第七十八話 執務室の捜査
承前
ピオニル子爵は監察団の先に立って廊下を案内した。貴族の住まいとしてはそれほどまでに大きな邸ではなく、二階の執務室にはすぐに着いた。
扉に鍵を差そうとするとする子爵に、監察団の随行の一人が声を掛けた。ベアトリクス・ディートリヒ伯爵令嬢だ。
「子爵様、よろしいでしょうか?」
「何でしょうか?」
「ここの鍵は他にどなたがお持ちなのでしょうかしら?」
「代官に一本預けてあります」
「御自分の執務室の鍵を? 代官に?」
「はい。代官が仕事の都合でそうしてくれと言うので」
「そうですか……それ以外には?」
「家令が非常用に全ての部屋の鍵を一本ずつ保管しておりますが、それは非常時以外は使用しないことになっています。後ほど家令に確認します。父の私室の方の鍵は母が持っており、私は持っていません。そちらは形見の物が多く、母が片付けたがりません」
「そうなのですか。有難うございました」
ディートリヒ伯爵令嬢が引き下がると、子爵は扉を開いて監察団を招き入れた。
「どうぞお入りください」
正使スタイリス王子を先頭に、中に入る。部屋はそれほど広くはなく、全員は入れないので半数ほどは廊下で待機することになった。
「ふん」
スタイリス王子が鼻息を鳴らして部屋を見回す。
「どうということもない部屋だな」
副使クレベール王子も同様に見回していたが、首を傾げた。
「酒臭くありませんか?」
「確かにな。微かだが」
スタイリス王子は子爵の方を見て尋ねた。
「最近、この部屋で酒を飲んだことは?」
「ありません。実は継爵してから、私は数度、短時間しかこの部屋に入っておりませんし、父がいた頃もこの部屋には殆ど呼ばれませんでした。姉は屡々来ていたようですが」
「ふむ。今回、帰領してからもか?」
「はい、概ね私自身の私室の方を使っておりましたので。先程も申しましたが、この部屋のものには以前も今回も殆ど触っておりません」
「そうか」
スタイリス王子は訝しげに首を捻り、クレベール王子が質問を引き継いだ。
「子爵、以前に入った時と比べて、何か変わったことはありませんか?」
「何せ、この部屋のことは良く憶えていませんので……強いて言えば、何かすっきりとしているように思います。机周りも変わったような……ああ、机の上にあった文房具が片付けられています」
「机か。ユークリウス、調べてみろ」
「はい」
正使殿下の命に従い、ユーキが机の後ろに回る。そこにあったのは、頑丈そうではあるがおよそ飾り気がない武骨で質素な木の椅子だった。貴族の当主が用いるようなものには見えない。
「子爵、実用的な椅子を用いておられるのですね」
ユーキが子爵に言うと、子爵は「は?」と訝しげに椅子を見て、驚いたように声を上げた。
「いえ、これは私の椅子ではありません。以前にあったのは父のものですが、それとも異なります。ひょっとすると誰かがどこかへ移したのかもしれません」
「そうですか。抽き出しの鍵はありますでしょうか?」
「私は持っておりません。母が持っているかもしれません」
「そうですか」
ユーキが何の気なしに右側の一番上の抽き出しを引いてみると、すっと出てきた。
「施錠されていませんね」
順番に開けていくと、一番上と二段目には筆記具、紙等の普通の文房具が入っていたが、三段目には何も入っていない。
「大したものはありませんね」
「ユークリウス、左側はどうだ?」
正使殿下の声に「はい」と応じて反対側の袖に取り掛かる。やはり施錠されていない抽き出しを次々に開けて調べる。
「こちらは……上二段はやはり空ですね。三段目は……あれ? 重いな。……酒ですね」
そこには酒瓶とグラスが入っていた。取り出して机の上に置くと、クレベール王子がその瓶を手に取った。
「……これは王都製ですね。なかなかの上物です。封は切れていて……中身も減っていますね」
「子爵の物かな?」
スタイリス王子が子爵に視線を送ると、子爵は慌てて顔を横に振った。
「いいえ。そもそも私はこの部屋を殆ど用いていません。継爵後に一度か二度、入っただけなのです。抽き出しには錠が掛かっていたはずですが……確実には憶えていませんが」
子爵はこの部屋に入ってからは淀みなく答えており、表情を見ても嘘を言っているようには思えない。その言葉通りにこの部屋は調べもせず使ってもいないのだろう。
「先代はここで酒を飲んでいたのかな?」
クレベール王子が尋ねたが、子爵はまた顔を横に振った。
