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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第四章 若者たちへの試練

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第七十五話 マーシーの人殺し

承前


 ケンがジーモンに付き添われて坂を登り切ったところに、思わぬ人物がやってきた。

 マーシーだ。松葉杖を突き、足を引き摺りながら近付いてくる。

 マーシーがジーモンに頷いて見せると、ジーモンはケンの側から離れていった。片付けの作業に戻るのだろう。


 マーシーは真っ青な顔のままで立ち止まっているケンの前まで辿り着くと、静かに話し掛けた。


「よう、ケン、終わったんだってな。荷馬車が必要だって聞いたから、持ってきたぞ」

「マーシー」

「御苦労だったな。疲れたろう」


 (ねぎら)うマーシーの笑顔を見た途端、ケンの消えていた感情が戻ってきた。そしてそれと同時に猛烈な吐き気に襲われた。

 両手で口を押さえて崖に走り寄ると、四つん這いになって吐こうとした。だが、胃からは何も出てこず、ただ嘔吐(えず)き続けるだけで酷く苦しい。薄暗い世界がぐらぐらと揺れ動き続けているように感じ、震える体を手足で支えているのも難しい。


 マーシーはゆっくりとケンの横にやってきて苦労して座ると、背中を(さす)ってくれた。


「朝からずっと、水以外は何も腹に入れてないんだろう? 吐くものが何も無けりゃ、それは苦しいさ。これを飲め」


 マーシーはそう言うと水入りの革袋を渡し、ケンが上体を起こそうとするのを支えてくれた。


「無理でも飲め」


 そう言われてケンが何口かをなんとか飲み下すと、また吐き気が来た。吐こうとすると、また背中を擦ってくれる。今度は今飲んだばかりの水が出て、吐き気は少し治まった。


「大丈夫か? 口を(すす)いでから、少しでいいからゆっくりと飲め」


 言われた通りにすると、視界が蒼く暗く消えていくようだった気持ちが落ち着いてきて、周りが少し明るくなった。

 そうだ、今は初夏の日中だったんだと気が付いた。


「あっちで少し話をしようか」


 ケンはマーシーに言われるままにふらふらと立ち上がった。マーシーも松葉杖を使って苦労して立ち上がる。二人はそのまま広場の端の邪魔にならない所に行き、座り込んだ。

 ケンが何も言わないでいると、マーシーは少ししてから尋ねてきた。


「聞いたぞ。ボーゼをやったそうだな。どうだった?」

「……どうもこうも」


 ケンが言葉を絞り出すと、マーシーは黙って頷いた。その静かな微笑みに促されて、ケンは何とか話し出すことができた。


「無我夢中だった。坂の上からあの女を追い掛けたところまでは憶えてるんだけど……その後がわからない。気が付いたら、死んでいるあの女の前で立っていたんだ」

「そうか」

「……人を殺しちゃったんだって思ったら手が震えてきて、手を見てたら体が震えてきて止まらなくなった。坂を上がってマーシーの顔を見たら、自分が気持ち悪くなって吐き気がした」

「そうだったのか」


 暫く黙り込んだ後に、ケンはぼそっと呟いた。


「俺、どうなっちゃうんだろう」

「どうもならんさ」

「でも、俺は人を殺したんだ」

「いや、ボーゼは偽降伏したんだろ? お前は指揮官として、罰しただけじゃないか」


 マーシーが応じる。その冷静な声に、ケンは首を強く横に振った


「……違うんだ」

「そうか? 短刀を隠し持っていて、縛っていた縄を切ったって聞いたぞ?」

「そうだけど、そうじゃないんだ。偽降伏していなくても、殺すつもりだった」


 一度言葉にしてしまうと、代官ニードの死体を見た時の黒い気持ちが蘇ってきた。もう、心の中に留めておけない。口から溢れ出るのを止められない。止まり掛けていた体の震えがまた激しくなる。


