第六十七話 子爵の帰領
前話翌日ピオニル領
その日、代官ニードはかなり寝坊した。
昨夜の深酒が祟り、目覚めた時には既に陽は高く昇っていた。寝床から無理やり体を起こしたが、まだ息には酒が残っている。頭痛が数日前のエルフ渡りのように何度も繰り返し襲ってきて、気分は朝凪とは行かない。
だが、昨夜は愉快だった。机の上に目を遣ると、積み重ねた金貨の塔がいくつも並んでいる。自分が積んだものだ。
昨日は子爵の執務室に入り込んで二杯、三杯と引っ掛けてからこの部屋に帰ると、この領に来てからこれまでに貯め込んだ金を革袋から机にぶちまけた。
山を成した硬貨の中からデール大銀貨を選び出し、七枚を六芒星の形に置いて土台にする。それを何段か繰り返した上に、蠟燭の光を柔らかく反射するヴィンド金貨を三角形に置いて重ねていき、ある程度まできたら、さらにその上に一直線に高く積んでいく。
金貨を一枚一枚、愛でながら数えて積み、王都から取り寄せた最上等の酒を心行くまで飲むのが無上の楽しみだ。
金貨は美しい。色も形も輝きも。酔って上手く積めずに崩れ落ち、金貨同士がぶつかりあって立てる音までが美しい。もっと酔いが回って手に持つことすら怪しくなったら、そのまま寝台に倒れ込んで寝入ってしまえばそれでいい。至福の時とはそういうものだ。
この目の前の金貨の全てが自分の力で得たもの、自分の才覚で得た代官という地位の賜物なのだ。これからもこの権力を好きなように使わせてもらう。今日は何枚の金貨が手に入るか、楽しみだ。そして夜には美味い物を食って酒を飲む、全て子爵家にツケを回せば俺の腹は痛まないのだ。
ニードはそんなことを考えながら散らかった自分の下宿部屋を片付けて金貨銀貨を大切に仕舞い込んだ。万が一、泥棒が入り込んでも見付からないように隠しておく。尤も、代官である俺様の部屋に忍び込むような度胸のある馬鹿はこの領にはいないだろうが。最後に一枚でも床の上に落ちていないか何度も念入りに確かめる。
気が済んだので部屋を出てピオニル子爵の邸に出勤した。
門衛の挨拶に声も返さずに中に入ると、いつもと様子が違う。子爵家の紋が入った馬車が玄関先に停まっている。
ニードは怪訝な顔になった。
変だ。子爵が領に戻ってくる予定はなかったはずだ。
何事かと足を早めて邸の中に入ると、従僕たちが慌ただしく走り回っている。そのうちの一人がニードを見付けて、急き込んで言った。
「代官様、代官様の執務室で閣下がお待ちです。お急ぎください」
嫌な予感がして急いで執務室へ行こうとすると、いきなり館内に子爵の怒鳴り声が響いた。
「ニード! ニードはまだか!!」
残っていた酔いは一瞬で醒めた。
ニードが小走りに急ぐと、子爵が執務室から出て廊下に立っていた。横に王都詰めの男を一人連れている。
「閣下、おはようございます。無事の御帰領、祝着に存じます。ですが、どうされましたでしょうか?」
ニードは取りあえず遜ってみたが、子爵は挨拶も抜きに怒鳴った。
「何が早いものか! どうもこうもない! 王都から監察使が来る! ネルント村の田舎者どもが、王都に上訴しやがった! 領主を畏れぬ糞塗れの下郎どもめが!」
「上訴?」
子爵は顔を真っ赤にして口汚く罵っている。
