第六十五話 竜尾の少女
承前
そこにいたのは十三か十四歳くらいの背丈で、艶やかな濃い褐色の肌の少女のようだった。
膝上までの白く透き通りそうな薄手の服を、葉が付いたままの長い蔦で腰の所で縛って纏い、その背中に伸びた長い髪も両方の瞳も燃えるように赤い。高く通った鼻筋の両側で大きな眼を長い睫毛が飾り、その上を柳眉が流れる。小さな口は腕に力を込めているためにへの字に歪んでいるが、美しい顔立ちだ。
その格好は、ぱっと見には絵物語に出てきた妖精の姿に良く似ている。
エルフ渡りの風の名残がまた吹き始めたのか、赤い髪と白い服の裾がゆらりゆらりと靡いている。
ユーキが何も言えずに立ち止まっていると、その少女は地面に刺さった剣を抜くのを諦め、手を放してこちらに向き直った。
「何? 驚いてるの? 君はさっきも私が見えてたよね? それともウンディーネを見るのは初めて? 絵物語とかで見たことない?」
ウンディーネ。清らかな湖沼に棲むという、妖魔の長たる風火水土の四精の内の水の精。有名な妖魔である。自ら名乗ったということは、こちらを直ちに憑り殺すより、取りあえずは意思疎通を求めるということか。
「ウンディーネ様ですか……絵物語では見ましたが」
だが、幼い頃に見た絵物語とは明らかな違いがある。ユーキが口籠ると、少女は片側の口角を上げた。
「まあ、実物に初めて会ったら、驚くのも無理は無いかな? ウンディーネを実際に見たことのある人間はそうそうはいないだろうし」
何か得意げだ。だが違う。勿体ぶっていては後で御機嫌を損ねるかもしれない。
ユーキははっきりと伝えることにした。
「確かに初めてですね。竜尾のあるウンディーネ様にお目に掛かるのは」
そうなのだ、衣の下から、鱗に覆われ、先端に鋭い棘が生えた尾が覗いているのだ。
「えっ!」
少女が慌てて腰を押さえるがもう遅い。『あちゃー』と言わんばかりに口を開くと、がっくり項垂れて、頭を抱えて「しくった……」とか呻いている。
「もうちょっと服の丈を伸ばすべきだった……でも可愛さが落ちちゃうし……」
嘆いている少女にユーキは尋ねた。
「そもそも、なぜウンディーネなのですか?」
「ああ、敬語でなくていいよ。ウンディーネはそっちの設定じゃん。それに乗っかっといた方が楽かな、と思って」
「楽?」
「本来の姿を見抜かれると面倒なことになるから」
「……だったら、尾を消せば良かったのでは?」
「ついよ! うっかりよ! たまたまよ!」
「どれ?」
ユーキが思わず突っ込むと、少女はプンプンと怒りだした。
両腰に拳を当てて仁王立ちでユーキを睨み付ける。裾から覗く竜尾も真っ直ぐ後ろにピンと伸びている。
「消したつもりだったの! 変化に込めた魔力が足りなかったのよ。私はまだ若いから……。昨日までのエルフ渡りで森が荒れて、それを掃除するのに結構な量の力を使っちゃって、まだ回復してないの」
「そうなんですね」
素直に頷いて相槌を打つ。それが良かったと見えて、少女はユーキに向かって愚痴りだした。
「全く、エルフの連中と来たら、自分の依木以外は折れようが倒れようが、『自分たちの霊力ですぐまた生える、気にするな』とか言ってほったらかしなんだから。他の子たちはみんな『嵐の後で体がだるい』って手伝ってくれないし。絶対、嘘よ、あれ」
「それはお気の毒に」
「綺麗好きが私だけって、どういうことよ。もう片付けでくたくたよ。この姿じゃ、こんなボロ剣もまともに持てないくらいなの」
「それでさっき、剣を奪った後にふらふらしていたのですね」
「そうよ。やっと大体片付いたと思ったらあんたたちが入ってきたでしょ? 真姿を見られたら面倒臭いことになるから、普通の人間には見えないこの姿に変化したの。でも、あんたには見えちゃったみたいね。隠れてようかとも思ったんだけど、刃みたいな不浄なものをあんまり振り回されると、森がまた荒れちゃう。さっきのアレ、試し切りとか言ってそこら辺の樹に斬り付けかねない勢いだったし。困った野郎だよ」