「あの女はニードを裏切って騙し討ちで殺した。人を殺すことをどうとも思わない奴だ。村へ連れて行けば、必ず逃げ出そうとして村の誰かを殺す。そう思ったんだ。だからこのまま生かしてはおけない、殺さなければならない、そう思ったんだ。だからあいつは別にして始末しようと考えたんだ。偽降伏に気付いたのは、その後なんだ」

「それがどうした。お前は村を守った。それだけのことだ」

「でも、俺は人を殺したんだぞ? 殺そうとして。人殺しなんだ!」


 ケンが叫ぶように大声を出し、頭を抱え込む。だがマーシーの声は穏やかなままにそれを打ち消した。


「だが、お前はお前だ。何も変わらん」

「そうかな……」

「ああ、そうさ。お前、俺のことをどう思う?」

「どうって?」

「知っているだろ? 俺は傭兵稼業で盗賊を何人も斬っている。そのことで俺がおかしくなったとか、変になっているとか思うか?」

「……いや。思わない」

「そうだろ。俺は雇い主を守ったんだ。お前も同じだ、何をどう思ったとしても、村を守るために戦ったんだ。お前は大丈夫だ」

「そうだといいんだけど」


 頭を抱え込んだままのケンを見て、マーシーはその肩に手を置いて揺り動かした。漸く手を解いて頭を上げたケンの眼をじっと見てその視線を捕らえてから、言葉に力を加えて諭した。


「いいか、ケン。ノーラさんの言ったことを思い出せ。嬢ちゃんの言った『人を殺す覚悟』とは、殺した後のことも言ってるんだ。あの嬢ちゃんは(すげ)えよ。以前一緒に盗賊と戦った時、あの嬢ちゃんは盗賊が放った火矢を拾って、逃げ出した相手の背中に平気で射ち込んだ。そいつを俺たちが倒してほっとしてたら、『油断するな』って怒鳴られた」

「そうなのか」

「後で盗賊が怖くないのかって聞いたら、俺たちに護られてたからと言ってたけどな。その後にぼそっと『盗賊怖くて商人ができるか』って呟いたのが聞こえた」

「へえ……」


「ふっ」と笑うように息を零してから、マーシーは言葉を繋いだ。


「なあ、ケン、俺の昔話を聞いてくれるか? ちょっと長くなるんだけどな」

「いいけど、何?」

「俺が初めて人を斬った、いや、殺したときの話さ」


 そう言ってにやりと笑うとマーシーは語り出した。


------------------------------------


 相手は、まあ、お定まりの盗賊さ。

 その時、俺たちはある商人の護衛をしていた。その街道は大きな町同士を結んでいて商人の荷馬車の往来が多く、傭兵も町の間の往ったり来たりを繰り返していた。

 で、その時は護衛と言っても、荷物を届けた帰りの空荷の荷馬車に護衛代の代わりに無料で乗せてもらう便乗みたいなもんで、そんな奴が偶然寄り集まって一台の荷馬車に六人もの護衛っていう、おかしな状態だった。寄り合い所帯だが六人のうち四人は古参の熟練者で、俺ともう一人は新米だった。


 物の行き来に重要な街道だから衛兵団がしょっちゅう警邏してたこともあって、大きな盗賊団は寄り付かない。

 気楽な道中で古参連中のバカバカしい法螺話を聞きながら進んでいると、途中で横の茂みから見窄(みすぼ)らしい格好をした盗賊がいきなり襲ってきたんだが、たった三人なんだ。たぶん、街道から街道を渡り歩き、護衛が手薄な単独行動の荷馬車を専門に襲ってた連中だったんだろうなあ。

 そいつらにこっちの戦力がわかるわけも無かったんだが、古参連中は鴨が来たと嗤ってたよ。


 それで闘いになったんだが、古参連中が前に出て、俺たち二人は万一に備えて後方警戒をしろ、って言われたんだ。それで荷馬車の後ろ側で剣を構えて様子を見ていた。

 まあ、大して食えてなさそうな痩せこけた盗賊三人じゃ、熟練の傭兵四人相手に勝負にならない。良いようにされてたんだが、そのうちに何の弾みか一人が囲みを抜けて、頭から血塗れでこっちへ必死に走って逃げてきたんだ。