何を言っているのかニードには全く理解できなかったが、廊下で大声で話すような事ではない。
「閣下、ゆっくりとお伺いします。まずはお入りください」
ニードは子爵の背中を押すようにして自分の執務室に入らせた。横にいた男も一緒に入ってくる。
執務室で自分用の安楽椅子に座らせると少し落ち着いたようだが、顔の紅潮は引いていない。
ニードは執務机の前に立って尋ねた。
「お伺いします。何があったのでしょうか?」
「王城から使いが来た。ネルント村の者が、税についての契約が破られたと訴え出たそうだ。国王陛下がお取り上げになり、監察使が送られた。俺はその知らせを受けて、できるだけ早く出発して急ごうとした。途中でエルフ渡りの雨風に遭って遅れて監察使に一度追い付かれてしまったが、何とか引き離して夜通し馬車を走らせて戻ってきた」
子爵は一気に言うと、はあ、はあ、と息を継ぎ、また怒鳴る。
「ニード、いったい何がどうなってるんだ! お前、何をした? 税を上げろとは言ったが、監察使を送られるほどのことを命じた覚えはない!」
ニードは冷汗が背中を足早に流れ落ちるのを感じた。
拙い。子爵に命じられた以上に税を上乗せした事は露見したのか? とにかくこの若造を落ち着かせねば。
愛想笑いを作り、声を低め、できるだけゆっくりと応じる。
「……上訴の受付を担当する官は、シェルケン侯爵閣下の息が掛かっていたかと思います。何かあればそこで差し止めていただけるものと思っていたのですが。侯爵閣下から何か連絡は?」
「無い。何も無い。何がどうなっているのかわからない。だが、どうやら連中はクリーゲブルグ辺境伯に、訴状を陛下に届けるよう頼んだらしい」
子爵はまだ息を荒くしながら話している。すると、脇に控えていた王都詰めの者がなかなか要領を得ないと見たのだろう、「よろしいでしょうか?」と口を挟んできた。
「陛下からの使者によれば、ネルント村からの訴えに加えて、辺境伯からも我が領との契約への違背の訴えが添えて出されたとのことです。当領での小麦の作付けの抑制と、辺境伯領からの小麦粉の支援に関するもののようです」
男はまだ説明を続けようとしたが、子爵が口を出して遮った。
「ニード、どうするつもりだ? 俺は契約の内容は何も知らんぞ。お前だ、お前が、親父が交わした契約など全て気にする必要は無い、俺の代になったら無効だと言ったのだぞ。辺境伯とも手切れをしてしまえば全てそれまでだと。だから、俺はそんな契約書なら焼き捨てて構わんと許可したのだ。今更どうにもならんぞ。もう契約の内容を確認することもできん。おいニード、領は全て任せて王都にいろと言ったのはお前だぞ。俺には何もできん。いったいどうするつもりだ!!」
十歳以上も年下の子爵に大声で怒鳴り付けられて、ニードは心の中で毒突いた。
うるせえ小僧だ、何もできないんだったら黙ってやがれ。どうせ始末はこっちで付けることになるんだ。
クリーゲブルグ辺境伯領との契約を破棄交渉せずに無視したのは、辺境伯の権威と収入を落とせというシェルケン侯爵の指示に従ってやったことだ。関税を上げれば行商人が減るし、小麦を増産すれば付近での相場が下がり大産地である辺境伯領に打撃を与えられる。だが、やりすぎたか?