「いえ、父は仕事と私事のけじめをはっきり付けておりましたし、酒は私室の方で飲んでおりました」
「すると、この酒は誰の物だ?」
「やはり、代官と考えるのが自然でしょうか、スタイリス殿下」
「しかし子爵の記憶が確かなら、机は錠が掛かっていたんだろう?」
正使と副使が謎を解こうと子爵の言葉を吟味していると、その間に机を詳細に調べていたユーキが声を出した。
「あ……。正使殿下、副使殿下、この鍵穴を見ていただけますか?」
「ユークリウス、どうした?」
「少しですが、何か白っぽいものがこびり付いています」
ユーキが抽き出しの鍵穴を指差すと、クレベール王子がユーキの横に屈んで覗き込み、付着していた白いものを人差し指で撫で取ると親指の腹と擦り合わせて感触を確かめた。
「これは恐らく、蝋でしょう。蝋で型を取って合鍵を作る、という話を聞いたことがあります」
「クレベール、合鍵か。まるで泥棒だな。合鍵で抽き出しを漁った挙句に、領主気取りで酒を嘗めて悦に入っていたわけか。折角作った鍵も掛けずにいる間抜けがやりそうなことだな。はは」
「殿下、これは早急に代官を取り調べるべきかと」
「うむ」
クレベール王子は冷笑うスタイリス王子に進言し、その頷きを確かめて子爵に冷ややかな顔を向けた。
「子爵、代官はどこへ行ったのですか? 早急に出頭させるように」
「それが……予定では明日戻ることになっております」
「よもや、逃亡しないでしょうね」
「いえ、そのようなことは。衛兵隊を伴っておりますので、あり得ないと思います……あ」
慌てて言った返事は迂闊なものだった。それに気付いて口を手で押えようとした子爵に、スタイリス王子が厳しく問いを重ねた。
「衛兵隊を? どこへ行ったのだ」
「……それは……」
「はっきり言え」「子爵、このような訴訟事では隠すと反って御身のためになりませんよ」
正副使から重ねて詰められ、子爵は本当の事を言わざるを得なくなった。
「……ネルント開拓村です」
「ネルント開拓村? 訴え出た、件の村ですか? 何をしに行ったのですか?」
クレベール王子が眉を厳しく顰め声を高めて問い詰めるその勢いに、子爵は俯いて声が小さくなる。
「えっと、それはつまり、和解を求めて話し合いに、と申しておりました」
「和解? つまり、訴えがあったことを知って、直接交渉をしようとしたのですか?」
「はい。穏便に済めばと」
「我々がこちらに向かっていることを承知の上で、ですか」
「いえ、その、殿下方のお手を煩わせてはいけないと思いまして」
「それを子爵が命じたのですね」
「いえ、命じたというか、代官からの申し出を許可しただけです」
クレベール王子は目を細めて子爵の目を見詰める。冷静さを取り戻し、声の調子も元に戻った。
「……衛兵隊とおっしゃいましたが、何人連れて行きましたか?」
「えっと、代官本人を含め、約二十名と申しておりました」
「穏便な話し合いに二十名で行ったのですか」
「多かったでしょうか?」
「それを我々に尋ねられましてもねえ。多かったとして、今更どうされると?」
「くっ」
取り繕うための問いに皮肉を返されて言葉に詰まる子爵に、周りから失笑が洩れる。スタイリス王子も半ば笑いながらも取り成した。
「クレベール、まあいいじゃないか。領主を相手取って陛下に訴え出るような恐れ知らずの連中だ。護衛を多くしたいと思っても仕方がないだろう」
「それにしても二十名とは、討伐隊でもあるまいに、大仰にすぎるでしょう。和解の話し合いと言いながら、いったい何を考えているのか。何かの拍子に衝突して、村民を傷付けていないと良いのですが」
「まあ、ここでどうこう言っても仕方あるまい。今から慌てて人を遣っても遅かろう。明日にはもう戻ってくるのだろう」
「ええ、代官は帰りを待った方が良さそうですね、殿下。代官がいないうちに、その者の執務室も調べましょうか」
「そうだな。良いな? 子爵」
「はい、では、家令に鍵を持ってこさせます」
代官の執務室は子爵のものより小振りで、広さだけを見れば、代官のそれらしかった。
ただ、こちらには壁に一幅の大きな絵が飾られていた。中天高く昇った満月の下、一面に咲き揃った花の森の広場で煌々と燃える篝火に照らされる中、優美な妖精たちが輪になって舞い踊っている。その絵を見て、スタイリス王子が感心して声を上げた。
「春月の下で踊るニンフたちか。これはなかなかの出来だ。子爵、良い趣味をしている代官ではないか。これほどのものを贖える給金を与えているとは、気前が良いな」