勢い良く言うだけ言うと、少女の竜尾から力が抜けて垂れ下がった。気が済んで怒りが治まったようだ。良かった、良かった。ユーキが逆らわずに頷きながら聞いていたのも良かったのだろう。
「結局落として刺さっちゃったけどね。もうしょうがないから。ちょっと力を貸してくれる?」
少女が上目遣いにこちらを窺ってくる。怪しげな話ではあるが、相手はどう考えても常ならざる者である。ユーキはクルティスから伝えられた菫の「敬い逆らわぬように」という戒めをまた思い出した。素直に従っておいた方が良い。
「はい。どうすれば良いですか?」
答えると、少女は嬉しそうに口角を上げた。少し開いた唇の間から、鋭く尖った牙が覗く。幼く見えても、やはり竜なのだろう。
「丁寧に喋らなくていいよ。面倒でしょ」
「いいのですか?」
そう言われても相手は竜である。ユーキが念のために確かめると素っ気ない答えが返ってきた。
「うん、かえって気色悪いし。ごく普通に」
これは本当に普通に喋った方が良さそうだ。もう一度尋ねてみる。
「わかった。で、どうすれば?」
「簡単、簡単。この剣を抜いて、そこの鞘に納めてよ」
少女は地面に落ちている鞘を指差す。ユーキはそれを拾い上げて剣の方に近付いた。
「そんなに深く刺さっているようには見えないけど」
「そういうことじゃないのよ。とにかくこの姿じゃ力が入らなくて」
「そういうものなのか。うんっ?」
ユーキは無造作に柄を握って軽く抜こうとしたが、抜けない。奇妙だ。そんなに深く刺さっているようには見えないし、嵐の後で地面は軟らかくなっているのに。現に、歩いた跡は草地の上でもはっきり付いている。ならば抜けないはずは無い。そう思って手にぐっと力を入れたが、動きもしない。どういうことだと思いつつもっと力を入れようと柄を両手で握ったところに、楽しそうに見ていた少女から待ったがかかった。
「あー、待って待って、人間一人だけでは抜けないの。今、一緒に抜くから」
少女が手を伸ばしてきて、柄を握ったユーキの手を上から握った。少女の手の内に籠る熱が、火のように熱く感じられる。
「じゃあ、いくよ。一、ニ、三、はい!」
少女の声に合わせてもう一度力を込めるとユーキの手に重ねた少女の手に紅の光が灯り熱が感じられた。それでも力を緩めずそのまま剣を引っ張ると今度はすっと抜けた。その瞬間、刃の根元から切っ先まで赤い輝きが走って光る。
「これは一体……」
ユーキが呟くと、少女は自慢げに言った。
「私の土地に捧げられた剣だからね。私が手を添えないと、抜けないのよ」
「捧げられた? 作り事をするために持ってきただけなんだけど」
「そうねえ。作り事のはずだったけど、私の土地に刺さっちゃったからねえ。アレ、あのお調子者? アレが滅多矢鱈に振り回しながらこっちへ来たもんだから、つい、アレの手を叩いちゃったよ。こんな凡百の剣では当たったところで私は傷付かないんだけど、つい、ね。落ちないように掴んだんだけど、力が出なくてふらふらしちゃって……」
「見てた。スタイリス殿下に向って倒れかかって、突き殺しそうになってたよね」
「殿下? アレがねえ。王子はもう一人いたけど……いや、あっちはともかく、アレは……まあいいか。私の知ったこっちゃないし」
少女は鼻先で「フフン」と嗤って続けた。
「アレを突こうとかじゃなかったんだけど、とにかく支えきれなくて。まあ、経緯はどうであれ、こうやって刺さっちゃった以上はこの地への捧げ物扱いよね。そうするともう、この地の主たる私が許さないと抜けないの。つまり私自身で抜くか、私が力を貸して人が抜くかしないとね」
「そういうものなんだ」
「そう。力が戻るまで待ってたら、刃の不浄でこの地が汚れるし」