まあいい、そんなことはどうにでもなる。
ニードは冷静を装って、無理やりに作った笑顔を子爵に向けた。
「閣下、お静かに。御安心ください。辺境伯との契約については、互いの認識にずれがあるだけのことです。仮に結果的に違約になったとしても、そこは交渉事です。譲歩も含めて辺境伯と交渉すると監察使に答えれば、何とでもなりましょう」
「ネルント村の方は? 陛下に問題にされるようなことをした覚えはないぞ! お前、何か俺の知らない事をやったのではないだろうな?」
拙い。そっちは拙い。俺が蜜を吸うために税率を上乗せした事実を知られるわけにはいかない。農民どもめ、何てことをしやがったんだ。調べが入る前に何とかしないと、大変なことになる。
ニードは笑顔を必死に保とうとした。
「お手紙でお許しを頂いた以上の事はしておりません。陛下は、辺境伯との問題と合わせて考えられたのかも知れません。個々には些細なことでも、二つ合わさると目を瞑れないということもありえますから」
「では、どうするのだ」
「村の連中に、訴えを取り下げさせれば済むことです」
「どうやって?」
「兵をお貸しください。田舎の農民のことです。多少頭を使う輩がいるようですが、そういう奴に限って力には弱いものです」
「……脅すのか?」
子爵がびくりと動いて眉を顰め声を潜めた。怖気付いたのか。気の小さい奴め。だが、この様子ならこちらの思い通りに動かせそうだ。
ニードは両方の掌を挙げて見せ、笑顔のままで首を横に軽く振って見せた。
「いいえ、和解のためのただの穏便な話し合いです。兵はこちらが本気であることを示すためだけのものです。但し相手が力尽くで通そうとすれば別ですが」
「鎮圧するということか?」
「そのような大事ではありません。もし連中が暴れれば当然ながら全員取り押さえます。しかしそうはなりますまい。何十人かの兵と剣を見れば、腰を抜かして神妙に従うでしょう。農民とはそういうものです。ああ、一人二人は跳ね返りがいるかも知れませんが、其奴らはきちんと懲らしめます。それで済むことです」
「しかし、監察使はもう遠からず、数日中にもやってくるぞ」
「準備が整い次第、すぐに出発します。なあに、往復で三日もあれば方が付きます。監察使には、訴えは取り下げられたと、胸を張ってお答えできるようになります。御安心ください。もし私が戻らぬ間に監察使が来られたら、御自分は契約も何も知らない、関係ない、代官に任せてあるとお答えください」
「ああ、実際に俺は何も知らんのだからな。任せて良いのだな?」
「はい。お任せください。私の行先はできるだけ御内分に。この邸の者にも衛兵長にも。監察使にどうしても話さざるを得なくなったら、代官は穏便な話し合いに行ったのだと」
「それは問題にならないのだな? 本当に大丈夫なのだな?」
「大丈夫ですとも。事実なのですから」
「それならば、すぐに準備にかかれ」
「はい」
子爵はふうっと大きく息を吐いた。どうやら落ち着いたようだ。こいつはこれでいい。それよりも、問題は監察使だ。
ニードは王都詰めの者に尋ねた。
「ところで、監察使には、どなたが来られるのだ?」
「正使がスタイリス王子、副使がクレベール王子とのことです」
「何だと」
ニードは言葉を失い、考え込んだ。
……王子、それも二人だと?
冗談じゃない。国王は何を考えているんだ。これは大事件扱いだが、子爵にそれを言っても始まるまい。むしろ狼狽して何か拙いことをしでかされては困る。どうする?
正使はスタイリス王子か。噂では王子は庶民の人気が自慢らしいが、それ以上に王族らしく権力志向が強く、自尊心が異常に強いとも聞く。ならば、巧く煽てて取り入れば、何とかなるかもしれない。
ニードはまた笑顔を取り戻して子爵に向き直った。
「若い王子お二人を選ばれたということは、恐らく、国王陛下はそれほど重要視はしておられぬのでしょう。重大事であれば、正使はともかく、副使には経験豊富で優秀な官を充てるものです」
「そういうものなのか?」
「ええ。御心配なく。お二人はお齢も閣下と近いですから、お若い方同士、親交を深めさせる狙いもあるのでしょう」
「そうだろうか」
「はい。どうか篤くおもてなしいただいて、国王陛下へのお取り成しをお願いしてください。特に正使のスタイリス王子には、恭しく、丁寧な接遇を心掛けてください」
