第六十九話 代官ニードの出兵
前話翌朝
翌日の朝になった。ニードは領都を出発した。
率いているのは衛兵・傭兵合わせて二十人。全員が二頭立ての荷馬車一台に装備と共に詰め込まれている。
衛兵のうちでも騎馬兵は全員が衛兵長に従うことを選び、同行を拒否しやがった。馬を借りることすら『監察使の出迎えに必要だ』と見え透いた口実で断られた。どういうわけかこの領では代官である俺様の言う事を聞かない奴が多い。前回開拓村に連れていった者のうちで今回も参加しているのはボーゼだけだ。
代官は領主である子爵の代理人だ。いわば貴族で領主同然の俺様に何故素直に従わないのか、理解できない。
そうなった理由をニードは揺れる車中でずっと考えていたが、わからなかった。やがて考えるのを諦めて、子供の頃から今までのことに思いを巡らしていた。
俺の背中には、三条の傷跡が残っている。いずれもグラウスマン伯爵領の片田舎の村にいた子供の頃に鞭打たれてできた傷跡だ。
一条は自分の住む村の周辺を治めていた代官に、「俺の行く前を遮った」と難癖を付けられて打たれたものだ。
実際には遮ってなどいない、代官の馬を急いで避けようとして転んだだけだった。背中の痛みを懸命に堪えてそう言おうとしたら、近くにいた村の女に無理やり頭を押さえ付けられ代官に謝らされた。その女が「子供のことです、どうかお許しください」と一緒に謝ると、代官は俺たちを侮蔑の目で見下して、唾を吐き掛けて去って行った。その女以外の周囲の者は、巻き添えを避けるため、皆、見て見ぬふりをしていた。
俺が生まれ育った村では、領主一族や代官、その配下に逆らうなど、ありえなかった。逆らえば、鞭打たれる回数が増えるだけだったのだ。
村の多くの者が鞭の傷跡を持っていた。増税されようと、理不尽に鞭打たれようと、民は黙って耐えるものだった。ましてや王都に上訴するなど、考えもしなかった。
ただ、代官の命に全て逆らわない代わりに、村全体で作付けや作高を誤魔化すのが当たり前だった。土地柄に恵まれて不作の年は少なく、増税されても暮らしはなんとか立った。
暮らしが立たない者もいたが、いつの間にか村から消えていなくなる。たぶんどこか他の領に逃げて行き、大部分の者は盗賊に身を落として吊るされるか飢えて野垂れ死にしたのだろうと思われた。
領のどこの村でもそういうものだと思い込んでおり、誰もが今以上の暮らしなど望まなかった。
だが俺は違う。黙って鞭打たれる周囲の連中を軽蔑していた。そして鞭打たれる側でなく打つ側に回りたいと思っていた。
残りの二条の傷跡は、伯爵の弟のトーシェ、今のシェルケン侯爵に打たれたものだ。
侯爵家への婿入り話が出る以前に、自分の将来が見えぬ鬱屈を晴らそうと気まぐれに領内の村々で暴れ回っていたトーシェに取り入ろうとしてその気に障り打たれた。一打を受けても怯まずに「どうぞ」とさらに背中を差し出したら、トーシェは面白がってもう一打を加えてきた。それでも耐えて笑って見せたら、反って気に入られて使い走りの小者としての身分を与えられた。
トーシェが侯爵家に婿入りする際には付き従って侯爵領に移り、その後読み書きを習ったのも、剣や乗馬を覚えたのも、いけ好かないハインツの野郎の靴を舐めるような思いをして仕事を教わったのも、全て自分が虐げる側に、搾り取る側に回りたかったからだ。
シェルケン侯爵にピオニル子爵領の代官を命じられた時には、天にも昇る思いだった。
これで苦労が報われる。今度は自分の番だ。若僧の子爵を思いのままに動かして、領民を鞭打てるだけ打ち、搾れるだけ搾り取ってやれる、そのはずだった。
実際に、子爵を唆して命じさせた増税にも、自分が掠め取るための分を代官の当然の権利として十分に付け加えた。商人ギルドなどのわかっている連中は、税を負けて欲しさに出すべきものをたんまりと出してきた。
ボーゼたちの新しい衛兵を王都で集めた時も、相場より安く済ませて浮かせた分を懐に入れた。その分、集まったのは破落戸ばかりだったが、まあそれは仕方がない。ついでに集めた小役人などは、雇ってもらおうと自分から袖の下を差し出してきた連中だ。
何をやっても子爵を巧く誤魔化せばそれで済む。ましてや、領民どもに逆らわれる筋合いはない。どうせ自分たちが昔やっていたようにこいつらも作付けや作高を誤魔化しているのだろうから、それを適当に見て見ぬふりをしてやれば文句は無いだろうと思っていた。
だから、ネルント開拓村の連中が王都に上訴し監察使がやってくると子爵に怒鳴られた時は、何を言われているか全くわからなかった。そしてそれが理解できた時には、ただただ激怒した。
思い出しても腸が煮え繰り返る。こっちが苦労して大切に積み上げてきたものを、台無しにしやがるつもりか。長きにわたって辛酸を舐め、辛苦に耐えて、やっと得たものを無にさせてなるものか。
だが、ものは考えようだ。
農民どもなど、力で押さえ付ければどうにでもなる。上訴した連中を監察使が来る前に叩きのめし、それでも折れなければガキや女どもを人質にしてぶちのめすと脅せばよい。あの甘い連中の事だ、否応なく取り下げざるを得なくなるだろう。そうなれば、訴えは讒訴だ。貴族たる子爵を讒訴から守ったとなれば、大きな功績だ。
ああ、そうだ。村から領都に戻ったら、子爵に強請ってその功績で俺を勲爵士へと推挙させることにしよう。
もし渋ったら、焼けと言われたあの契約書の使い所だ。監察使に提出すると仄めかせば、あんな若僧は一堪りも無かろう。元はと言えば、子爵がシェルケン侯に逆らった時に脅しの材料にするために、子爵の机から持ち出して焼かずに隠しておいたものだ。だが、俺様のために使っても別に構わないわけだ。
やっぱり俺様はやることに何一つ抜け目がない。子爵のような小僧とは格が違う。俺様の方が遥かに貴族に相応しい。
勲爵士など、爵位持ちの貴族家の出なら下級の庶子でも金さえ積めば成れる、最下級で一代限りの位だ。それでも一応貴族のうちには数えられる。
つまりそうなれば俺様も歴とした貴族様だ。
貴族様か。そうか、俺様もついに貴族様か。
俺は今でこそ貴族の身内だが、代官をクビになり子爵家から追い出されでもしたら、今のままでは忽ちただの庶民に逆戻りする。もし万が一にも村の連中の訴えが通るようなことがあれば、間違いなくそうなってしまうだろう。
ふざけるな、貴族たるこのニード様が認めない。
讒訴した連中め、目にものを見せてくれる。明日使うのはこの鞭ではない。剣を思う存分揮うのだ。首謀者は、絶対に、何があっても生かしてはおかない。他の連中の目の前で、血塗れで木に高々と吊るしてやる。
待っているがいい。あと少しの命と知らずに、待っているがいい。