 だけどその賊、血が目に入ったのか、俺たちの前で躓いてこけやがった。それで古参が俺たちに叫んだんだ。


『今だ、やれ!』って。


 ところが俺ももう一人の新米も、体が動かないんだよ。動こうとしても、足が地面に凍り付いたように前に進めない。

 すると賊が立ち上がって、血塗れの顔で『助けてくれっ!』て叫んで、剣を振り上げながらもう一人の新米に向かって歩きだしたんだ。


『やばい!』と思って頭に血が昇ったとたんに、体がやっと動いた。必死になって、もう、斬るとか突くとかじゃなく、剣を前に出したまま、わけの分からない大声を上げて賊に体ごとぶつかって、一緒になって転がったんだ。

 その後のことは良く憶えていないんだが、同じようにやっと体が動いたもう一人と一緒に、滅茶苦茶に戦ったらしい。気が付いたら、ぼろきれみたいになった賊の死体の前に二人で座り込んで、はあはあと息をしていたんだ。

 俺ももう一人も返り血やら土やらで顔も体もドロドロに汚れてて、顔を見合わせてゲラゲラ笑いだして、笑ってるうちに体が震えだして、怖くなって涙がボロボロ出てきて、二人ともどうしていいかわからなくて、呆けて笑い泣きしていたんだ。


 その盗賊がどんなつもりで『助けてくれ』って言ったのかはわからない。こっちを油断させようとしていたのか、本当に降参するつもりだったのか、もう頭が変になっていただけなのか。

 それでも、助けを求めた奴を殺しちまった自分が怖かったんだろう。

 ただただ、呆けて泣いていた。


 そのうち、残りの二人を片付けた古参連中がやってきてな。俺たちの様子を見て、『しっかりしろ』と言って顔をひっぱたかれた。それでやっと我に返ったんだ。


 その後、俺たち二人は体の震えが治まらず腰も抜けたみたいになってたから、死体の後片付けとかは古参連中がやってくれて、出発することになって何とか立ち上がった時に、長袴(ズボン)がびしょ濡れになってるのに気が付いた。

 ああ、そうなんだ。俺ももう一人の奴も、知らないうちに漏らしてしまっていたんだ。

 傭兵になった時に先輩から、荷物には必ず下着と服の着替えを余分に入れておくように言われたんだが、理由がわからなくて、そうしていなかった。その時初めて理由がわかったよ。


 暫く馬車に乗って進んだら川の近くに出たんで、馬車を停めてもらって川で体と服を洗った。

 着替えが無いので洗って絞っただけの濡れた下履(パンツ)だけを履いて川から戻ってきたら、雇い主の商人が俺たちを待ってて、俺たちに『初めてか?』と聞いてきた。『そうだ』と答えたら、『じゃあ、これで一人前だな』と言って、『命賭けで護ってくれて、有難う』と礼を言われた。


 その後、『少ないが臨時報酬だ』って全員にリーグ銀貨を一枚ずつくれたんだが、『それはそれとして』って、俺ともう一人の男とで汚した荷馬車を洗わされたよ。それも荷台だけじゃなく、ついでにって、車輪から引き棒から全部だぜ。酷い話だ、一リーグじゃ割に合わねえよってぼやきながら、もう一人と川の水を木桶で運んで、下履一丁で江風(かわかぜ)に吹かれて寒さにも震えながら懸命に洗ってたら、商人も古参連中も、俺たちが服を乾かすために(おこ)した焚火の側で茶を飲んで札遊びしながら、こっちを見て大声でゲラゲラ笑ってやがった。


 もう、本当、参ったよ。

 だけどな、必死に荷馬車を洗ってるうちに落ち着いて、立ち直れたんだ。気が付いたら震えも治まってた。


------------------------------------


 語り終えると、マーシーは真顔でケンを見て言った。


「これが俺の最初の人殺しだ」

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