第六十二話 楼の応接室にて
前話翌日
椿様気付
菫様
前略 国王陛下の御用で暫く王都を離れることになりました。二、三週間程度だと思いますが、その間は手紙も書けないと思います。申し訳ありませんが、御用に集中したいので、お許しください。戻ってきたら、その間の分も含めて恋しい想いを沢山書きたいと思いますので、待っていてください。
出発準備に忙しく、取り急ぎ、用件まで。 草々
シュトルム
菫は椿から渡されたユーキからの手紙を持ち、いそいそと禿たちに割り当てられている大部屋に戻ってそっと開いて読み始めたが、読み終えるなり部屋を飛び出して廊下を小走りに急いだ。
クルティスはユーキの手紙を届けた後、応接室で菖蒲を相手に、出された茶をまだちびちびと飲んでいた。
「うーむ、菖蒲ちゃんが出してくれるお茶は、他の人のより圧倒的に濃い気がするな。堪らん苦みが口の隅々に広がる」
「あい、クー様歓迎の証に茶葉をドバドバ使っているので」
「そりゃ有難いこった」
「安物だけど」
「予想通りだ」
「あ、今日のユー様情報とか教えてくれれば、茶葉も茶菓子も高級品を出す。婆様が隠してる場所知ってるし」
「いや、特に何もないな。うん」
「ならば次はお湯、いえ水を出すことにする。苦瓜の生汁を混ぜることも考慮する」
「ひどいな。苦行じゃないか、それ」
「でも体には良い」
「心には悪い」
二人がいとも下らないことを言い合っていると、トトトトと廊下を急ぐ音がして、扉を叩くのもそこそこに、菫が息を切らして入ってきた。
「クルティス様はまだおられますか?」
「はい。今、美味しいお茶を飲み終わって、帰ろうと思った所です。どうされましたか?」
「あの、お文を書いていては間に合わないと思いまして。殿下にお伝えいただけませんでしょうか。どうか御用の間は、私の事は忘れてご専念ください。どちらへ行かれるかは存じませんが、普段の倍、ご健康とご活躍を彼方へと祈りながらお待ちしておりますと」
「菫様、承知しました」
クルティスは菫に頭を下げると、横で眺めていた菖蒲の方を見た。
「菖蒲ちゃん、お日様が一番高くなる方角って、ここからどっち向きだ?」
「南はあっち」
「そうか。ありがとな」
菖蒲が指差して方角を示すと、クルティスは菫に片目をぱちりと瞑って見せた。
菫は嬉しそうに微笑みを返した。
「……クルティス様、ありがとうございます。クルティス様もお伴されるのですよね? クルティス様の御無事も共にそちらに向かって祈らせていただきます。御準備にお忙しい中をお文をお届けいただくことになり、申し訳ございませんでした。何卒、お体にお気を付けになって、いってらっしゃいまし」
「ありがとうございます。そのように致します」
クルティスが笑顔で返事をすると、菫は少しだけ躊躇った後におずおすと言い出した。
「あの、私などがこのようなことを申して良いのかわかりませんが、殿下のことをよろしくお頼み申します」
「お任せください」
クルティスが大真面目な声を作り、体を二つ折りにせんばかりに大袈裟に頭を下げて見せると、菫は口に手を当ててクスッと笑いを漏らす。
だが菖蒲は、いつものこの子らしからぬ、真剣な声でクルティスに尋ねた。
「ユー様とクー様、南に行くの?」
「まあな」
「だったら、森の美姫衆に見付からないように気を付けてね?」
「『森のビキシュウ』? なんだそりゃ?」
「怖い姫様たちがいるの」
「え? ますますわからん。 森の姫様?」
要領を得ない会話を続ける二人の様子を見て、菫が代わりに答えた。
「クルティス様、妓女の舞踊歌に、南部の『黒く深き魔の森』の妖魔様を謡ったものがあるのです」
「『黒く深き魔の森』? 『ローゼン大森林』のことですか?」
「あい。その歌の一節に『森に美姫衆ござられば、敬い畏み奉れ。さすれば永遠に彷徨わで、無事に此の世に帰り来ん』とありまして、妖魔様は敬い逆らわぬようにと。もし黒く深き魔の森に近寄られることがありましたら、左様に、また森を汚したり木を傷付けたりせず、お慎みくださいませ」
