第七十話 鼓舞
前話翌日
ニードに率いられた隊はネルント開拓村の手前の、山の麓にあるフーシュ村で一泊した。
主街道から外れた田舎の村に宿屋などは無い。ニードと彼が王都から連れてきたボーゼたちは村長の家に泊まったが、残りの衛兵たちは村の民家に分宿だ。人数分の寝台などあるはずがなく、土間や納屋を借りて寝袋で寝る。
領主が代替わりしてから自分たちが歓迎されなくなったことは、以前からいる衛兵の誰もがひしひしと感じている。
先代の頃には、出動先の村ではたとえ粗末な物でも夕食を出してそれなりにもてなしてくれたものだが、今日は寝場所を貸すのも渋々だった。税率が上げられたせい、というのは勿論大きい。だが、領民と自分たちとの間にできた溝、あるいは心の距離は、上げられた税以上に大きいように思われた。
領都の街角や領境の検問所で警備のために立っている時も街路を巡回している時も、以前であれば領民はこちらに頭を下げて挨拶し、気軽に話し掛けてくる者もいた。だが、今はそのようなことは滅多にない。誰もが顔を伏せ、自分たちと目が合わないようにしながら通り過ぎ、あるいは道端に避けようとする。代官が王都から連れてきた連中が領民に難癖を付けたり暴力を揮ったりしているからだろう。
それを代官に報告したこともあったが、代官は『付け上がった領民に身の程を教えるのは当然のこと、何一つ問題は無い』と言って相手にされなかった。それで衛兵たちは諦めてしまった。取り締まる側と取り締まられる側の間に壁ができるのは仕方の無いことだと、心の中で言い訳をして。
自分は上の命令に従えばそれで良い。自分は悪くない。そう思えない連中は、衛兵長に従って領都に残ったのだろう。できれば自分もそうしたかった。
だが、代官があいつらをそのままにしておいてくれるとは思えない。衛兵の職を失えば路頭に迷うことになる。領民は気の毒だが、自分と家族を守るためには、嫌でも代官に従うしかない。他にどうしようもないのだ。
明日はネルント開拓村に行くことになる。
代官からは行先はまだ示されていないが、このフーシュ村まで来たら分かれ道はクリーゲブルグ辺境伯領へ行く道しかない。だが、他領へいきなり出兵するわけが無い。だとすれば後は一本道だ。もう行先は開拓村しかない。
暫く前に代官とニードが開拓村で暴力を揮ったことは、その時にあいつらに随行した同僚から聞いている。尤もわざわざ聞くまでもなく、あいつらはどこへいっても同じことをしているのだが。
明日もまた見たくもないものを見ることになるのだろうが、自分たちは手を下さず目を瞑ってやり過ごせばそれで済むだろう。
衛兵たちは寝袋の中で溜息を吐くと、硬い床を背に感じながら、無理やりに眠ろうと寝返りを繰り返した。
翌朝、朝霧の立ち込める中でフーシュ村から出発すると、ニードは揺れ動く荷馬車の荷台で隊員たちに今回の出動についての指示を出した。
「知っている者も多いと思うが、王都から国王陛下の監察使がやってくる。ネルント開拓村の者が畏れ多くも陛下に対し子爵様を讒言し、虚偽の訴えを行ったのだ」
王都からニードが連れてきた五人の衛兵はニヤニヤと笑い、傭兵四人は無表情だ。それ以外の十一人の衛兵は蒼褪めた硬い顔で聞いている。
「これまでの子爵様の篤き寵愛を恩とも思わず、わずかな増税に従わぬばかりか反って仇で返そうとする、不義不忠の怪しからぬ行いである。我々はこれより同村に向かい、今回の不当の訴えの首謀者を捕縛する。その他の者が反省し讒訴を取り下げて増税を受け入れればそれで良し、取り下げないならば子爵様に反逆する者全てを討ち懲らしめ、関係証拠書類を押収する」
ニードは言葉を切り、衛兵たちを見回した。
多くの者が下を見て視線を避けたが、王都組の連中だけはこちらを見てにやにやと口を歪めて笑いながら頷いている。
「手順はこうだ。隊を五人ずつ四つの分隊に分ける。村の入り口に着いたら一つの分隊、そうだな、傭兵組はそこで留まって道を封鎖する。いいか、誰も通すな。突破しようとする者は全て捕らえろ。女も子供もだ。一人たりとも見逃すな。
次に他の分隊は俺と共に村長の家に向かい、一隊は表を、一隊は裏口を監視する。最後の一隊は俺が率いて中に入り、村長を捕縛して家の中を捜索する。監視隊は、逃げ出す者がいれば捕える。単純かつ効率的な作戦だ。全員、いいな?」
ニードが言葉を切ると、空かさずボーゼが手を挙げた。
「あたしは旦那……いえ、代官様とともに突入したいです」
「ボーゼか、いいだろう」
「俺もだ……です」「俺も行く」「俺も」「俺もだ」
続いて王都組の残りの四人も勢い込んで口々に言いながら挙手する。どの声も笑いを含んでいる。こんな面白い催し事に参加しない手は無い、そう言わんばかりだ。
