ地だったものを掘り起こして岩を除け石を拾い、均して水を撒き草を鋤き込み、長い時間をかけて肥やしてきたんだ。それだけじゃねえ」
男はそう言うと、あちらこちらを指差しだした。
「あそこの丘の上に一本だけ飛び抜けて高い樹が見えるだろ? 俺たちはあれを『春の留まり木』って呼んでんだけど、お日様があの樹から出てくるようになったらもう霜は降りねえとか、ほれ、あっちの山に五日続いて雲が掛かりゃあ雨の季節になるとか、いろんな目印もあるんだ。それを他に行っちまったら、また一からやり直しじゃねえか。堪ったもんじゃねえ」
そしてまたユーキに向いて腰に手を当てて顔を突き出す。
「そりゃあ、水が枯れちまって何にも育たねえとか、子沢山の家に生まれてどうしたって耕す土地がなくて生きていけねえとか、ああ、ネルント開拓村の時のようにお優しい御領主さまの達てのお頼みでとか、そんなことが重なりでもしない限り、よっぽどのことが無い限り、俺達農民は自分たちの土地から離れねえもんなんだよ」
言うだけ言うと、男ははあ、はあ、と肩で息をしている。
これほど強く言うのだ。きっと心の底からの気持ちなのだろう。やはり陛下のおっしゃった通りだった。そこで生活している人の話が聞けて良かったとユーキは得心した。
「そうなのですね。皆さんにとって、耕している畑はそれほど大切なのですね」
「ああ、そうだ」
「教えて下さって有難うございます。勉強になりました」
ユーキが礼を言うと、農夫は嬉しそうにふんぞり返って胸を張った。
「わかってくれりゃあいいんだ。まあ、兄ちゃんぐらい真面目に、こっちの話を真剣に聞いてくれるんなら、こっちも教え甲斐があるってもんだ。なんなら、鍬の持ち方も教えてやろうか? 俺の弟子にしてやってもいいぞ?」
「いえ、有難いですが、別にやらなければならないことがありますので」
「そうか? この領じゃあ、農民もいいもんだぞ」
農夫は大口を開けて楽しそうに笑った後に付け加えた。
「まあ、税があんまり重くて生活できなくなったら別だけどな。あの馬鹿代官がもっと馬鹿になったらわからねえかもな」
そう言って男はまた「あははは」と笑う。
「まあ。私たちは告げ口しませんが、あまり大きな声での悪口はお気を付けになった方が良いですわ」
ベアトリクスがクスクス笑いながら窘めると男は首を竦めて「ちげえねえ」と言いながら周囲をきょろきょろと見回す。その滑稽な動作に全員が笑い声をあげた。
それを潮に、ベアトリクスがユーキに「もうよろしいですか?」と尋ねた。ユーキが「うん」と頷くと彼女は農夫に微笑みかけた。
「では、お手間を取らせて申し訳ありませんでした。私たち、もう参りますね。豊作をお祈りいたします」
「おう、ありがとよ。気を付けてな」
一行は農夫に礼を言って街道に戻った。振り返ると農夫はまだこちらに手を振ってくれている。
「気の良い方ですわね」
皆で手を振り返しているとベアトリクスが言う。アデリーヌが「そうですね」と応じてそのまま彼から聞いた事について話し合いが始まった。
「また同じでしたね、お嬢様」
「そうね。どこでもほぼ同じ内容ですわね、殿下」
「うん。代官が無理やり小麦の作付面積を四、五倍に増やさせた。断ったら暴力沙汰」
「今の方も申していましたけど、この領の農作物の主要な出荷先となるのは、領外ではクリーゲブルグ辺境伯領の町とか領都とかですわよね。あの領は小麦の一大産地なのに。そこと作物を被らせて、何をなさりたいのか」
「やっぱりさっきの農夫が言っていたように、代官は馬……」
アデリーヌが淑女の従者らしからぬ言葉を口にしかけたところでユーキが遮った。
「はい、そこまで。まだ確実な証拠が得られているわけじゃないから。一部の風聞だけで人を評価しちゃいけないよね、ベアトリクス嬢、アデリーヌ」
「『ベア姉さん』って呼んでいただきたいですわ、ユーキ殿下」
「うん、まあ、気が向いたら」
同じ様な聞き込みを繰り返しながら一行は街道を進んだ。
ある程度行くと畑も途切れ、両側は林や荒地が続くようになる。右手の遠くにはローゼン大森林の黒く静まった姿が見える。
ユーキは今朝会ったローゼンのことを思い出した。