「ふーん。そんなのがあるんですか」
「あい。元は南の方の民謡だったものが伝わったようです。元歌はその後廃れたらしいのですが。その歌では、良い男衆は森に潜む妖魔の姫様方の虜にされてしまい、そうでもない者たちは……」
「どうなるのですか?」
「森を汚すと……」
「汚すと……?」
「お察しの通りです」
「汚さなければ?」
「相手にされずにほったらかし、道に迷ってそのまま……です。身も蓋も無い内容なので殿方にはあまり人気がなく、踊る妓女も少ないのですが」
なるほどと納得顔のクルティスに、元の調子に戻った菖蒲が言った。
「ユー様だけでなく、クー様も男っぷりは無駄に良いので心配。二人とも捕まらずに無事に帰ってきて欲しい」
「ありがとよ。一言余計だけどな」
クルティスがふくれっ面を菖蒲に見せながら応じると、菫が言葉を添えた。
「どうかお気を付けください」
「はい。ユーキ殿下に確かにお伝えします。菫様の御助言であれば、きっと守られると思います。それに現地の習わしや言い伝えは尊重するようにとマレーネ殿下や御前様もいつも言っておられますので、殿下は大丈夫だと思います」
「それでしたら、安心です」
「森の美姫より、むしろ、人間の美女の方が恐ろしいかも知れません。ああ、そうだ。もし行った先でちょっかいをかける女性がいて殿下がふらつきそうになったら、菫様に報告しましょうか」
「そのような御冗談を。……でも、もしそのような事があっても、それは殿下の御心のままにさせてあげてください。私は、何事も殿下がよろしければそれでいいので……」
菫が遠慮がちに言う言葉を聞いて、クルティスの顔から笑みが消えた。菫に真っ直ぐ向き直ると普段と異なる真面目な声を出した。
「菫ちゃん、それはちょっと違うと思う。本当にそう思ってるか?」
「……いいえ」
「だったら、そんなことは言わない方が良い。殿下は、御自分が好きなようにしたいんじゃなく、菫ちゃんと二人で一緒に頑張りたいと思っている。だから、もし殿下に不満や文句があったら、言った方が良い。自分だけを見て欲しいならそう言って構わないし、殿下に直した方が良いと思う所があったらそれも。殿下は怒ったりせずきちんと聞いて、自分で考えられる人だ。菫ちゃんが不満を溜め込むようなことがあったら、その方が殿下は悲しく思う。殿下も菫ちゃんには何でも手紙できちんと伝えてる、そうだろ?」
「あい。クルティス様、ありがとうございます。私の考えが至りませんでした」
菫が顔を引き締めて礼を言うと、クルティスはまた片目をぱちりと瞑り口角を上げて付け加えた。
「まあ、殿下の方は菫ちゃんには不満なんて何一つ無いと思うけどな」
「……クルティス様。おからかいを」
菫が紅くなった頬に手を当てる。
それを見ていた菖蒲が小さくぱちぱちと拍手しながら、笑顔に戻ったクルティスに言った。
「クー様、優しくてカッコイイ。良い男っぷり。やっぱり美姫衆に捕まりそう。これでもっと小っちゃくて可愛かったら、私もユー様から乗り換えを考えたのに、残念。残念賞にお茶のお代わり淹れる? 茶葉をもっと増やしたげる。どうせ安物だし」
「いいや、遠慮する。大きくて生憎だったな。俺もチビ助は対象外だから安心してくれ」
「うん、クー様は年上好き。知ってる。椿姐様や他の姐様がいたらこっそりチラチラ盗み見て、口元だらしなく緩めてる。良い男っぷりが台無し。残念賞も取り消し」
「そいつは確かに残念だ。茶葉は大事に取っといてくれ」
「うん、そうする。その代わりに姐様たちの秘密の寸法情報、聞きたい?」
「秘密情報漏らしちゃ駄目だろ……でも、聞いてやらんでもない」
「ほら、また口元緩んだ。椿姐様は八吋半。薊姐様は九吋」
「……足じゃねえか」
「えへへ」