「いや、駄目だ。お前たちは一人ずつ、残りの各分隊の指揮をしろ。一人余るな。お前は裏口隊の指揮補佐だ」
「……わかりやした」
四人が落胆してつまらなそうに手を下げる中、ニードが付け加えた。
「ああ、全員に言っておくが、容赦はするな。逃げ出す者は打ち据えて捕らえろ。抵抗する者、歯向かう者はおらんだろうが、もしいたら、斬り捨てて構わん。いや、斬り捨てろ」
王都組の目が輝き、傭兵組は表情を動かさない。それ以外の衛兵の顔からは一斉に血の気が消えた。それを見て、ふん、覚悟の無い甘い奴らだ、とニードは嘲笑う。
まあそれでも衛兵長に媚びを売って領都に残った連中よりはまだましだ。これから俺様が鍛えて、使い物になるようにしてやる。
「全員、返答はどうした」
「了解!」「了解しました…」
大小の声がばらつく。
「何だ、それは! 子爵様の威を示しに行くのだ。そんな気構えでどうする。子爵様を辱める気か! もう一度だ! 全員、返答は?!」
「了解!」
今度はそれなりに揃った。
まあ、甘っちょろい連中ではこんなものだろう。これから修羅場を見せてやる。血に塗れた死体をいくつも見れば、こいつらも変わるだろう。俺が、俺様が変えてやる。俺様の命令に喜んで従う臣下にしてやる。
そしてこれが終わったら、子爵を王都に追い返して俺様を勲爵士に推挙させる。宛がってやったあの女が王都で待っているんだ、喜んで帰るだろう。そうすればまた、俺様が領主同然だ。
子爵も侯爵もハインツの糞野郎もいない、俺が唯一の貴族様になるんだ。ここは俺様のもの、俺様だけの領地、王国だ。邪魔する者は容赦しない。
「開拓村の連中め、待っていろ。今から俺様がそこに行く」
ニードは残忍な微笑を顔に浮かべて呟くと腰の剣を撫でた。
衛兵たちはそちらを見ないように只管荷台の床を見詰め続けた。互いに視線を交わすことももうしなかった。
------------------------------------
ニードたちを乗せた荷馬車はフーシュ村から峠に続く九十九折の坂道をのろのろと登っていく。
その上方の途中でケンが様子を窺っていた。
万一にも日光を反射して気付かれることが無いように、剣や短刀の金属類は全て峠で待つ仲間に預けてきた。ちょっと不安になるが、急いで戻るには身が軽いに越したことはない。仮に見付かっても、ここで戦うような選択肢はない。走って峠に戻る一択だ。
朝方は霧のために視界が悪く気が揉めたが、幸い、日の出と共に吹き始めた風が霧を払ってくれた。風の精に感謝の祈りを捧げて気を落ち着かせ、目を凝らし耳を澄ませていると、遠くから馬車が上ってくる重い音が響いてくる。
暫くすると下の方の尾根の出角を曲がって見えてきた。どうやら一台切りだ。二頭輓きでも大型の荷馬車の動きは鈍い。満載のようだ。あの馬車だと、マットが齎した知らせの通りに多くて二十数人といったところだろう。
暫く待って後続がいないことを確認すると、ケンは音を立てないようにそっとその場を離れ、峠の仲間の所へ戻った。
待っていた全員を集めて偵察の結果を伝える。
「間もなく来るぞ。相手は馬車一台分、約二十人。マットの情報から変化はない。皆、手筈通り、訓練通り動くことだけを考えろ」
全員が頷くのを確認して言葉を続ける。
「もし自分の手筈に不安があったら、今すぐ手を挙げて言ってくれ。遠慮はなしだ。自分一人のことじゃない、仲間を守るためだ」
二度、三度と皆の顔を見回すが、不安そうな顔は一つも無い。全員が口を引き締めて互いを見交わし、ケンを見返す。
「もう一度だけ確認する。相手とのやり取りは、俺がやる。相手の言い草に腹が立っても言葉にするのは我慢してくれ。迂闊な返事をすると付け込まれる。それ以外は手筈通りだ。相手が引かなければ、戦う。何としてもこの坂は上らせない」
ケンは言葉を一度切ると、口調を強めた。
「皆、ノーラさんに言われたことを思い出してくれ。俺たちは覚悟を決めて、ここにいる。戦う覚悟を決めて、ここに立っている。村を、村の家族をあの代官から守るために、ここに立ちはだかっている。もう、迷いは無しだ。俺たちは勝つ! いいな!」
「応!」
揃った声と共に、全員が一斉に勢い良く立ち上がって持ち場に着く。
ケンは一人一人の所を回って装備と顔付きを確認した。みな緊張はしているが血色は良くやる気に満ちた目でケンを見返してくる。怯えている様子は誰にも無い。敵が坂の下に着く頃には肩の力も抜けているだろう。大丈夫だ。
手筈や準備に抜けは無いか、頭の中で確認を繰り返す。何も無い。
もう後は、待つだけだ。