今頃はレープクーヘンを楽しんでくれているだろうか。あの勢いではもう全部食べ切ってしまっているだろうか。結構な量があったから、ローゼンもきっと他の妖魔様にも分けて一緒に食べているだろうとは思うけど。
菓子屋の女主人が、贈る相手に興味深々だったことを思い出すと可笑しくなる。クルティスの奴まで面白そうにしていたし。
そりゃ、菫さんや椿さん、菖蒲さんたちにも何かお土産を買って帰れれば嬉しいけど。そう言えば、ローゼンも菫さんを連れて来いとか言ってたっけ。
ユーキの思いは、王都の菫の事にと移っていく。
元気で修行に励んでいるだろうか。風邪など引いていないだろうか。そして偶には僕の事を考えてくれているだろうか。今、僕が菫さんを思い出しているように。僕の方は毎日毎晩だけど。菫さんの優しく美しい笑顔を心に浮かべれば、嫌なことも忘れられるし難しいお役目も頑張れる。
そこまで思いが及んで、ユーキは頭を強く振った。
駄目だ駄目だ、お役目中に何を考えているんだ僕は。集中、集中だ。きちんと調べて、代官だけでなく子爵にどの程度の責任があるか、はっきりさせないと。
スタイリス殿下に『愚か者』呼ばわりされたことは、時間が経つとどうでも良くなった。言われた瞬間は頭の中が煮え滾る思いがしたが、冷静になったら、これまでにも酷い言われ方を何度もしていることを思い出した。
今更、馬鹿馬鹿しい。
だけど、『村人の事などどうでもいい』と言ったのは許せない。僕たち王族の務めは、できるだけ多くの、なろうことなら全ての国民を幸せにすることじゃないか。あれだけは、何としても取り消させたい。
さっきの農夫も、増税と無理やりの作付け変更で怒っていた。勿論、領の政治は領主に任されている。それでも、あまりの悪政があれば見過ごしてはならない。
御下問に対しての僕の答えに陛下が立腹された理由も、彼と直接話をして身に沁みて分かった。村人は畑を自分の子供のように大切に育てている。土地に根付いて生きている。考えてみれば、誰だって、毎日毎日積み重ねてきた生活があるんだ。それをいきなり変えろといわれたら、戸惑い怒るに決まっている。陛下はそれを教えて下さったんだ。有難いことだ。
村人と言えば、クリーゲブルグ卿が亡き親友の子息を訴えてまで、他領の村人に力を貸したのはなぜだろうか。
代官が自分の部屋にこっそり移していた祝いのあの絵。あれほど立派な絵と、その裏に認められた心からの祝辞を贈るほどに深い絆を結んでいた親友の子息を、なぜ国王陛下に訴えたのか。単に自領の利益のためだけとは考え難い。きっと他にも何か考えたことがあるはずだ。
陛下は子爵と村民の契約を裁定される際に、辺境伯の意志をどう推量しどう反映されるだろうか。その際にも参考になる情報をきちんと集めなければ。
考えなければならない事は山ほどある。僕は『愚か者』かも知れないが、その位の事はわかるつもりだ。
でも、僕が『愚か者』呼ばわりされたって知ったら、菫さんはどう思うかな。悲しい思いをするだろうか、がっかりするだろうか、って、駄目駄目、集中だ。
またユーキが頭を振っていると、ベアトリクスが馬を寄せてきた。
「ユーキ殿下、スタイリス殿下の言ったことなど、お気になさらない方がよろしいですわ」
「えっ? 僕、顔に出てた? 口に出してた?」
「口にはされておられませんが、御様子を見ていましたら大体は」
「そう。恥ずかしいな」
顔を赤くして俯くユーキに、ベアトリクスは優しい声を掛け続ける。
「あの方は、その場その場で思い付かれたことを、考え無しに口から出してしまわれますので。玉座に少し近いからと皆が追従しているだけで、あの方の話など、実際には誰も信じておりません。気にしたら負けですわ」
「有難う、ベア姉さん」
「嬉しい! やっとそう呼んでくださいましたわね!」
「あ……思わず」
「ますます嬉しいですわ! ほら、クルティスも!」
声を弾ませて振り返ったベアトリクスに帰ってきたのは、含み笑いの言葉だった。
「俺は別にいいです。ベアトリクス・ディートリッヒ伯爵令嬢様」
「もう……!」
明けましておめでとうございます。
本年も拙作をよろしくお願いいたします。