「さっきも言っていたけど、剣は不浄なんだ」
「剣というか、朽ちにくい人工物がね。刃は生き物の命を断ち切るために研ぎ続け、鋭利を保とうとするでしょ? 有為転変を繰り返し連綿と続く自然の摂理に逆らう物なの。動物は死に、草木は枯れ、石は崩れる。雪や氷は融け、雲も虹も束の間に消える。その理を知る賢者は無力を悟って黙し、愚者のみが己の栄華の不変を欲して大言壮語する」
「む、難しいね。良く分からないけど」
いきなり哲学的な話になってユーキはちょっと引いてしまうが、なぜか少女は自慢げだ。
「そうよ。どうせ捧げるなら、食べ物とか花とかの消え物にして欲しいわ。どうしても構造物を捧げたいなら木造ね、塗装なしで。あ、自然石も問題なしよ、できるだけ加工しないで積むだけならね。剣は良いものほどなかなか錆びないしすごく困る」
「良い鋼を使うからね」
「そう。それから金貨とか宝石とか最悪。永久に腐らないんだから。ごみ溜めに拾い集めとくしかないわ」
「憶えておくよ……ああ、それで竜の棲み家の隅には宝とか良い武器とかが集められているって言われているんだ。ごみ溜めか。人間には宝物だけど」
「まあそんなところ……やっぱり竜ってバレてる? 話をしてるうちにうっかり忘れるかと思ったんだけど」
「まあ、まだ尾が見えているから」
「やっぱり誤魔化せないか……」
少女は頭をポリポリと掻いている。
「さっき言っていた、『本来の姿を人間に見抜かれてはいけない』っていうの?」
「そうね。……もうしょうがないか。説明するから、取りあえずその剣を鞘に戻してよ」
「わかった」
ユーキが剣を鞘に収めようとすると、また柄から切っ先に向けて赤い光が走った。その不思議さに、収めた剣をじっと見ていると、少女が笑いながら言った。
「紅竜の剣だからね。真の持ち主が扱うと、光るぐらいは当たり前ね」
いやいや。ユーキは頭痛がしてきた。あっちもそっちもこっちも突っ込まないと。
「ちょっと待って。紅竜の剣? 五十リーグもしない安物のはずなんだけど。それに持ち主は僕じゃないし、光るのが当たり前って」
しかし少女の笑顔はびくともしなかった。
「ええ、確かに元は安物ね。銘剣と打ち合えば、五合で折れて使い手を窮地に陥れたでしょうね。でも私が握っちゃった時点でね、別物になっちゃったわけ。紅竜の力で紅く輝く不折の竜剣ね。もう、岩に斬り付けても折れないし刃零れもしないわよ。私一人で抜ければゴミ溜め行きだったんだけど、今となっては、この地から抜いたあんたの所有物だよ。もう少しであいつらの言った伝説が完成しそうね」
「伝説って、そんな。僕にしたら、ただの拾い物じゃないか。自分の物にしたらネコババ伝説とか言われそうだよ。あまり気分は良くないな」
「だったら、元の持ち主に返してみればいいよ。手放そうとしても、自然とあんたの下に戻ってくるから。後で試してみれば? それから、光らせたくないなら、抜くときにそう心の中で念じることね」
言われた通り、ユーキが『光るな』と念じながらちょっと抜いてみると、確かに光らない。
「本当だ……」
「あと、私の正体の件だけど」
そう言うと、少女は上を向いて両手を挙げた。朱い光が一瞬少女を包んで消えた後には、紅褐色の竜に変わっていた。全身を覆う鱗は陽の光を浴びて鈍く輝き、四肢の爪、そして尾の棘が鋭く尖る。鬣と瞳の紅蓮の色に変わりはないが、体はユーキより遥かに大きい。背中には同じく紅蓮の翼が畳まれている。拡げれば忽ち空高く飛べるのだろう。
「これが私。風火水土の四精のうち、火を司る竜。この真姿なら、誰にでも見えるのよ。今はこんな色だけど、成竜になれば炎より赫い紅竜になるわ」
竜は口を開いた。笑ったのだろう。その口の中には上下左右四本の長い牙、その前後に並んだ無数の歯が獲物を捕らえんと尖りを見せて待ち構えている。
そして言った。
「じゃあ、闘いましょうか?」