「これは……元は、父の執務室にあったものです。それに、執務用の椅子もそうです。ここのものと入れ替えられたようです」
「ほう。それはそれは。子爵、どうやら、とんだ代官をお召し抱えになっておられるようだな」
「……お恥ずかしい限りです。戻り次第、糾明したく、」
「いや、取り調べは我々が先に行う」
己が代官の放埓に漸く気付き始めた子爵が顔を赤らめて弁明しようとしたが、正使殿下は最後まで言わせようとはしなかった。副使殿下も子爵の言葉に耳を貸そうとせず、むしろ調査を進めようと言葉を重ねる。
「子爵、絵の裏を調べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「は、はい、クレベール殿下。どうぞ」
「では、誰か、外してくれ」
「私がやります」
ユーキがクレベール王子の指示に応えて絵の前に向かうと、スタイリス王子が機嫌良さげに声を掛けてきた。
「ああ、ユークリウス。お前は今回は見習だ。汚れ仕事でも嫌わずに、その調子でどんどん励むことだ」
「はい、スタイリス殿下。有難うございます」
正使殿下に応じながら壁から額をそっと外し、裏側をじっと見て観察を口にする。
「……裏はうっすらとですが、一様に埃が付いております。最近は絵を壁からも額からも外していないようです。開けてみますか?」
「ええ、念のため、開けてみてください」
「はい」
副使殿下の許可を得て裏蓋を慎重に開けてみる。何か特別なものが入っているわけではなかったが、絵の裏に文章が流れるような文字で書かれていた。
「正使殿下、副使殿下、特に何もありませんが、絵の裏に何か書いてあります。……『継爵を祝う。わが友の春が長く続くように、これまでも、これからも、心を込めて祈る。辺境伯ゲアハルト・クリーゲブルグ』」
辺境伯の自筆と思われる祝辞を読み上げてから絵の裏側を正使、副使両殿下の方に向けて差し出すと、二人とも食い入るように見詰めながら感想を口にした。
「変わらぬ友情の証か。これほどのものを贈るとは、余程の親しさだったと見えるな」
「そのようですね、スタイリス殿下。辺境伯はこの絵を贈った時には、やがてその友人の息子を訴えることになるとは思いもしなかったでしょうね……」
「そうだな、クレベール。運命とは妙なものということか」
「妙。おっしゃる通りですね。美しくもあり、過酷でもあり、でしょうか」
二人が話をしている間、ユーキは何も言わずに二人の言葉を聞きながら書かれていた祝辞の言葉の一つ一つを心の中で繰り返し、そして、クリーゲブルグ卿は誰のために訴え出たのか、今は亡き親友のことをどう思っているだろうか、と考えていた。
その後に額を丁寧に壁に戻すとスタイリス王子にさらなる捜査の許可を求めた。
「続いて机を調べてもよろしいでしょうか」
「ああ、ユークリウス、やれ」
「はい」
ユーキは机に歩み寄ると、調べながら見たままを次々に口にして報告する。
「……机の上の書類は、関税の徴収に関するもののようです。税率は別として、通常のもののように思われます。抽き出しは……やはり錠は掛かっておりません」
「手癖が悪いのに、自分自身は扉さえ錠を掛けておけば安全と思い込んでいるのか。迂闊な奴だな」
「抽き出しの中にも書類があります。農政、……ギルド関連、……衛兵経費、……人件費。領政に関する各種書類が入っているようですが、件の契約書に関するものは、ざっと見た所では無いようです。後は文房具や印の類ですね。この印は恐らく領印でしょうか。その他に特段変わったものは見当たりません」
机を調べ終えるとユーキは二人の殿下の方を見た。スタイリス王子が弟に言った。
「どうする、クレベール? ユークリウスたちにもっと詳しく調べさせるとするか」
「そうですね。この書類の内容、先程の先代子爵の執務室、それから子爵御自身の私室も手分けしてざっと調べさせましょう。殿下、少し時間が掛かるでしょうから、我々二人は一度会議室に戻って待つことに致しませんか?」
「いいだろう。そうするとしよう」
クレベール王子は子爵を振り返って言った。
「子爵、お家の方を各部屋で立ち会わせてください。御自身は我々とともに会議室にお戻りくだされば」
「私の部屋には領政関係のものは何もありませんが、承知しました。立会いを手配します」
「ユークリウス殿下、他の皆も、書棚等も遺漏なく調べるように。では、後を頼みます」
「承知しました、クレベール殿下」