「そうだな」
「私は急いで兵を出します。閣下は、監察使を迎える準備をよろしくお願いします。とにかく丁寧な対応、十分な儀礼ともてなしを家令や侍女頭に命じて整えさせてください」
「よかろう。いいかニード、訴えは間違いなく取り下げさせろ。いいな?」
「はい、閣下」
「何としてでもだ。わかったな? 必ず、だ」
「はい、閣下。勿論です。では、失礼致します」
子爵はようやく納得がいったらしく顔の緊張を緩めたが、それでも何度も念を押した。
ニードは子爵に頭を下げてから執務室を出ると、大きく息を吐いた。
よし、税率の事は詳しく聞かれずに済んだ。後は、跳ねっ返りの農民どもを始末すれば済む。
少しの時が経った後、ニードは衛兵の詰所の小部屋で、衛兵長と睨み合っていた。
衛兵全員を率いて自分と共に出動するようにとの指示に、衛兵長が従わないのだ。
「私は行かない」
「……どういうつもりだ」
ニードは衛兵長に躙り寄り、ゆっくりと顎を突き出しながら見上げ、半目でさらに睨み付ける。
衛兵長はニードより頭半分背が高い。彼は動じず、ニードの目を睨み返して応じた。
「どうもこうもない。命じられたのはお前だ。どこへ行って暴れるつもりかは知らんが、お前が行けばいい」
「お前は衛兵長だろうが」
「前に言った。お前と一緒には行かない。気にすることはないじゃないか。『大したことじゃない、一緒に行く別の奴を見付けるだけ』、なんだろう?」
「衛兵長の務めを放棄するつもりか?」
「私は本来閣下の直属だ。閣下が戻られている今、ただの代官に過ぎないお前に衛兵長の務めをどうこう言われる筋合いはない」
「なんだと?」
ニードの右手が伸び、衛兵長の胸倉を掴んだ。
「ただの代官だと? 今回の出兵は、俺が閣下から任されたのだ。俺の指示は閣下の指示だ。それに従わないと言うなら、覚悟があるんだろうな?」
だが脅されても衛兵長は慌てない。胸元のニードのその手首を掴み返すと、ゆっくりと力を込めていく。
「どうにかできるものならやってみろ」
「……」
「国王陛下からの監察使が来られるのを忘れたか? 貴人をお迎えするのに、衛兵も儀礼の準備が必要だ。それを衛兵長以外が仕切れると思っているのか? 聞こえているか? お前のくだらない暴力沙汰につきあう暇は、な・い・ん・だ」
そう言いながら、ニードの手首を握る手に、思い切り力を入れて引き剥がした。
「くっ。放せ!」
ニードは苦々しげに言うと衛兵長の手を振り払った。衛兵長は、痛む手首を逆の手で庇いながら睨み付けてくるニードに、冷たい声で言い放った。
「衛兵たちには、希望者はお前に付いていくように言ってある。残りは俺と一緒に、監察使を出迎える手筈を整える。お前が王都から連れてきた連中以外に、何人がお前に諂うかな?」
「今の言葉、憶えてやがれ……監察使が帰ったら、決着を付けてやる」
「ふふん」
ニードが脅すが、衛兵長は鼻先で嗤って返した。
「……絶対に後悔させてやるからな」
ニードは歯ぎしりして言い捨てると、人数を揃えるために部屋を出て行った。
結局、ニードに従った衛兵は、王都から連れてきた五人を含めても、領都詰めの五十人のうち十六人だけだった。ニードとしてはもう少し人数が欲しかったが、他の町から集めていては時間が掛かりすぎて監察使の到着に間に合わなくなる。
領都の傭兵ギルドにも募集をかけたが、その日のうちに応じたのは四人だけ、しかも急いでいるこちらの足元を見られて結構な額を吹っ掛けられた。ギルドで傭兵を雇うには、通常は半金の前払いが必要だ。もし任務完了前に死んだら一ダランも入らなくなるので当然だが、今回は急ぎで都合がつかないと言い張ったら、相場より相当高く吹っ掛けられた。こちらを甘く見られたようで不愉快だが、全額後払いであればこちらにも都合が良い。自分の財布からは一枚も金貨を出さずに済む。
それに事が思い通りに済んだら、子爵家から費用を引き出した後に、傭兵には難癖を付けて値切ってやる。その差額が俺の懐に入れれば、開拓村までの往復の駄賃程度にはなると、ニードは頬を緩めた。
総勢は自分を加えて二十一人。多くはないが、無力な農民どもを脅すには十分だろう。




